会社ではコワモテオバサンでとおってますけど、アテクシだって涙腺は弱い方なのよ。だから大衆文学が好きなのよねぇ。ただまー、オバサンって露骨に正直なの。アテクシの古い女友達にTっていう声楽家がいるんですが、もう大昔のお話で恐縮ですが、彼女といっしょに宮崎駿先生の『風の谷のナウシカ』を見にいったのよ。でんぐり返しするくらいビックリしたんですが、彼女、わぁわぁ泣くわけ。「なぜおまいは虫との友情に感情移入できるのだ?」とアテクシは聞いたんですが、「まぁぁぁぁぁっ、なんてこと言うのよっ、あなたには人の心がわからないのよ」と、おスパを食べながらさんざん説教されましたわ。アテクシもほろっとしたんですが、そばで大泣きされると人間って引くわね。

 

 ただまーオバサンって一筋縄じゃいかないの。これも古い話ですが、Tさんとスピルバーグ大先生の『ET』も見にいったわね。お約束通り、ちょっとあんただいじょうぶ、頭おかしくなったんぢゃない?ってくらい、映画観ながら泣くわけでござーます。そんで映画館を出ると『あーつまんなかった』ってのたまわったのですわ。『あんた、大泣きしてたじゃないの』と言うと、『だって泣かせるための映画なのよ、泣かなきゃ元取れないじゃない』と言い放ちましたわね。彼女の中では泣くことも資本主義的エンターテイメントの一つなのよねぇ。そのくせアテクシと違って純文学好きで、一時期中上健次にはまっていて、今は西村賢太先生の大ファンですから人間の心って複雑だわぁ。

 

 大衆文学読んでうたうた泣いて、読み終わって「まーこんなもんよね」と思ったりするわけですから、アテクシもT嬢と五十歩百歩なわけですが、日本のウエットな抒情にひたるのってけっこう快感なのよねぇ。なんて表現したらいいのかちょっとわかんないけど、日本のお涙ちょうだいモノって、袖引かれる感じなの。道歩いてて「ちょっとちょっと」って引っ張られて、感動的な光景や悲しい場面を見せられる感じね。いっしょになってわぁわぁ泣いたりするわけですが、突き放した諦念みたいなものはないわね。強制感情移入なのよ。

 

 2002年の日韓ワールドカップの時に、FIFA公認世界ランキング最弱王決定戦が行われたのね。『アザー・ファイナル』っていうドキュメンタリーにまとめられてアテクシはBBCで見たんですが、これがよかったのよ。ブータンvsモントセラト(カリブ海の島国ね)だったんですが、モントセラト・チームがインドでトランジットしてる時にカレー食べて食中毒になったりして、まー大変でしたの。太ったブータンの女医さんが一生懸命モントセラト・チームの治療に当たってたんですが、「どっちが勝つと思います?」と聞かれると「ブータンに決まってる」と答えたりしてたわね。

 

 『アザー・ファイナル』っていうドキュメンタリーでは、さまざまなエピソード、というか予期せぬ小事件が起こって場面が変わるたびに、青空に蹴り上げられたサッカーボールが写るの。それがこのドキュメンタリーの〝視点〟をはっきり示していましたわね。空から地球上の人間たちの営為を見つめているようなカメラの視点よ。ウエットなところがぜんぜんないの。「笑われると思うけど、僕はアーセナルでプレイしたいんだ」と真顔で語るブータンのエース・ストライカー、客席は満員で真剣勝負なのに野良犬がまぎれ込んで来るサッカー場、世界最下位決定戦が終わって「すごいねぇ」とか言いながら、ブラジル対ドイツのW杯決勝戦を見るブータンとモントセラの選手たちが淡々と映し出されますの。

 

