アテクシ女ですけど、女ってめんどくさいわねーと思うことがありますわ。そんなこと言うと男たちが、「そぅでしょそぅでしょそぅでしょああっそうでしょーッ! 僕の彼女がねぇ、奥さんはねぇ」と大挙して押し寄せて来るでしょうけど、ええぃ下がれ下がれ下がれぃっ、おまいらだって十分めんどくさいんぢゃぁっ!と斬り捨ててやりますわ。アテクシ別に殿方の味方でも理解者でもないわよ。人間、多かれ少なかれめんどくさい生き物ですけど、男と女ではその質が違いますわね。
ジェンダーとかなんとか言い出すと、これまたきりがないくらいめんどくさいですけど、現実生活で女が不満を溜め込む傾向があるのは確かね。アテクシのようなコワモテオバサンだって、ちょっとした修羅場は愛嬌で乗り切ることがございますの。女ならそれを使わないテはないわね。でもやっぱり見返りを求められるのよ。これやっちゃ、言っちゃマズイだろうなーということが数々あるわけね。そういう我慢が積もり積もって、ぐちぐちグルグル不満話になるわけ。これは主婦でもOLかわいこちゃんでも同じね。殿方から見れば出口のない愚痴話がストレス発散になりますの。
こういった愚痴話は林真理子先生のお得意分野よ。オールでもハルコシリーズを連載しておられますわ。でも林先生もアテクシと同じコワモテオバサンのお年におなりになったせいか、愚痴を一刀両断して解決する方向にお進みになっていらっしゃるわ。それはそれで痛快大衆小説ですけど、女の愚痴は本来出口がないものなのよ。解決不能な愚痴話が好きっていうのは殿方から見ればバカみたいでしょうけど、女の方が自分のことをよくわかっているのかもしれませんわよ。
ほとんどの女は毎日毎日鏡を見て、はぁぁぁぁぁっと深い溜息をついて生きているの。男社会への不満はもちろんですが、自分自身への不満もそれと同じくらいござーますわ。折り合っていかなくちゃならないけど、絶対折り合えないから愚痴になりますの。男は自分の弱点や欠点を指摘されるとポキンと心が折れてどんよりしてしまいますけど、女は「そうなのよね~、でもぉ」となることがおおございますわ。わかっちゃいるのよ。だけど「でもぉ~」なのでござーますわ。
しかし、久保寺くんは、常にこちらを気にしていた。だから、いくらアイドルみたいな女の子やどこかの奥様と話し込んでいても、必ず、数分おきにやってきて、頭のてっぺん辺りのロッドを一つ外しては、クルクルとまいた髪を真剣な面持ちで眺めては、「もう三分、おいてから二液をかけて」などとアシスタントの子に指示を出し、「それじゃあ、もうちょっと待ってください」と時子に笑顔を向けて、また戻って行く。こんなに、放りっぱなしにされたことなんて一度もない。
さっきから、小さな娘は言われた通りに、タイマーを設定しているらしく、ジジジジジと鈍い音がする度にやってきて、無表情のまま、温かい液体を髪の上にかけては、またキャップをかぶせて、どこかに消えてゆく。
こんな子にまかせて本当に大丈夫なのだろうか、と思い切り不安な視線を鏡越しに送ってみても、こちらに気づいているのかいないのか、松原くんは、機嫌の良い笑顔を鏡越しにぼんやりと返してくる。
(松田幸緒「中庭に面した席」)
松田幸緒様の「中庭に面した席」は第九十五回オール讀物新人賞受賞作品でございます。主人公は七十歳になろうとする時子で、夫と死別して息子家族と同居しています。すごく折り合いが悪いということはないのですが、お互い気を遣っていることもあって、不満がうっすらと滞積しています。今朝も回転寿司のことでちょっとした口論になり、「あんな、工場みたいにぐるぐる回っているお寿司屋さんなんて、食べる気がしないじゃない」と言った時子を置いて、息子家族はお昼ご飯に回転寿司屋に出かけてしまったようです。時子はむしゃくしゃした気持ちをなだめるために、電車で三十分ほどかかる青山の美容室に出かけることにします。
この美容室は息子の結婚が決まった時に、なぜかもの悲しくなった時子が飛び込みで入ったお店です。チーフスタイリストの城田さんは腕も客あしらいも申し分のない美容師でした。それ以来、二十年近くにわたって時子は城田さんの美容室に通っています。ただ人気美容室はスタッフの入れ替わりが激しいのが常です。チーフの城田さんはカットを担当するだけで、パーマなどはほかのスタッフにまかせていました。入れ替わりが激しい中で、珍しく十五年も時子のパーマを担当してくれていたのが久保寺君でした。しかし彼は辞めてしまい、今日は松原君と、初めて見る小柄な女の子が時子にパーマを当てます。そのやり方に時子は戸惑っています。
ただ時子が前任者の久保寺君をものすごく気に入っていたというわけではありません。久保寺は耳にたくさんピアスをつけたイマドキの青年でした。趣味はサーフィンで、時子とはまったく会話が噛み合いません。また久保寺君はいつも仕上げに髪を大きく膨らませてしまう子で、小柄な時子はバランスが悪いと不満で仕方なかったのです。しかし松原君に担当が変わって、時子は久保寺君が繊細に気を配っていたのだと気づきます。
