唐門会からお借りした安井氏(以下敬称略)未刊句集も少なくなってきた。前回取り上げた『集成 天蓋森林』が最後の〝大物〟原稿で、残っているのはいわば拾遺である。そこで今回と次回でそれらを簡単に紹介して『未刊句集篇』を終わらせたいと思う。今回取り上げるのは『幼年や抄』と『俳句原稿』である。以下に簡単に概要をまとめておく。
■『幼年や抄』■
安井による『自選三十句』である。実際には自選30句と補遺11句の全41句が収録されている。処女句集『青年経』から第4句集『阿父学』までの選句である。内訳は以下の通りである。
■俳句原稿■
製本されていない原稿用紙の『俳句原稿』が10点ある。『同異抄』(原稿用紙1枚)、『伽藍』(1枚)、『鬼蓮抄』(1枚)、『孟夏抄』(1枚)、『狭庭抄』(3枚)、『天蓋抄』(1枚)、『田園抄』(1.5枚)、『神曲』その1』(1枚)、『神曲』その2』(1枚)、『百秋抄』(2枚)である。内容的には第5句集『密母集』から第10句集『汝と我』に該当する。これら俳句原稿から既刊句集に収録された句は以下の通りである。
10点の俳句原稿には全192句が収録されているが、その内未発表句は56句、約30パーセントである。このくらいの分量の句集未収録句が出るのが普通ではないかと思う。『集成 天蓋森林』のように、全714句のうち約70パーセントの498句が句集に収録されないまま放棄されたという事態の方が異様なのである。
ただ安井がそう簡単に創作方法を変えるとは思えないので、これらの原稿以外に唐門会や安井の手元にまだまだ句集原稿が眠っている可能性はある。お借りした『俳句原稿』の内容は句集ごとにかなりまとまっているので、各句集の内容がある程度固まってから雑誌等に発表された原稿かもしれない。実際、『田園抄』末尾には『「俳句」六十二年三月』とあり、角川『俳句』昭和62年(1987年)3月号に掲載されたことがわかる。
『幼年や抄』は処女句集『青年経』から第4句集『阿父学』までの選句なので、『阿父学』(昭和49年[1974年])から第5句集『密母集』刊行の54年(79年)までに制作されたと考えられる。安井38歳から43歳である。この原稿も、なにかの雑誌に発表されたものの控えかもしれない。
タイトルにあるように、安井は『阿父学』までの作品を、自己の創作史における幼年時代と位置付けていたようだ。安井が『密母集』『後記』で『第三集『中止観』をもって未見の旅に赴いた』と書いていることもそれを裏付けている。『阿父学』に次ぐ『密母集』が安井中期の金字塔的作品集になるのである。
出版社の要請などによって、詩人や小説家が過去の作品をセレクトして1冊の本を作ることはある。しかし俳句や短歌では〝選択〟という行為が詩や小説とは違う意味を持ってる。安井は方法的かつ詩人肌の俳句作家で、第10句集『汝と我』の『後記』で『一句集一作品の在りようを思い描いた』と書いている。『汝と我』ばかりでなく、かなり早い時期から安井は『一句集一作品』を指向しいたと思う。しかし俳句の場合、全作品を通覧してそこから句を選ぶことと『一句集一作品』という概念は矛盾しない。選ぶことは俳句文学の基本だからである。
正岡子規が生前に刊行した句集は『獺祭書屋(だっさいしょおく)俳句帖抄 上巻』の1冊のみである。しかしこの句集を編むにあたって、彼は手控俳句稿集『寒山落木』を活用した。『寒山落木』には子規が本格的に俳句に取り組み始めてから詠んだ句が全て記載されている。子規は『自分は一度口から出た句は絶対に棄てずに記録しておく』という意味のことを書いている。自己愛からではない。自分が作った下手な句を読み返すのは辛いものだ。句を棄てないのは自分が卒業した句がどんなものだったかを確認するためである。また自己の選句眼は絶対ではないからである。
これまで見てきたように安井はまず膨大な量の俳句を詠み、そのほんの一部を選択して句集を作っている。まず自分自身で作品の選択を行い、それを『一句集一作品』と呼べる主題でまとめている。しかしそれはさらに選択可能なのだ。事実、安井が句を選んだ『安井浩司選句集』が刊行されている。さらに他者の眼によって俳句が選択されることもあり得る。それを拒否すれば俳句と呼ばれる芸術は成立しなくなる。このことを考え詰めていけば、俳句という芸術がどんなものなのか、自ずから理解できるはずである。
選択することは自己の作品に対して距離を置くことである。自己作品を相対化し、それをできるだけ客観視するのである。もちろん自己を客体化して眺めるのは極めて困難である。しかし俳人は自分が作り出した作品を人ごとのように評価しなければならない。句集のために俳句を選ぶ際だけではない。1つの作品を作る時にも、できるだけ自分が作ったのではないという客観性をよそおわなければならない。『俳』という漢字を分解すれば『人ニ非ズ』と読めるのは、思えば示唆的なことである。
子規は芭蕉の『古池や蛙飛び込む水の音』について、芭蕉はこの句を詠んだ後に、突然、それが重要な作品であることに気づいたのだ、ほかならぬ芭蕉が『古池』の句に驚いたのであると書いている。また写生俳句について、ある風景や事物を目にして2句、3句詠んだくらいではどうにもならない、10句でも20句でも立て続けに詠み続けよ、枯れた井戸の底を掘れば水が染み出してくるように、必ず新しい句が湧きだしてくると書いている。
安井浩司は俳句と闘うためには、つまり優れた俳句を書くためには、滑稽で厳粛でもある田舎神事の翁のように神〝もどき〟にならなくてはならないと論じている。またうつほ船に乗って補陀落渡海に出る僧侶のように、生きたまま既に死んでいる状態を作り出す必要があるとも述べている。自我意識は表現のための〝核〟だが、その使い方が小説や自由詩と俳句では違う。俳句ではまず自我意識をできるだけ空虚にして、そこに言葉と観念を呼び込む必要がある。
