八月号の巻頭は重松清先生の『残照』よ。重松先生は一時期イジメ小説ですんごくよく読まれましたわね(今でもそうでしょうけど)。中学受験なんかの国語問題に、『青い鳥』や『きみの友だち』なんかが頻出したのよ。一頃にくらべて子供が本を読まなくなったのは当然のことですわ。だって読書以外の楽しみがとってもたくさんあるんですもの。しかもそのクオリティがすんごく高いとなれば、本離れが進むのは当たり前よ。

 

 でもお受験となれば話は別よね。子供が小さいうちに、必要十分な国語力を身につけなければならないのも当然のことですわ。将来、科学やIT、映像の世界に進むにせよ、基本となるのは言語能力ですもの。また昔の道徳教育みたいな強制力はないですけど、子供時代に一定の社会倫理を知っておくことは大事よね。重松先生のイジメ小説にはそういった効果があるの。

 

 アテクシの会社でも、お受験を控えた子供を持つ同僚が、「あのー知恵子先生様、ウチのかわいくて頭のいい子に、ダメ押しで志望校に合格するために、どんな本を読ませたらよろしいのでございますでしょーか」って相談に来ることがあるのよ。アテクシはエクセルをプリントアウトして「ほれ、もっていきなはれ」と大阪弁で渡すの。ちゃんと読書リストを作ってるところが知恵子様だわぁ。そのリストでは重松先生のお作品は定番上位ね。

 

 アテクシはイジメを含む社会学の専門家ではござーませんけど、人間って差別というか格差を好む動物だとは思いますわぁ。簡単に言うと〝自分は人とは違う〟って思わないと生きていけないところがあるのよね。それがちょっとした攻撃性になってツイッターなんかに溢れちゃったりするわけですが、大局的に見ればそんなに独創的な意見が表現されてるわけじゃないわね。右でも左でも似たような意見がおおござーますが、一番のポイントは〝俺が・わたしがこう言ってる〟という勢いよね。それはそれで一つの通過儀礼でしょうけど、いい年して、いつまでもそんなこと言ってる人はちょっと問題あるかもですわ。ある統計では、SNSで匿名で毒を吐きまくっている人は四十代以上が多いそうよ。そりゃそうよね。ティーンは社会問題全般に嘴を突っ込むほどヒマじゃないわ。

 

 会社でも子供のようなイジメはあるみたいですけど、大人社会に属する人の大多数は、そう安易に白黒決着をつけなくなるわね。相手の立場とか、背負って立って逃れられない社会的仕組みが見えちゃうからよ。にも関わらず本気で意見を求められた時には「じゃあ言うけど」と自分の意見を言うようになるわ。だけどそれだって何回も繰り返したりしないわ。仏の顔も三度までって、よく出来た格言だと思いますけど、三回言って改善されなければ、同僚だろうと黙って見捨てるわね。

 

 大人の世界では、身内や見知らぬ他人にわーわー不満を洩らす人より、そういった沈黙で結果を示す人の方が怖いのよ。確かにわーわー騒いで助けてもらえることも稀にあるけど、たいていは無理ね。また大騒ぎを二回起こしたら、間違いなく騒動を主張する人に問題があるって思われるわね。大人の世界で個性を主張できるのは、残酷だけど弱者じゃないわ。本当に力のある人だけよ。社会システムを踏まえて、その上で個性的な能力を発揮できる人ってことね。沈黙のルールの方が怖いしいろんな意味で本質的なのよ。

 

 あの日の朝のことはよく覚えている。郵便受けから新聞を取ってきた母は、家族で最初に写真を見た。次に、私。食卓に新聞を広げたまま急に黙り込んだ母に「どうしたの?」と声をかけて、新聞を覗き込んだ瞬間、顔から血の気がひいた。

 父は冷静だった。写真を見て、記事を読み、「まいったなぁ・・・・・・」と舌打ち交じりにつぶやいただけで、感情をあらわにするようなことはなかった。(中略)

 その後もずっと、家族みんな――母も私も、大学に合格してから初めて知らされた姉も、決して話題に出さなかった。話すのはもちろん、思い出すことさえ、嫌だった。

 それでいい。最後の最後まで、「なかったこと」のままでよかったのだ、ほんとうに。

 けれど、思いだしてしまった。記憶の底から何十年もへて浮かび上がってきた苦しみは、もう消えそうにない。

 私にできるのは、その苦しみを一人で背負い、父との最後の時間を静かに過ごしている母と姉の心を乱さないことだけだった。

(重松清「残照」)

 

