純文学エンターテイメント作家、遠藤徹さんの連載小説『ゆめのかよひじ』(第06回)をアップしましたぁ。『リレーの練習』の章です。01回文学金魚大学校セミナーの『わたしたちの小説作法』で、遠藤さんは自動筆記的な小説の書き方をしているとお話しされました。ただ遠藤さんの自動筆記は、シュルレアリストらが多用したエクリチュール・オートマティズムとはちょっと質が違います。

 

 あたしはそのときはじめてきがついたのですが、あたしのなかにはすごいりょうのあつくてくろいものがあふれているようなのです。かざんみたいに、それがそとにでようとしてあたしのなかでふっとうしているのです。がっこうで、「みんなだいきらい」とさけんだとき、そしていまかなさんにひどいことをいったとき、それはまさにふっとうしたくろいものがあふれだしたのでした。

 だっ、とかなさんははしりさっていきました。なにかたいせつなものをなくしたんだって、あたしはきがつきました。でもどうしようもありません。

 「あたしじゃない。あたしのせいじゃない」

 ってあたしはおおきなこえでいいました。

 「わるくない。あたし、ぜんぜんわるくない」

 ってさけびました。

(遠藤徹『ゆめのかよひじ』)

 

シュルレアリズムの自動筆記は、ある意味ポスト・モダン文学の先駆けでした。アンドレ・ブルトンが当時フランスに紹介されたばかりのフロイト心理学を文学に援用したことはよく知られています。ブルトン的自動筆記は人間の無意識(今なら完全な〝無〟意識ではなく、前意識と呼ばれるでしょうね)を記述するための方法でした。またそこには19世紀的な作家性、つまり作家の全能性を否定し、超克しようという意図もありました。初期ブルトンが共著で自動筆記作品を書いているのは、特権的作家主体の抹消の意図でもあったわけです。

 

これに対して遠藤さんの自動筆記は憑依的です。『ゆめのかよひじ』がなぜ全編平仮名表記なのかと言えば、もちろん主人公の女の子がまだ漢字を知らないからです。でも三人称一視点小説にすれば、漢字交じり平仮名文で小説を書いても不自然ではありません。あえて全部平仮名にしているのは、遠藤さんの作家主体が希薄化して、主人公の女の子に憑依しているからです。この憑依をベースにしてエクリチュールが半ば自動筆記的に綴られてゆく。いわば憑依的自動筆記小説です。こんな作家さん、多分いませんね。得難いお方です。

 

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第06回) pdf版 ■

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第06回) テキスト版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

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