自筆原稿『句篇(四)-巨霊-』に記載された総句数は八六四句で、そのうち二〇一句(約二十三パーセント)が句集『句篇』と『山毛欅林と創造』に収録された。破棄された句は六六三句(七十七パーセント)である。サブタイトル『巨霊』は句集『句篇』では第Ⅷ章のタイトルに採用されている。『句篇(四)』から句集『句篇』に採られた作品は第Ⅷ章「巨霊」が最も多く、従って『句篇(四)』から第Ⅷ章「巨霊」が作られたと言っていいだろう。また『句篇(四)』から公刊句集に採られた作品は二十三パーセントと低く、安井氏が『句篇』第Ⅷ章「巨霊」を作るのに苦労したことがうかがえる。
安井氏は句集『句篇』「後記」に、「本書は一応、『汝と我』(昭和六十三年)、『四大にあらず』(平成十年)の流れを継いで、〝句篇・全〟とでも呼びたき三部作の仕上げのつもりである」と書いた。しかし〝句篇〟は三部作では終わらなかった。最新句集『宇宙開』(平成二十六年[二〇一四年])が〝句篇〟最後の句集であり、安井氏は同書「後記」で「この六巻(『汝と我』、『四大にあらず』、『句篇』、『山毛欅林と創造』、『空なる芭蕉』、『宇宙開』)を敢えて「句篇・全」と呼び」たいと書いている。では〝句篇〟とはどのような試みであったのだろうか。
私はもっと過酷なテーマを追い続けてきたように思える。すなわち、わが詩的言語もしくは夢想言語によって導かれる〈変〉の世界から、そこをクリアし、ある超越的世界へと突き出ることを願っていたのであった。(中略)齢五十二歳、はや絶対言語への信仰が始まっていることを隠すわけにはいかない。(中略)ここに犇めく作品が何を具現しつつあるのか、自ら不悉と言う外はない。ただ新しいアニミズムの意志と、汎生命的なものの主宰性を呼吸しようとしていることは窺われる。しかしそれとて、ごくわずか未知の門を押しひらいたに過ぎない。
(句集『汝と我』「後記」より)
優れた作家の言葉は文字どおり受け取った方が良い。安井氏の詩的言語は夢想言語である。それは作品内で〈変〉を起こす。俳句という逃れがたい形式内において、夢想言語がほとんど制約のない自由な表現を可能にするのである。しかし安井氏は無限拡散し、変容し続ける作品世界には満足できないと書いている。「〈変〉の世界から」、さらに「ある超越的世界へと突き出ることを願」うのである。安井氏はそれを「絶対言語への信仰」と呼んでいる。また絶対言語によって形作られるのは「新しいアニミズムの意志」に満ちた世界であり、「汎生命的なもの」が「主宰」する世界である。
〈変〉の上位審級に措定される以上、絶対言語がもたらすのは〈静〉の作品世界であるはずである。またこの〈静〉の作品世界を主宰するのは安井氏ではない。「新しいアニミズムの意志・汎生命的なもの」が主宰者である。それもまた安井氏の自我意識より上位審級にある。つまり安井氏が目指す究極の作品世界は、明治維新以降の近・現代文学では当然の、作家の自我意識によって統御される世界ではない。有機的な秩序を持った「新しいアニミズムの意志・汎生命的なもの」が、絶対法則に従って繁殖してゆく言語世界である。
安井氏の希求が厳密な意味で実現可能かどうかはあまり問題ではない。ただ絶対秩序を持つ有機体によって生成される言語世界は、〝新たな俳句形式〟を示唆しているはずである。この新たな俳句形式が、わたしたちがずっと所与のものとして捉えて来たあの〝俳句形式〟の〝真姿〟であるのかどうかはわかない。ただ安井氏がわたしがちが所与のものとして捉え続けた俳句形式の上位審級、あるいは俳句形式が俳句形式として現象する以前の原初の位相において、新たな俳句形式を希求し模索しているのは確かである。
深渕より抱き上げられて死ぬ鯉や
そのむかし鸚鵡は人に外ならず
大日へ秘蔵の猫を差し出す女(め)
飛騨の白馬稲食えば足重くなり
最後の餐の全(まる)煮の鯉は崩さずに
昼深く神の通路に垂るあけび
真人かと柏を揺らせば答えずに
此の秋の神が選べる鯖挿す家
秋風やとわに大亀煮えざるも
硬き鯉を煮るとき投ず寒椿
あす絵馬となるか石を抱く女
草風や怒号はたはためざす父墓
唐椿つもるや老母のうす肩に
鶴の空最初に氷の音ひとつ
洗わんと乞食は野火に身を投げて
青天や聖者は眼から蛆こぼし
ひばりを聴いて平凡な庭作る父
安井泔江に*
晩夏泔江書にすべり込む蛇はあり
塔の人ふいに睡蓮釣り上げし
亡父の昇天阻まんごとく栗の花
* 安井氏の父上の雅名
自筆原稿『句篇(四)-巨霊-』から、句集に収録されなかった作品二十句を選んだ。「昼深く神の通路に垂るあけび」、「此の秋の神が選べる鯖挿す家」、「硬き鯉を煮るとき投ず寒椿」、「唐椿つもるや老母のうす肩に」、「亡父の昇天阻まんごとく栗の花」などは秀句だと思う。しかし安井氏にはやはりもの足りない作品なのである。
汝が手にたためば御布施や黒揚羽
海鞘(ほや)食うて雲のごとくに嘔吐して
拾い骨とて接げば痩犬草あらし
色蛇に石嚥ませてはみがく夢
かぎりなく水洩る桃の縫目より
壜の中に吊られる牛か青野波
天の鶴おみなの腋に有るたまご
凡鳥去って残る浮き穴秋の海
瓢箪を蹴れば空国(からくに)ひびきけり
冬空を光輝の林檎が流れ来し
句集『句篇』から恐らく最も難解な作品-すなわち「夢想言語」によって自在に書かれた十句を引用した。これらと自筆原稿『句篇(四)-巨霊-』の作品を比較すれば、朧にであれ安井氏の選句基準がわかるだろう。言うまでもなくこれらは〈変〉の句である。
春御空手のひらのみの供え物
天動のひるすぎて蜂みな静か
西の空に龍重体となる美しき
厠から天地創造低く見ゆ
おとこ尊くおみな老いたる星祭り
老農ひとり男糞女糞を混ぜる春
瀬から母淵から父は生まれ来し
月光やふと他家の扉(と)を押してみる
万物は去りゆけどまた青物屋
睡蓮や今世(こんぜ)をすぎて湯の上に
上の十句は句集『句篇』の中で最も〈静〉を感じさせる作品である。特に「万物は去りゆけどまた青物屋」、「睡蓮や今世(こんぜ)をすぎて湯の上に」は『句篇』末尾の作品である。安井氏がいったんは〝句篇〟連作の仕上げと想定した句であり、その絶対言語世界を示唆しているはずである。
岡野隆
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句篇(四)
-巨霊-
安井浩司
第一章
夏の旅人去る土壁に鷓鴣を刺し (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
王家より蚤は跳ね出て砂の上 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
行くや主の踵に蟇は食い下がる (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
椋鳥や歌う野石子を生む訳がない
山ひだの氷を割って出るやまめ
さえずりや蟇の舌から聖召されて (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*1
初巡礼は夏庭の酒去りがたく
陶人の牛首も砕かるしじみ蝶
月光のからだが憂流迦(うるか)静かな酒 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*2
女ばかり生かしておけや秋の風
夏瀬渡る陽(まえ)の皮なるよろこびよ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
水にねておみなも担然(たいら)なればなり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*3
眼のわざをもて朴散らす山鴉
空(から)蛇のみが新しの蛇熟知して (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
深山菫を踏む日輪の足の弱さ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
すれ違いざま顔かくす笹の秋 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
