ボッティチェリ展

於・東京都美術館

会期=2016/01/16~04/03

入館料=1600円(一般)

カタログ=2400

 

 

美術展時評_No.057_05

 

 

 今回の『ボッティチェリ』展では、ボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピの作品から、リッピの息子でボッティチェリの弟子となり、独立してからはボッティチェリをしのぐ評価を得るようになったフィリッピーノ・リッピの作品なども展示されていた。いわばボッティチェリを中心に初期ルネサンス絵画を概覧できる展覧会だった。リッピ親子の作品をまとめて日本で見ることができる機会も滅多にないのだ。特に短身で丸みを帯びた人物造形をするリッピ父の作風は、東方教会のイコンを想起させる独特のものである。

 

美術展時評_No.057_06

フィリッポ・リッピ『聖母子と天使たちおよび聖人たちと寄進者』

一四三五-三七年頃 テンペラ/板 縦四七・一×横三六センチ ヴェネツィア、チーニ邸美術館(ジョルジョ・チーニ財団)蔵

 

 東方教会の影響は、もちろんボッティチェリ作品にも見られる。初期ルネサンス絵画の特徴だと言ってもいいだろう。ヨーロッパ文化は言うまでもなく、神を頂点としたピラミッド型の世界観を持っている。緻密な論理で構成される神学が哲学を生み、それが建築物はもちろん絵画や彫刻などにも影響を与えていったのである。盛期ルネサンス絵画にはほぼ完璧な神的秩序がある。画面全体が神の秩序で統一されているのだ。しかし初期ルネサンス絵画は少し違う。

 

 高度に洗練されているが、初期ルネサンス絵画――特にボッティチェリ作品には様々な事物が描き込まれており、かつそれぞれが独自の存在感を持っている。盛期ルネサンス絵画のように、一つの秩序によって画面の各部分が統御されているのではなく、個性的な部分が集まって全体で秩序を構成しているのだ。東方教会あるいはビザンティン文化の影響はその表象である。

 

 わたしたちは簡単にヨーロッパ文化の源泉はギリシャ・ローマ文化だと言う。確かにそうなのだが、古代ギリシャはキリスト教ではない異教文化だった。ローマはキリスト教を国教に定めたが、東方世界の思想や風習が色濃く残った社会でもあった。このギリシャ・ローマ異教文化は、長い時間をかけてじょじょにキリスト教化されていった。ダンテは『神曲』(十四世紀初頭成立)でいわばギリシャ・ローマ文化とキリスト教文化を統合した。プラトンの東方神秘主義思想だとも捉えられる哲学がラテン語に翻訳され、イデアが神に置き換わって神学が発展してゆくのも中世である。

 

 ボッティチェリの時代、知識人たちによる自らの文化の源であるギリシャ・ローマ文化の再発見・再評価が盛んだった。画家たちは発掘調査などで見出された絵画や彫刻を含め、その成果を積極的に作品に取り入れていった。ただこの時代、東方異教文化は完全にキリスト教文化に消化されていなかった。それらは神秘的でエキゾチックな魅力を持ったまま、キリスト教的秩序にはめ込まれていた。それが唯一の秩序で統一された絵画ではなく、群像が集合して一つの秩序を構成するような初期ルネサンス絵画を生み出している。

 

美術展時評_No.057_07

ボッティチェリと工房『聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル』

一四八五年頃 テンペラ/板(カンヴァスに移し替え) 直径一一五センチ フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵

 

 工房作だが、最もボッティチェリらしい特徴を持つ絵の一つである。中心に聖母子が描かれ、その横で右手をあげているのが洗礼者ヨハネである。ヨハネの後ろに大天使ミカエル、右側で胸に手をあてているのが大天使ガブリエルである。幼子イエスの視線は右上に伸び、マリアと大天使ミカエルは正面を向いているが、見つめる先は微妙にズレている。洗礼者ヨハネの視線はうつむき加減に右下で、大天使ガブリエルの視線は左斜めに向かっている。イエスとマリアの手がX字型の交差線になっていて、それが円形の画面(トンドと呼ばれるボッティチェリ時代に流行した形)を引き締めているが、各人物の姿勢も視線もバラバラである。しかしそれがボッティチェリ独自と言っていい画面構成を作り出している。

