ラスター彩動物植物文星形タイル (著者蔵)
もうだいぶ前からイスラームに惹かれている。エルサレムのことを調べているうちにパレスチナ問題に気づき、それがイスラーム自体への興味に変わっていったのだった。ただパレスチナ問題について書き始めるときりがない。現実世界の紛争は様々な要因が複雑に絡み合っている。一つだけ書いておくと、パレスチナ紛争は多くの人が漠然と考えているようなユダヤ教徒とイスラーム教徒の宗教紛争などではない。確かにユダヤ人にとってイスラエル建国は、二千年以上前から続く宗教的・民族的悲願である。しかしパレスチナ紛争勃発当初、アラブ側に宗教戦争という意識はほとんどなかった。パレスチナ人を含むイスラーム教徒が宗教的感情に目覚めたのは、1979年のイラン革命以降のことである。
簡単なおさらいをしておくと、砂漠が多く農耕に適さない中東では、古来、部族が社会の中心規範だった。放牧と交易で生活していた砂漠の民は、自ずから小さな部族ごとに団結するようになったのである。どの部族に属しているのかが男たちの誇りであり、部族を追放されることは死を意味した。厳しい環境にさらされた彼らは概して享楽的で、酒と女と詩を愛した。部族ごとに様々な神を崇める多神教徒でもあった。生きるためには略奪もやむを得ないという暗黙の社会的了解も存在していた。しかし七世紀に現れたムハンマドが、このような砂漠の民の精神と社会構造を劇的に変えた。
ムハンマドは「アッラーのほかに神なし」と説いた。それは部族による優劣など存在せず、神の前ではすべての人が平等だと説く革命思想だった。ユダヤの王だったキリストが、それまでユダヤ人にしか許されなかった信仰の道を全ての民族に対して開いたのと同じである。『新約聖書』にイエスは水を葡萄酒に変えたという記述があるが、それは礼拝の時にユダヤ人しか飲むことのできなかった葡萄酒を、すべての人が飲めるようにしたという意味だという解釈がある。イエスもムハンマドも宗教改革者なのである。
イスラーム教によって、砂漠の民は神の前では平等という概念を得た。またムハンマドを通して神が語った言葉『コーラン』から様々な社会的倫理が生まれた。アラブ世界ではイスラーム以前の社会をジャーヒリーヤ(無明時代)と言う。イスラームによって、血統(部族)と武力(略奪)で支配されていたアラブ社会に連帯意識(宗教共同体)と社会規範(倫理)が出現したのである。イスラーム教はまたたく間に砂漠の民を魅了し、ムハンマドの死後百年も経たないうちに、中東から北アフリカ、スペインにまで及ぶ大帝国・ウマイヤ朝が成立した。しかしイスラーム以前の部族・民族主義はずっとイスラーム世界に残った。
二十世紀初頭のオスマントルコまでは、まがりなりにも部族・民族を超えたイスラーム共同体(帝国)が存在した。しかしその崩壊は古い古い部族・民族主義を復活させることになった。ピーター・オトゥール主演の『アラビアのロレンス』にイスラーム色はない。ロレンス少尉はオスマントルコ(トルコ人の支配)からの独立を図るアラブ人を支援したのである。ロレンス少尉個人の義侠心は別として、それは当時のヨーロッパ帝国主義国家の施策だった。
第一次世界大戦中の1916年、イギリスとフランス、ロシアはオスマントルコ内での民族紛争を煽るサイクス・ピコ協定を秘密裡に結んだ。オスマントルコの崩壊と植民地化が目的だった。イギリスはほぼ同時にパレスチナでのユダヤ人国家樹立に賛同するバルフォア宣言を表明した。これもオスマントルコを弱体化させるための政策だが、そこには未必の故意としてヨーロッパからユダヤ人を追い出す目的もあった。二次大戦後にはナチスの収容所から解放された多くのユダヤ人が、元々住んでいた土地に戻ることを許されず、そのまま船でパレスチナに送り出された。しかし大義はあった。二十世紀初頭にはアメリカのウィルソン大統領が唱えた民族自決主義が大きな支持を集めていたのである。
その結果として現在の中東国家の多くは部族単位の王制国家になった。だが他の国家と同様にアラブ諸国も様々な問題を抱えている。この問題点を衝く武器としてイスラームは極めて有効なのである。そのため社会の歪みの改革を目指す反体制派は、必ずといっていいほどイスラーム原理主義(部族・民族を超えた平等と連帯)を標榜する。だからそう簡単に現体制を変えられない国家指導部にとって、イスラーム原理派はとても厄介な存在だ。原理派はイスラーム教徒なら決して否定できない理念を突きつけ、それによって改革を迫る反体制だからである。
