自筆原稿『句篇(三)-交響の秋-』に記載された総句数は八三七句で、そのうち三二〇句(約三十八パーセント)が句集『句篇』と『山毛欅林と創造』に収録された。破棄された句は五一三句(六十二パーセント)である。サブタイトル『交響の秋』は、公刊された句集『句篇』では第Ⅶ章のタイトルに採用されている。自筆原稿『句篇(三)』から句集『句篇』に採られた作品は、第Ⅵ章(サブタイトルなし)と第Ⅶ章「交響の秋」が最も多い。
富澤赤黄男・高柳重信を嚆矢とする前衛俳句は、俳句の新たな表現形式と俳句文学の本質探究を両輪とする文学運動だったと以前書いた。現在に至るまで前衛俳句が多くの読者・創作者を惹き付け続けている所以である。しかし現在の俳句界で前衛俳句派は見る影もなく衰退している。その理由は前衛俳句が重信という、良くも悪くも老獪な俳壇政治家(主導者)を失ってしまったからでは必ずしもない。
重信が執拗なまでに「俳句形式」の本質を探究したことからもわかるように、俳句文学は俳句形式から決して逃れ得ない。重信は多行俳句を初めて意識的に実践した作家だが、同時代の自由詩などからの影響を強く受けている。新たな表現形式を探究したのは自由詩も同じであり、最初から形式的制約を持たない分、自由詩の試みの方が遙かに過激だった。それに呼応するように、俳句界ではかつてないほど大胆かつ性急に新たな表現形式の探究が行われたのである。しかし俳句でも自由詩の世界でも、〝新しい表現〟という意味での前衛は頭打ちになりつつある。
ただ飽和に達しつつある新しい表現は、あくまで〝形式〟のことである。わかりやすく言えば俳句を二行で表記する、三行、四行で表記するといった、従来にはなかった新しい形式がもはや見出しにくくなっているのである。俳句が「俳句形式」から決して逃れ得ない芸術であることを想起すれば、この形式面での前衛志向がいずれ限界に達するのはわかりきったことだったはずである。俳句史上、最も怜悧な頭脳を持つ高柳重信は、恐らくそれに気がついていたと思う。
秋来ぬと海の荒間のひびくかな
人立ちて荒山に秋立ちにけり
神風の伊勢も秋なる日の正午
天を仰げば身の錆おつる秋なりけり
顔ふりむきし雄鶏や稲光
秋山の大滝の面に照る日かな
(高柳重信『山川蟬夫句集』より)
とつぜん、眼前の鐘楼の柱に蟬が飛んできて、私の眉の高さほどのところにとりつくと、人もなげに大きな声をあげ始めた。(中略)いたずら心を刺激された私は、たまたま手にしていた草刈り鎌を近づけると、その蟬は他愛もなく刃先に貫かれてしまった。(中略)そのつたない運命への同情は高まり、偶然の一匹だけが死なねばならぬ不幸と不公平を解消するために、このあたりに鳴く蟬は、すべて同じように生き同じように死ぬべしと、しきりに思うのであった。
(高柳重信 エセー『蟬』より)
最晩年に重信は有季定型一行俳句への回帰を始めた。それは『山川蟬夫句集』にまとめられた。またエセー『蟬』は、重信が〝山川蟬夫〟のペンネームを解題した文章である。重信は鐘楼の柱に留まった蟬を鎌で射貫いたのをきっかけに、蟬の大虐殺を始めている。それは重信の〝前衛〟が質的に変化したことを示唆している。彼は〝新たな形式〟を求めるのではなく〝伝統的俳句形式〟の中に没入し、大殺戮(それまでの重信には考えられないような多作)を行うことで、新しさの質的変化を目論んでいたのではあるまいか。
引用の『山川蟬夫句集』を読めば明らかなように、重信は「けり」「かな」俳句を書いている。俳句初心者はもちろん、前衛俳句を自称し実践しながら、なんら前衛に値するような形式も思想も見出せずに黙って伝統俳句に回帰してゆく数多くの俳人たちもまた、気がつけば「けり」「かな」「や」俳句を量産することになる。俳句形式が俳句作品を生み出すとはそういうことなのだ。俳句形式受け入れれば、俳句らしき作品はいくらでも書くことができる。重信がこの陥穽に気づいていなかったとは考えにくい。しかし彼には新たな試みの〝結果〟を出す時間が残されていなかった。また晩年の重信が極めて危うい場所にいたのも確かである。
ポスト重信世代である安井浩司は、重信的俳句試行を彼の中で生き直して出発した作家だと言ってよい。安井氏は重信について「俳句史の一本道に繋がる本格的俳人」だと書いた。重信の前衛俳句は未知の表現領域を追い求めるアヴァンギャルドとして捉えられがちだが、その根底には俳句文学への揺るぎない信頼があるということである。また優れた作家が他者に対して洩らす言葉は、しばしば発話者その人にも当てはまる。
安井氏は多行俳句を一度も試みていないという意味で、重信よりもさらに「俳句史の一本道に繋がる本格的俳人」だろう。しかし安井氏の俳句作品は、赤黄男や重信、加藤郁乎よりも難解である。比喩的に言えば、重信が晩年に試みたような新しさの質的変化、つまり伝統的俳句形式の枠組みの中に留まりながら、強固な俳句形式(外殻)の中にある(だろう)内実を質的に変化させようという指向が安井氏にはある。
枯草のまず蟷螂から燃えはじむ
羽黒山ふもとに立てり化粧牛
椎葉闇神はたたくや諸肩を
日の翁ただ睡蓮を廻らしむ
紅花に耐えて股から下の人
言葉の机へ藪に拾いし椅子どうぞ
夏の小嵐すべての寺堂閉されて
野罌粟嗅ぐまた巡礼の新しく
引用は自筆原稿『句篇(三)-交響の秋-』「第四章」の一部である。すべて公刊句集には収録されたなかったが、その分、安井氏の指向がよく表現されている作品だろう。安井氏の作品には「けり」「かな」「や」などの俳句クリシェ(切れ字)が極めて少ない。また作家の直截な思想表現(述志の句と呼ぶ)もほとんどない。
これらの作品を虚心坦懐に読めば、世界から自我意識を縮退させた作家主体が、世界内のモノ(花鳥風月)を自在に取り合わせてゆく写生俳句と構造的には余り変わらないことがわかるはずである。ただ読者はなぜ「枯草」が「蟷螂から燃えはじむ」のか戸惑ってしまうのだ。そこに句の意味や作家の意図を読み解こうとするからである。
しかし後付の俳句評釈以前の段階で、写生俳句を〝意味〟で受け取る読者がいるだろうか。安井氏の俳句世界では世界内に存在する諸要素が、実在や観念的存在を問わず自在に組み合わされている。それは俳句形式の外殻を守りながら、内実はほとんど制約を持たない自由な作品世界である。あえて言えば、安井浩司の作品世界は、俳句に骨の髄まで取り憑かれた作家による俳句万能宣言、俳句最強宣言であると思う。
山毛欅の葉は天に散らばる岩鼠
最高技の柘榴わりあい小さくて
父逝くや水には水を春の暮
貘は窺うわが草稿を食らわんと
涅槃西波桶の海鞘(ほや)を眠らしむ
白鳥(しろとり)来つつあり老農の高熱に
全月光がいま鉄筆の芯先に
糞踏んで菜畠なすや塔の辺に
酔うて睡る晩春そのまま葬られ
尿もよからん寒土の初めの和らぎに
野老(ところ)根食い去る神は糞を残さずに
枯野忌の空から残り火採るものよ
秋天井の紐引けば雨降り出すよ
いや低き春空足裏で押し上げき
笹露なめて百年酔うておれる人
釜焚けば神様浮くや湯の祭り
緑蔭に諸神の靴煮てにかわとし
寒い鯔釣って地よりも空に属す人
雲に生れて妻の膝へと下る虻
弥勒少年花野に花屑隠しける
自筆原稿『句篇(三)-交響の秋-』から、句集に収録されなかった作品二十句を選んだ。「秋天井の紐引けば雨降り出すよ」、「いや低き春空足裏で押し上げき」は、『句篇(三)』のサブタイトルになった「交響の秋」にふさわしい句だろう。また「寒い鯔釣って地よりも空に属す人」は安井氏らしい句である。読者は素直になぜだろうと考えこんでしまうのが良いのである。
岡野隆
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句篇(三)
-交響の秋-
安井浩司
第一章
山毛欅の葉は天に散らばる岩鼠
いづこより鳥の爪草庭に来て (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*1
夏ちかし戦さ準備の野藤達
白雲や動ける腸(わた)の十戒ぞ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*2
人来ればわざと野面の皺の水 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
春岩窟に蛋白の蟲跳ねていし (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
赤飯(めし)に赤箸苦しき小蓼原
金剛山にみな遠足の童児ねて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
系譜図を投げて拡げる荒草に
水底の観念の髪つかむ晩春
朝鮮猫を打つ音がして寒の家
ぎゅうひ菓子の聡(?)人秋の旅に消え
かっこうや石靴のまま眠れる人
人の禅驢馬は暦をよぎるのみ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