安井のように『俳句に不意打ちを食らわす』と言ってもいいし、子規のように『自分の句に自分が驚く』と言っても良いが、空虚になった自我意識に雪崩れ込んだ言葉と観念を、ほんの少しの操作で取り合わせて新たな表現を生み出すのが俳句芸術である。子規は病床で『痛いときは泣き叫べばいい』と書いたが、それは弱音ではない。俳人は自己の内部に他者を内臓している。この他者はほとんど死んでおり、俳人の全人格、全行動を相対化する。自己の中に他者を、死者を飼えない者は本質的には俳人になれない。
〝世界標準〟としての近代以降の小説・自由詩文学と相反して、俳句文学は基本的には強い自我意識を否定する。確かに世界認識の中心点である自我意識が希薄になった〝世界〟は混沌としている。しかしそれでも世界は世界であることをやめない。世界の秩序は保たれ続ける。それをそっと覗き込めば、どんな細部にも世界の秩序は偏在している。たった一つか二つの言葉と観念を拾い上げるだけで、世界全体は表現できるのである。長大な作品なら世界を表現できると考えるのは近代人の傲慢である。
優れた俳人たちはほとんど同じことを言い続けている。その意味で伝統俳句や前衛俳句といった名称は現世の便宜的区分に過ぎず、俳句文学の問題ではない。これまで安井浩司の未刊句集をできる限り紹介して来たが、それは安井の拾遺句であると同時に俳句文学全体の富である。安井がどんな句を選び何を棄てたのかを知り、棄てられた句の中から何かを見出すことは、多くの俳人にとって俳句文学のより深い理解につながるだろうと思う。
岡野隆
■ 『幼年や抄』表紙 ■
■ 『幼年や抄』本文 ■
【未刊句集『幼年や抄』書誌データ】
カバー付き手製本。満寿屋製の原稿用紙を二つ折りにして表紙・見返しの紙を足し、和紙の表紙でくるんで糸で留めてある。原稿用紙の枚数は3枚(6ページ)。カバーと表紙には『自選三十句』と印刷されているが、実際には自選30句と補遺11句の全41句が収録されている。内訳は『青年経』から7句(補遺2句)、『赤内楽』から10句(補遺4句)、『中止観』から10句(補遺1句)、『阿父学』から14句(補遺4句)。制作年度は記されていないが、『阿父学』刊行後の昭和49年(1974年)から『密母集』刊行の54年(79年)までに制作されたのだろう。安井38歳から43歳である。
【幼年や抄 自選三十九 安井浩司句集 お浩司唐門會】
鳥墜ちて青野に伏せり重き脳 (①『青年経』)
雁よ死ぬ段畑で妹は縄使う (①『青年経』)
遠い空屋に灰満つ必死に交む貝 (①『青年経』)
花野わが棒ひと振りの鬼割らる (①『青年経』)
逃げよ母かの神殿の加留多取り (①『青年経』)
× ×
菩提寺へ母がほうらば蟇裂けん (②『赤内楽』)
蛇捲きしめる棒の滴り沖の火事 (②『赤内楽』)
沼に出る赤黒の月手招かれて (②『赤内楽』)
墓地にでる兎のワギナ夢の火事 (②『赤内楽』)
旅人へ告ぐたんすにスルメの頭(かしら) (②『赤内楽』)
夜間飛行士に眠る處女膜のように (②『赤内楽』)
× ×
キセル火の中止(エポケ)を図れる旅人よ (③『中止観』)
父(おや)がいま百人塚の気がして帰る (③『中止観』)
蠓やみつまたに道は裂けたり (③『中止観』)
夢殿へまひるのにんじん削りつつ (③『中止観』)
涅槃風(ねはんかぜ)ふもとの自転車盗まれし (③『中止観』)
性交や野菊世界へ放火しに (③『中止観』)
青山河蚊帳賣人が倒れつつ (③『中止観』)
南北のなんでまひるの荻や馬 (③『中止観』)
箒草火事を否(け)しつつねむりけり (③『中止観』)
× ×
漆山まれに降りくるわれならん (④『阿父学』)
幼年や隠して植えるたばこぐさ (④『阿父学』)
ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき (④『阿父学』)
まひるまの門半開の揚羽かな (④『阿父学』)
叟もし向き合えるふたつの空屋 (④『阿父学』)*1
旅人よみえたる二階の灰かぐら (④『阿父学』)
御燈明ここに小川の始まれり (④『阿父学』)
万歳は縞蛇またぎ行方も知れず (④『阿父学』)
死鼠を常(とこ)のまひるへ抛りけり (④『阿父学』)
優曇華にこむらがえりの商人や (④『阿父学』)
補遺
渚で鳴る巻貝有機質は死して (①『青年経』)
沖めざす花の日蔭に脱糞して (①『青年経』)
○
壁へなつく哭いて古代の魚秤 (②『赤内楽』)
狼躍ねでたりひかりもの現在に (②『赤内楽』)
野苺つまむ自家中毒の姉にちかく (②『赤内楽』)
鳥が附いて一本松の島を嗅げり (②『赤内楽』)
○
沼べりに夢の機械の貝ねだり (③『中止観』)
○
沖へでて洗濯板の終るかな (④『阿父学』)
大鶫ふところの毬の中(あたる)べし (④『阿父学』)*2
母国のおおばこを焼き払うかな (④『阿父学』)
高鳶にふらり夢占人(ゆめうらびと)きたる (④『阿父学』)
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『叟』に『おきな』のルビ。
*2 定稿では『中(あた)るべし』
【俳句原稿】
■ 『同異抄』原稿 ■
【俳句原稿『同異抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブルーブラックの万年筆書き。全17句。内12句が第5句集『密母集』に収録。残り5句は未発表句。
【同異抄 安井浩司】
ふところへ毬帰りくるや二重星 (⑤『密母集』『同異抄』)*1
蛇山のあゝこおとこの涅槃かも
鉄敷へ火を見る蔓が漂えり (⑤『密母集』『同異抄』)*2
白蛇の変化(パリナーマ)だやひるの川 (⑤『密母集』『同異抄』)
白蛇へちかづく莨火の涅槃那も (⑤『密母集』『同異抄』)
河骨や空から落ちくるかんなくず
夕焼へ地の昆布のまゝ立てる人よ (⑤『密母集』『大鴉』)*まゝ→まま
沖の岩が昆布を養い終るらん
少年の兜をぬらしている終湯に
校庭の法華の馬もさるすべり (⑤『密母集』『同異抄』)
箒木へ法華もにしんも消えゆけり (⑤『密母集』『同異抄』)
睡蓮がかたまり生える西も妻 (⑤『密母集』『同異抄』)*3
性交や遙かにはるか法華の湾 (⑤『密母集』『同異抄』)
昼庭(ひのにわ)を去る旅人も蛇ならん (⑤『密母集』『同異抄』)
夕空へ蕎麦の高さも法華妻 (⑤『密母集』『同異抄』)
