鶴山裕司さんの文芸評論『No.002 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(中)』をアップしましたぁ。福島泰樹インタビュー『定型の中で自由であり続けること-短歌絶叫と挽歌』のインタビュアー鶴山さんの、福島文学についてのレジュメ的評論です。福島文学の挽歌の特徴を考察しておられます。

 

 福島は「七〇年代挽歌宣言」をして、現在に至るまで挽歌を詠む歌人である。その表現基盤が確立されたのが七〇年代初頭だった。そこにはもはや〝われわれ〟と呼ぶべき連帯はないという認識がある。〝われわれ〟とは〝われ〟と〝他者〟の直接交流によって生み出される精神の共同体だが、そんな紐帯は存在しないのである。それは一義的には七〇年安保闘争の敗北によって生じたものである。しかし福島は文学者だ。安保闘争の最中に掴んだ精神の〝高嶺〟を、どのように維持するのかが最大のアポリアである。現実社会で〝われ〟と〝他者〟を結びつける状況が霧散してしまった以上、それはより内向的なものに――つまり〝生者〟が〝死者〟の不変の精神を共有することにならざるを得ない。それにより、現実社会状況に左右されない〝われわれ〟の精神的共同体を実現できるというのが福島の思想である。

(鶴山裕司『No.002 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(中)』)

 

鶴山さんはまた、『戦後思想は本質的に独立不羈の精神である。(中略)決して社会の大勢に靡かないという意味で、それは広義の反体制・反権力思想だった。(中略)福島らの戦後の青年たちは政治闘争に明け暮れたが、鮎川ら従軍経験のある詩人たちは六〇年、七〇年安保闘争を静観した。(中略)鮎川らは福島が七〇年代になって見出す「挽歌の時代」を先取りしていたのだと言っていい。鮎川もまた死者にこだわった詩人だった』と批評しておられます。下編は明日アップします。

 

 

鶴山裕司 文芸評論『No.002 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(中)』 ■

 

 

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