露津まりいさんの『贋物師―フェイク・マスター』第2回目をアップしましたぁ。前にブログで書いたのですが、文学金魚HPでは小説とインタビューはpdfファイルを使ってコンテンツを公開しています。ただコンピュータだけでなく携帯系でも、現在はすんごい種類のデバイスが出回っていて、すべての機種とOSで表示を確認することはできません。たまにですがpdfファイルがうまく表示できない場合があるようなのです。
そこで小説とインタビューの第2回目から、pdfファイルとテキストファイルの2種類をアップしています。pdfファイルはreaderで表示させていますが、直接pdfファイルを表示させるurlと、googleのビュワーで表示させるurlも用意しています。現状では、これでなんとかほぼ全てのデバイスでコンテンツが表示できるようになったのではないかと思います。コンピュータの世界はなかなか厄介であります。選択肢がたくさんあるのはいいことですが、それに正比例して技術的問題も増加していくようです。
露津まりいさんは一度お会いしたことがあるのですが、『詩とファンタジー』の時評を担当していただいているりょんさんと同様、ハードボイルド系であります。『贋物師―フェイク・マスター』は骨董の贋作をめぐる小説なので、「骨董にお詳しいのですか?」とお聞きしたら、「んなわけねーだろ。取材して書いてんの。小説のネタごとに専門家になってたら、身がもたん」とのお答えが返ってきました。ま、会話にはちぃっと石川の脚色が混じっていて、もそっと丁寧な話し方でしたが。でも金魚屋著者のみなさんは、まあホントにズバッとまるっとズケズケ物を言う方が多いですぅ(笑)。しかし石川は編集者なのでへこたれません。
「あのぉ、『フェイク・マスター』は、サスペンス小説で、いわゆる大衆小説って区分けになるんでせうか?」
「ああん? なんだその区分け。純文学が私小説系ってのは日本の制度的な問題だろうが。んなもんに興味はない。大衆小説のサスペンスもあるし、純文学のサスペンス小説もある」
「で、で、で、では『フェイク・マスター』は純文学でせうかぁ」
「読者が決めればいい。大衆小説でも純文学でもかまわん」
繰り返しますが、金魚屋著者の方たちとの会話には、石川の脚色が混じっております(笑)。でもまあ露津さんの言うとおりかもしれません。金魚屋の作家さんたちは、大衆小説・純文学といった区分や、文芸誌ごとのカルチャーは、知っていても無視されているようです。僕の方がそういものにとらわれがちだな~。確かに金魚さん(齋藤都代表)が選んだ作家さんたちは、金魚さん好みのインディペンデントな方々ですなっ。