短歌界は俳句界に比べてとてもリベラルだと思います。俳句界のように、大結社に所属する伝統派俳人たちが主な俳句雑誌の誌面を埋めつくし、前衛的試みなど存在しないかのようなメッセージを仲間や社会に向けて発信することはないように思います。また年長の詩人と若手の交流も活発でリベラルです。短歌界も俳句界と同様に結社がその基盤であり、ベテラン歌人が主宰となっていることが多いのですが、威圧的「先生」として君臨することも少ない。もちろん「角川短歌」に限らずメディアが誰にとっても公平であることなどあり得ないのですが、短歌メディアは比較的中立的に短歌の世界を概観しているように感じます。
もちろん短歌メディアの公平さには、短歌界の狭さというお家事情が影響していると思います。短歌・俳句は文学なのか趣味なのかといった議論は昔からあります。日本の詩には短歌、俳句、自由詩の三つのジャンルがありますが、こういった議論からなぜか自由詩は外されるのが常です。しかし作品とそれに関連する評論だけ書いて食べていけないのは自由詩も同じです。自由詩が趣味の範疇から外れていたのは、「現代詩」に代表される極めて特異な言語表現が、余裕を感じさせる趣味という概念とはそぐわなかったからでしょうね。
しかし自由詩の世界での現代詩の時代は終わっています。作者の個人的感情(抒情)を、昔ながらの現代詩風の言い回しでくるんだ作品が圧倒的に増えています。自由詩は、かつては日本の三つの詩のジャンルの中で有していた一種特権的な地位を、失いつつあると言っていいでしょう。こんなことを書くのは、日本の詩をフラットに捉えるためです。創作・読者人口が一番多いのは俳句で、次に短歌、自由詩の順です。ただ俳句の数分の一の創作・読者人口しかいないとはいえ、日本の詩のジャンルから短歌、自由詩がなくなることなないでしょうね。それぞれ存続理由があるからです。
俳壇が一般日本社会と同様の、役職・肩書きと年功序列に沿って動いているのは衆知の事実です。詩の世界の圧倒的マジョリティを占める俳壇は、日本社会の写し絵であるわけです。これに対して自由詩は、一種のアウトロー世界です。形式・内容的に一切の制約がない自由詩の世界では、詩人は自分独自の詩の形式・内容表現を作り上げなければなりません。そのため原理的に詩人同士に深いつながりはありません。五七五や五七五七七、季語などを基盤として自由詩を考えることはできないわけで、個々の詩人の仕事を検証することで、初めて〝自由(詩)〟という概念が朧に把握できるのです。
終戦後の一時期、詩人たちはこの自由をどんな思想・観念にも左右されない孤立した実存であると措定することで、「戦後詩」というパラダイムを作り出しました。一九五〇年代からは自由は新たな言語表現を求める指向となり、「現代詩」というパラダイムができあがったわけです。しかし現在の自由詩の世界にかつてのような、うっすらとしたものであれ共通パラダイムは存在しません。自由詩の中核である〝自由〟の概念を、詩人たちは見失っていると言っていいでしょう。また何が自由の概念を形作るのかわからず、それを新たに模索せざるを得ないところに、逆接的ですが自由詩が現代でも存続している理由があります。
では自由詩ほどではないにせよ、俳句に比べればやはり圧倒的に創作・読者人口の少ない短歌はどういう役割を担っているのでしょうか。日本の詩の中で一番古い伝統を持っているのは短歌です。しかし短歌の形式的制約は、俳句に比べれば非常に緩い。季語を必要としないのはもちろん、ベテランから若手まで、ふんわりと五七五七七の定型を念頭に置きながら、いわゆる破調の自由律風短歌を平然と作っています。この自由律化、あるいは短い現代詩化は、昨今の口語短歌の隆盛にともなってますます加速しているようです。そのような混沌とした状況が、短歌文学の存続理由を示唆しているのではないかと思います。
この春の雪をしのぎて明けがたの闇ひらきゆく辛夷の白は
こずゑより冷えをたたふる花辛夷白に徹して道を明るむ