椋鳥(むく)集まれば山の如くに何の空 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
こひつじを抱けマラソンの報償に
一(ひと)日にて楽章成らずよ黒揚羽
巡礼みちの見返様やひるのつき
水風呂に入るや同歳人死ねば (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春の餅撒かれ鳥食いするわたし
雉子ごえの念仏紙を貼るふすま (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
女の手まねくは念仏紙の家 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
人の死に藻草をかけて壇とせり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*4
春鳶巡る昨日の壇土も均されつ
壇体は運ばれ行くや花野涯
木箱の底の日輪ならん冬の海
いずれ葬らん曼珠沙華をかざす父 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
大庭神社あなたと共食いして消えん
夏越しの天道茂み深からん
去る雷に野の宮の鈴見限らる
春雨の沖には海童跳ねいたり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
祖母死ねば麦の甘酒つくる母 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春遠き沖から現わる朱の猿は (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
驢脚(ろあし)のみが回りの道を択びけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
大宮のすみれのほとり染師ねて
盆渚膝つく老馬に人は来ず
春の甕置く地の中央を水として
むらさきの舌でも書け冬の空
緋衣となるサルビア・スプレンデンス道
狐の手袋草でよいのだジギタリス (『句篇』Ⅱ)*5
夏近づきつつ遠ざかるは好賊か
くるしみの夏花をへて阿礼の誕(たん) (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
蜂巡り来たる昼寝の野菩薩に
うぐいや蛇や夏厚き国動きおる (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
露原されど神はわれらの櫓ならず
ドリアンは飛びくる頭で受けるもの (『句篇』Ⅱ)
雲雀上がり国は砂となりて消ゆ
法廷前やむらさき浅く冬の川
夏川原鱒の化石をもつ人よ
秋石道履(はきもの)放れば爆ぜるのみ
刈り人は近しと同盟いばらども (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
人生れて御名に抱かるさるすべり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
鷲のごとく翼を張れば静かな家
虎杖折って門(かど)つきの家欲せずに
畝葱の微塵となれる冬日かな (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
逝く鱒にさいごの水を厚くせり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
物みな枯れて猪の乾糞烽火に
ふるさとや朴葉に鱒も塩の合い
鶴茸は鳴るや寸の嵐来て (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
橘の最も遠き黄なあおさ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
霜原に指なき足跡善師さま
葛原を過ぎてそれが顎落し道
垂らし行く蛇も杖となる日まで (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
風にこぼれる枯蓼ぐさの野垢なれ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
荒地虎杖我が骨に汝が肉を得て
鷹は喜ぶわが骨を去るわが肉に
秋揚羽とぶ池鏡恐ろしや
大地を覗くは葬式組よ風花よ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
いま大梟去りたる左肩の波 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
振りむけば首無し童女鞦靼に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春ふもと踏めば地煙いだす穴 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
先ず藤種落ちるや空の下辺より (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春や父放れど土に立つ椅子よ
湯殿山上叱咤のままに下る蛇
諸手つけば浄土の粒糞うれしかり
叡山かたばみ昼からの海やや近き (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
浜鴉なぎさに日蓮うまれけり
ひでりぐさ海から来たる日蓮は
風の下日蓮の海およぐ子よ
春沖やみな日蓮か漂える
日の下に生(お)ゆ日の蓮は海の草
父(おや)墓へわれら毎年舌出して
かの涅槃山を流れる鯛のむれ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
鍬上げて首から御身を耕すも (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
麦秋の日は四隅より来てひとつ
大地まず継ぎ継ぎ草の生え初め (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
熊野神社の新居へ移りゆく蛇も (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
はとやばら抱くは夢の割り当てぞ
蟋蟀潰せばあぶら流れて薬師像 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
鳩一羽翔ち去る国家の料理より
春日の犬塚さまよ叫びけり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
山すすき刈るほど大日影ならん
秋漆逝かんともたれくる我に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
亡父の声湧くは藺ぐさの忘地(いやじ)より (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*6
かまきりの頭部を残さず草嵐
真(ま)風もて涅槃の具類起しけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
雁わたる海の底なる土乾き (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
菫摘む空一隅の玄(くろ)いろに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*7
青鷺の泪のガラスを創る人 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
雁行くに上なる血こそ下るなり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
炎の中のむらさき燃えねば遠雲雀