 それ見ながら、やっぱ神様のいる文化圏って、こういう視点になるんだなーってつくづく思いましたわ。感動的なんですけど、どこか突き放してるのね。アメリカドラマなんかもそうですけど、残酷さまで含めて抒情がジワッと心に染み込んでくるような感じよ。スピルバーグ監督の子供が主人公の映画だって、母子家庭のさみしい子供が見る夢っていう視点があるでしょ。宇宙人が現れたって、そこで物語がドメスティックに完結する感じじゃないわ。もう一段高い視点が設定されてるの。それはそれで素敵なのよ。だけど日本にいると、ちょっとじめっとした抒情にどっぷりつかりたくなるわねぇ。藤山寛美(古っ!)的抒情に近いかしら。

 

 ここに店を移して十五年になります。

 なぜこんなところに、とみなさんおっしゃいますが、私は気に入っておりまして。一人で切りもりできて、お客さまをお待たせしない店が理想でしたのでね。なによりほら、この鏡です。初めての方はたいてい喜んでくださいます。鏡を置く場所も大きさも、そりゃあもう、工夫しました。

(萩原浩「海の見える理髪店」)

 

 今号は第155回直木発表号で、萩原浩先生が受賞なさいました。先生、おめでとうございます。「海の見える理髪店」短篇集で受賞なさったわけですが、表題作と「いつか来た道」、「成人式」の三篇が今号に掲載されております。正直言って「海の見える理髪店」は、先生のお作品の中で最上とは言えない気がしますが、直木賞の場合はそれはあんまり関係ないわね。大衆作家様は、安定して読者を楽しませることができるお作品の量産が最も評価されるわけですから、直木賞は一種の功労賞みたいなものね。萩原先生も渡辺謙さん主演映画『明日の記憶』の原作など、すでに数々のヒット作をお持ちですわ。

 

 「海の見える理髪店」は、文字通り海の見える理髪店に散髪に行った若いグラフィックデザイナーと、年老いた店主のお話です。辺鄙な場所にあるのですが、ネットなどで話題になり、物珍しさもあってポツポツお客さんがやってくるのです。物語の大半は店主のモノローグ的な昔話です。おしゃべりな店主ですが、店主の家は元は東京の下町で代々床屋を営んでいて、父親から「話術も床屋の腕のひとつだと教えられた」のでした。浅田次郎先生などもお得意となさっているモノローグ小説ですわ。

 

 落ち着いた海の見える理髪店を営んでいますが、波瀾万丈な人生を送った店主なのです。高度経済成長の波に乗って下町から銀座にまで進出して、それなりに手広く店を経営したこともありました。ただ右腕と頼んだ従業員が独立したいと言いだし、酔っていたこともあり、彼をアイロンで殴って殺してしまったという驚くべき過去もあります。過失致死で服役している間に、男の子を一人もうけた二度目の妻とは離婚しました。もうここまで書けば、勘のいい方はストーリー展開がお分かりですね。

 

 鏡にこだわったのには、わけがあります。お客さまに海を眺めていただける、なんて口実で、その鏡、本当は私自身のためなんです。

 床屋は大きな鏡の前に立つ仕事です。お客さまに常に姿を見られる商売です。それがつらかったんです。海をずっと見ていただければ、私の顔には気をとめないだろう。そう考えまして、私の顔など誰も覚えちゃあいない、そう思いつつ、いつか誰かに、お前は人殺しだろう、と指さされるのが恐ろしくて。

(同)

 

 ずいぶん込み入った話までしていますが、店主は「いつもじゃありませんよ。こんなことまでお話ししたのは、お客さまが初めてです」と言います。鏡ごしにしか話せない事柄があり、鏡ごしにしか交流できない人間たちがいるということですわ。それがこのお作品の抒情を際立たせているのです。後はお作品を実際にお読みになってお確かめあれ。

 

 物語のオチを書かないのは、もちろんアテクシの資本主義者としての礼節よ。資本主義エンタメでは、まずうんと楽しむことが大事なの。お作品の評価は、ジーンと感動したり泣いちゃったりした後に決まるのですわ。ベタな感動の後に残るモノがあるかどうかってことですわね。資本主義的享楽者はコンシューマーですけど、消費以上のなにかを求める贅沢者でもあるの。

佐藤知恵子

 

 

 

 

■ 萩原浩さんの本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■