日中国交正常化40周年・東京国立博物館140周年 特別展 北京故宮博物院200選
於・東京国立博物館
会期=2012/01/02~02/19
入館料=1500円(一般) カタログ=2500円
評価=総評・80点 展示方法・80点 カタログ・80点
東京国立博物館(以下東博)は独立行政法人国立文化財機構によって運営・管理される国営美術館である。言うまでもなく日本で最初の国立博物館である。周知のように明治維新とともにヨーロッパ文化が怒濤のように日本に流れ込んだ。いわゆる欧化主義である。この流れの中で日本でも博物館の必要性が議論され、明治5年(1872年)に日本初の博覧会が湯島聖堂で開催された。この博覧会が東博の始まりとされている。初代館長は元薩摩藩士の町田久成で、彼は初期の美術行政に大きく貢献した。
町田の最大の業績の一つに、前述の湯島聖堂博覧会開催のために行われた、明治5年の関西古社寺文化財調査がある。干支にちなんで『壬申検査』と呼ばれるこの調査で、町田は正倉院を中心とする日本古来の文化財調査を行った。廃仏毀釈で荒れ始めた文化財を保護する目的で行われたものだが、調査には洋画家の高橋由一、写真家の横山松三郎、古美術研究家の蜷川式胤(のりたね)や柏木貨一郎らが随行した。現在、『壬申検査』資料は一括で重要文化財に指定されている。また大正7年(1918年)には帝室博物館総長兼図書頭として森鷗外が館長に就任した。鷗外は職務の一環として『帝謚考』および『元號考』を起草したが、これらの原本は東博に所蔵されており、ときおり常設展で見ることができる。
美術館業界における東博の力は絶大である。昨今の不況で徐々に予算が削られているとはいえ、東博が動かすことができる金と人は他の美術館の比ではない。古来、優れた美術品は裕福な人や国に集まる傾向があるが、美術館でもそれは変わらないなぁとため息をつきたくなるようなところがある。所蔵品の質と量でも、展覧会の規模でも東博に比肩し得る美術館は存在しない。東博は歴史と伝統を兼ね備えた日本最高のフラグシップ美術館である。国営美術館として世界各国の美術を受け入れ、日本美術を世界に向けて発信するための美術の中心拠点が東博なのである。またそれゆえ東博は美術を通して政治の世界と微妙に関係している。今回の展覧会がまさにそのような企画展ではないかという印象がある。
『北京故宮博物院200選』は、日中国交正常化40周年・東京国立博物館140周年記念として企画された。カタログで元東博副館長の西岡康宏氏が「二十数年前からその開催を願ってきた展覧会」だと書いておられるが、中国というお国柄を考えれば、国と国との合意がなければ今回のような展覧会は開催できないだろう。実際、カタログで故宮博物院院長の鄭欣淼氏は、故宮宝物が抗日戦争中も守り抜かれたことにより、中国国民は「“国家の幸運”また、“文物には魂がある”といった考えに到達し、故宮の文物と中華民族の運命とが同一視され」ることになったと書いておられる。さらに「故宮は中国における愛国主義の重要な地点であり、また中国の歴史文化遺産を世界に広める重要な場所でもある」とも述べておられる。つまり今回の展覧会は、中国側から見れば中華文化を日本に広く深く紹介するための国家事業として行われたのである。カタログ冒頭には「作品写真は、故宮博物院の提供による原板を使用した」と記載されているが、今回の展覧会開催に際して中国側が隅々にまで繊細に気を配ったろうことは想像に難くない。
展覧会は『第Ⅰ部 故宮博物館の至宝-皇帝たちの名品-』と『第Ⅱ部 清朝宮廷文化の精神-多文化の中の共生-』の二部構成で行われた。『北京故宮博物院200選』の名の通り、素晴らしい文物が展示されていた。特に『第Ⅰ部』の展示品はめまいを起こすほど衝撃的だった。今回の展示の目玉は12世紀北宋時代に描かれた張択端(ちょうたんたく)作の『清明上河図巻』(せいめいじょうかずかん)である。北宋の首都・開封(かいほう)の庶民の日常を描いた縦24.8×横528センチの長大な絵巻だが、本作は故宮博物院でさえ7年に一度しか公開されない作品で、国外に貸し出されたのは今回が初めてである。