姉もまた絵馬にさわり嫁ぎゆく
ふるさとの一字の僧侶よ麦の秋 (⑤『密母集』『同異抄』)*4
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『ふところへ』は『ふところに』。
*2 定稿では『鉄敷』に『かなしき』のルビ。
*3 定稿では『睡蓮』は『岩蓮華』。
*4 定稿では『僧侶よ麦の秋』は『僧侶が麦の中』。
■ 『伽藍』原稿 ■
【俳句原稿『伽藍』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブルーブラックの万年筆書き。全15句。内9句が第5句集『密母集』に収録。残り6句は未発表句。
【伽藍 安井浩司】
大鴉かの頭韻こそは毒ならん (⑤『密母集』『大鴉』)
晩春にとどまれなくなる扉猫 (⑤『密母集』『大鴉』)
菫をぬいゆく犬の頭に大火三(み)つ
日蔭鬘(ひかげかづら)かの母を地に投げる者よ (⑤『密母集』『大鴉』)*1
発狂するに誰も来たらず竹の花 (⑤『密母集』『大鴉』)
おがくずと無数の斑猫もやしけり
睡蓮にヴァイオリンは来つつあり
姉よむらさきの手を兜の辺に
遠泳やさくやは蛇の盗まれし (⑤『密母集』『大鴉』)*2
睡蓮や僧侶はうすき膜である (⑤『密母集』『同異抄』)
片蔭に隠者の母のやさしさよ
北窓に宇宙の塩や赤とんぼ
砂山を預流果(よるか)のごとく歩みけり (⑤『密母集』『大鴉』)
枯蓮は日霊(ひる)のごとくに明るけれ (⑤『密母集』『大鴉』)
藪入やわが「蛇」の字のかけじくに (⑤『密母集』『大鴉』)
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『日蔭鬘』は『日蔭蔓』。
*2 定稿では『盗まれし』は『盗まれて』。
■ 『鬼蓮抄』原稿 ■
【俳句原稿『鬼蓮抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブラックの万年筆書き。全15句。内10句が第7句集『霊果』に収録。残り5句は未発表句。
【鬼蓮抄 安井浩司】
師ははじき去る鬼蓮の実を我に (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
夏屋に棲みおる母は平(ひら)蜘蛛と (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
大いなる沢よりも春鳥は壁孔に (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
姉達来るとわれらは斜泳(はすおよぎ)して (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
山猫達は稜線にあり狂人は谷に
母に叱られても田鼠(でんそ)を真似る人 (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
遺言もて花菩提寺は倒されぬ
楓まで来れば論師も優しけれ (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
山路に遊女の墓は動かじ菫草 (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
荻の辺の野壺は棍棒を恐れおる
明母(みょうぼ)もほうる骰子の二が梟の目 (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
烏の豌豆あしたに友への招(たず)ね道
大鎌を所有する家友とならん (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
厠にて虎杖折らるゝ音を聴く (⑦『霊果』『鬼蓮抄』)
揚羽蝶陶人の家に壺くだかれて
■ 『孟夏抄』原稿 ■
【俳句原稿『孟夏抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブラックの万年筆書き。全15句。内14句が第8句集『乾坤』に収録。残り1句は未発表句。
【孟夏抄 安井浩司】
夏あらし一(ひと)日の死生の鶴を飼う (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
青鷺の辺の文明は深く啄(つ)かれて (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
犬の眼が蘭を最も暗くする (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
身を少し退(ひ)くと御空の蛇苺 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
かの雲雀最高処からほら落ちて (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
僅かの砂にひるがおと空階があり (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
睡蓮や骰子はみずから自重せる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
夏桐やみけんの骨が高くなる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
奥羽を遊女下りけり長い草の葉 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
芭蕉等が来れば早苗に面(かお)隠し (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
老母畠打つ狂女は樫に繋がれて
柘榴の雫の下きみ料理人となれよ (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
