萩野篤人 文芸誌批評 萩野篤人 文芸誌批評 No.012 上田岳弘「ノー・ファンタジー」(すばる2025年9月号)、連載小説『春の墓標』(第17回 最終回)、連載評論『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』(第06回 最終回)をアップしましたぁ。小説『春の墓標』と評論『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』は今回で最終回です。お疲れさまでした。
お前の〝思ひ出〟など何もありはせんってことか。言われるまでもない。実の父親をクソ呼ばわりしロクに面倒も看ず、一度は首に手をかけようとしたオレだ。あげくのはてに、わずか一年足らずで死へ追いやった負債はまだ清算していない。わかってるさ。ただ言っておくが、オレはあんたに負い目はあっても悔いているわけじゃない。同じ状況に置かれたら幾度だって同じことをくり返すだろう。それにしたって、いったい何してたんだ。オレの痕跡を注意深くこの家から取り除けていたのはなぜなんだ。遺品整理をはじめれば、いずれお前はこの白紙のアルバムを見つけ出すだろうってか。わざわざこんな手の込んだ仕掛けをいつやったんだ。本物の病人だった? そういえば家に戻ってきた時、毎晩のように懸垂していたよな。二階への階段を駆けるように上がっていたな。あんたってホントは何者だったんだ。〝アツヒト〟っていうヤツはどこの誰なんだ。いやそれは、むしろあんたの問いだったのか。
頭が弧を描くように旋回しはじめた。それまでぼくを取り巻いていたはずの世界が、ことごとく砂礫のように滑落していった。混濁したぼくの頭は斥力も重力も失った落葉のようにひらひらと舞った。舞いながら窓の外へ出た。ぼくは色のない世界へ没していった。
萩野篤人『春の墓標』
お父さんの死後、実家を処分するために書類等を整理しているとアルバムが出て来た。30冊ほどもあり几帳面にメモまで添えて整理してあった。ところが主人公の写真が一枚もない。そんなバカなと亡父の書斎を探しまくると「アツヒトの思ひ出」と背表紙に油性マジックで書かれたアルバムが見つかった。ドキドキして開いて見ると白紙で一枚も写真が貼ってなかった。
小説として非常に優れた大団円だと思います。〝アツヒト〟は白紙。父親を自宅介護して最期を看取った孝行息子で、母親の突然死にも妹の障碍にもなんの責任もないのに生きている間は奇妙な重石がのしかかる。〝亡霊の声〟。それは音楽のようでもあり匂のようでもある。人は生まれいつか死ぬ。死ぬ前に自己と亡霊のために白紙は埋めなくてはなりませんね。
■萩野篤人 文芸誌批評 萩野篤人 文芸誌批評 No.012 上田岳弘「ノー・ファンタジー」(すばる2025年9月号)■
■萩野篤人 連載小説『春の墓標』(第17回 最終回)縦書版■
■萩野篤人 連載小説『春の墓標』(第17回 最終回)横書版■
■萩野篤人 連載評論『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』(第06回 最終回)縦書版■
■萩野篤人 連載評論『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』(第06回 最終回)横書版■
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