山辛夷咲ききそふ道ふうわりと大気を吸ひてそこを動かず
篠弘(まひる野)『花明の前後』より
肩に手をかけやることもなきままにくたぶれ妻は喜寿を迎へつ
勝手気ままな生き方と吾は言はれをりふてぶてと歌を詠みつづけきて
どうでもよいやうな顔してくたぶれし妻が吾がためカレーを作る
大平修身(金雀枝)『喜寿の妻』より
被災して震災映画を見続けて記事書くわれの夫の震後
ベランダと春の海との間には冷たいままの更地ざらざら
大津波はなんだったのか満開の桜の横のメタセコイアよ
斎藤梢(コスモス)『メタセコイア』より
個々の歌人の歌論や技法論は別にして、短歌の代表的な書き方は引用の九首にまとめることができます。篠弘氏の歌は写生です。現実の風物を素直に歌うことである調和世界を表現しています。茂吉から子規の写生短歌(俳句)に遡り、さらに『万葉集』にまで類例的表現を見出せる書き方です。歌人なら誰もが、単純な風物を詠むことである世界が表現できてしまうこの書き方を一度は通過しておられるでしょう。
大平修身氏は生活を歌っています。日々のさやかな出来事や感情を詠む生活短歌も盛んに書かれています。このような表現から物語が発生していったことは想像に難くありません。また夫婦の日常を歌う際に、淡い感情の行き違いではなく、作者の自我意識に鋭い対立として食い込んでくる妻(または夫)の言動を捉えれば、それは私小説的な物語の萌芽にもなり得ます。
斎藤梢氏は社会的事件を歌っています。このような社会性短歌はおおむね戦後に現れたものだと言っていいかと思います。東日本大震災を表現した詩人は多いですが、最も震災についてストレートに表現し続けているのは歌人ではないでしょうか。戦前・戦中に反戦歌を書いた歌人は少なくおおむね雪崩を打って体制を翼賛しましたが、その反動が戦後の社会性短歌となり、今や一つの様式として成立したようです。短歌は体制派だろうというイメージを持っている一般の人は多いですが、実態は逆で、歌人は詩人の中で最も厳しい体制批判的作品を書く作家たちです。俳句より十四文字長く、しかし自由詩や小説に比べれば圧倒的に短い表現なので、歌人の社会性短歌の表現内容がきつくなる面もあるかもしれません。
写生、生活、社会短歌は短歌の基盤的表現ですから、ティピカルな作品を選べば素直に読めます。しかしこれらが入り混じると短歌独特の〝濁り〟のようなものが生じる。現実と空想、此岸と彼岸が交錯するような表現になるのです。
震災を多くうたはず少年と犬、馬、小鳥をよみし牧水
リボン解き箱開くるたび母は老ゆ玉手箱をわれ贈りきたるや
麻の帽子日傘レースのカーディガン母を朧にせむと贈りし
妹は僧侶の妻でしみじみと亡父も暮らす白山の寺
葉桜のバスに乗り来し死者三人笑ふ人黙る人怒る人
死にてわれ死者に逢へると思はねば今日葉桜のなかに思はむ
米川千嘉子(かりん)『三十六色ペン』より
米川千嘉子氏の作品には短歌ならではと言って良い良質の濁りが見られます。「麻の帽子日傘レースのカーディガン母を朧にせむと贈りし」は秀歌でしょうね。風景を詠み日常を詠んでも、それがふと死の世界につながってゆく気配があります。平明なのにどの歌にも割り切れなさが残る。優れた俳句が虚空に消えゆくような明透な余韻を感じさせるのに対して、優れた短歌はどこまでも人間の生と死の濁りの中に留まっているように思います。
端的にいわば一生はぐにゃぐにゃの赤子のからだ罅入るまでか 小高賢
今月号には小高賢氏の追悼特集が組まれています。作品は小高氏の歌集『家長』の中の一首です。言うまでもないことですが、この歌は出だしの「端的にいわば」が利いています。しかしそれに続く言葉は決して〝端的〟ではない。むしろ明快な観念や像(イメージ)を否定するような形で書かれています。あるイメージを提示しながらその輪廓を不明瞭にし、意味を伝達しながらそれを一定の意味に収斂させないような濁り、あるいは迷妄に、短歌文学最良の富の一つがあるのではないでしょうか。
高嶋秋穂