 

 日本にはこのようなボッティチェリ絵画に影響を受けた画家が不思議と多い。すぐに有本利夫や瓜南直子の作品が思い浮かぶ。また片山健の初期鉛筆画もそうだ。片山は「ボッティチェリの絵の中の人物の視線が決して交わらない理由がわかった時、絵というものを理解した」と言っている。それは最もヨーロッパ的な絵画の端緒に位置するはずのボッティチェリの絵画に、東洋的聖性が流れ込んでいることを示している。ボッティチェリの代表作『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェーラ)』も同じ手法で構成されているが、この二作はギリシャ・ローマ文化をキリスト教文化に習合・昇華した作品である。ギリシャ・ローマ文化が異和を残したままキリスト教的秩序に取り込まれているので、強烈な個性を発揮する部分によって全体が形作られるのである。

 

美術展時評_No.057_08

【参考図版】ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』

一四八二年頃 テンペラ 縦二〇三×横三一四センチ フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵

 

 うんと素朴な感想を言えば、ボッティチェリ展の会場を巡りながら、僕はルネサンスはなんて遠い世界なんだろうと思った。十九世紀半ばの近代まで、ヨーロッパと東洋は地理的にも精神的にも遠く離れた世界だった。その実態を知っている人などほんの一握りしかいなかった。絢爛豪華で明確な意味を持ち、神を頂点とした論理的序列を示すキリスト教美術は、東洋の人間にとっては驚異であると同時に強烈な異和でもある。その土台を作ったのがボッティチェリに代表される初期ルネサンスの画家たちである。ただその後のヨーロッパキリスト教絵画の土台になったボッティチェリ作品は、よく見れば、これもヨーロッパ文化の大きな特徴である、東洋を中心とする異文化の習合である。

 

 ヨーロッパ文化の偉大さは、キリスト教思想を基幹に据えながら、そこに様々な外来異文化を取り込んでいった点にある。それによりヨーロッパは文化基盤を活性化してきた。ボッティチェリは今では押しも押されぬ初期ルネサンスを代表する画家だが、その評価が定まったのは近代に入ってからだ。まずヨーロッパ人自身が、ボッティチェリがヨーロッパ絵画の基盤であると同時に、ギリシャ・ローマ文化を習合した多面的作家だということに気づいた。まただからこそ有本利夫らの画家たちが、ルネサンスとは時間も場所も遠く隔たって現代日本で、ボッティチェリを強く想起させるがキリスト教とは直接関係のない、アルカイックで孤独な聖像を創作し得たのである。

 

 残されたボッティチェリの作品を見ると、この画家は崇高な精神を持った孤高の画家だったように思えてくる。しかし実際は違う。兄・ジョヴァンニは宴席に出かけては暴飲暴食して太っていたためボッティチェロ(小さな樽)とあだ名されたが、その弟なので彼はボッティチェリと呼ばれるようになった。ボッティチェリも兄に似たところがあったのだろう。陽気な人で、悪戯や冗談を好んだと伝えられる。また晩年は清貧を説くドミニコ会修道士、ジローラモ・サヴォナローラに帰依して華美な絵を描かなくなった。そのため亡くなった時には借財ばかりが残り、ボッティチェリの遺族は遺産相続を放棄している。彼もまた市場で飯を食い糞をした人間の一人である。ある作家を天才と呼んで敬意を表するのは良いことだが、それは人を判断停止の怠惰な精神に導きかねない。いつの時代でも優れた芸術家の作品はその精神の最良の部分であり、矛盾し混乱した実人生の上位にあるだけのことである。(了)

山本俊則

 

 

 

 

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