藁の王焼けば夕雲あぶられつ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
天辺に穴かや図鑑の法師蝉
田園に銚子を投げあえ異神達 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
学校火事の闇を来たりし薬叉(やしゃ)の友 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
釣鐘やきょう浮き鯛の去来のみ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
三四年は新しくあれ山辺の墓
高坂に雪は残れる夏の旅人 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
小松原のふと古靴から鶯ぞ
鯰生まる古池の端の事にして (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*3
石山に娶れば洗濯物の淋しさ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
乙女の履(くつ)もとるに足らずよ秋の暮
最高技の柘榴わりあい小さくて
春日われ尿の低さに破れたり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
此の糞も人に踏まれる秋の暮 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
枯菊を焚きたる光われに来ず
はまむぎの己れを撥ねる影ひとつ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
落魄の柴門を犬振りむかん (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
葦枯れや沖舟の来る礼装の人
伸べる手のごとくに在れと麦の秋 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
福音はこぼれる腰辺鬼あざみ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*4
我に来て迦葉は左に坐すもよい
弟子は師にまさるともただ楓かぜ
白雲仰ぐめぼうきの種眼に入れて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
ゆび入れる勿れめぼうき陶鉢に
身欠にしん持てる人をまず否(いな)み
小わらしのほか許されず枳穀亭 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
詩人に
老農遙かな犬茨(ドックローズ)に没しける (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*5
亡友も吾(あ)も黒コーヒを吐く春ぞ
日荒きスープを胸に信天翁
農夫きょう鏡に風を映しけり
老農が顎突き出せば白雲乱 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
きょう中天測り了えたる芋嵐
野紺菊や護国神社に放火あり
春庭隅に谷石置けば成長す
睡蓮や少しはなれて日の濁り
海上や渡れる樽に冬日あれ
萱の山天つ草かと刈りすすむ
切株の古(こ)葡萄どれも酒のなか
晩年や華燭がひとつ冬の藪
我現るゝとうもろこしの毛つけて
秋苺覆水盆にかえりける
紅梅や天地を叱れる只の人 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
古(ふる)堂の蝿もしずかな金色に
かつてそも思想なりき薄氷 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
人抱けば冬藪かげより大聖歌
湧く白雲虱を知らざる人も多し
土塀ぞいに苦(にが)昼となる蓬ぐさ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*6
一歳牛はひるから山と試行して
荒草や兜をかぶり寝るおとめ
一本の古(こ)菊の日録もやしける
秋の海浮木に亡父の著名かな
野の小屋の戸板読み去る旅人よ
月光や序奏に遊べ籾ひとつ
乞食若く逆方向に飛ぶつばめ
冬日輪の四つの蹄を見上ぐのみ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*7
赤雲遙かに牛の頭をかぶる人
苦しみの新教徒を出る虻ひとつ
出羽の空小さき蝿群と会うたのしみ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
秋天過ぐ鳥体ひとつの甕胞よ
蛇の首出て野花の間(あい)を補わん (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*8
海鳥交むこの園亭の没落に (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
冬枝の鴉を横から眺め厭く
躓きぬ視よ来たれりの枯野馬 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
雉子悲鳴この足入れんと汝が沓に
日出づる前に物食う罪のひつじ達
聖窟浅く汝吐く酒を啜るわれ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
砂の上の食事の終る春の暮
石鯛にフルートを添え麦の秋 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
冬山上におとこ泣き伏す日輪行 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
老猿少し糞すアジアの平凡な春 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
かまきりは溶け山国の飲食に
父逝くや水には水を春の暮
緑蔭に最後の女を創らんや
舞踏のちに棄てらる黄色人参は
古(ふる)春や火事は湯を浴びしずもれる
汝として正面から見る冬の満月
立秋まず岩の突起が罰せられ
山上へみな到らんよわらび狩
遠足やつまづく鹿の頭蓋骨
眼細(めぼそ)来て夏野の毛苔に失望す (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
早くもダリヤの塊根に来る朝鼠
キャベツとて地を立ち上る日は近し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
行く水もまた来る水も悶絶女
天心の錆林檎なら打たざるも
苦しみの野末に酒星したたるや (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
蛇貌をして行く白雲の先端は (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*9
乳房から猿落ちにけり古今の春 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
真日あおぐ眼からこぼれて黒蟻は
氷河聴く鵙は止まれる楤の枝
雪ちかき岬に不易の鷹を得て
青天の猿うつくしき舞踏病
青あらし壺置けばはや寄る蛇ぞ
裸婦連れて海辺の墓を歩みける
松籟や午後の浦島叫ぶらし (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
三女に生まれ靴の底まで青御空
しゃくなげの御花直後鯨(いさな)の死 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
おおやまれんげ心臓吊りの古服ぞ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*10
冬鹿を誘う構えや神宮寺 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
羽国なのか連続として蒜の花 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
小さき中州べり鰺刺しのアジアこそ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
神を抱きあゝ上手くいく春の空
石刀に打たれて亡父山河新し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
