小原眞紀子『小原眞紀子『文学金魚らじお Web3.0時代のコミュニティ(21)コミュ力なんかいらない』』をアップしましたぁ。今回はコミュ力、コミュニケーション能力についてのお話です。就職面接などを含めてコミュ力が必要と言われたりするのですが、ムダにおしゃべりする能力のことではありあません、小原さんがおっしゃっているようにコミュ力とは『伝えるべきことがあるかないかっていうこと』です。要するに思考能力が試される。
高市首相についても話しておられますが、まあ政治家ですから毀誉褒貶はある。讃辞ばかりになった時は本当に危ういので批判は必須です。しかし石川が見ていても高市首相には確乎とした思想がある。それをストレートに発言すると問題になったりするわけですが、思想対立が起こるときは対立そのものを避けることはできない。コミュ力はその収集能力で発揮されるでしょうね。
小説の世界では聞かないですが、短歌や自由詩の世界では気の合う仲間が集まるイベントなどが盛んに開催されています。しかし石川、首を傾げて見ています。創作者のぬるい付き合いなどすぐに吹き飛んでしまいます。自分のお腹に手を当ててみればすぐにわかるはず。創作者は個であり抜け駆け集団です。お手々つないでみんな一緒に進んでゆくことはできない。そんなことすらわからないおつむの弱い者たちが肩寄せ合ってコミュニケーションしてもしょうがない。
小原さんは『弱者の王』についても語っておられます。フェミニズムでも社会運動でも文学でも『弱者の王』は必ず出現します。彼らはコミュ力が高い。自分より弱い弱者を組織して『弱者の王』になろうとする。そして『弱者の王』だけが『強い者の仲間入りができる』。能力はないのに弱者の代表になって力を得ようとするような人間にこそ人は警戒すべきなのです。思考力のない者は思考力のある者にコミュ力で食い物にされる。弱者が肩寄せ合ってイベントを開いていれば必ずそういうことは起こります。実際それは起こっている。お腹に手をあてて周囲を見回してみたらいかがでしょう。
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