女は窓を開けて午後行方も知れず (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
一生一日として泳ぎおる奥羽の海 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
淋しさに寄れば孟夏に揺れる花 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
■ 『狭庭抄』原稿 ■
【俳句原稿『狭庭抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙3枚にブラックの万年筆書き。全40句。内34句が第8句集『乾坤』に収録。残り6句は未発表句。
【狭庭抄 安井浩司】
われら宴(うたげ)稲妻に鶏曝されて (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
肩の辺まで天路をくだる烏蛇 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
叫び起る北に葵を咬む犬あり
花柘榴死人の唇(くち)に挿すことば (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
昨日見し野蛇は印に刻まれぬ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
睡蓮や内なる人のみ戸を開く (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
乞食ねむり青柘榴へ犬跳ね上る (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
さんざしの日蔭はしかに耐える人 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
神人達が鮭を日暮に抱けば反る (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
旅人の先へと降り立つ赤鶫 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
雨の道蓑より覗く神が居る (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
月山(がっさん)の夕空に膓狂いおる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)*1
巡礼ら郭公なけば口づけし (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
冬旅人も冬虹の根も洞穴に (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
恋人は面(かお)を隠してだけかんば (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
春衣きて廻る車輪に入るべし (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
春土にかく円に弥勒を探すのだ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
秋風やみな木の車輪を食う蟲ぞ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
葉あざみを渡る仏母に父泣いて (⑧『乾坤』『狭庭抄』)*2
夏風邪の荘子が村に入るらん
馬芹や教室などを忘れ来て (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
藪原に妙喜天と遊ぶ静けさ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
月光や沖では漁師濡れおらん (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
雪の崖神のゆずりはむしられて (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
見て見えぬふりす浅瀬の神の鱒
滝汲む母に上流の蛇落ちるころ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
貘を捲く縄に冬陽が加えらる
大麦畠荒らして鹿は神の色 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
あゝ白雲銭を数える酒屋前 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
霊(こころ)深きか細枝に鴉眠るとき (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
法然忌午後の沙上に蔓がある (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
遊女の眼ゆびもて覆い鱒見せん (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
小おんなの一法句成るやぶつばき (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
急に出る御(み)犬よ狭庭のさるすべり
日かげると狭庭は自身で閉じられる (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
うどの花わが遠足よりも遠き鹿 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
行く春の僧侶詩人に蟇投げて (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
入りくるや百疋の冬鹿母の家