水草に投身すれど立てる我 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
野蒜食べ難しき糞となる人よ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*11
雷湧くも庇に毒無き蜂ばかり
こがらしや夢の叫びが旅籠屋に (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
白桃のすでに形は地に落ちて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
野の蟲を焼き星供養遙かなる
西風のやがて乱雨の畠鼠
今日雨空へ細き長舟放たんや
防風枯れて激浪へ尿向うのみ
尼僧二人が野麦を分けて地極湯へ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
創造を思いつつ入る山毛欅林 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
創造や空気(け)の荒き山毛欅林 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*12
創造や水を湧かせる山毛欅林
山毛欅林創造の辺に立ち茸
欝然と山毛欅林に入る創造よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山毛欅林出づれば創造神にあらず (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山毛欅林きょう創造の遙かなる (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
岩屋より現れて紫陽花までの人 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
月見草遙かにおこる主帆の乱
老農来て春の薄(うす)水裏がえす
あゝ乞食とて岩燕を切り返し
きょう風の野に解氷の椅子ひとつ
古(ふる)国ゆえに仏手柑ありねむり雲 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
あじさい打つ山尾はときに勃然と (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
あゝ猿の脳を啜れる童子春 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鷲の眼の遙かなりけり蓮華敗 (『句篇』Ⅵ)
秋水は行く低きより高きへと
たかが主の踊らんけさの麦の秋 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
遙かなる寒土に釣糸垂れる人
白鯉か空を逃げ行く糸のはし (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
牛の背に二人童(わらんべ)抱き合う春 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
墓参すに握りしめつつ蓬球
出羽の蛇蓬の球をくわえ来し
秋天楽器を投げ合い遊びの童達
野の石に死勢のみえる秋の風 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
夏の酒われは土窟に敗れたり
草の秋童子を土と見破りぬ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
母郷の枝の北斗の星も老人ぞ
釣鐘草やいずこに残る神童科
竹林の碁並べに厭きみな愚か
一度海を泳ぐや農師となるために (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
父母の堂(へや)へ上ろうとして秋の蛇 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
朽ちゆくは雲と競わず岩茸 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
おとこ尊くおみな老いたる星祭り (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
曇天に残らん蟬の余羽根こそ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*13
九十余歳わずかな真麻(まそ)の刈り残し (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
泳ぐおとこいま赴任せる沖つ柵
野路菊や裸の童(こ)が来て火を放つ
睡蓮や野池のへりにて忘聴し
錆林檎よぎるこの天一度きり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
酔えば亡父円卓に在(い)る大亀ぞ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
死ねば公服のみ昇りゆく春の空
密かなる楽しみ春山横穴道 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*14
逝く春や石髄を食う洞のわれ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*15
岩煙草きみ入山符を空に追い
女旅人体を曲げて入るつりがね (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
やぶがらし自炊煙突抜かれしよ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*16
小屋を張る浮き大陸に葦ばかり
国柵や長き恨みの土雲雀 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
貧の字の顚倒したり春の暮
空気いま吹(すい)にありけり赤とんぼ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春の内池水をくだされ水の声
能因法師が腸(わた)なき蟹を啜る空 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*17
孟春小児の水上歩行のめでたさよ
草生川滑稽の者が流れるや
また現れるとき苔衣をまとう我
白雲に中将遊ぶことしずか (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
秋深き邯鄲の女を捨てて来し
天つ根の芋蔓ひとつ下りはじむ
野通草甘し他人のパンは辛かりき
夏の厠より易の道正しく述べ
遙かなる地皇のまわりに夏きのこ (『山毛欅林と創造』Ⅶ―最後の神話―)*18
野稗(のびえ)吹かる汝が三枚の板の家 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
朽芭蕉遙かの難父と思わんや (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
貘は窺うわが草稿を食らわんと
茅花(つばな)に投げし石は小鳥を追い行けず
春野はや石膏面(づら)となる人よ
北の人遊ぶすすきの大風歌 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*19
ごくわずか汝より高き姫芭蕉 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
白蛇もっとも充実するや岩(いし)の中
野雉子炎えマーラー然とする日こそ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*20
赤げらを肩に来たれり斗酒の友 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
厠から天地創造ひくく見ゆ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
涅槃西波桶の海鞘(ほや)を眠らしむ
搗き餅の匂いの突風浴びにけり
雨神は近し枳穀枝の組合わせ
*1 定稿では「いづこ」→「いずこ」に改稿
*2 定稿では「白雲や動ける腸(わた)の十戒ぞ」→「あゝ白雲動ける腸(わた)も十戒へ」に改稿
*3 定稿では「端」→「端(は)」に改稿
*4 定稿では「鬼あざみ」→「茅の花」に改稿
*5 定稿では「詩人に」の詞書きを「老詩人に」に改稿
*6 定稿では「土塀ぞいに」→「土塀添いに」に改稿
