角川俳句_No.021_01

 

 

 「角川短歌」十一月号は第61回角川短歌賞発表号です。このところ毎年新人賞の発表が楽しみです。優れた新人が多く短歌界が活況を呈している証拠です。ただ新人賞の決定システムはメディアや文学ジャンルによって異なります。ちょっと角川短歌新人賞の選考システムをおさらいしておきましょう。俳句や自由詩や小説メディアに関わっている方の参考になるかもしれません。

 

 角川短歌賞の選考委員の先生方は四人です。小池光さんは歌誌「短歌人」の元編集人です。島田修三さんは窪田空穂主宰・窪田章一郎発行編集で始まった歴史ある歌誌「まひる野」の運営委員です。米川千嘉子さんは馬場あきこさん主宰の歌誌「かりん」編集委員で東直子さんは岡井隆さん主宰の「未来短歌会」を経て歌人集団「かばん」の同人となりました。歌壇や俳壇では結社・同人誌や緩い同人として結ばれた歌人・俳人集団のいずれかに所属しているのが普通です(無所属の方もたくさんいらっしゃいます)。兄弟・姉妹結社まで言い出すときりがありませんが角川短歌新人賞ではできるだけ多彩な顔ぶれの選考委員の先生方が選ばれています。

 

 この四人の選考委員の先生方が三十五篇の最終候補作から五作品選んでおられます。最も優れている作品に◎をつけその他の優秀作に○をつけるという方法です。各選考委員がどの作品を選んだのかはすべて公開されていてその数によって新人賞作品が選ばれています。情報公開されているのは最終候補者も同じで年齢や所属結社などが明記されています。今回候補者の所属結社と選考委員の先生のそれが重なった歌人は一人だけです。可能な限り公平な選考が為されておりこういったところにも歌壇活況の理由があるのかもしれません。

 

 少し驚いたのは佐佐木定綱さんが次席受賞になっていたことでした。定綱さんは言うまでもなく佐佐木幸綱さんのご子息です。なんらかの形で歌壇の大結社「心の花」に深く関わってゆかれるはずの歌人ですからこれは俳壇のように結社力学が働いたのかなと思ってしまいました。ただ作品を読んでそんな杞憂は吹き飛びました。佐佐木定綱さんは力のある歌人です。わたしが選考委員なら定綱さんの作品を新人賞に推したかもしれません。

 

考えることは言葉の奴隷だと考え運ぶ四月の辞書を

(右翼)(右翼)(リベラル)(左翼)くだらない思想本を売り生きながらえる

中指の腹をケガして心置きなく中指を突き立てている

渋谷まで電車に乗ってゆく我は十五分だけ年老いてゆく

週末を纏うことだけ考えて電車の中でよろこびは死ぬ

寝る前に障子についた虫潰す 生きていたあとしみとなりゆく

棚の前を細胞のように入れ替えて変化してゆく日々を生きよう

十年後存在しないかもしれない本と言葉と職種と我と

時間という檻の中に入れられて昔の自分がたまに見にくる

あいさつもお礼も謝罪も愛しあうことも予定に組み込まれており

生きてわかったことは人間は電信柱に激突もする

「シャンデリア まだ使えます」張り紙をされて夜道に眠る段ボール

自らの存在するを知りたくて夜中にキィキィブランコは鳴く

傷ついて眠れない夜は起きていて眠くなったら腕立て伏せを

くつしたのどちらを上にしたものかわからないけどそのうちかわく

(次席作品50首『シャンデリアまだ使えます』佐佐木定綱 より)

 

 お父様の幸綱さん譲りの〝益荒男ぶり〟ですがちょっと乱暴なほど内攻する怒りが感じ取れる連作です。「あいさつもお礼も謝罪も愛しあうことも予定に組み込まれており」にあるように先が見えない苛立ちが表現されています。それが「中指の腹をケガして心置きなく中指を突き立てている」といった社会に対する攻撃性として表れているのですがそれは先を見たいという強い願望の裏返しでもあります。だから「自らの存在するを知りたくて夜中にキィキィブランコは鳴く」という歌が生まれたりするわけです。ただ定綱さんにはそのとっかかりが見えておらず焦りと苛立ちが募ってしまう時期のようです。その乱暴さが歌の強い圧になっておりこの連作の魅力になっています。要するに鼻っ柱が強い。良いことです。