パレスチナ独立運動を主導して来たのはアラファトを議長とするパレスチナ解放機構(PLO)である。現在はアッバース議長が率いている。PLOに宗教色は薄い。しかし1987年にイスラーム主義政党ハマースが誕生し、PLOを凌ぐほどのパレスチナ人の支持を集めている。PLOにおいてすら原理主義は改革の力になり得るのである。アラビア語でイスラーム教徒のことをムスリム(神に帰依する者)と言うが、ムスリムの連帯はムスリム・ブラザーフッドと呼ばれる。ただムスリム・ブラザーフッド(「ムスリム同胞団」と訳され政党名にも使われる)の宗教的同胞意識が万能であるわけではない。
多かれ少なかれ利己的であることはわたしたちもアラブ人も変わらない。ムスリム・ブラザーフッドは、自分たちが窮地に追い込まれた時に便利に利用される理念でもある。宗教とはほぼ無縁だったイラクのフセイン大統領の政権末期がそうだった。彼は唐突にムスリムの連帯を叫び、アメリカへの聖戦(ジハード)を訴えたが呼応する同胞はいなかった。
イスラームに馴染みのない日本人にとって、シュプレヒコールをあげる原理主義者たちの映像はちょっと怖い。しかし彼らを単純な狂信的イスラーム教徒だとは考えない方がいい。「もっとイスラームを!」と叫ぶ彼らのバックグラウンドは複雑なのだ。イスラーム圏の人々にとってイスラームは現体制であり、それを改革し得る生きた力でもある。ただ多くの国家にムスリム同胞団が存在するが、その主張は様々だ。ムスリム同胞団が大同団結することは今のところあり得ないだろう。
現実世界に生きている僕たちは、同時代で起きる様々な出来事が気になる。大震災や原発問題はもちろん、いっこうに改善の兆しが見えない中国や韓国との関係もそうである。その中にはパレスチナに代表される中東問題が含まれるわけだが、このエリアの特徴は、原則として政教一致だということである。ほかの文化圏ではとっくの昔に失われた宗教的情熱が、アラブ世界では複雑に政治と絡まり合っている。この宗教的情熱が中東への興味を掻き立て、その反対に僕らとは縁遠い世界だと感じさせたりもする。
確かに宗教はなかなか厄介である。それは結局のところ体感しなければ理解できない。ムスリムは心から神を恐れ敬っているのであり、教会で祈る敬虔なキリスト教徒はほとんど肉欲のようにキリストの再臨を願っている。それを感受すれば宗教精神を得られるが、他宗教・宗派に対して公正ではなくなってしまう。また宗教を政治の道具として捉えれば現実政治の複雑さは理解できるようになるが、宗教精神は見失われる。特にイスラーム世界を見る場合はそうである。過度に宗教精神に注目してしまうか、宗教を政治要素の一つと捉えて事態を簡略化してしまうかどちらかだ。イスラームをよく知らないことが、片寄った見方を生み出している面は確実にある。
明治維新以降、文化的規範を中国からヨーロッパに大転換した日本では欧米文化への理解が進んだ。キリスト、ユダヤ教はもちろんギリシャ神話までそれなりに理解している。しかし日本人は、欧米のイスラーム嫌い、イスラーム恐怖症をも同時に受け入れてしまったようだ。中東への理解はインドほどにも進んでいない。それは世界に大きな文化的空白地帯が存在することを意味する。中東はアジアとヨーロッパの中間に位置しており、地理的にも文化的にも両者をつなぐ鍵であるはずなのである。
ユーラシア大陸を西から東に辿るにつれて、一神教という意味での神の姿は薄くなってゆく。ユダヤ、キリスト、イスラーム教は宗教学的にはセム一神教と呼ばれる。いずれも神を人格神として捉えるセム族が生み出した宗教だからである。インドになると、ヒンドゥー教は人格神の輪郭を保っているが多神教になる。さらに東の中国の儒教では、人格神という概念がなくなる。それは日本も同じである。しかし非人格神的宗教とはいえ、中国と日本のそれは質的に異なる。
ユダヤ、キリスト、イスラーム教はもちろん、ヒンドゥー教や儒教も有本質論である。神(儒教の場合は「天(命)」)が世界を創ったのであり、その意志は人間を含む地上の万物に反映されていると考える。一種のイデアリズムである。儒教については首をかしげる方もいらっしゃると思うが、孔子が説いたのは「正名論」である。万物にはおのおのその分(ぶん)、つまり本質が存在するという哲学だ。それが君主には君主の、臣下には臣下の分=本質があるという封建社会制度を支える思想として援用された。
しかし日本は異なる。江戸時代に日本は儒教を国家思想とし、すべての日本人はいずれかの仏教諸派に属することを義務づけられた。だが神的存在の意志が万物に宿る(有本質)という考え方をする日本人は少ない。むしろ神のいない無として世界を捉えている。求心点のない無として世界を捉えるから、儒教・仏教であれ汎神論的アニミズムであれ、仮の神的存在(求心点)が入れ替わり立ち替わり現象するのである。ただ欧米の基準では虚無的無神論になる日本人の心性が、無秩序な混乱を生み出したことはない。日本人は人格神でも非人格神でもない形で神的意志を捉え、それが世界に秩序をもたらしていると考えている。