*7 定稿では「冬日輪」→「春日輪」に改稿
*8 定稿では「首出て」→「首出し」に改稿
*9 定稿では「して行く」→「し行く」に改稿
*10 定稿では「おおやまれんげ」→「大山れんげ」、「古服ぞ」→「古服あり」に改稿
*11 定稿では「食べ」→「噛み」に改稿
*12 定稿では「空気(け)」→「空気」に改稿
*13 定稿では「残らん」→「残れる」に改稿
*14 定稿では「楽しみ」→「愉しみ」に改稿
*15 定稿では「石髄を食う」→「石髄食うて」に改稿
*16 定稿では「やぶがらし」→「茨(ばら)藪の」に改稿
*17 定稿では「象潟にての詞書あり
*18 定稿では「冬山河残る地皇の白きのこ」に改稿か
*19 定稿では「北の人」→「北の人々」に改稿
*20 定稿では「炎え」→「炎ゆ」に改稿
第二章
睡蓮青花知れる空は黙すのみ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
近山に者横たわる涅槃西風
氾濫の水来てしずか青穂麦
夏驢馬の陰嚢の冷え風かすか (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
顔の広さの皿現る亡父秋の風
蓮見の家に空気枕もありにけん
もくれんの花浮く再会海上に (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
山菫さらばレールに沈黙を (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
草火なお胎(はら)に生き物かくす秋
鷹は流れて冬戦争の遙かなる
雲雀あがり男根は地を示すのみ
野糞のために空気のために吹く鴉
雲赤しそのとき空(から)舟盗まれて
鶫ども憩うや顎(あぎと)を出す岩に
驟雨経て傷牛もいざ再婚へ
祝祭は果て赤獅子と共に寝(い)ね
立つ石と立たざる石や春の暮
水はとどまり流れぬことも山椿
天迅速し地上に跳ねては日雀(ひがら)ども
春荘園に石の長靴(ブーツ)が揃えらる
郭公や池泉は徐々に石と化し
鷹羽根隠れに日輪はまだ幼くて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
老いてなお蓬の球が追い来るも
西風受けて静止に達する壺ひとつ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
山伏茸や地から塩を奪う風
春や泉に上げし真顔が石の鼻
隣り山を笑う山から春の虻
山岳誌持つかの女みにくけれ
畝たばこ植えたる天地くらかりき (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春鳶去って『静観詩集』岩窟に (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*1
きみ逝けば十年(ととせ)風呂なし春の暮 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
鵤(いかる)落つふすまの密かなる黒さ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
小寒の黒絵のふすま鯉殺(ごろ)し
朝鮮潅木かの手太鼓の指こぼれ
鵯(ひよどり)蹴るや氷の裏もむらさきに (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*2
雪森の小屋に仮装をする愉しみ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
マント燃やし煤からうまる蜆蝶
力尽きたる男根棒をもやす春
触らずに神殿娼女ねむりぐさ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
九十余歳妻となるべし楮(かぞ)の花
日照り怖れて煙を塗るは聖牛に
小麦粉と共に燃えなん神祇(かみ)の家
遠足や触れて前世のどくうつぎ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
うつむきに人を産みしよ著我の花 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*3
たまぼうき鮭の皮など流れ来し
二月はや鱒読みの神山上へ
岩に深堅琴入れる夏の果て
神祇に近き山うどの芽を揚物に
春日上がり海部(かいふ)の友は登校せず (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
祖父よりも夏庭園はや偉大なる (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春日ふと逆向きに捨子あれ
荒虻や海を見下ろす館(たて)の老人 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
山雀(がら)はめまいのままに流転して
干鱈投げ入れ洞窟の民さようなら (『句篇』Ⅵ)*4
いずこかに柿鳴る神社ありとなん
鳴る柿の神社に垂れる猿のむれ
中世の野川の鯰も世慣れして (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
夷(えびす)が一人さざんか亭に入られず (『句篇』Ⅵ)
海の怒りも知らず牡丹に虻ひとつ (『句篇』Ⅵ)*5
さ迷い行けば緑の鸚鵡に叱られき
最初の鳶は春のそら経て骨折し
遠ごえの女を恐れつ草の秋 (『句篇』Ⅵ)
木賊原女嫌いの門らしき
柿生道照らされて行く海彦は (『句篇』Ⅵ)
露あざみ女神は立ちて尿しませ
冬満月や大地のかんしゃく犬二つ
春神殿に抱(いだ)きがたきは有翼女
いっしゅんの神殿性交春の暮
伽藍跡なる箒草を責める人
はたはたに青銅の裾来たりけり (『句篇』Ⅵ)
透きるまで屋敷は燃えつ枯蓮(はちす) (『句篇』Ⅵ)*6
老母よからん小翼つきの乗用馬
サルビアの流行栽培夏愚か
美しの首を打つ杖冬孔雀
遠つ伽藍の塵を吹ける春の人
伽藍春昼黒き脚をば裂く女
赤帆曳くは海の老と呼ばる風 (『句篇』Ⅵ)
父子いざおしろい花の堀出しへ
麦秋遙か足裏もて火を消す女
山雉子啼いて自然銀を拾わんや (『句篇』Ⅵ)*7
荒壺をかぶり崖へ打つ晩夏
花桃や石の時代も山へ去り (『句篇』Ⅵ)
氷峰に石投げて石生まれるも(『句篇』Ⅵ)
はしばみの枝に刺して焼く花鶏(あとり)
雪椿落ちるは岳水交流に(『句篇』Ⅵ)
紫雲英原払いつつ行く空気だま
足綿の握りの空気ですけども
逃げる山雲あけびづるの延長に (『句篇』Ⅵ)
愛に耽ける二羽の蟻喰鳥であれ
いらくさは西から墓域に来て止まる
最初の晩餐土器の盃戻り来ず
夏草や中堂ゆくはどの道ぞ
木苺の藪に没して髪を刈る
天吊りの鮭にも与えん涎かけ
藤原の家が見せおり沙羅の花 (『句篇』Ⅵ)
秋の野へ山上日輪ごと倒れる
箱柳祖神は酩酊していたり
恋人は崩れき仙人草ほとり
誰もいず現し国より芥抜けど
野草入りの靴を煮てや好料理
からたちに荒櫛させば鵙翔てり (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
日輪山や一斉に散るはたはたら (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春松林高き水素に首を吊り (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
春の雲交錯の棒ら入れにけり (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*8
白鳥(しろとり)来つつあり老農の高熱に
泉を飲む古き九谷よ百姓よ
晩夏の犬『懲罰詩集』をくわえ来し*9
枳殻門は刈られる神のバリカンに
万物は去りゆけどまた青物屋 (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
全月光がいま鉄筆の芯先に
枯原よぎる鮭皮の靴(ケリ)大切に
更紗木蓮出窓は飛翔して戻る (『句篇』Ⅵ)
鳥海山上傘雲だけが雨ふらす (『句篇』Ⅵ)*10
花鳥よりも最初の夫を忘れずに
夏絲杉の日の道にふと曲りあれ
夏の寺庭打たれて静か平尾鳥 (『句篇』Ⅵ)*11
羔(こひつじ)を焼けば日の道濡れにけり
岩(いし)鷲は現れるや最高三角に
晩年や雲雀をあげる大雲歌 (『句篇』Ⅵ)*12
いっせいに灰(あく)色つよきよ梨の花
日輪山やされど龍は草上に
驟雨来て龍は溺れる草上に
露草は耐えるや龍の総量に (『句篇』Ⅵ)*13
山あじさいに神将達が煙りおる (『句篇』Ⅵ)
能因法師己が顔を破るあきかぜ
天を流れるものに溺れて地には川
夾竹桃骨相の犬が過ぎゆくも (『句篇』Ⅵ)