野の平(ひら)に霊と茸が在るばかり (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
大寒の月をゆびさす満母(まんも)こそ (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『膓』に『わた』のルビ。
*2 定稿では『仏』は旧字の『佛』。
■ 『天蓋抄』原稿 ■
【俳句原稿『天蓋抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブルーブラックの万年筆書き。全11句。内2句が第8句集『乾坤』に、8句が第9句集『汎人』に収録。残り1句は未発表句。
【(第二回目)天蓋抄 安井浩司】
天蓋は吊り上げられて早稲の花 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
手毬花虚空へ毬を投げよかし (⑨『汎人』『天蓋抄』)
花蔭や近づけば散る賎女(しずめ)ども (⑨『汎人』『天蓋抄』)
雨岩に少年を待つ野鵐(のじこ)かな (⑨『汎人』『天蓋抄』)
蛇苺車輪は円を残し去る (⑨『汎人』『天蓋抄』)
花庭にさまざまな鳥が頭を捨てて (⑨『汎人』『天蓋抄』)
じゃこう揚羽滝は自身を洗う夏 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
葡萄まだ青く小さし精霊会 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
寺娘火中に抛れよ唐がらし
稲の道ふと満月より雲湧くも (⑨『汎人』『天蓋抄』)
火事終り淋しさに火を点すらん (⑨『汎人』『天蓋抄』)
■ 『田園抄』原稿 ■
【俳句原稿『田園抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙を繋いだ1.5枚にブラックの万年筆書き。全19句。内13句が第10句集『汝と我』に収録。残り6句は未発表句。
【田園抄 安井浩司】
田園の神赤くなる藪うるし (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
梨花迷いゆく小鼓を頸にして (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
天地(あめつち)を悲しむ顔より虻去らず (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
夏鶴の憂いのごとくに遊ぶ母
想いては消すや牡丹の前の犬 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
春鷺や車輪も大地を捨てるかに
鉈をもて落とす日輪巻く蛇を (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
実木瓜よりひくく万物めぐる犬 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
深淵の鱒は長女(おさめ)のふりをして (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
少年が茅の葉巻けば杯に (⑩『汝と我』『Ⅰ』)*1
山つつじ体に鬼を残せるや (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
月光や蛭の頭にわが血あり (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
薺咲く人が垣根を去るときに (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
葡萄樹下老いたる妻は懐疑して (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
大裸婦として莢蒾(がまずみ)に寝たりけり
犬枇杷の旅路に犬がにっこりと
三角山が三つ連らなる秋の風 (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
冬襖ひらけば霊山襲うからす
棗ばかりを食い人類の女ども
「俳句」六十二年三月
百漏舎(雅印)
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『巻けば』は『捲けば』。
■ 『神曲 その1』原稿 ■
【俳句原稿『神曲 その1』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブラックの万年筆書き。全15句。内12句が第10句集『汝と我』に収録。残り3句は未発表句。
【神曲 安井浩司】
虻高し山は海から来るものを (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
塩坑へ蛇下りゆくとき悲し (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
烏瓜垂るゝ田園に乞食あり (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
春鷲や翼の脱臼するひびき (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
梨の実をもぐ垢浅き乙女こそ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)*1
麦の秋悲しき十人(とたり)撃たれたる (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
山上の墓より参らん春菫
朝わずか朱き森のはじとすそ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