 「残照」の主人公は、もう亡くなるばかりの危篤の父を見守る私です。父親は地元の運送会社に勤務していて、長年渉外課の責任者でした。トラックのドライバーが積荷事故や人身事故を起こした際に、会社を代表して被害者に謝りにゆく辛い仕事です。ある時、中村というドライバーが、飲酒の上の人身事故で山本という働き盛りの男をひき殺してしまいます。中村もまた即死でした。主人公の父は業務として被害者の山本の葬儀に出かけます。焼香も香典も拒否され、激した遺族らから「土下座をして詫びろ」と迫られます。粛々と土下座したところを地元新聞の瀬戸新報に写真を撮られ、それが翌日の紙面に載ったのです。

 

 それは母親はもちろん、思春期を迎えていた私にとっても大きなショックでした。父親が事故を起こしたわけではない、業務として謝りに行っただけだとは言えます。また今より労働管理が甘かったその時代、ドライバーの中村は、酒を飲んで仮眠の眠りを深くしようとして、急に仕事に引っ張り出されて事故を起こしてしまったのだという、通らないけど言い訳のようなものもある。彼だって事故を起こしたくて起こしたわけじゃない。だけど誰かが責任をとり、誰かが謝らなければならない。父親は記事を見ても「まいったなぁ」としか言わなかった。その気持ちが分かる年と立場に主人公はなっています。

 

 主人公はある自動車メーカーに勤めていますが、開発部の走行データの改竄が明るみに出て、会社は存続の危機に瀕しています。私は会社を代表して、売上が伸び悩み、統廃合が噂される全国のディーラーを事情説明に飛び回っています。データ改竄は、会社の一部門が独断でやった虚偽報告です。その影響は社内はもちろん、全国販売店にまで及んでいます。しかし責任を取れと開発部に言ったところで事態は改善しない。主人公もまた、父親と同じ苦しい立場に置かれているのです。

 

 もう忘れかけていた小事件を思い出したのは、叔父が、兄貴が亡くなったら、新聞に死亡広告を出さなきゃならんなぁと言ったからでした。私の家では父の土下座写真が載った日から瀬戸新報の購読をやめていました。しかし叔父は「向こうだって仕事だったんだ、しかたない」と言って、地元で一番読まれている瀬戸新報に死亡広告を出すことを決めてしまいます。「残照」では誰もが社会的なコードに縛られている。しかし父親の死に際して、「なかったこと」にしたい出来事は、やはりある解決を見なければならないのです。

 

 「支店長さんのせいじゃないのは、母もわかっていたんだと思うんです。でも、とにかく、あまりにも突然のことでしたから」

 参列席に座った田辺さんが言う。隣の席に腰かけた私は、首を横に振って「父にも責任はあったんだと思います」と返す。(中略)

 「でも・・・・・・土下座まではやりすぎだったと思います、やっぱり」

 田辺さんはそう言って、「母のために一つだけ言わせてください」と続けた。

 土下座は、奥さんの望みではなかった。父の前に立ちはだかって本堂への行く手をふさいだ山本さんの学生時代の友人たちが、悲しみと怒りが激するままに、口にしたのだ。(中略)

 「トラックの運転手さんにも、家族がいたんですよね」

 「ええ・・・・・・奥さんと、男の子が二人」

 「再婚なさったんでしょうか、奥さん」

 なにも聞いていない。父は知っていたのだろうか。父にも、その後の消息はわからないままだったのだろうか。

 父が笑う。動かない笑顔が、私をゆるしてくれる。

 「幸せに暮らしていると聞きました」

 私の言葉に、田辺さんは安堵したように大きく息をついて、立ち上がった。

(同)

 

 父親の葬儀に、田辺という女性が焼香に訪れます。主人公が声をかけると、結婚して姓が変わっていますが、中村ドライバーにひき殺された山本さんの娘でした。彼女は彼女で、主人公の父親に土下座までさせてしまったことに、割り切れない思いを抱き続けていたのでした。彼女は当時の自分や母親の思いを改めて語ったあと、父親を殺したドライバー中村の、家族のことも案じる言葉を残して去ってゆきます。

 

 重松先生のお作品では誰もが優しいですわ。それは本当に実に優しい心をお持ちの作家様の理想世界の表現です。それは現実の厳しい世界に生きるわたしたちの心を癒してくれます。ただ重松先生のお作品には、どこか突き抜けない、籠もるようなわだかまりが残るのも確かですわ。それが先生のお作品の魅力でもあるのですが。

 

 わたしたちは、私のような社会システムの下っ端にいるサラリーマンでも、日々「お話はよくわかります。でもご期待にはお応えできません」と言って、後は沈黙しているのでございます。確かに世の中にはっきり悪いという人は少ないです。みなさんどちらかと言うといい人です。だけどどうしても対立してしまうことがある。恨まれても仕方のない場合がある。重松先生のファンタジーで癒されても、私たちの世界はあまり変わりようがないとも思いますわ。

佐藤知恵子

 

 

 

 

■ 重松清さんの本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■