春石嶔(?)から分配として肩いくつ
雨の菜畠遙かなあれが放光者
冬の滝第一弟子にて妻であれ
きまだらひかげや山尊(さんそん)には酒溢れ (『句篇』Ⅵ)*14
密雲の湧く方尊(ほうそん)を地に置けば (『句篇』Ⅵ)*15
第一歩まず草蜘蛛を踏みにけり (『句篇』Ⅵ)
亡父像背に背せ行くや谷の鷲
高橋神社におどる包丁鯛夕べ (『句篇』Ⅵ)*16
滝の秋女陰のしるし額(ぬか)にもつ (『句篇』Ⅵ)
麦鳴る神社遙かの鼻が欠損し (『句篇』Ⅵ)
虚(そら)の物を与えんひざまづく人に
冬の日の渚に這い蟲生まれけり
青あらし猿も菩薩となれるのよ
雲よりも貿易風の遊漁は迅し
老子かと覗けば叱らる茅の家
天焦がす砂糖きびもて火を打てば (『句篇』Ⅵ)
むらさきの雉子溺るゝや最上川 (『句篇』Ⅵ)
鍾乳の下にてわれは産まれしか
酒盗(しおから)を啜りつつみな凡死は近し
庖丁隠し鯛釣る彦(おとこ)しずかな春 (『句篇』Ⅵ)
糞踏んで菜畠なすや塔の辺に
酔うて睡る晩春そのまま葬られ
尿もよからん寒土の初めの和らぎに
荻の世に躓くごとく鐘に入る (『句篇』Ⅵ)
秋揚羽鐘入りもまた愚かなれ
鐘入りのわりあい早き春の虻 (『句篇』Ⅵ)
鐘入りのもっとも遅き秋のへび (『句篇』Ⅵ)
鐘入りの尿も流れてすすきぐさ
秋蛇やあれが最後の鐘巻きぞ (『句篇』Ⅵ)
灰色鷺の鐘入りもまた脱出へ (『句篇』Ⅵ)
蟇は声上ぐ鐘入りごとき錯覚に (『句篇』Ⅵ)
すみやかに秋の山頂去る僧や (『句篇』Ⅵ)
銭財あれば鸚鵡飼いたき枯草道
荒地牛蒡一緒に組んで抜くがよい
盗まれし野老(ところ)は乞食に食わるべし
松林発つマラソンまた帰らなん
湯の餅をほうるや雪中巡礼に
鳥のひとつ爆発らしき天の川 (『句篇』Ⅵ)
抱き合うは小林のなか菩薩達
鷺草やひとつ折れたる阿母怒(ど)の夜
賢治「疾中」より
「瓔珞もなく沓もなく」湯の沢に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)*17
吹雪く方神のしもべの熊殺(ごろ)し
鷲翔つや塵を足場に春の空
深山漆汝から直観される我 (『句篇』Ⅵ)
龍の赤肉食らいし父も朝に亡し
百万遍の廻し大蛇(おろち)と思わんや (『句篇』Ⅵ)
傘のかたちの山の秋雨危険なる
麦秋のからす王位は沢山じゃ
茅舎忌の天路誘導蜂ひとつ (『句篇』Ⅵ)
少年や万年藪にと落つ雲雀 (『句篇』Ⅵ)*18
牧の雨風女嫌いの牛もいて
浜防風男根覆いの吹かれとぶ
かの岬枯巣くわえて飛ぶからす (『句篇』Ⅵ)
方尊は野辺に献ず揚ひばり
真夏菊や天心に蛇死んでおり
鬼稚く豌豆の花を食いに来し (『句篇』Ⅵ)*19
彼岸寺方へ菫の首の総曲がり
秋石山その巨顎(あぎと)へつるはしを (『句篇』Ⅵ)
晩夏木ささげ空中墓を持つものよ
寒暮東の門徒は走る岸の波 (『句篇』Ⅵ)
色鯉も曲がれる池も秋の風
老人踏むあざみと己が勲章を
砂の中に一字をかくこと巡礼女 (『句篇』Ⅵ)
夏枯れ原や軽便鉄道尾を残し (『句篇』Ⅵ)
荒地乞食かっけの膝の撥ねるべし
柊垣よりふいに高きは理髪神
白雲かがみて酒を分泌する女
百歳母垣根にあそぶ蝶や蛇 (『句篇』Ⅵ)
月の原一歩半歩の牛消えて (『句篇』Ⅵ)
腹減って地べたありけりすいば草
他(よそ)国ゆえに醜草発見するよろこび
没落ちかし御料(ごりょう)牧場に這う蛇も (『句篇』Ⅵ)
梅緩む風から亡父の首が出て
流れ来し洗面器もあり秋の浜
洗面器踏めばこえあぐ秋の浜
凍土から髪引けばみな産まれけり
日枝神社遙かに落ちきふとん雲
大日向古事の記を出る赤とんぼ (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
すすき原十大弟子も消えにけり (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
鷹飛ぶや早春の海の尖る時
梨の空ゆく盲目の枝ひとつ
秋天はや水吐いて死ぬ龍がいて
浜ひるがおや埋れ瓶に酒わずか
濁りもの流れる浅瀬の老母より
夏はどの菩提樹裏にも人が居て
仏母裏(かげ)より山鳩の声まねる父 (『句篇』Ⅵ)
神仏(?)来て梅雨枳殻に鋏をどうぞ
楡の粒花すこし斜塔を容れる空
*1 定稿では「春鳶去って」→「春鳶高く」に改稿。原稿には「ユーゴー詩集」という付箋による注あり
*2 定稿では「蹴るや」→「踏むや」に改稿
*3 定稿では「産みしよ」→「産みしか」に改稿
*4 定稿では「洞窟」→「洞穴」に改稿
*5 定稿では「ひとつ」→「一つ」に改稿
*6 定稿では「屋敷」→「母屋」に改稿
*7 定稿では「啼いて」→「鳴いて」に改稿
*8 定稿では「交錯」→「交叉」に改稿
*9 原稿には「ユーゴー詩集」という付箋による注あり
*10 定稿では「雨ふらす」→「雨ふらし」に改稿
*11 定稿では「打たれて静か」→「静かに打たる」に改稿
*12 定稿では「雲雀」→「鷚(ひばり)」に改稿
*13 定稿では「露草は」→「紫つゆくさ」に改稿
*14 定稿では「山尊(さんそん)」→「方尊」に改稿
*15 定稿では「密雲の」→「密雲が」に改稿
*16 原稿には「食の主宰神・食神」という付箋による注あり
*17 定稿では「湯の」→「氷(ひ)の」に改稿
*18 定稿では「少年や」→「少年よ」に改稿
*19 定稿では「豌豆の花を」→「豌豆しろ花」に改稿
第三章
黒蛇垂るゝ愚かな夏の生活に (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)
春白雲老父に便意有りや無し (『句篇』Ⅵ)
水流れる笊に川苔盛り食えば
睡蓮を盗みに足(あ)裏も水のいろ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
雲に伽藍耳に煙草をはさむ人
冬日輪がいちどは止まる巫(みこ)の家
昼虻飛んで神社の池を曇らせき
兜を抱いてよろめく老父麦嵐
芥菜浮かべ川は流れて欺かん
枯野真中の岩と契約する人よ
道外れて藪や土蔵を覗かん女(め)
野蓮ふと遠海(み)に憎しみ抱くのか (『句篇』Ⅵ)
西下行五句
石山の石の波とぶ秋の海
秋風やおみなも石に消え入りぬ
さらば石山よじる翁となる日まで
寂光の蛇につまづく草生道
寂光院枯れ一の草万の草
抜かれた茨の根のような雲山肩に
雁行くや恥しの身を空(から)風呂に
炎天行くに女の舌を思いつつ
虻渇き山上できく海の音
昼蓮を笑う乞食は舌出して
瓜蔓の曲がりの終り先師墓
鉄床雲や道は小銭も落ちていず (『句篇』Ⅵ)
夏高野おみなの骨かと拾い捨つ
渤海より来し波浅く春の岸
月下の家隣に降れる雪の家
木工小屋に荒き鯰を信ぜんや (『句篇』Ⅵ)*1
雪の雉子風呂に浸せば叫びけり
奥羽に生えたるほとけのざ奴(ほいと)来て (『句篇』Ⅵ)*2
出羽の山並み虻を込めて合掌す (『句篇』Ⅵ)
緑魚盗まん老子の腰籠手を入れて
寂しさの牛蒡の花に身横たえ (『句篇』Ⅵ)
麦の丘さかんに越えゆく塩かます
春日輪へふと玄妙の猿消えし
大庭神社一本の昆布を持つおとこ
秋の卜(うら)神泣くやおみなの一毛に
茄子の恋や直線にして曲る秋道
初めもてみやまたてはの終りなれ (『句篇』Ⅵ)
櫛容れてあららぎの垣師霊立つ
猿の幅に影とぶ地上柿のたね (『句篇』Ⅵ)
臼茸(うすたけ)一本とどくは最後の隠者より (『句篇』Ⅵ)
古池の心臓うごくよ秋急雨
七夕祭り某女を波に失しけり (『句篇』Ⅵ)
深山椿去る水の尾が岩たたき
海の祖父歩みとどろく凍土かな (『句篇』Ⅵ)*3
寒鯉の煮えざる心臓学ばんや
夏垣の隙も無けれど入る乞食(こつじき)
白鳥(しろとり)と遊ぶ化生の浜ほとり (『句篇』Ⅵ)
老い鱒はトスカニイアを聴く洞に (『句篇』Ⅵ)
白雲山やはや斗酒の友軽くなり (『句篇』Ⅵ)*4
舞茸一体ばらばらに聖炊飯へ (『句篇』Ⅵ)
隕石ひとつ乞食の鍋にあたる秋
ひるがおや海を飲んでいる二つ
孔子堂ありその一樹に蟬を彫る
古(ふる)海に春池もまた抱かれけり
汝が糞に会う悦びの夏川原
老人の夢の茄子界問うなかれ (『句篇』Ⅵ)
入れたる腕も鱗となるや冬の海 (『句篇』Ⅵ)
夏の日やあざみ葉食うて青ざめき
春大地あらゆる方へ身を広ぐ
石舞台隠れて蟬衣をぬぐ一人 (『句篇』Ⅵ)
落日の空駆けあがる鸞車あり (『句篇』Ⅵ)
青銅より涙の溢れるはとやばら
驢馬連れて争う二人ひるのつき
野苺食む人面蛇身にして下さい
麻の畠昏乱の神来たりけり
青銅牛に潜んで歩むや繁縷(はこべ)原
晩夏来て直立の石に哭く女
野鳥食う神は糸もて殺しけん (『句篇』Ⅵ)
白雲山やまた酌童の跳ね現れつ (『句篇』Ⅵ)
老騎士傾くダリヤの首の傾きに (『句篇』Ⅵ)
書巻より鼠の生まれる涅槃西風
罌粟の一つぶ煙となって昇天す
緑蔭や乞食が覗く酒甕の水
この藪の紐をたぐれば冬の瓜
天の鶴おみなの腋に在るたまご (『句篇』Ⅵ)*5
夏の女(め)のぽんと音のみ残る藪庭
手を入れて鷹の巣探す雲の中