奥山の楓は初子(ういご)を抱き歩む (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
大野火や渡るに袖を裾をもつ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
かたかごを蓋い殺す裾ならん
野椿の一輪聖別される日ぞ
芋嵐かさと死ぬとき荘子妻 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
空深しなれど死ぬなよ荘子妻 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
冬菜畠女(め)は第一歩から二歩へ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『梨の実をもぐ』は『天の梨もぐ』。
■ 『神曲 その2』原稿 ■
【俳句原稿『神曲 その2』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙1枚にブラックの万年筆書き。全15句。内10句が第10句集『汝と我』に収録。残り5句は未発表句。
【神曲 安井浩司】
天地書をもて顔かくす芋嵐 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
創世やさまざまに牛交み居る
夏すでに廻廊走る鹿の風
図書室の夢に日光鹿がねて (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
わが神曲の思いあがり犬芥(いぬがらし) (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
旅人は来る大いなる岸の弧を (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
鎌をかざして高白波が旅人に (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
蜜柑山過ぐごとくわが髪を放(す)つ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
春の水わざと平野を曲がり行く (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
青柘榴理趣の初段をあゆみけり
少年僧は巻きひげの草のそば
しじみ蝶もし花嫁の陶の靴 (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
砂漠峪蝶は崩壊しつつあり
山菫きのうの時を刻(しる)す空 (⑩『汝と我』『Ⅱ』)
獐茸(のろたけ)やまなこ瞠(ひら)けば消えにけり (⑩『汝と我』『Ⅱ』)*1
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『獐茸(のろたけ)』にルビなし。
■ 『百秋抄』原稿 ■
【俳句原稿『百秋抄』書誌データ】
満寿屋製原稿用紙2枚にブルーの万年筆書き。全30句。内12句が第10句集『汝と我』に収録。残り18句は未発表句。
【百秋抄 安井浩司】
柘榴種散って四千の蟲となれ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
はたはたがよぎる青髪一世きり (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
春立つ寺院料理人すでに亡し
青鷺としてみな塔(あららぎ)に帰りなん (⑩『汝と我』『Ⅰ』)*1
野蛇みな縦横の糸で出来ておる (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
静(しず)歌やふと空中をゆく藤の蔓 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)*2
恋人は桑樹の洞(あな)から生まれ来し
日の森を舞い上らんと蝸牛
夏蛇は身を継ぎ行くや神宮道(みち) (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
春はひとつに百秋の鹿跳ねて (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
日の下を怒り来たれば麦の花 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
バクチの樹植えて蕉門恐るに足らず (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
枸橘垣に眼球ひとつ嵌めて在る (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
荒地なら鷽挟み書を閉じにけり (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
木苺こぼしパルナッソスの山上へ
ブレイク達夜のつりがね人参に
聖者は歩道に鹿の尻を導かん
虻とんで帰郷曲の花うるし
鳥海山下ればなぎさの合唱者
象潟に砂の球をにぎるあきかぜ
能因法師は万年茸に雪つもらせ
一歳のわれを這わしむさそり星
今日乙女の刈込器に虻吸われたる
壺を持てる妊女は水を大切に
夜の鷹わが料理人は死を歌う
百日紅きみ狼狂となれよかし (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
食卓のにがぜり狼は現在に
一度貘い乗って別れる寒夜空
果実なき秋の樹の眼差しばかり
鳶は落ちきて耳朶へ染み入る点に
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『青鷺』は『鵼』、『帰りなん』は『帰らなん』。
*2 定稿では『静(しず)歌』のルビは『静歌(しずうた)』。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■