池田浩さんの文芸誌時評『No.105 小説 野性時代 2016年 12月号』をアップしましたぁ。特集は『小説は進化する』ですが、昔からジャーナリズムは〝反〟とか〝超〟とかいった変化や進化を示唆する文言が大好きです。ただま、月刊誌でそんなことやってもあんまり意味がない。前月号に対する反とか超とか進化とか変化ならわかりますが(爆)。池田さんはだから『問うべきは「特集」というシステムそのものなのだろう』と批評しておられます。
生物以外の「進化」という概念と親和するのは、言うまでもなく戦後の拡大再生産の図式である。だが文学がそのような社会の発展と歩調を合わせ、商業文芸でない、純文学的な営為も拡大再生産に乗り得るという幻想を生きたのはほんの短い数年だ。その頃に物心つき、そういうものだと刷り込まれた世代がいるにはいる。(中略)一番哀れなロスト・ジェネレーションになるのは、その辺りではなかろうか。後から振り返ると、何も残ってないことになるだろう。それは華やかだった戦後文学の最盛期に乗り遅れたからではなく、それが一時のトレンドだということを見誤り、潮目を読み違えてその価値観に固執したことからくる。何もかもが古びてみえるとはそういうことだ。
(池田浩)
池田さんはまた、『潮目を読むとは言ってもしかし、そこは実は嗅覚やら機敏さやらではなく、本質的な価値観が試されたのではないか。文学のある様相が一時の雰囲気に過ぎないと見てとるのは、文学が本来どういうものか知っている者に限られる』とも批評しておられます。
1980年代に潮目が変わり始め、2000年紀にはそれが動かしがたい潮の流れであることがはっきりしました。その中で昔ながらの文学幻想にしがみつく文学者と、新たな潮流を模索しようとする文学者がじょじょに乖離し始めています。
まー人間が精力的に活動できる期間はだいたい就職してから退職するまでの40年くらいです。それは文学でも同じです。この期間、現世を生き延びられればそれで良しとする文学者がいても別に不思議ではない。でもそれってチョーつまんないですよね。少なくとも文学金魚ではそういった作家はいらないなぁ。
■ 池田浩 文芸誌時評『No.105 小説 野性時代 2016年 12月号』 ■
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