【公演情報】
国立能楽堂7月 月間特集「江戸時代と能」
演目 狂言『月見座頭』、能『水無月祓』
鑑賞日 7月3日
出演
『月見座頭』
シテ 座頭 大蔵彌太郎
アド 上京の者 大蔵吉次郎
『水無月祓』
シテ 女 観世銕之丞
ワキ 男 殿田謙吉
アイ 上京の者 山本則秀
笛 松田弘之 小鼓 鵜澤洋太郎 大鼓 安福光雄
後見 山本順之 清水寛二 浅見慈一
地謡 観世淳夫 馬野正基 安藤貴康 柴田稔
谷本健吾 浅井文義 長山桂三 小早川修
監修 小田幸子
演出検討 山本順之 観世銕之丞
今月の国立能楽堂による月間特集「江戸時代と能」では、江戸時代の能楽の在り方が注目される。特に、江戸中期の能楽の世界で大きな波紋を起した観世元章(1722年‐1774年)の活動と関わりのある演目を四つの公演にわたって紹介することが、この特集企画の目的である。
元章は観世流の15世家元で、9代将軍徳川家重や10代将軍家治の能指南役を務めた。将軍家の後援を受けて、1750年の神田筋違橋(すじかいばし)門外で行われた15日間の勧進能(町人の見物が許される町内の能公演)のような大規模な公演を主催するなど、観世流の勢力が最も強かった時期を代表する能役者である。また、明和2年(1765年)刊行の「明和改正謡本」で能の詞章の改訂、演出の改変、または上演されなくなっていた演目の複曲や新作の追加を行い、当時の観世流のレパートリーを時代に合わせようとした。
しかし元章が試みた大改革は不評に終り、彼の没後「明和改正謡本」は直ちに廃止された。にもかかわらず、観世元章による詞章や演出の改訂は現在まで能の在り方に影響を及ぼしている。今年は「明和改正本」の刊行からちょうど250年になるので、その時代と関わりのある能の上演が企画されたわけである。
「江戸時代と能」という月間特集のうち、最初の公演は7月3日に行われ、狂言「月見座頭」と古本による能「水無月祓」が上演された。「水無月祓」は現在は観世流のレパートリーに入っている能でありながら、もともと上演頻度が少ない上に、普段は明和改正謡本を基にしたバージョンで上演される。しかし今回は、観世元章による改訂版以前の本を参照にした上演が試みられた。
「水無月祓」は現在形で展開する物語である。仕事で播磨国室の津に逗留していた都の男が都に帰ることになり、室の津にいた恋人にしばらくしてから迎えに来ると約束して別れを告げる。女は別れを惜しみながら、待つと言って男を見送る。次の場面で久しぶりに都に着いた男は、都へ向う途中で出会った上京の者と一緒に糺の森にある賀茂御社へ行くことになる。時は六月晦日で、夏越の祓という行事が行われる時期である。上京の者の話によると、神社の境内で面白いことが見られる。一人の女物狂が夏越の祓の謂われを語って、そこに集った人に茅の輪くぐりを勧めているそうだ。
二人の男が境内で待っていると、物狂の女は片手に麻枝を持って現れる。彼女は実は室の津の女で、都へ去った男が迎えに来るのを待ちきれず、彼を追いかけて物狂になっていた。賀茂の御社にたどり着いた彼女は、参詣の人に夏越の祓の由来を面白く語ったり、半年の穢れを落すための茅の輪くぐりを見せたりしているうちに、いつのまにか彼女自身がその行事の見どころとなっていたのだった。
その日も夏越の祓をめぐる神話を物語った後、昔藤原実方が賀茂の神の前で舞いを舞ったことで、会いたい人に会う願いがかなったという故事を語り、彼女も烏帽子をつけて舞いを舞う。舞いながら、女は神前の水鏡に髪の乱れた自分の姿を見て恥ずかしくなり、悲しみに耐え切れずうつぶせになって泣いてしまう。そこで男は女が自分の恋人であると気づき、声をかける。心から望んでいた再会に女は正気に戻り、二人は賀茂の神様に感謝してから一緒に帰る。
「水無月祓」は一見すると地味な恋愛物語だが、生死の境目を越える感情の代弁者である亡霊や鬼神などを登場させる夢幻能とは、また違う味わいを持っている。この能は「みそぎ川」または「六月祓」という題目で世阿弥の伝書で言及されているので、世阿弥作だというのが定説になっている。つまり古い能で、応永年間の観客がどのような物語を好んでいたのかを伝える貴重な作品である。恋人、兄弟または自分の子共との再会を求めて物狂になった人を主人公にする物狂能は、世阿弥の頃からかなり人気だったらしい。離れ離れになった人たちが祭礼の時に出会うという設定が、その頃から愛されてきたモチーフである。神様の助けのおかげで離れ離れの二人が再会できたのだと信じることで、当時の観客たちは安心と慰めを感じたのだろう。
現行の「水無月祓」は、男が女に別れを告げる場面抜きで上演される。これはより洗練された能の形を追求した観世元章が、江戸中期に行った詞章の改訂の影響である。しかし本公演は江戸初期の本を参照し、この作品の元来の在り方により近い演出で上演された。そのため主人公の女がどのような過程で物狂になったのかがより丁寧に描かれており、分かりやすく馴染みやすい内容になっている。
この能の鑑賞をさらに愉快にしたのは、季節にぴったり合わせて演目を上演するという繊細な心配りだった。上演日の7月3日は夏越の祓が神社で行われる6月晦日のすぐあとで、しかも恋人達の再会をめぐる七夕祭りの直前だった。神社の境内に茅の輪を見ると、「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶというなり」という歌が思い浮かぶ。ちょうどその季節に「水無月祓」の能を観ることは、何とも言えない得をした気持ちになる。別の季節にこの演目を見てもこのように心が躍ることはないだろう。ただそこにこの能が上演される機会が少ないことの理由もある。
この作品に限らず、演目の中の季節とその時その時の観客が生きている現在の季節との同期にこだわる作品選びには、演者のセンスが必要だ。それもまた能を鑑賞する人の一つの楽しみでもある。今回の「水無月祓」を観て、神社の茅の輪くぐりによって半年の穢れを落として、めでたく今年の後半に入った気持ちになった。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■