山牛蒡つながる山の神経に
蛭池や天帝として添い寝せり (『句篇』Ⅵ)
打上げて溶ける仏像春の浜
稚(わか)き林にゆるす青栗の残忍を
氷塊がおがくず小屋にまひる道
酒豪をのせ耐える貸馬秋の雲 (『句篇』Ⅵ)
人抱いて蓮池に手を洗いけり
遠火事や股美しき炉辺の友
冬牡鹿燃える尿いま放ちけり
夏鳥すぐあつまる聖者の野の糞に
真横の国へと紙の蛇を吹きのばす (『句篇』Ⅵ)
旅の足もて冬海搔けばあたらしく
黄金の汁塗れる牛雨季は近し
地の隅に怒れる老婆種祭り (『句篇』Ⅵ)
龍の爪もて氷の家に遊びけり (『句篇』Ⅵ)
野老(ところ)根食い去る神は糞を残さずに
忍(しのぶ)を踏めば大地が横にのびるのよ
浜荻やはや現われる諸手船 (『句篇』Ⅵ)
聖窟を這い出て笹原手の歩み (『句篇』Ⅵ)
汝(なんじ)が肌の切れはしで拭け露御堂
蝦夷黒松や上方の暗(あん)下は明るし (『句篇』Ⅵ)
秋の草舎小羽根つきの蛇を見て
枯野忌の空から残り火採るものよ
廻廊を老父は抱かれて黒つぐみ
鯰よりも正し野鯉のかたちこそ (『句篇』Ⅵ)
舌止めて鵙は乞食を窺うや
冬蜂や一つ布団に龍もねて
いずれ死す蛇模様なる父の帯 (『句篇』Ⅵ)
亡父の胸に呼吸を与えん西の風
いばら野や区画の老神疲れはて (『句篇』Ⅵ)
遠野青波ガラスの馬の進みけり
秋の草波ガラスの鳥に色刺さり (『句篇』Ⅵ)*6
秋天井の紐引けば雨降り出すよ
円花蜂はわが吹流のなかにねて
春の虻落つ空気に穴がありにけり
振りむけば地上の天や蟇跳ねて
赤腹はもぐるや巨人の下草に (『句篇』Ⅵ)*7
庇の赤蜂日輪の中とぶ黄蜂
孔子堂が一瞬声あぐ秋の暮
野の人尿す股幅ほどの行く水に
その枇杷の核(たね)もて死ねる乞食女
巨大貝殻負うは老人春の暮
鼠飛び込み水煙りたつ冬鏡
肛門を内に引かんよ枯野雲 (『句篇』Ⅵ)
肛門にゆびあて甘しや枯野雲
充分老いて肛門開や冬菫 (『句篇』Ⅵ)
渡るかりがね一隅皺の寄る海を (『句篇』Ⅵ)
渡海は近しと首に刺さる小楢の実 (『句篇』Ⅵ)
壜の中に吊られる牛か青野波 (『句篇』Ⅵ)
秋出水地底に落とすは鼠穴 (『句篇』Ⅵ)
いや低き春空足裏で押し上げき
春土に坐る岩(いし)も仕事をしつつあり
夏虻未だ老酒に静止をもたらさず (『句篇』Ⅵ)
みな人体の最終性交笹のなか (『句篇』Ⅵ)
ふと天空の夕食の鈴盗まれて (『句篇』Ⅵ)
浅き沓のままに涅槃の旅すこし (『句篇』Ⅵ)
紅葉の中一夜(ひとよ)成る酒ありにけん
竹葉酒おみなの友も来たりけり
笹露なめて百年酔うておれる人
地の蟇の意のままにふえ白雲は
極道もたまくらみみずも秋の風 (『句篇』Ⅵ)
童どもが争い平国分かる春
甕抱いて春雷に酒動かない
はとやばら半裸で酒を受く歓び
一本脚の鷺ゆえ遠雨感じけり
晩秋鴉は頂上のみを食い渡る (『句篇』Ⅵ)
海、川へおもに糞する白鳥(しろとり)は (『句篇』Ⅵ)
椿の夜めつむり歩くは言(こと)配り (『句篇』Ⅵ)
花の野に念仏舞踏と定めんや
人抱いて授乳す父は己れより
酢をこぼし去る男根よ枯蓮池
いつも頬を西にむけて鯊釣る人
海の翁を襲うは翼の童たち (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
片雨の岩あり祈願する老母 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
葛に坐し歌は御製に敗れけん (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*8
舞茸やかの夜叉神がにっこりと (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鳥海山上昇るは羽(う)なす神ならん
みな泥をかけ合い田主(かみ)を喜ばす
踏み踊り練り込んで来る祖母の家
木賊庭座敷に上ってくる地雲
遅き日や致す体育の鴉跳び
日雇のいちにち狼吠えを為せ
風たちまち興る野老(ところ)を手に執れば (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*9
もう歩かねば踵に草の発芽して
瀬の母を善霊の鱒が導くも (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
高貴なる樒樹兄妹婚約し (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
一楽団にまぎれて若し雨男
花あらし睾丸投げつけ死ぬ猿(ましら)
夏の岩翁を抱き上ぐ劇ひとつ
御(おん)遊び春土に死びと転がれり
我死んで青飯(めし)を盛る海ほとり
青野波余興の龍が怒ったり
秋葎(むぐら)行けうそぶきの面つけて (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
渚に抱く死人(しびと)の口からひじき出て
言挙げのこだま返しに敗ける秋 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
雪山より赤股の子が現われき
うす雲に穴あけ覗く天の奴
中学祭みな阿弥陀(アミターバ)を唱えんや (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山つづら御影の友のなつかしき
酔える時のみ草人形を拾いけり
寒のもの大地を踏めばうごめくや
争うて野割りの遊び亡父達 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
冬の海とどろく棒の削り花 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
老母盗んで帰る生木の削り鶯
山躑躅たしかに鱒見の鬼がいて
山躑躅鱒とて鬼となる時ぞ
躑躅はなびら食い鬼鱒となれるはや
天辺で犯せる罪の垂れやなび
春の地中泉を張れる壺が在る
中高の虻まず入れり檀那村
叫び合うは野伏山伏蒜の花
遠足や黄泉醜女(よもつしこめ)をおもい行く (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鳥海山から来る乱声(らんじょう)の春初め (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
岩煙草空尊立てるは我として (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
涸谷の底草空尊よみがえる (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*10
べに鱒はねて水尊もまた空尊へ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*11
水をすてて空尊となる鱒ひとつ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
旧師マネ句
踊りつつ掏摸も近づく春祭り
踊りつつ掏摸に近づく秋祭り
骨一片もなき神墓(はか)に来て夏休み
棗下を過ぎ大阿母へ至る道
日雀(ひがら)来て食うや遊女の余り物
銀漢や一人が湯川を溺れ去る (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
冬のわたむし生誕せずに存在し (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*12
あおむけにねて足に散る山椒花
遠足や名乗りの木々をぬい行くも (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
秋風や名乗り木遂に歩みだす (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
湯の沢は飲むべからずに旅人よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
水沢とおもえば春の湯神立つ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山々より湯は流れくる涅槃像 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
川上温泉
湯は泳ぐものならず故折笠よ
野の宮に吹くくちぶえの蛇返し (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山蔭(かげ)や湧く国風の黒揚羽
睡蓮や今世(こんぜ)をすぎて湯の上に (『句篇』Ⅷ―巨霊―)
*1 定稿では「荒き」→「粗き」に改稿
*2 定稿では「奥羽に」→「出羽に」に改稿
*3 定稿では「凍土」→「寒土」に改稿
