りょんさんの詩誌時評 『No.019 現代詩手帖 2017年6月号』をアップしましたぁ。先頃お亡くなりになられた大岡信さんの追悼号です。りょんさんが『驚くなかれほぼ丸ごと一冊、追悼特集だ。こんなん初めて見た』と書いておられるように、力の入った追悼号です。ただ『大岡信さんについて、全然知らない名前の人ばかりが追悼してる目次ってのは、なかなか壮観だった(中略)こういう追悼も初めて見た』(りょん)も確か。大岡さんをよく知る同世代の方が少なくなっているといふことなのでしょうか。

 

石川の編集方針が反映されているかもしれませんが、金魚屋は自由詩の詩壇に冷たいです。もしインタビューや特集をやるなら詩の業界では絶対短歌だろうな。面白い動きがありますもの。次が俳句で自由詩は最後。ちょっと新たな動きが出そうにない。詩人にも優秀な作家はいますが、ホントに優秀なら、その力をまず自由詩以外のジャンルで発揮してくだされぃ、といふのが石川の方針です。編集者的大局判断ですが、今はマルチジャンルで書ける作家の力を自由詩業界に全力投入させるわけにはいかない。

 

大岡信先生は優れた作家でした。ただ現在では完全に過去の作家になり始めています。忘れ去られているという意味ではなく、現在から未来につながる詩のヴィジョンがはっきりしなければ、戦後の過去作家の仕事は評価されない時代に入ったということです。これは物故された詩人も現存詩人も同じ。現代詩手帖誌で大岡さんと交流のなかった詩人が追悼文をお書きになるのはいいことですが、詩に関する未来のヴィジョンを持っていなければ、本質的な大岡さんの仕事の顕彰にはならない。

 

歌壇は未来に向けて動き始めていますが、俳壇は結社数が減り俳句協会などの会員が高齢化して減少の一途をたどっているなど、曲がり角にさしかかっています。自由詩の業界は、まーはっきり言えば、自費出版マーケット以外の市場が無くなり始めている。ミュージシャンや劇団なら、コアなファンのために小規模でも充実した活動ができるかもしれませんが、詩人さんたちは交互に主役で観客になるサークル活動しかないかもしれない。自由詩の業界に読者を呼び戻すためには、詩以外のジャンルでも詩人が優秀であることを証明するのは一つの手です。大岡信さんだってそうしておられたではないですか。

 

 

りょん 詩誌時評 『No.019 現代詩手帖 2017年6月号』 ■

 

 

第05金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

 

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