サイモン&ガーファンクル 『アメリカ』 作詞・作曲 ポール・サイモン
サイモンとガーファンクルの音楽を初めて聞いたのは映画館だった。マイク・ニコルズ監督の映画『卒業』を見に行ったら、全編にわたってサイモンとガーファンクルの曲が使われていたのだ。もちろん封切時に見たわけではなくリバイバル上映である。ご覧になった方も多いと思うが、いわゆる略奪婚のお話である。
大学陸上部のスターで新聞部長だが、人生の目標が定められず鬱々としている青年ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)は、誘惑されるままミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)と関係を結んでしまう。ミセス・ロビンソンの娘のエレーン(キャサリン・ロス)はベンジャミンの幼なじみだが、憂鬱そうな息子を心配する両親の勧めでベンジャミンはエレーンとデートする。ベンジャミンはエレーンに強く惹かれてしまう。ミセス・ロビンソンはそれを知り、エレーンと付き合うならベンジャミンとの情事をばらすと脅し、実際にそうする。エレーンは去ってゆくがベンジャミンは彼女を忘れられない。エレーンもベンジャミンに惹かれているが、傷心から他の男との結婚を決めてしまう。結婚式当日、教会に飛び込んできたベンジャミンはエレーンの名を叫び、それに応えたエレーンの手を取って二人で逃げ出してしまうのである。
たるい映画だった。子供心にもそう思った。恋愛映画ならではの甘酸っぱさは感じたが、なにか憂鬱になってしまうような作品だった。映画館で一度見たきりなのだが、ラストシーンで教会から走り出したベンジャミンとエレーンは、たまたま来合わせた長距離バス(グレイハウンド)に乗る。乗客たちの怪訝な視線を浴びながら後部座席に座った普段着のベンジャミンと花嫁姿のエレーンは、ちっとも幸せそうではなかった。しかたないねという感じで視線を合わせ、笑いもせず真顔のまま前を向くシーンで映画は終わったように記憶している。このたるさと憂鬱さにサイモンとガーファンクルの音楽はとても合っていた。その意味で音楽を含めて傑作映画だったのだろうと思う。
いっしょに映画を見に行った友達がサイモンとガーファンクルのファンになり、彼らのアルバムを買ってきた。僕もいい音楽だとは思ったが、当時の少ない小遣いの中からレコードを買う気にはならず、友達から借りて聞いた。映像抜きで聞く彼らの音楽はさらに憂鬱だった。『7時のニュース/きよしこの夜』(7 O’ Clock News / Silent Night)などはほとんど大嫌いだった。この曲では『Silent night, holy night』で始まる有名な『きよしこの夜』に、当時アメリカで大きな社会問題になっていた公民権運動についての夕方七時のニュースの声がかぶさる。サイモンとガーファンクルの歌はただでさえ辛気くさいのに、それを倍加させるような意図が理解できなかった。葬儀のときにかけたらぴったりだろうなと思った。
要するに当時思春期を迎え、社会(世界)に対して攻撃的になり始めていた僕には、サイモンとガーファンクルの音楽は物足りなかったのだ。聞くものすべてが目新しい時期だから、音楽は手当たり次第に聞いていた。僕がたどったのは、ビートルズとローリングストーンズからハードロックへと進むお定まりのコースだった。ただ僕はミュージシャンたちが何を歌っているのか知りたかった。ガチャガチャした音は当時の僕の攻撃性を慰めてくれたが、それと同じくらい歌詞の意味が気になった。アメリカやイギリスのソングライターたちはポップ・ミュージックという厳しい制約の中で、必ずと言っていいほど彼らの率直な感情と思想を表現していた。サイモンとガーファンクルについては『アメリカ』という曲を聴いた(読んだ)時に、何かがわかったような気がした。
“Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together”
“I’ve got some real estate here in my bag”
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And walked off to look for America
“Kathy” I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
“Michigan seems like a dream to me now”
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I’ve come to look for America