未だ青き風の芭蕉葉亀裂して (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
稲妻や打たれてどれも鬼あざみ
賢(さか)木の枝掴めばどれも折れるなり
怒る亡父ときに松葉の酒どうぞ
砂あらしえじぷともみざ抱え来し (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
青の野に楽団一つの角あげて (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*8
広らなる国に光や夏の糞
空気球ついばむ鶯や楤の枝
野の蓮の空気冷たく掬いけり
天蛾(すずめが)は真壁に報告されてあり
今日刺(いら)草おのずから成る境にて
物焚けば雉子逆しまに北の深さ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
瀬から母淵から父は生まれけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*9
乞食去る枝(え)の青梅に失望し (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
浄土封印すれば溢れて夏よもぎ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春の中空水の一団落ちず過ぐ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
花葡萄みな平均として言葉あれ
冬空を光輝の林檎が流れ来し (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
松の広原神社殿は建つ切株に
霊糞は封印されてや小笹原 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
冬の丘にねむる皇子と野人参
空(くう)なる者にからしなの種握らしむ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
沖に浮く毛持ちきゆうりを信ぜんや
汝を抱けば仕返しの草にがよもぎ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
我らいただく亀頭帽ぞ昼の月 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
近江海枯(こ)草熱はやひざまづく (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
冬瓜未だ裂けざる神の忍耐に
聖窟出てまず葛粥を胸にどうぞ
蓮辺の鷺は棒より杖で打たれたし
忽と荒き空気吐きだす朴の花
仏桑花鏡を見れど誰もいず (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
秋の道々歩めばいずれ海の上
昼蓮ぼうと出るは人気(け)なき原に
野を出る人の手にもつ草の釣鐘よ
泥水飲んで蓮の根を食う人類は
手毬花過ぎる一瞬手のにごり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
誰にもあらず止息内観山菫 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
雁逝くに土壇築くは水ほとり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
四十日は立ちおる乞食よ枯蓮(はちす)
秋晴天にして内庭に雲盈(み)てり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
充分老いたる鬼の紺髪雪の山 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
祖父坐(ま)せる芋畑わきの洞穴に
春鷲は近づく聖窟カーテンに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*10
山葡萄頒ち合うのも肩の分
男根みな短くあれと土筆原
神曲や柘榴を殺すに石投げて
渡りがらすは地に種ふくみ天に播く
もう何も生えず椿の根を抜けば
七十年後荒麻燃(も)せば火花せり
稚(わか)鷲来て声あぐ酸の青葡萄
最も蛇(くちな)がちかづく緑濃き聖酒
春墓起しにめざす出羽雲然(くもしかり)村 (『句篇』Ⅵ)
涸れ川となるや杖もて水突けば
秋ぬるで鳥止まらずの木なりけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
雲から指に挟んでとるよ銀やんま
犬酸漿を食べてはならず巡礼よ
野石一個はさまり廻る車輪かな
丸パン戴く驢馬も両手を洗わんや
女友すぐまたたびの木を感じけり
拾うのみの乞食なれ春(はる)川ほとり
七十年の野伏せのままに蒜の花
驟雨の女駆けゆく算家遙かなり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
鍋蓋とって諸霊を散らす花野かな (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
浜荻やヘブライ陶器が埋れいて
春の巡礼うしろに回れば裂けおるも
黄蓮つらなる水上出産遙かなれ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
牛を下り老母は薊に寝給えり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
今日石山さわぐ翁を運ぶ春
春湖(うみ)や黒犬潜りゆくのみぞ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*11
青簾そこに釈迦牟尼仏が欲し (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
麦の野に花婿倒しの声湧くも
ふるさとの西風死人(しびと)が頭痛して (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
夏の中堂一本の燈を襲う山風 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
蒼雉子叫ぶ拝み所にいたる道
鳥海山の残雪絵こそ畏れんや (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
虻とて高く棲むや空気が七層に
白雲広がる方へ先師を追う蚤ぞ
第一の鷹から次ぎが昇る谷風
逝く春の殿(しんがり)に立つ乞食かな
諸々の車輪を通り来し虻ぞ
黒鯉のまず髪脱けき秋の風
素十等か黒鯉とどく暮の宿
水葦鳴ると柩の一つが旅に出て (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
深山がらすに欲し口よりも喉の歌
急に明るき御身の中の日没は (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
深草野に故人の妻を娶りしか (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
洞に彫らる飛ぶ鱒もまた線として (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
父わざとすべり歩きに紫雲英原
糞落とすもの来て止まる浮木かな
没ちる日の方へ岐れて赤牛道 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
僧侶呼ぶと夏峰に出る棒雲は (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
緑蔭の空椅子の相恐れるや (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*12
