斎藤都さんの文芸誌時評 専門文芸誌『詩誌について』をアップしましたぁ。文学金魚サイトの改編に伴う齋藤都御大の『詩誌について』総論です。齋藤さんは日本の紙媒体の詩誌について厳しいことを書いておられますが、石川もほぼ同感だなぁ。ある雑誌を〝世界〟として捉え、そればっか見ていれば毎月なんかの事件は起こっています。だけど世界の視点を上にあげれば視界は変わってくる。日本の詩には短歌、俳句、自由詩の3つがあるわけですが、この3ジャンルに限っても、最も低調で復活の兆しが見えないのが自由詩です。特に自由詩は現代詩の時代には詩の花形だったわけで、その凋落がなお痛ましい。

 

ものすごく余計なことを書けば、最近の自由詩で話題になったのは和合亮一さんの震災詩ですが、石川は少なくとも和合さんの震災詩に、時事ネタを超える力を感じられませんでした。また若い詩人のスターは最果タヒさんです。この方は詩人としてだけでなく小説家としても間違いなく力がある。しかしそのスター性は最果さん一人のものであり、彼女の〝大人はわかってくれない系〟の作品が今後どういう展開を見せるのかも彼女一人の問題です。もち石川は最果さんに期待していますが、彼女が優秀だからと言ってほかの若い女性詩人たちも優秀だとは言えない。ジャーナリズムが最果さんを中心に女性詩ブームを作ろうとしても、難しいだろうなと石川は見ています。

 

もっと余計なことを書けば、文学状況は基本的に男の作家たちが頑張らなければ盛り上がらない。必ずしも生物学的性差を言っているわけではありません。小原眞紀子さんが『文学とセクシュアリティ』で論じたように、人間は生物学的性差に関わらず男性的ベクトルと女性的ベクトルを持っている。ほとんど無駄に近く荒唐無稽とも言えるような高い観念を作り上げる力は男性的ベクトルに属しており、それが時代時代にある観念的共通パラダイムを生み出す。それがシステム化されると法律とか文壇とか現代詩になる。そしてシステムがスタティックになり疲弊し始めると、女性性ベクトルがそれに揺さぶをかけ始める。女性性ベクトルは既存のシステムをスルリと抜けて骨なしにしてゆく力でもあります。

 

さらに余計なことを書けば、現状、どの業界でも男たちが威張っております(爆)。文学の世界でも自由詩の世界でもそれは同じ。大きな組織とかで頂点に立とうと争ってるのは男たちが多い。ただ指導的立場に立つには、唖然とするような、人によってはバッカじゃないのと笑うような高い観念が必要です。鮎川信夫や吉本隆明はそういった力を持っていた。現実の社会的地位とは別に、自由詩の世界には指導的立場にあり尊敬される詩人たちがいたのです。観念のシステム化は結果に過ぎない。ほんで女性(的な作家)はシステムを横目で見ながら、『アホらし』と呟いて、スルリと自分だけおいしい場所に抜けようとする。スルリと抜けようとする抜け駆け作家は多いですが、真正面から時代の軸を作ろうとする作家がいないのが今の自由詩の世界です。世の中、男性と女性(性)のバランスで成り立っているのでありますぅ。

 

 

斎藤都 文芸誌時評 専門文芸誌 『詩誌について』 ■

 

 

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