詩を書く者として歌詞のレビューをしているわけだが、仕込みなしだと懐メロになりがちだ。まあ無理をしても、情報の鮮度は若い人にかなわない。振り返りおよび必要となる総括をしていこう。NHK 朝の連ドラ「あまちゃん」でもキョンキョンがやっていたように、課せられたお約束だ。
と言っても、私は松田聖子のデビューをつぶさに覚えているわけではない。っていうか、まったく記憶にない。男の子が親衛隊を作っているアイドルなんかに興味はなかった。女の子が親衛隊を作っているジャニーズにもまるで興味はなかった。受験勉強中だったのだ。
その男の子受けするフリフリのアイドルだったはずの松田聖子が、自分の視野の中に鮮明に現われた瞬間は、しかしわかっている。それはちょうど詩を書きはじめた頃の自分の前に、「赤いスイートピー」という曲が現われたときだった。
一篇の、それは抒情詩であって、だがやはり音楽とも、松田聖子という女の子の像とも切り離せはしなかった。文学とは違うやり方で、それでも一つの世界らしきものが確立されていた。そうなるとその世界に共感し、没入してゆくのは、もはや異性の親衛隊ではなくなる。
松田聖子自身、客席に女性ファンが増えはじめたのは「赤いスイートピー」からだ、と明言している。松田聖子自体もアイドル史を大きく変えたと言われるが、それもこのように早い時期から圧倒的な同性の支持を得たことから来ている。
女性が支持する女性というのは相場が決まっていて、男に負けない強い女である。並の女性たちが願望を投影している、というわけだ。しかし「赤いスイートピー」の少女は「I will follow you」と言い、「海に連れて行ってよ」と言う。煙草の匂いのシャツに「そっと寄り添うから」とも。もっとも、その男ときたら「ちょっぴり気が弱」くて、「知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らない」んだから、少女が思うところをただ率直に語るだけで、相対的に強く見える。
戦後が終わった、とは節目ごとに繰り返された言葉だが、この「赤いスイートピー」で、戦後は完全に終わった。貧しさから這い上がるための「細腕繁盛記」的な女の強さではなく、豊かさの中で草食化した(でも、素敵なんだってさ)男についていってるだけでも生来の自然な強さが現われる。少女もまた豊かに育ち、抒情においてごく素直である。
だから「何故 あなたが 時計をチラッと見るたび 泣きそうな気分になるの?」と歌われたときに戦後社会は崩壊した。その鮮烈な抒情、それを育んだ平和と豊かさの前に、世界は膝まづいたのだ。万国の労働者よ、ごめんなさい。ベルリンの壁の崩壊の前駆として、私が記憶しているのは、そういう瞬間だったと思う。
この詞のこの部分が、松本隆という男性の手になったことは驚きだが、ふと「土佐日記」を思い出す。イデオロギーでなく、女文字というものが日本文化の基底となってゆくことをいち早く看破したかのように、感受性をも女性に寄り添った男の手によってなった女の日記。日本という国は、平和で豊かな時代には、女性の生来の強さが文化を作ってきたのだ。松田聖子の「赤いスイートピー」はその体現だった。
小原眞紀子
http://youtu.be/lYYEp7kfmFA
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