老神のみが鮭の頭を強打せず
屋根蜂眠る昼の時間も補正され (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*13
紅花(べに)ほとり音の迷いをするや川
冬の巡礼立つ片岸のみ洗われて (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
新虻めぐるや空の東半分に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
老農が抜く茸こそ地の息子
晩春乞食にすがりつくは女たち (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
伝書の魚が曲がりきれずに春氷 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*14
濯ぎの水となり行く川も麦の秋
補陀寺は近し遊女の国に加わると
白鳥(しろとり)入りの音を発する雲ひとつ
野蓮ひらくや初雨の量思わずに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
大葉ゆり姦淫はまためぐり来て
王傘立てて坐れる一(いち)人よもぎ原
深渕より抱き上げられて死ぬ鯉や
夕の日や見えず四方の空焼けに
囀り以後二三の舌をもつ妹よ
なのりそや新王現わる冬の波
*1 定稿では「さえずりや」→「さえずりも」に改稿
*2 「うるか 〝龍のこと〟」という付箋による注あり
*3 定稿では「水にねて」→「野水に寝」に改稿
*4 定稿では「藻草」→「刈草」に改稿
*5 定稿では「よいのだ」→「よからん」に改稿
*6 定稿では「亡父」→「亡父(ちち)」に改稿
*7 定稿では「菫」→「濃菫」に改稿
*8 定稿では「青の野に」→「梅雨の野に」に改稿
*9 定稿では「生まれけり」→「生まれ来し」に改稿
*10稿では「春鷲」→「春鳶」に改稿
*11定稿では「春湖(うみ)や」→「春や湖(うみ)」に改稿
*12定稿では「恐れるや」→「恐れたり」に改稿
*13定稿では「昼の」→「天の」に改稿
*14定稿では「魚」→「鯉」に改稿
第二章
這うものに冬大地から粥生じけり
二月峰下り来しものに乳粥どうぞ
岩鳧(けり)は遊ぶよ乙女の尻の上
神々の妻集まれり銀やんま (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
我のみが荊噴く枝に居る鳥ぞ
この梅枝外へ曲がれば家長死す
菜種はな咲く友は丘を選びたり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*1
山辺の鳶や翼は天へ上らずに
拡散の尿するわらべよ枯蓮(はちす)
こおんなの眺めを返す驢の歩み (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
濡れ足のまま寝るでない鷺夕べ
寒土蒼きところに雉子が潜めると
野蜂も湧くか首の短き女より
呼吸深き牛を拝まんげんげ原 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*2*
平(ひら)糞の牛愛さるゝ黄鶲に (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*3
いくたびも牛相に会う春の暮 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*4
とんぼ釣り他人の妻へ縋るわれ
壺から婆を呼びだす遊び藤の下
雷(かみ)の丘舞踏のふたつ近づかん
海軟風正しき酒の面(つら)吹けり
亀を飼えば充分吉祥平雲よ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
古(ふる)国のへり熊蟬を吠える犬
梅雨の原荷馬の蹄に火花出て
日枝姓は四方に割当てられる春 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
あざみ原礼馬は故意に倒れけり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
棘の葉にはじかる虻の高揚位 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
日向鴉は肩先あげて勝利して
草陽炎なお上昇する宮があり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
妹子へむける片掌に蓮の印あれ
緑蔭深部のいずれ椅子に在る我ぞ
そのむかし鸚鵡は人に外ならず
馬の耳ごとき葉の樹下坐らんや
あゝ小鳥燃えさしのまま聖窟に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
草道なのに旅を妨害するかけす
しおでぐさ蛇にも真珠やどるのよ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
最後の乞食も恵まる入林入浴に
樫を登るや愚かな者が最高に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
蓮に降る雨水すこし孫池へ
昼酒の父尻落しの穴は近しよ
鴉は算えん結ぶまえの酸塊(すぐり)の実
大かまきりがありき蝋の封印に
あぐらしてかぎろいを視る父とわれ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*5
利(と)鎌をかけるな共有山の白雲に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
障子ひらけば隠し畠や芥子の花
春の虻が立つ清浄な性交に
牡鹿ねてその大部分蕎麦の花
松葉つなぎを行いおった幼な神
野遊びの女陰を恐れるはたはたら
大日へ秘蔵の猫を差し出す女(め)
四月原どれも奇石と思えずに
春鯛の咽喉取ってあげなさい
女友はや福寿草を持ち来たる
白雲遙か女友も女陰も同じ秋
月下の橋におどる最後の独覚よ
牽牛子(けにごし)や牛顔をしてよぎるのみ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
食い物は重ねるなかれ春御堂 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
腹這いゆけば魂返しの草煙りおり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
泪もてむかし呼ばれし鰹草(かつおぐさ) (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
ごくわずか血を吐き隠す草牡丹 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
摘まれるは延命草でよからんよ
全て野のはたはたは堕つ汁鍋に
罌粟原を越えて阿難を従えて
笛声のおとこはいずこに枯葎 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
萱の原飛ぶ童子は翼を刃とし
降りてやまず日蓮の敵赤とんぼ
いずれ踊らん自尿の瓶を頭に乗せて
われら少女へ燕を焼いて献上す
晩年は草の服着て身を養え
烈風牛の白眼(しろめ)となるも吉祥か
別々に抱きあう女友雁の別れ
飛騨の白馬稲食えば足重くなり
亡父ならん寒土にこぼして神麹(かみこうじ)
南風や沖の蛇いま島を巻き
稚(わか)蜂は入るのもよい夏姫に
老女舞えば忽然と湧く渚雲
垂れ腹牛よ一生だけが観音よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
亡父遙かな麻と草を分けおるも
旅人も馬酔木葉なめて酔いにけん
ひよどりの歌うは鷲を主賓とし
老い色の馬頭に扮して夏の海