時子は鏡に映る店内を見回した。日曜日だから確かに混んでいる。城田さんもまだ誰かのカットの最中で、こちらに気づく様子はない。
しかし、時子が最初に座っていた、中庭に面したあの席は空いている。(中略)
気づいてほしかった。しかし、どうしたら良いのかわからない。あそこに行きたいわ。いつもの、あの私の席に移してちょうだい、とでも? そんなバカなことがどうして言えるだろう。小さな子供でもあるまいし。ありえない。(中略)
時子は鏡の中の自分がどんどん小さく、醜くしぼんでいくような気がしていた。
(同)
アテクシ「中庭に面した席」を読んで、ずいぶん前にテレビで見たアメリカ議会のニュースを思い出しましたわ。男女平等論者の女性議員が「床屋と美容室の料金に差がありすぎる、均一にせよ」という内容の法案を議会に提出したのですね。投票は否決でしたが、結果を告げる男性チェアマンがエッグヘッドで、「髪の毛にお金をかけられる女性たちがうらやましいですなっ」と言ったのが印象的でござーましたわ。これはまあ冗談みたいな話ですけど、女性にとって美容室に行くことが、単に髪を切ったり染めたりするためではないのがこのお作品では良く表現されています。
新しい担当者の松原君の仕上げを、時子が気に入らなかったわけではありません。もしかすると久保寺君より上手かもしれない。だけど明るく見栄えのする中庭に面した席に自分を移してくれなかったという不満がそれを上回ってしまうのです。久保寺君は、「席とか、俺、結構、気をつかうんすよね」と言うようなスタイリストでした。それに比べると松原君、まだまだ修行が足りないわ。女心がわかってないわよ。独立するにはあと十年はかかるわね。
もちろん時子は席を移りたいとはっきりスタッフに言えばいいのです。家に帰って大阪の娘から電話がかかって来た時、時子は昼間の美容室の対応を愚痴ります。娘は「ちゃんと言ったらいいのよ。あそこに座りたいわ、って。言われた方が、その子も嬉しいと思うわよ」と言います。アテクシもこんな時には「あっちの席に移っていいでしょ」とはっきり言うわね。ただそれはないものねだりです。決してそう言い出せないところに、時子という女性が置かれた鬱屈が表現されています。
それにしてもオールの審査員の先生方は、地味といえば地味なお作品をお選びになったわねぇ。アテクシには「中庭に面した席」は大受けでしたが、このお作品を面白いと感じる男性読者は少ないでしょうね。またこのお作品は時子が美容室に行くだけのお話しで、その他にプロットらしいプロットがございません。作者の松田幸緒様とお作品の間に、どのくらい距離があるのかも気になるところです。距離がなければこのお作品は私小説の一種ね。距離がある――つまりフィクションとして時子のような女性の心理をいくらでも作りあげられるなら、プロットを立てて、お作品をはっきりとした希望か絶望の方に導いてやる必要があると思います。
「おじさんはお兄ちゃんに夏休みの宿題を考えてきた。どれかひとつでいい。おじさんのところにいるあいだに、クリアしてきなさい」
一、街場で喧嘩をふっかける
二、女をコマしてものにする。
三、五十万つくる。
「ただし、明らかに自分より弱い奴はダメだし、女もそれなりに惚れさせなきゃダメだし、五十万は自力でつくらなきゃダメだ。まあ三つとも、おじさんがお兄ちゃんくらいのときには屁でもなかったけどね。どうだ。できそうか」
(平岡陽明「僕だけのエンタティナー」)
平岡陽明先生の「僕だけのエンタティナー」は女のグチグチ小説とは正反対の、単純明快な男世界のお話しです。主人公は高二の男の子で、父親の知り合いでヤクザではないですが、裏世界にも顔の利く伊吹さんに一夏預けられます。伊吹さんは僕に、無理難題とも言える三つの夏休みの宿題を課します。それをクリアしようとして僕は小さな冒険をして失敗するのですが、そのたびに伊吹さんが助け船を出してくれます。本当は金回りも良くないのに見栄を張り、バブル時代の景気のよかった頃の〝伊吹像〟を自ら演じているのが伊吹さんです。よく昔悪さをしていた人たちが語る〝伝説の男〟といった雰囲気です。ただそういった伝説の男に本当に会ったことのある人は、数えるほどしかいないのです。
この作品が心に残るのは、伊吹さんが死ぬからです。大学生になった僕に、ある日父親が「伊吹さんが自殺したよ。睡眠薬だって」と告げます。誰も彼の死を悲しみません。落ちぶれた姿をみんなの前に曝してしまう前に、自ら命を絶つ方が伊吹さんらしいと感じているからです。男の意地と見栄ですわね。もちろん伊吹さんのような男は現実にはあまりいません。しかしそのような潔さは男の子たちの夢の一つなんでしょうね。アテクシもお馬鹿ねぇと思いながら、ちょっとしんみりしてしまったのでしたわ。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■