「僕たち恋人同士になろうよ。僕らのたくさんの幸運を結婚させていっしょになろう」
「僕はちょっとした財産をこのバッグの中に持っているんだ」
そして僕らは一箱のタバコとミセス・ワグナーのパイを買って
アメリカを探すために歩き始めた
「キャシー」ピッツバーグでグレイハウンドに乗り込みながら僕は言った
「今じゃミシガンに行った時のことが夢のようだよ」
サギノーからヒッチハイクで四日もかかっちゃったんだ
僕はアメリカを探すために行ったんだ
Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said “Be careful, his bowtie is really a camera”
バスの中の笑い声
ゲームをしている人たちの顔
あのギャバジン・スーツの人はスパイよと彼女は言った
「気をつけて、彼の蝶ネクタイはホントはカメラなんだ」と僕は答えた
“Toss me a cigarette, I think there’s one in my raincoat”
“We smoked the last one an hour ago”
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field
“Kathy, I’m lost” I said, though I knew she was sleeping
I’m empty and aching and I don’t know why
Counting the cars on the New Jersey turnpike
They’ve all come to look for America
All come to look for America
All come to look for America
「タバコを放ってくれないか、僕のレインコートに一本入ってると思うんだ」
「わたしたち最後の一本を一時間前に吸っちゃったじゃない」
そこで僕は窓の外の風景を眺めた、彼女は自分の雑誌を読んだ
大平原に月が昇った
「キャシー、僕は失っちゃったんだ」、彼女が眠っていることを知りながら僕は言った
僕は空虚で心が痛い、だけどなぜだかわからないよ
ニュージャージー高速道路を走る車をひたすら数え続けた
彼らもみなアメリカを探すためにやって来た
みんなアメリカを探すためにやってきた
みんなアメリカを探すためにやってきたんだ
(America 作詞・作曲 ポール・サイモン 訳は著者)
アメリカという国の文化をある程度正確に理解できるようになるまで、僕は長い時間がかかった。明るく陽気に振る舞い、豊かな生活を送るアメリカ人というパブリックイメージに隠された憂鬱を教えてくれたのはアメリカ文学だった。アメリカ文学は、ハリウッド映画やアメリカドラマしか見たことのない人には想像もできないほど暗い。ただその暗さはアメリカ独自のものだ。
人間の自我意識は普通、貧困といった不幸によって最も先鋭になる。しかしアメリカは違う。むしろ美男美女で、使い切れないほどの財産を持つアメリカ人の中にこそ最もアメリカ的な憂鬱が潜む。村上春樹はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が最高のアメリカ文学だと言ったが全面的に賛成だ。ギャツビーは不正な裏稼業で大富豪になった虚飾の名士である。彼は貧しい下士官時代に知り合った女性に恋い焦がれ、人妻になった彼女の気を引くためだけに財産を蕩尽する。だがその女性は一時のアバンチュールを求めるだけの浮薄な女(フラッパー)なのだ。ギャツビーは〝なにを探し求めていた〟のか。
ただこのようなアメリカの憂鬱は、子供の頃から僕の心にスリップされていたように思う。その最初の体験が恐らく映画『卒業』だった。映画の中で主人公ベンジャミンが乗っていたのは卒業i祝いにもらった赤いスポーツカーだった。彼が明るい夏の日射しの中で、プールで泳いでいた姿を鮮明に覚えている。大学生がスポーツカーを乗り回し、プールのある広大な家に住む世界などアメリカ以外にはなかった。今でも似たようなものだろう。豊かで満ち足りた生活を送りながら、この青年の抱えている憂鬱とはなんだろうと考えずにはいられなかった。映画ではそれがキャシーとの愛の成就という形で描かれていた。しかしちっとも幸せそうに見えない二人の姿は、これから起こる波乱を予告しているようにも思われた。
I went into the Maverick Bar GARY SNYDER
I went into the Maverick Bar
In Farmington, New Mexico.
And drank double shots of bourbon
backed with beer.