馬滅亡の日もあるらんよ夏の海
春丘遠き交互に立つは牛と驢と (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
水蛇のみが登天せんとうぐい棄て (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
ふるさとや渚に坐(ねま)るは諸魚の父 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
女に隠るゝ仏もよからん草の秋
いっぽんの水草持てば雷鳴れり
馬三頭に坐り来る春埴(つち)の神 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
陰嚢充分垂れて乞食や麦の秋 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春の城址におどる公共の白馬ぞ
あゝ南部鶏は異神へとびかかる
小学道や浜防風(ぼう)の根を噛みて棄つ
枯野波々来るや孔雀の好色に
杓子振って尊者も戦え砂嵐
鶏足で来る寒山師と思えずに
餅搗けば血のまじりけり寒苦鳥 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*6
尾をもって起ち上がること麦藁鯛 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
雄鶏一瞬燃えつきて亡し冬渚
悼・永田耕衣
浮き板で翁を送れる夏の海 (『句篇』Ⅵ)
猿子(ましこ)鳥雲へ梯子が成りにけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
野鯉突くあかざの杖先丸くせや
つわぶきの冬花在家に過ぎざるも (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
なんで鳴かぬ鶏盗人に抱かるとき (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
秋立つや拾うばかりの臼辺鳥 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
塊(かい)ごときもの割れ煙と白蓮と
神の犬ぞ黒毛残し白抜けば
蛇の眼(まなこ)のみにはあらず藪苺
蛇は元直立ならんよ大葉子道 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*7
あゝ主文流れて行くは麦の川
手渡される滑稽詩集鉈豆の花
紅鶸呼ぶは赤き眉の男かな
晩年や螺貝(まきがい)より抜く腸美し (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
天の鳶人は諸の輪積み上げし
瓦のような肉も遊べと冬祭り (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
すぐ治(もど)る春土杖もて突かれるも (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*8
泥鱒とて偉大となれる日蝕に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
水振るとまた走りだす野火の友
我を想うか冬池の鮒べつべつに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
寒鮒釣りの舟から水を怖れる人 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*9
寒雲や鮒釣り過ぎずに帰らんよ
毬の花より早く阿礼の木簡下さい
罌粟叢よりも低く隠れた地を選ぶ
今日山河麦車の転覆するけむり
野の鶴の激突しあう舞い静か (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*10
盆栽に通草(あしび)を愉しむ愚かかな
こっそりと南部に挿したり毒空木
我また宿らんマンドレイクの根の中に
老鷺のみが未来を飛んでいたりけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
天理のこと粗(あら)草に坐し微笑みぬ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春の空昇れば消えて乞食かな
柿の脆枝落ちる役者は死ににけん
汝が恋の骨燃やしけり荼毘空木(だみうつぎ) (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
妙に粘るやいたやかえでの下駄スキー
道々の酒旗遙かなり塩とんぼ
蟇鳴くときみ異郷酒に心せや
荒甕の酒凍らすはなお愚か
秋の道風横づらを打つ十牛忌
あゝ白雲松露を溶かした酒でよい
我ふたり「酒譜」と「酒経」を枕とす
雲は人の祖父であれと藪がらし (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*11
今日涸滝に最も近しかの墨家 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
棚雲ぞ山に立つ姫川に立つ姫
斑(ぶち)の牛曳かるも嫌やぬめりひゆ
はとむぎに雲の亡父が湧きおるも
あゝ菊酒左慈はいくたび斬られても
月下に晒す宮の大工の身の余り
雨原の走り大黒女(め)なりけり
最後の米をこぼして坐る大黒は
雁行くや眠れる大黒大切に
ゆるされて吹雪の球場蹴る牡鹿
夏嶺唱うグレゴリオ尊遙かなれ
冬の斜面にあがる煙の鷲叔父ぞ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*12
朴樹いま日光を浴び死ぬ鼠
月光山へ行く三千の鼠ども (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
紅色の肩出す鯉や古(ふる)の池
大日尊やわりあい親しき冬鼠
天の夏蟲いずれは噛み潰ぶさんも
花躑躅苦しと霊符を食べる人
大蛇の跡つく寺院の銅屋根に
密雲の去って亀石柔らかき
庄内平野の大足跡を蝿舐めて
耳塞げばよくつぶやきの藪柑子 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
最後の餐の全(まる)煮の鯉は崩さずに
夏草を足環の人よまた会わん
青秋の暗きに稀の神立てり
夕空の這蔓にぎれば西の尾(おわり) (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*13
下向きの蟬つく野辺の男根に
板墓や梅雨来たりなば流れ去る
山門入りを繰り返しける蜂酔うて
楡のはな来たる乞食が去る神に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
青野ただ一(いち)人をもて拍ち上げや (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
秋風や浜荻に立つ赤股の人
晩夏耐えて猫の背のまま痩島は
荒地蛇も深く屋敷に到るべし
月光やふと他家の扉(と)を押してみる (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
蓼の原舞いと舞子の別れ行く
昼深く神の通路に垂るあけび
虻また昇る春の第二階段を
鯖の尾の少しはみ出て祇(かみ)の家 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*14
真人かと柏を揺らせば答えずに
芭蕉の花に眼を底くして牛は去る
大釜神社を飛んでいる遊女
父は激怒す真の緑のおやゆびに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
此の秋の神が選べる鯖挿す家
阿女(あめ)笑う諸鈴小さくなりにけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