*4 定稿では「はや斗酒の友」→「斗酒の友はや」に改稿
*5 定稿では「在る」→「有る」に改稿
*6 定稿では「秋の草波」→「花野波」に改稿
*7 定稿では「赤腹は」→「頬赤は」に改稿
*8 定稿では「敗れけん」→「敗れたり」に改稿
*9 定稿では「興る」→「おこる」に改稿
*10 定稿では「空尊」→「水尊」に改稿
*11 定稿では「べに鱒」→「にじ鱒」に改稿
*12 定稿では「生誕」→「発生」に改稿
第四章
退場や空を濁して春のとび
稲魂はからだに遊べ水の秋 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
赫土へ汝が面(かお)伏すも秋の風
魚藍観音秋諸(もろ)枝より雫して (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
巡礼若し古銅の鋸がいま首に
あゝ青乞食とて百万遍に入らんよ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*1
晩夏牡鹿は動かず大地の甘水に
花野の壺に女らの唾あつめよう (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*2
はこべらや草食の鬼が泪して
荒吐神社黄蝶が目覚めおり
雨の翁が円柱の上に暮しおる
雨の棗をふらすや岩(いし)に植えられて
仏塔中の混乱なれや青あらし (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
海(うな)峠拾い上げればほんだわら (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
雲の峰手白の猿を現(うつつ)とし (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春鷲の眼に坐(ま)しいたる百歳女 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春は他人の長寿の舟が岸に現れ
野火分けて来し汝が精のはや死して (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
寒山図懸け去年(こぞ)の池あらう父 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
掌に露が消えて心臓(しん)への近道よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
秋風に躍るは大忌(おおみ)の鯉にして (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
行く春の池残響の鮒ふたつ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*3
一瞬の隠れて物部やさるすべり
初山河女陰のしるしを額に打つ
先ず浮島へ平に落ちき春の神 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
赤翁出て舞う海と陸のあい (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
高つぐみ僧侶もとは謡(うた)の人
菜の原に日輪あそべ女満祭
野を巡る牛も知りおり女満祭
秋の亀首を刎ねると甘露出て (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
紫蝶は行く山伏の眼路のまま
夏の雲来る汝が塔の吊り庭に
焚くまえの古草に水を恋人よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*4
冷位の山にくち応えする蟾蜍 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*5
われら車輪を作るに難し夏休み
秋風やみみずも霊車曳くつもり
青あらし仏眼動けば野の賊も (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
青葉波実相般若こおとこよ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
紅葉波観照般若こおんなよ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
親鸞行書鷺の脚なる女来て (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*6
行牛描(か)きし筆の白さに母嘆き (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
秋石山の舞台下りる女友の乱れ
春山稜に黒箸を突く翁かな
指叉に生ずる泡神物の芽よ
父は飲むや葦の芽(きざし)を含む水
物投げてあたる仏も草の秋
秋の枝に没歯(ぼっし)の猿の坐せるまま (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*7
置物神も微塵となれり麦あらし (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春の塔大工は何を抱(いだ)き落つ
逝く春や男女に分けて埴の土 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
棒投げてその尖(さき)に生る夏の蝶
秋の海かつておとこの浮き膏(あぶら) (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
さるすべりしずかに下るや日の女
深山石尊(?)脚のみ海辺をさすらうて
冬雉子の眼から方位の生じけり
山百合やふいに海水近づき来
左乳房掴み取るまで夏あらし
濡れ仏抱く月光は脾臓まで (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
夏の聖庭銅の唾がたらたらと
夕赤星や荷牛は尻尾を放り上ぐ
枯野忌の骨体のまま居て下さい
なお鯉に黒心ありと春の日ぞ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
白雲広しと睡眠のまま歩く人
冬山を飛ぶ火の糞と叫びけり
此の柵や寄ればおとこに唾く花
氷室山吾を見るなかれまむし草
すぐりの眼赤くなるころ来る出水
どろの木を燃(も)せば火の水たらたらと
野の神は怒るや女陰の横裂けに
春土跳ぶ尻には円(まる)の入れ墨ぞ
初火となれる凍土に鴉激突し
濃いすみれの大地は昼から酔うており
春の沖行く浮き皿お在りにけり
稚(わか)春や国を選んで下りる鷲羽根
神衣着てその硬(かた)服に屈す春
柘榴黒む日置が家の犬吠えて
蟲の野にひそめる鶫の数知れず
手毬花主神は空気をふくらます (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*8
空(から)国にまず稚虻を行かしめる
応(いら)えねばねそべる海鼠大言語 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
中ゆびの深さの穴や春の崖 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
笹の奥厠着をきて密かなる
桃を挿(さ)して乞食と同時身体に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
浄土おおばこ犬吠えをもて仕えんや
梅雨鴉御尾根を走る火を銜え
この夏を有身(はらみ)の友よ蛇いちご (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鳴き犬に代りてきみや天つ河
荒地豆刈りとる娘に鷲は親し
敦盛草や裾山としてきみ永久(とわ)に (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
あゝ善知鳥おみなは波に繋がれて (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
仮り宮の高さを自在に揚羽蝶 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*9
陸翁が触れて死にけり春の海 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
桑酒永き古妻(こなみ)の壺を大切に (『句篇』Ⅵ)
夏よもぎ鐘食う虫が内側に (『句篇』Ⅵ)
川原母子草(かわらははこ)巡礼が鍋負い来て (『句篇』Ⅵ)