図式的に言えば、ユーラシア大陸を西から東に辿るにつれ一神が多神になり、存在の輪郭を持たない非人格神となる。有本質的認識から無本質的認識に変わってゆく。排他的宗教観に立てば自己の宗教以外はすべて邪教である。しかしそれはなぜなのかと考えることは、宗教的心性の本質に迫ることになるだろう。またそれは僕たちに新しい世界認識を与えてくれるはずである。宗教的陶酔感はわからないかもしれないが、非人格神・無本質的心性を持つ日本人が、最もフラットに世界宗教(世界認識)を取り扱うことができるのではなかろうか。
よく知られているように、イスラームにはスンニー派とシーア派の二つの宗派がある。預言者ムハンマドの死後、誰がイスラーム共同体(ウンマ)を率いるかで二つの宗派が生まれたのである。スンニー派はスンナ(アラビア語で「慣習」)、つまり『コーラン』に記された規範に忠実に従う人々という意味である。シーアはアラビア語で「党派」の意味で、具体的にはムハンマドの娘婿・アリーを支持する人々(アリー派)の意味である。
スンニー派ではムハンマドの代理人がイスラーム共同体を治めた。カリフ(アラビア語で「代理人」)である。カリフにはイスラーム共同体の中の有力な武人・政治家が選ばれた。これに対しシーア派ではムハンマドの子孫だけがイスラーム共同体を率いる正統性を持った。イマームである。しかしイマームの血統は十二代で絶え(スンニー派に暗殺されたと言われるが、シーア派では最後のイマームは不可視の次元にお隠れになったと考える)、以後はイマームの代理人がシーア派を率いた。イラン革命を主導したホメイニー氏はイスラム法学者(ウラマー)だが、イマームの代理人であるシーア派の長だった。
この違いがスンニー派とシーア派の長い長い争い、というより圧倒的多数であるスンニー派によるシーア派の弾圧を生んだ。イスラームはアッラーの他に一切の神を認めない。イマームに特権的神格があるとするシーア派は、スンニー派にとっては許容しがたい多神教になってしまうのである。現在シーア派の居住地域はイラン(ペルシャ)にほぼ限られている。シーア派は中東地域で最も古い文明を誇ったペルシャ人が作り上げた民族的宗派でもある。
ただスンニー、シーアの両派にとって「代理」という概念は非常に重要である。イスラームでは世界は神が創ったのであり、すべては神のものである。そのため政教一致が原則となる。しかし優れた宗教家が有能な政治家だとは限らない。スンニー派がムハンマド一族ではない指導者を長に戴いたのは、現実的選択でもある。それはシーア派も同じである。最後のイマームがお隠れになったあと、シーア派では現世における優れた指導者をイマームの代理人としてきた。ホメイニー氏のように政治・宗教双方に秀でた指導者もいたが、現イランのように微妙な形で政治執行部と宗教指導部が分かれることもあった。
ムスリムにとってはイスラームが世界の枠組みである。そしてこのイスラーム世界にフレキシブルなダイナミズムを与えているのが代理概念である。イスラーム世界では政治経済はもちろん、日常生活に至るまで『コーラン』に書かれた神の言葉が規範になる。しかし『コーラン』は七世紀に成立した書物であり、当然のことながら変わり続ける世界に対応していない。それを補うのが神の言葉(『コーラン』)の解釈者、すなわち学問世界における神の代理人・イスラーム法学者(ウラマー)たちである。僕たちには奇妙な論理に見えることもあるが、イスラーム世界は確実に世界の変化に対応している。
ユダヤやキリスト教と同様、イスラームも唯一の聖典『コーラン』の読解・解釈作業によって論理的思考方法を育んでいった。中世には大哲学者イブン・スィーナー(アヴィンセンナ)が現れ、本格的なアリストテレス哲学の註釈を行った。ヨーロッパはスィーナーらのアラビア語訳によってギリシャ哲学に初めて触れたのである。しかし近世になると政教分離のヨーロッパに比べ、政治経済はもちろん文化・生活面に至るまで宗教的規範に縛られるイスラームの弊害が徐々にあらわになった。いずれイスラーム的な解決方法が見出されるだろうが、この弊害は現在でも残っている。ただ常に唯一絶対神を思考の中心に置くイスラーム世界では、ヨーロッパにはない宗教的哲学思想が育まれていった。