碾こぼれて一寸法師の来る春ぞ
川辺におこる一の火秋の初めなれ
飯の球四方へ投げたり生き盆会
酒振って野を靡かせんおきな草
巌(いわ)山の下石立ちの翁こそ
春山河水よりうすき粥占ぞ
春鷲は諸霊を動揺させず飛ぶ
鷺が来てついばむ銭葉の浮かぶ池
密雲直前山草を鶸飛び抜けき
蟇は語るや白雲はみな運なりと (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
晩夏ふと影の鴉を踏み過ぎつ
昼ふかく火星(ひぼし)はひそみ箒草
山や風うしろ姿の川菜採り (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春の蛭ひとつ浮かぶや底世より (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
二月の山に興る初めの組み歌ぞ
東風の海や甕の中には一童女
冬の日輪送る朝妻、夕妻も
野菊叢一人は崩れ念仏よ
冷え汁や天語をこぼす鳶が来て
大物忌神社を過ぎつつ合歓の花
夏庭のあらし主鯉は退らずに (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
曇天かの黄蜂が訃を伝え来し
祖母(おおばば)が茹れば無毒や蟾蜍 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
夕雲や崖下に鶴を食う家族
老い鳶は逃れて欅の空洞に
山や川翁の満ちてひそみおる (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
土の塔造らん鵞鳥も春泥蹴り
白神の斧と呼ばれる茸(たけ)生えて (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
石投げて過ぐ冬巌(いわ)の一燈に
枯菊焚けば空中に鬼漂えり
草上の舟造ること沖から来て
中空に塵蟲立てば雨降りだす
炎のままに落ちゆく雲雀小松原
夏草や十字をはらめる仏妻 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
蛇鳴くを春土に永く禁じられ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
春の山上塔を立てるに失敗す
磨(す)り針のひかり洩れるは草の家 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
主の足跡を履くもよからん土筆原
十字本尊逆しまとなる笹の秋 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
爪ひかる蔦天竺の皿飯や
石柱の一蝶一塵遙かなり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
麦の青波神名帖など奪い来し
秋風や川伏を知るうぐいども (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
心やすらかならず西には桃の族
*1 定稿では「友」→「主(ちち)」に改稿
2 定稿では「呼吸」→「呼吸(いき)」に改稿
*3 定稿では「愛さるゝ」→「慕わるゝ」に改稿
*4 定稿では「暮」→「くれ」に改稿
*5 定稿では「かぎろい」→「蜻蜓火(かぎろい)」に改稿
*6 定稿では「まじりけり」→「まじりたり」に改稿
*7 定稿では「大葉子道」→「おおばこ道」に改稿
*8 定稿では「春土杖」→「春土棒」に改稿
*9 定稿では「舟から水を怖れる人」→「一瞬水を怖れたり」に改稿
*10 定稿では「鶴」→「鷺」に改稿
*11 定稿では「藪がらし」→「藪いばら」に改稿
*12 定稿では「冬の」→「雪の」に改稿
*13 定稿では「夕空の」→「野の空の」に改稿
*14 定稿では「鯖の尾の少しはみ出て」→「鯖の頭すこし突き出て」に改稿
第三章
秋風やとわに大亀煮えざるも
凍れる人の溶けて成るらん山麓
冬山河きみが棒頭むけば花
紅鶸はうかがう野辺の生き岩(いし)を
媼の面(めん)つけ黒柿山をたずねんや
朝(あした)に吊して下さい扶桑の上枝に
今朝の雉子風より氷の大いなる
青大地きょうから壺ら裸なる
蜜柑玉押して沈める夏の海
夏原に待つは心臓(しん)を咬む蟲ぞ
毒滲みの土器もひそめり青山河
耕衣心(しん)にわりあい近しや土堤桔梗
木雲雀は粒の葡萄を毒味して
叡山の蝋燭草つむ今日の人
夏草や岬のはてに釈迦の墓 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*1
岩隙に竪琴の燃え尽きる秋
手を出して救われる魚大夕焼 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
夏の死思い玄武岩に垂れる人 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
啼く鯉に泪をこぼす見者はや
冬過ぎて水仙摘めば死が近し
靱草衣(きぬ)むらさきの馬が越え
荒鍋を乞食は火もて洗う秋
一緒に徐々に登天できる鷺と鮒
老子の棺がいつから空(から)に芋あらし
尊きは海辺の火こそ秋の家
土蜂はひそめる観音草に雨
杉葉もて身(からだ)を燻し雷怖れる
精霊会ちかづく地くぼの躍草
沖方へかたむく真山雪つばき
その虻や微笑み広がる浅沙(あさぎ)池
悲しみの石菖(せきしょう)そこから曲がる夏
四月寺院化粧の扉を犬過ぎつ
霊雨来てみな持ち分の青葡萄
秋日溜り蛇の頰唾(ほほつば)石となる
よもぎ野に跳ね乳棒や乳鉢や (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
繁縷(はこべ)原行く足跡やうしろ向き
開(さ)き分けの小手毬の花天と地に
きみ天井に頭届(つ)くとき夏あらし
秋の崖延びて結ばる蔓手毬
秋平(ひら)雲陰嚢縮まる我らはや
盆の藪入茎から自尿をこぼす草
浜芭蕉最後の乞食が過ぎにけり
牛の眼の縫いを解(ほど)くも青あらし
帰らなん少し煙(けむ)出す山百合に
青あらし悲母像建てん大作業
晩年やひそかに植える草烏頭(とりかぶと)
眼細飛ぶとねりこからみな独立し
豆虻に深山あじさい気配りの花
尿の泡をだす半島よ梅雨の人
沙羅双樹植えて河水注ぐかな
硬き鯉を煮るとき投ず寒椿
仏眼薄く開けばからすおおぎぐさ
その一枝大地に挿すと活(つ)くぬるで
遊行その後かえでの杖に葉もついて
遙か芥子原馬を乱す神がいて
石の一片落つ白鷺の図形より
観音池や冬鯉を抱けば肺熱し
腹中で固める糞よ野の鮒よ
あす絵馬となるか石を抱く女
観音蓮の根出づる迄引くがよい
上りつつ天へ下るや萱山道
万の海猫来るは憩いの岩棚に
春日の乱鷲氏に我は近づけど
野鼠ら散るや露仏の目配せに
峰に入る道や会釈の空木たち
鳥海山の昼影うけてたびらこの花
雲雀の尿ゆるすは最初の上昇に
春圏外へ投げ捨てられき蝮草 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*2
浮く椿御身を下る川ひとつ
此の岸やみな白鷺が足文字(もんじ)
歩み来し涯より野麦の鬚の人
雲ふかく廻る石南花(しゃくなぎ)投げ入れて
杖ふれるこの岸添いに一月の魚
寂の湖(うみ)小鷺の足つく瞬間よ
首辺に数珠赴くもよい春禿山
寺塔成るか日雇として笹にねて
蛇を掲げる浜田のへりに老農は
丸棒で腹中の餅ならして下さい
天翁は来るかもめらの夏の海
中堂のあらし乳房に手の跡を
夏荻のなかに窒息せるひばり
出羽道や連打して行く夏林檎
他人の土門ついばむ叫び春の鵙
夏木賊歩み行くべし叙事の人
草上や不意の屏風に青あらし
城東の鳩か御空を暗くせり
雁の塔土食う蓮もありにけり
水上で火を焚きいたり蓮掘人
老神のやまももの樹や人ばらい
黄となって虻戻りくる沙弥尼まで
天のすべての鐘の中に蜂ひとつ
合歓の花潮ひけば現る海中墓
雨空の鶴や小鰺を開(あ)けにけり
雨季の門出入りの虻にひらくのみ