『清明上河図巻』は中国国内では一種の吉祥図として広く親しまれている。よく知られているように中国の正史には神話的記述がない。怪力乱神を排すのが中国正史の一貫した姿勢である。逆に言えば中国文化の根底には徹底した現世主義が流れているのであり、現世を無秩序な混乱に陥れないための規範が孔子が論じた分と礼である。孔子の理論は正名論と呼ばれるが、それは物事には固有の本質があり、人はその分(現代では必ずしも身分制度を意味しない)と礼(秩序)に応じて各々の勤めを果たさなければならないという思想である。『清明上河図巻』には中国人が好む現世的繁栄と秩序が表現されているのである。
この他にも『第Ⅰ部』展示品には徽宗(きそう)皇帝真筆の『祥龍石図巻』や、初めて見る李迪(りてき)の巨大な『楓鷹雉鶏図軸』(縦189.4×横210センチ)などの宋時代の名画が惜しげもなく展示されていた。それに続くのは墨書で、これも多くは宋・元時代の貴重なものだった。由来や価値を語り始めればそれぞれに一冊の本が書けるほどの名品揃いである。隷・楷・行・草と自在に変化し続ける力強い書跡は圧倒的で、いつまでも見飽きなかった。日本では平安時代に仮名が考案され様々な書風が開花するが、中国の宋・元時代の書を見ていると、そのルーツがどこにあるのかはっきりとわかる。僕は入館するまでに1時間半、見終わるまでに3時間以上かかったが、確かに中国美術の神髄に触れたという感銘を受けた。
『第Ⅱ部』は、清朝が物質的にも文化的にも最も栄えた第6代皇帝・乾隆帝の宮廷文化に焦点を合わせた展示である。日本で中国モノというと、足利将軍が愛した東山御物などの寂びた遺物を思い出しがちだが、中国人の好みは異なる。中華街などに行かれた方はお気づきかもしれないが、現代の中国人が好むのは、ヨーロッパ的なテイストを取り入れた明るく華やかな絵や陶磁器である。その基盤になっているのが乾隆帝時代の文物である。よく知られているように、清朝は少数の満州族が大多数の漢民族を支配する制服王朝だった。そのため歴代清朝皇帝は満族と漢族の融和に心を砕いた。清朝皇帝は宮廷内では伝統的な満民族の風習を守ったが、対外的には絵画などで漢民族の良き理解者としてのイメージを喧伝した。また中国王朝の伝統として、清朝独自の文化を確立しようと試みた。その一つにヨーロッパ文化の移入がある。
今回の展示では、イタリア人宣教師で画家の郎世寧(ろうせいねい、ジュゼッペ・カスティリオーネ)が描いた、遠近法を援用した乾隆帝の肖像が展示されていた。宣教師たちが熱望したようには清朝皇帝はキリスト教に改宗することがなかったが、ヨーロッパ文化は積極的に取り入れた。ヨーロッパ文化は清朝独自の文化構築のために必要であり、また満州族にも漢民族にも偏らない表現だったのである。今回の展示では絵画だけでなく、ヨーロッパ文化の影響を受けた陶磁器なども多数展示されており、現代中国の嗜好のルーツを垣間見る思いがした。ただ第Ⅱ部に微かな政治的意図が漂っているように感じたのは僕だけだろうか。第Ⅰ部の展示は宋・元時代の文物が中心であり、第Ⅱ部は明時代を通り超して清朝にフォーカスが当てられている。確かに乾隆時代は現代中国文化の基盤だが、なぜ乾隆帝なのか少し唐突な印象を受けたのである。中国は広大な国土を有する大国だが、乾隆帝の時代に中国の版図は最も大きくなっている。
『第Ⅱ部 清朝宮廷文化の精神-多文化の中の共生-』は『第一章 清朝の礼制文化-悠久の伝統-』『第二章 清朝の文化事業-伝統の継承と再編-』『第三章 清朝の宗教-チベット仏教がつなぐ世界-』『第四章 清朝の国際交流-周辺国との交流-』の4章から構成されている。うがった見方をすれば、この構成は現代中国政府の世界戦略にほぼ合致している。現在中国はチベット問題を抱えているが、今回の展覧会では清朝皇帝とチベット仏教との密接な関係がクローズアップされている。清朝とチベット仏教との関係は知識ではわかっていたが、故宮博物院にこれほど大量のチベット文物が所蔵されていることは初めて知った。しかし政治うんぬんは僕の思い過ごしかもしれない。またもし展覧会に政治的な意図が込められているとしても、僕たちには関わりのないことだ。僕らは展示物を通してより正しい中国文化の像を捉えれば良い。
総評、展示方法、カタログともに平均点の80点です。まったく申し分のない展覧会ですが、あの東博ということで大辛の採点です。贅沢なことを言うと、一点一点が凄すぎて、ちょっと鑑賞の焦点が合わなくなるほど素晴らしい展覧会でした。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■