イスラーム世界ではいわゆる僧侶はいない。イスラーム法学者(ウラマー)らが僧侶的な位置付けである。しかし彼らはカリフやイマームの元で、イスラームに基づく現実施策を立案する官僚でもある。そのような生臭い現実政治とは一切関わらず、純粋に神を探究したいと望む人々もいる。スーフィーと呼ばれるイスラーム神秘主義者たちである。スーフィーは神の探究以外は行わない純粋思考者であり、世捨て人である。またスーフィーはイスラーム的な代理概念を、彼ら独自の方法で神に援用した思想家たちだとも言える。
スーフィーの最大の目的は神との合一である。厳しい修行の果てに神人一体の境地に達するのである。これもまた一般的なムスリムにとっては神の冒瀆である。神は絶対不可侵であり、人間と神の一体化などあり得ない。そうなれば人間と神は同等になってしまい、厭うべき多神教の状態が生じる。そのためスーフィーもまた激しい弾圧と迫害を受け続けた。しかし直截に神を求めるスーフィーの情熱は衰えなかった。十二世紀中頃にはイブン・アル・アラビーが出て、スーフィズムに一つの思想的基盤を与えた。
アラビーの思想は『存在一性論』などとして知られる。アラビーの思想は簡略化すれば、直観によって神(アッラー)以前の神の真姿を把握しそれを哲学化したことにある。ムハンマドは自分は人間であり、神によって選ばれ神の言葉を伝える預言者に過ぎないと言ったが、世界創造主である神と人間の間に対等な対話の道はない。神はその意志に沿って一方的に人間に教えを伝えるだけである。それは神が神として顕現する意志を持ったからであるとアラビーは考えた。彼は神が神として顕現する以前の真姿を探究したのである。
アラビーの神を巡る思考は絶対無に辿り着く。それは論理ではもちろん感覚的でも説明できない完全不可知の領域である。そこからカオスのようなエネルギー総体が生まれ、存在原型が分節される。それを神が統合し現実世界に存在を生み出すのである。つまりアラビーの思想では神の前にカオスがあり、さらにそれ以前に絶対無(完全不可知)の領域がある。人間が認識できる(人間の前に姿を現した)神は絶対無とカオスから分節されたのであり、究極的には絶対無が神の真姿ということになる。イスラームではこの思想は多神につながる異端である。しかしアラビーの思考は重要だ。それは実質的に無を中心に据えた哲学だからである。
無の哲学は老荘はもちろん、禅思想の中核である。インドのヴェーダーンタ哲学も分節以前の存在(存在としてはカオスまたは無)を巡っており、キリスト教神秘派にも同様の思想がある。現代のビッグバン理論とも奇妙に似通っている。正統イスラーム学から見れば異端だが、最も真摯に神を探究したスーフィーが無の哲学に達したのは示唆的である。フラットに考察すれば、すべての宗教の神的存在以前にはカオスと無があり、存在分節の過程(あるいはそのフィルター)として神と呼ばれる存在が顕現したとも考えられるからである。またこの無の哲学を援用すれば、他宗教との比較では無神・無本質と言わざるを得ない日本文化に、なぜある種の神的秩序が存在しているのかも説明可能になる。
あまり日本人には馴染みのないイスラームの陶器を取り上げて、この形が面白い、この線が素晴らしいと書いてもしょうがないだろうなぁと思って始めたら、こんな内容になってしまった。ただ何度も書いているように、骨董はある時代や文化の本質を知る最適の教材である。今回取り上げた星形タイルを見れば、イスラームの人々がその内面に、いかに煌びやかな想像界を抱えているのかがわかると思う。
ラスター彩動物植物文星形タイル
縦約二十一・七センチ×横約二十一・二センチ 伝サヴェ(イラン)出土 十二世紀~十三世紀
六片の陶片から成るいわゆる呼継である。特に右下部分の欠損が大きく、同じ植物文だが同時代の違う陶片が継がれている。
鳥とウサギ(拡大図)
木(拡大図)
古代メソポタミアから存在する生命の木だろう。イスラームは偶像崇拝を禁じる宗教だが、実際には陶器などに人間を含む様々な図像が表現されている。
文字(拡大図)
アラビアでは聖典『コーラン』を書写するために様々な書体が生まれた。『コーラン』を書き写す文字自体、神聖なのである。そのための専門の書家がいた。日本や中国などの東アジア圏を除いて現在でも書家がいるのはアラブ世界だけである。写真の文字はルクア体で書かれている。内容は『コーラン』などの一節である。文字、動植物、抽象文様などが複雑に入り混じるいわゆるアラベスク文様もペルシャ陶器の特徴である。
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
■鶴山裕司詩集『国書』■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■