他人の指に摘まれるもよい曼珠沙華
蝦夷つつじ古山に従う海がある (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
かっこうや耳ひらかせて三昧堂
山の辺の貝殻の道ひるのつき
冬の空野蓮の七十年消えて
古代税やひさしに来たる黒揚羽
神のフォー怖れずにみな夏林檎
父よむかし雲雀は沙から生まれけり
大山猫舌もしびれて春の雷
昏睡しつつ婚礼の妹蛇いちご
赤腹が通う小夏の藪すぐり
原広き童女を守るは蝮ぐさ
山猫ひそか蔓茨の手と婚約し
ゆえに寒空至高の紐が泳ぎゆく
遠泳や耐えるごとくに地上の机
二月はや翔つ福音の山がらす
母鷺の脱ぎ捨てものや水の秋
夏の隅花葬礼のあと抱きにけり
草風や怒号はたはためざす父墓
虎杖折る己れが好きか百歳の人
鳴る笹に今日一身をかくす海
浮木かな跳ぶは海生(うみう)の白うさぎ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*3
誰も来たらず山の股なる蕎麦畑
栃の蔭より女生となって揚羽蝶
椎葉隠れに兜兜(とうとう)と鳴く鳥であれ (『山毛欅林と創造』Ⅲ)
鶫ら休める鎌のかたちの丘にして
遠き海蓮(うみはす)老母の耳で聴くもよい
獅子の尾に秋日止まる蝿の老い
春の洞雷子かたまり震えおる
墓参すや首輪鼠もつき来る
山つつじ啖らえば鬼を見れるのよ
烏賊墨の書が消える迄視つむのみ
日の蔭に大壺のごとき蜂巣成る
中空急ぐ物種はみな小羽立て
浅瀬川うぐいは豆虻弾きけり
日光鼠月光鼠と続き死ぬ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
黒鷺止むと水面にやや車輪出て
枯野いそぐビロードの尾の翁達
遊行一(いち)人春空めざすにやり直し
野の鶏達贋金づくりが見え隠る
春舗道公(く)事の尨犬愛されき
蛇苺盛んに跳ねるは従妹(いとこ)たち
浅き雨池鯉はボレロに狂うのみ
雷湧くと湯沢にうぐい生じけり
汝も裸となり果樹園を覆う雲
釣鐘からきて舌の端(は)の春の蝿
散歩者の手にある蟇を欲しけり
秋の寺塔を他の仏が覗くのか
秋の草上現わる他の仏たち
流れ木の行方をずらすめばる達
逝く春の眼から水系垂らす人
老いたる鯰は顎と尾をのせ両岸に
恋の荷の棒なるたらも道行きぞ
遮那仏や厚雲食べてうまいんか
ややくぼの枯(こ)草を撫でて笑わすも
はまむぎや沖に出でしも第二の芽
腹這人(びと)は打たれる夏の一瞬に
老雲雀耐えるやよもぎと海の間(あい)
みそはぎや風は二牛を近づける
充分雲を呑んだる山桃仏材に (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
夏一瞬反るいたどりの物質よ
枯野忌や明るきところに衝立を
伽藍みち砕けてふえる赤とんぼ
尨犬は雲呑む柄杓をくわえ来し
青天を仰ぎては土器造る猿
後ろをみる孤舟の中に鏡吊り
我等這いゆく釣鐘微音を盗まんと
大地の背骨を逸れているらし秋の道 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
今日裏海しずか大壺の糞注ぎ
蓮折人と泥鯉の眼は交されき
石山や小首を回すは希望鳥 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*4
十三仏や蜂は黄な針みせて飛ぶ
手のひらの月光密の仏くず (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
浜荻の午後四時より日は昇るらん
麦秋はや頭に微毒をもつからす (『句篇』Ⅱ)*5
楤の棘それぞれの枝(え)にある御空
人に似て我にあらずよ朴の花
芭蕉下犬は涙を舐めあうや
突き入れし杖にしたがう春の海
浮き御堂すこし触れ行く虻の道
秋草風やきみ球体の墓となる
梨二つ卓袱台遙かに雲ふれり
草牡丹かの女墓(おんなはか)拝み棄つ
秋の旅抜けば女声をあげる草
牛の頭をうしろにかぶる夏帽ぞ
やまねこ星ぞ一家一眼ねむらずに
晩春山河数個の隠し柱あれ
柿とる乞食右より長き左手を
達磨(だっま)ふと山裾につく未知の花
男ねて釈迦伝にある茅の花 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
ひらめかと釈迦は渚を伝い行く
草をもて足の血を止む寂光女
あゝ石山青墨を飲む猿がいて
春の日は大地を均す鷲羽や
他(よそ)国や抜けば風湧く人似草
谷霧に現わる鱒の養父かな
ふろしきの一切の知や雁渡る (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
まず坐り物として大わらじ繁縷(はこべ)原
春の蟲や地の鉱物も動きそむ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*6
夕べ己が涙で溶ける遠雲雀
石山を覆うあきかぜ御眇(まなこ)
花野涯孤賊に学童達が来し
草生風なお遠ざかるわが老女
鳩も肉を差しだす愚者の婚礼に
厠に垂れる御紐なれや麦の秋
枝つきの金柑投じらる湯浴み
中空昇らん楡の幹に署名して
廬舎那仏枯からたちが火の垣に
冬牡丹戒師の口から蟲こぼれる
大山桃の梯子は消えて黒揚羽
下草に聖典びらきのあることよ
釈迦牟尼人(びと)かと芋の葉の大笑い
*1 定稿では「釈迦の墓」→「徐市(じょふつ)墓」に改稿。「男鹿のみち」という詞書あり
*2 定稿では「投げ捨てられき」→「投げ出されたる」に改稿
*3 定稿では「浮木かな」→「春浮木」に改稿
*4 定稿では「石山」→「雪峰」に改稿
*5 定稿では「麦秋」→「麦生」に改稿
*6 定稿では「春の蟲や」→「蛇出でて」に改稿
第四章
地の悲しみ青銅の屑食べる鳩
唐椿つもるや老母のうす肩に
桜老樹を過ぎる最後は只の人
孔子廟堂虻は憩うや口中に
絵馬に来る虻は難語の響きして
雲へ曲がるはえとりぐさの弁明よ
響き野に鈴の小箸を立てる秋
鶴の空最初に氷の音ひとつ
春は遠野の吃る鮒や走る鹿
山上(かみ)の急ぎ畠に蓖麻植えて
洗わんと乞食は野火に身を投げて
遠つ岬にはまむぎを茹で何とすや
竹をもて吹く精霊も裏山河
槌でうつ鷲翁の肩とんとんと
秋の裏海草高ければ倒れけり
春の蟇尿すは聖女のくるぶしに
同行二人崖より落ちき秋の海
永久(とわ)に野の担保の小屋よ飛ぶ鶫
夏蟲行かす御肩へ蔓投げ掛けて
雲の長さに犬を叩け老人の家 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
青天や聖者は眼から蛆こぼし
笹風や揺すれば起きて牛尊ぞ
無憂丘に会う霧を吸い雨を飲み
母を抱いて夏瀬に溺れる亡父かな
白鯉を焼けば荒草這うけむり
老農はまく胡麻種に砂混ぜて
兎の頭を瓜というのだ秋の風
木香(もっこう)薔薇かと老人達は抱き合うも (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
乞食の杖に茅花(つばな)の花が総立ちへ
白山一華散るフルートの終りもて
来世も近きかなるこゆりと寝て
老母訪えば葱もいつから雑草に
山蔭畠の献上瓜も盗られけり
地を這えばみな海へむく蔓竜胆
無花果の食いすぎ童子石と変(な)れ
切るほどに大きくもなり他人の桐
土堤に蹴る一日一個の冬日滅(めつ)
冬日に近し鳩の首ある楕円皿
赤腹はとどくや兜の両耳に
一撃もて坐り直す野の仏たち
岩(いし)に跳ね瑠璃は己れを署名して
鬼やんま射らるは最も遅き矢に
銅屋根は大地に触れて草の秋
仏を開くとき白鷺に走る痛み
現われてまず貸方よ麦の秋
薔薇枝を芋に挿して植える人
去るときに眼(まなこ)を痛める露の笹
母の手入れてにがぶなどもの救済へ
河べりの圧延機に鳩近き春
十薬の花の内(うち)庭見えざるも
さえずりの安息香樹遙かなる
花野をゆき柴のもの嘔吐すや
海の野に手を掛けあえる岩二つ
薺とやぺんぺんぐさのさようなら
鐘一つ落ちるけむりの爪蓮華
天心に蝿のぼらしむ日々草(そのひぐさ)
天尊が倒れていたり夏川原
遠野より叫びのねんぶつ草虱
老い母の屋根に生ずる蓬(ほう)ならん