おしおしと声かけ来たる山がらす (『句篇』Ⅵ)
逝く春の古池の心臓(しん)掬いあぐ
凡鳥去って残る浮き穴秋の海 (『句篇』Ⅵ)
奥羽野菊の高さの盃迷わずに
全山萱の虚(そら)を踏んでは登る道
天台冬書物より湯が漏れいたり
誰も来たらず機械仕掛の山百合に
夏雲くずれる唱いの舌の一撃に
春鷲や洞には耳振る人がいて
国柵に湧く春蟬や阿倍の友 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
供えんや陰(ほと)搔きの箸夏墓に
水べりの火事の秘密や黒とんぼ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
父の腕に抱かれる部分の冬の海 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
置き去りの火孕み猫も二月浜
晩紅葉素足をひたせば痛し川
火を掘って抱きかえる枯蓬原
薄燃える中笑い火もありにけん
先ず熱(あつ)湯振って寒土を拓きけり
かまきり上ぐる片手の妙も秋の空 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
夏のよもぎ廻っていたる筒男 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*10
濁らせて受用せんよ夏の海
夕鶴渡る鳥皮の沓破れはて
裏山の足占(あしうら)しろき秋の風 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山雲より疾(と)し足曳きの翁かも
秋の海あなごのてんぷら抜けて死す
真風や羽(う)の国鱒と告知せり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
水衣(ぎぬ)をきて水神を訪う春ぞ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
父と来て植える墓視の橘を
寒の鯉撫でて諦め教え居る
耳菜草(みみなぐさ)名告り遅れし神もいて
瓢箪を蹴れば空国(からくに)ひびきけり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
実柘榴下薬師経をひろげませ
雷来ると瀬におどり込む黒鱒女
秋の農夫その石肩に鷲は在り
かの人の霜の眼痛き神楽かな
眼無き塔起つべし秋の蟇のこえ
寝てあれば屋根裏洪水流れゆく
夏崖へ亡父の肘骨印とせり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
夏原充分頭もとれて筒男 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
芹折ればすぐ流れ去る水の原
枯原や月からこぼれて牛の種 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*11
名無き三山みな混合す春の水 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
朴の花折る手をもって虚空とし (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
日蝕やそのとき蜂は分家して (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
草萌えの荷牛へ釘の打ち込みぞ
太祇忌の財布に蝶も蔵(しま)われし
冬沼のいずこまで読み深む人 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
母の端に海の肉なるなまこ寝て
月落ちて海土に散らん蝦(えび)となれ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
田べりにて食用犬を愛しけり
うつそみの顔(かんばせ)あつれば雪蛆ぞ
老牛の皮広げれば冬日没(もつ)
秋風や聖山ひとつが貝の中 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
釜焚けば神様浮くや湯の祭り
姥蝶(うばすよう)と呼ばるもよからん小笹原 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*12
海翁は自死のいるかを抱(いだ)きおり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
緑蔭に諸神の靴煮てにかわとし
冬の波浮く念仏の数知れず (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
諸びとへ藁の虎解き頒ちけり
寒い鯔釣って地よりも空に属す人
帰らなんいざ笹の葉の塗り飴に
麦や刈る広く流れて元の川
膝ついて地福を欲らんに埃茸
振りむくに菱生池やや難しき
蟇鳴くと氷塊流れる夏の川
靴ぬいで跡を忘れん紫雲英原
蟷螂あゆみ砂子は空を流れけり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
枯草のまず蟷螂から燃えはじむ
羽黒山ふもとに立てり化粧牛
椎葉闇神はたたくや諸肩を
日の翁ただ睡蓮を廻らしむ
紅花に耐えて股から下の人
言葉の机へ藪に拾いし椅子どうぞ
夏の小嵐すべての寺堂閉されて
野罌粟嗅ぐまた巡礼の新しく
涸れ滝や命命鳥と名づけらる (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
人顔から弥勒も消えて秋のかぜ
晩年虻は遅速の翅をふるわせて
出会い易きめぼうきぐさと百姓女
杖先すぐ塩に変わるよ秋の海
雲へ吠える犬咽頭の梨裂けて (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鷹見えねば白雲に酔う建築家 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*13
勾(まが)池や硬き鮒のみ残る晩秋
春の鮒跳ねたる野辺に厨房を
鷹を追うて冬日輪も網のなか
二月初谷まず酒泡の流れ来し
雲に生れて妻の膝へと下る虻
あゝ刹那(くしゃな)鳩に空気の絡み落つ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
山背風大犬座の石落ちて来し (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
天過ぎるとき瘤梨に打たるのみ
青房いずれ舌のもつれる葡萄酒に
春蝶上がれる何の南北戦争に
跳ぶ蟇は大地の鏃を恐れずに
声洩らし舞う霊体や紅の花
沢風を踏めば山彦死なりけり
湧く夜風鱏(かすべ)も復活するつもり
石像よりパンむしり取る雲の峰 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
麦野はや友ら緑の臣服よ (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)*14
蒜園の巡回もまた雨揚羽
弥勒少年花野に花屑隠しける
鵜を乗せて木卓流れる沖の春
拾いしは『遺言集』や梅雨の原
蔓のような文章もまた草の家
いや遅き銅の雲雀も揚がる午後 (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
一粒の麦つきの鴉を忘却せず
海上の墓にも至らん蓮葉飯
誰も抜けずよ浜防風の霊根を
百日草や愚かな石の灼ける夏
天つみみずは鳥の胸に消化されて (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
鷺草を折りたる僧の尊大よ
若葉御堂二重(え)の扉をさぐるべし
老い橅の乳房落ちるまで抱かん
*1 定稿では「青乞食」→「乞食」に改稿
*2 定稿では「女らの唾あつめよう」→「姉達の唾あつめませ」に改稿
*3 定稿では「春」→「秋」に改稿
*4 定稿では「古草」→「枯(こ)草」に改稿
*5 定稿では「蟾蜍」→「裾鴉」に改稿
*6 定稿では「親鸞行書」→「親鸞墨書に」に改稿
*7 定稿では「没歯(ぼっし)」→「没歯」に改稿
*8 定稿では「主神」→「母神」に改稿
*9 定稿では「揚羽蝶」→「新揚羽」に改稿
*10 定稿では「夏の」→「夏原」に改稿
*11 定稿では「枯原や」→「遠原や」に改稿
*12 定稿では「姥蝶(うばすよう)」→「姥蝶(うばちょう)」に改稿
*13 定稿では「鷹見えねば」→「鷹の高さの」に改稿
*14 定稿では「麦野」→「麦生」に改稿
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■