My long hair was tucked up under a cap
I’d left the earring in the car.
Two cowboys did horseplay
by the pool tables,
A waitress asked us
where are you from?
a country-and-western band began to play
“We don’t smoke Marijuana in Muskokie”
And with the next song,
a couple began to dance.
They held each other like in High School dances
in the fifties;
I recalled when I worked in the woods
and the bars of Madras, Oregon.
That short-haired joy and roughness—
America—your stupidity.
I could almost love you again.
We left—onto the freeway shoulders—
under the tough old stars—
In the shadow of bluffs
I came back to myself,
To the real work, to
“What is to be done.”
僕はマーベリック・バーに入っていった ゲーリー・スナイダー
僕はマーベリック・バーに入っていった
ニューメキシコ州ファーミントンでのことだ
そしてバーボン二杯を
ビールで割って飲んだ
長い髪は帽子の下に隠し
イヤリングは車の中に置いてきた
二人のカウボーイがビリヤード台のそばで
バカ騒ぎしてた
ウエイトレスが僕らに聞いた
あんたたちどっから来たの?
カントリー&ウエスタン・バンドが演奏を始めた
曲は「俺たちゃマスコギじゃマリファナは吸わない」だ
そして次の曲で
一組のカップルがダンスを始めた
彼らは一九五〇年代の
ハイスクール・ダンスの時みたいに抱き合っていた
僕は思い出した 森で働いていた日々を
オレゴン州マドラスで通ったバーの数々を
髪短かりし頃の喜びと荒み――
アメリカよ――お前の愚かしさ
また好きになってしまいそうだよ
僕らはバーを出た――一段と高くなったハイウエイのあたり――
空には昔から変わらない星々――
ハイウエイの急斜面の影で
僕は僕自身に戻った
本当に為すべき仕事
「やり遂げなければならない仕事」の方に
(訳は著者)
『僕はマーベリック・バーに入っていった』はビート詩人として知られるゲーリー・スナイダーの詩で、一九七四年刊の『亀の島』(Turtle Island)という詩集に収録された。初出がいつかはわからないが、恐らく一九六〇年代の末頃だろう。映画『イージー・ライダー』で描かれたように、ヒッピーの格好をした青年たちがニューメキシコ州ファーミントンという田舎町のマーベリック・バーに入ってゆく。〝Maverick〟には一匹狼と焼き印のない牛という意味がある。「離れ牛酒場」といったような意味で、カウボーイたちが集うバーだ。長い髪とイヤリングはそこでは場違いなのだ。
一九六〇年代末のアメリカではベトナム反戦と公民権運動が吹き荒れていた。特にベトナム反戦運動は時の政権に深刻な打撃を与えた。アメリカは移民の国であり、人種の坩堝(メルティング・ポット)である。人種も宗教も異なる人々は、アメリカを愛するという一点で結ばれているのである。だからアメリカという国家にとって、〝愛国心〟はほとんど国家の根幹に関わる思想だ。愛国心の揺らぎはアメリカの屋台骨を脅かす事態なのである。しかし若者たちは公然と政府批判を始めた。アメリカが国家をあげて行う〝正義の戦争〟に国民が反旗を翻すことなど、それまでのアメリカにはなかったことなのである。ニクソン・フォード政権で国務長官を勤めたキッシンジャーは、この時期のことを「ほとんど内線状態だった」と回想している。
一九六〇年代末から七〇年代のアメリカは、方向性を見失いかけていた。ゲーリー・スナイダーの「アメリカよ――お前の愚かしさ/また好きになってしまいそうだよ」という詩行は最もアメリカ的な表現の一つだろう。アメリカの矛盾と苦悩を最も敏感に感受しているのは、当たり前だがアメリカ人なのである。それはサイモンとガーファンクルも同じである。彼らの曲『アメリカ』は、その憂鬱そうな声と歌詞によって、当時のアメリカが置かれた状況を的確に表現していると思う。
外賀伊織
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■