天門や横辺にかたまる額の花
大山風の煙草似ぐさに誘われつ
山河破れて白鳥(しろとり)の血を頂きぬ
終の風乞食よこなる雄日芝(おひじわ)に
日輪へ赤蜂の湧く雲土かな
秋藪風や内にふえつつ竹の肉
鼠の尾抜くいっぽんの歓喜ぐさ
かるかやを左手に焚く雨司の人
砂丘に燃(も)せば煙も出でざる蟬衣
熟れ通草乞食の口も高まるよ
雁の道土面を少し上げて見き (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)
遠き鱶の黒波ひとつ耐えるべし (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*1
蓮見の父は陶のかたちに休息を
白翁を捨ててや雪に遊ぶ亀
昼の風海へ行かねば荻の中
秋の洞に白雲盈てり酒と飯
葛の原童蒙にしてにっこりよ
むささびの体温剥がす冬の窟(いわ)
棘草に伏し蛇の医となりおるも
去る雲は蟲を忘れず梨果の中
夏の翁美しの矢の戻り来る
浜荻道仏ばかりが遅れいて
秋の草風墨汁の僧歩むのみ
足指にすみれを挟みとる愚か
何のふりして合歓を挿(かざ)す干満珠寺
石刀下る桃つらなりの列島に
氷河とけて他の土器へ移る鱒
昼の野の穂茅を配る楽団に
椎の花辺に夏猫は出す心臓を
めくら虻遊ぶは養父の胸庭に
蓮池やめぐるばかりのシャンソン女(め)
鯛の眼球押し戻してや麦の秋
菩提樹下半分ほどの人骨よ
烏瓜や片手を空けて行くがよい
青葉あらし眉間に盃投げられき
東風となる小川のくびれ絞めるなよ
春風裂ける瞬間に女(め)をめとりけり
四つの柱の内に在りたる椎の森
今日花野他人の児の列動くのみ
前庭の睡蓮はまだ固形にて
雪峰めざす仏陀は藁に包まれて
夜空に追われる二十世紀石梨は (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
家々流る岸辺に乞食のばんざいよ
天心衰え三人の祇女歩むのみ
母の手の夏花氷ることわずか
はこべらやあらゆる野石起されき
巡礼人よ丘にはじける石の雷
磯つぐみ降る囚われの老人に
麦秋や遠くヴィオラの爆ぜる火事 (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)*2
浮木の上にかますの頭(かしら)乾く春
雲雀野や未だ半分は水なれど
高熱の菩提樹に死は近づかん
茱萸の枝(え)をもらう壁絵の女より
荒地茨ゆえに奉仕のバイオリン
最後の父は夏の宴にあこがれる
霊位明るしホットケーキに坐る鷹 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*3
初潮や弟子は石山這いのぼる
落ちひばり麦の彼方の円の海
春の茅立つ学童全員幽霊よ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*4
羆(ひぐま)のしずかに胆汁あびき山菫
日と鷹と墨絵のうしろ水流れる
おが屑に浄土も少し燃える秋
海くぼに消ゆ唐椿の流れ来て
檜扇ぐさや神のちかくに尿す妻
証言台の弟子は泣きけり夾竹桃
杖させば地中の龍に触れる秋
紅花(べに)の野に土浴の馬がねころべる
大森神社マッチを擦れば現われき
夏花遙かなる御園生に蟲は耐え
春寒き瀬を過ぐ剣傷の魚
サフラン摘むそこ第三の空にして
かの神の一柱の蟬剥がす愉しみ
春虻上がるも肩を静かにする山ぞ
花鳥いまくだけつつあり海辺の庭
ひばりを聴いて平凡な庭作る父
山うどほどの男を軸に奥の空
途上の壺に密封の掌を夏の風
父逝くに雲の肌着のなかでよい (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
青あらし踏み石に額(ぬか)つけて癒ゆ
花嫁は行く古ガラスの道遙か
水草園の仕事も育ちゆく夕べ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
秋水や足もてふなを撫づる人
青野きみ冠叩き銅とせや
紅服の子が踊りだす墓参り
煮る妻に遠く寒鮒釣る一人
己が頭を叩けば煙もあがる春
夏花に礼を学ぶや左右見て
雨永き草野や倒立翁なども
百年や逝く雀色の衣をきて
死ぬ人に豆殻をかけ泣き合うや
己が岬をめざし下りゆく梅雨の人
初池に二三の鮒入れ滅ばずに
花野劫灰いろうさぎの転倒よ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
逝く春や四人で坐れる聖筵
冬鮒掘る古池の線死ぬなかれ
葦笛を吹きつつ静かに滅ぶ人
終の行(あん)堂入らんにまず足ぶみす
銅剣の柄(つか)を左に贈る晩春
叫ぶ男やはじかみの枝雪残り
己が尿踏む足ならん紫雲英原
礼記より
葦に哭いて溺死の人は弔わず (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*5
われらすぐ鳩(きゅう)形旗もち敗れる夏
安井泔江に
晩夏泔江書にすべり込む蛇はあり
聖者は廻るまわるおだまき草の中
鶴の空古池もまた逆さまに
黍(きび)あらし野鼠もまた破裂して
寒鯉の背を切れば墨流るかな
苦参(くらら)の上に宗教の塩握られて
野焼くも地はあたたかく熱せずに
薄くさの端山も雨空舐めて生き
水粥を啜るや遙か友死ねば
夏の童女隙より入れば岩(いし)の声
黄鶲入らず灰色はたはた領分に
野の牛の臓抜き棺として下さい
住吉のとうすみとんぼに異ならず
牛形の土墓泛くは梅雨の涯
此の秋はのじこを胸に喪章とす
今日の蜂沓(くつ)石の辺に生まれけり
窓辺に置けば役牛像に煙雨来て
梅雨の野に肉牛大きく崩れるも
一の杖をもて紫雲英界へ入らんと
木瓜の実も地上に残る事一つ
おきなぐさ七月の秋来たりけり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
まず鱒身吊るして山川物産よ
妻も手を洗うやわが墓にふれ
荘氏ごときひと現る漆畑より
乙女とのぼる石城の蛇数知れず
野石から前世の嵩雀(あおじ)が真顔だし
巡礼は杖にのじこを刺し連らね
青野に沈めきみ三角の兜して
足下の雲雀から火は乾草へ
睡蓮や遠き昼火事濡らさずに
神(こう)山の雨から鯉を抱きどりに
今日白雲頭をぬけば穴ひとつ
古池や恋の二(ふた)鯉入れかえん
馬の尻見える道こそ赤のまま
夏の苔花姉は異霊にあこがれて
春の蚊立つ大壺のなかの無学より
すこし過剰に鸚鵡を撫でき春のわれ
小(お)国にはいる肩の鷹を鳩にかえ
七月へ向うや巫女を肩ぐるま (『空なる芭蕉』Ⅱ)*6
冬の空鶴啄(つ)けば水流れけり
屋根裏の横なる人を知らず秋
振りむけば観自在堂さるすべり
此の池の鮒を揚げずに去年今年
頭入れて甕塗る一人青大地
天地や一矢を失う虻を射(う)ち
睡蓮や土門にもたれて天翁は
塔の人ふいに睡蓮釣り上げし
能因潟や足骨そろえ冷やしけり
また能因は来る裏海の砂枕 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
亡父の昇天阻まんごとく栗の花
牛蒡の芽そこに仏の歯牙も出て (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
古池や山雨の魚婦は肩みせて (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*7
亡父ら争う竹竿先には蓬球
地蹴れば松露思わず虚(そら)に出て
遊行忌の海辺に薄衣踏まれけり
天籟やみな野兎は耳ふたぎ
1999 H11・5・1
*1 定稿では「遠き鱶の」→「遠(おち)鱶の」、「耐えるべし」→「耐えるのみ」に改稿
*2 定稿では「ヴィオラの」→「ヴィオラも」に改稿
*3 定稿では「鷹」→「鳩」に改稿
*4 定稿では「春の茅立つ」→「茅花(つばな)に立てる」に改稿
*5 定稿では「溺死の人」→「水死の人」に改稿。「礼記より」の詞書は「礼記抄」に改稿
*6 定稿では「恐山大祭」の詞書あり
*7 定稿では「古池や山雨の」→「故池や山雨に」に改稿
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■