小原眞紀子さんの連載純文学小説『神違え』(第09回)をアップしましたぁ。マンション理事長が大長(おおおさ)になり、九州平定に出かけていった真相が明らかになります。
来林の長を、何とかしろ。
それが二ヶ月前、わたしが受けた命令だった。(中略)
「あんたが推薦すっから、わざわざ長にしたのによ。使えねえんだもん」
「はい。すみません」
目違いだよ、とわたしを睨む真似をした。
「真面目で素直で、言うこと聞くって言うからよ」
そうだった。最初は些細なことだった。大通りからこのマンションの裏口に通じる側道を作りたい。そう頑張る来林さんに、では長になったら、と勧めたのだった。
その後、隣りに大規模店が立つという状況に見舞われたときには、長という立場ながらわたしの手足となって動き、その後も年代記の書記としてごく素直、かつ真面目に務めていた彼女だったのだが。
「目覚めちまったんだな」と、守は呟いた。
権力ってもんによ、と息を吐く。
(小原眞紀子『神違え』)
『「目覚めちまったんだな」(中略)権力ってもんによ』といった箇所が、実に小原さんらしい純文学小説の展開です。小説は現世の矛盾や理不尽を描く芸術ですから、単純に権力を批判しても仕方がない。誰の中にも権力欲はあり、多少の社会的立場を持っていればそれを行使することだってあります。大事なのはその仕組みを見切って相対化し、自らも力を持って他者の権力に対峙できるようになることです。そういった綺麗事の倫理では割り切れない人間社会を描けるのが小説の醍醐味です。
文学の世界にだって権力は存在します。有名作家などにひっついて、なんとか利権を得ようとしている業界ゴロ的文学者は論外ですが、文学業界にはどう考えてもイビツだなぁと感じるコード的権力がある。文学金魚は基本、そういったコードに対するアンチ権力メディアですが、もち綺麗事ぢゃ済まない(爆)。何かを変えるには力が必要です。アンチとは言いましたが〝反〟とか〝超〟とか唱えていたのではダメなんです。新しい何かを提示しそれを一般化しようとすれば、〝である〟という強い肯定が必要です。確信がなければ〝である〟には達しないでしょうね。
■ 小原眞紀子 連載純文学小説『神違え』(第09回) pdf版 ■
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