 

 ただ怒りと苛立ちだけで歌を書き続けてゆくことはできません。新人賞の応募規定は五十首ですが歌が単調になってしまっているのは否めません。「くつしたのどちらを上にしたものかわからないけどそのうちかわく」は連作最後の方に置かれた歌ですが〝なるようになる〟という感慨では作家はもちろん読者も納得しないでしょうね。「(右翼)(右翼)(リベラル)(左翼)くだらない思想本を売り生きながらえる」と言い切るならそれに代わる思想を自ら生み出さなければなりません。歌人である以上はそれを〝述志〟のレベルを超えた思想的表現にまで練り上げる必要があります。しかしこういった表現は一度は必要なのかもしれません。退路を断って高いレベルで仕事をしてゆくことにつながるからです。

 

アパートの脇に螺旋を描きつつ花冷えてゆく風の骨格

やわらかく世界に踏み入れるためのスニーカーには夜風の匂い

水流も銀の電車もひとすじのさくらのわきを流れるひかり

星屑を蹴散らしてゆく淋しさをひと晩で知り尽くす革靴

スニーカーひっくり返しきらきら星変奏曲の小石呼び出す

ウエハースの脆さを醸す文献の日焼けのページほぐしつつ読む

二階建ての数式が0へ着くまでのうつくしい銀河系のよりみち

公園のベンチはぬるく値下がりの苺のような時間をつぶす

おそらくは機械仕掛けの公園と思う時計も水の流れも

水底にさす木洩れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており

夕焼けの浸水のなか立ち尽くすピアノにほそき三脚の脚

ダンボール手でざくざくと切りひらき取り出す春の箱の内蔵

レモン二個分の眠りに落ちるころ排気音ひとつ夜を離れゆく

終電のあと駅舎はしんかんとして月面の遺跡の香り

合歓の木のもとに手放す未来あり金貨のように夏は流れて

(受賞作品50首『革靴とスニーカー』鈴木加茂太 より)

 

 新人賞を受賞されたのは二十一歳の鈴木加茂太さんで『革靴とスニーカー』連作には就職活動をしている学生の心の揺らぎが表現されています。次席の佐佐木定綱さんとは逆の気弱な心が詠まれているわけですがお二人とも社会に出て働くことに一種の嫌悪と徒労感を覚えておられるところが面白いですね。『革靴とスニーカー』ではスニーカーが自由の象徴として描かれ革靴がこれから直面するだろう社会人生活の味気なさの象徴となっています。「星屑を蹴散らしてゆく淋しさをひと晩で知り尽くす革靴」と「スニーカーひっくり返しきらきら星変奏曲の小石呼び出す」は対の歌ですが革靴は夢を壊しスニーカーは夢の名残のようです。

 

 鈴木さんは「受賞の言葉」で「幼いころからどこか夢見がちだった自分にとって、詩の空想の世界は、愛情や希望と同じくらい価値があると思えるものでした」と書いておられます。それは確かに作品からも感受できることで「合歓の木のもとに手放す未来あり金貨のように夏は流れて」などは白秋バリの美しい歌だと思います。修辞的には佐佐木さんよりも鈴木さんの方が完成度が高いでしょうね。ただこのような歌いぶりは抒情星菫派と紙一重です。鈴木さんは「僕はガラスの向こう側の世界に絶えず憧れを抱きながら、それでも日常生活の側に立って歌を作りつづけたい、と思っています」とも書いておられますが今のところガラスの向こうの空想世界の方に強く惹きつけられているようです。

 

 佐佐木さんにとって現在の苛立ちを抜けるのが難しいだろうように鈴木さんの現実世界と空想世界の両立もなかなか困難だろうと思います。鈴木さんの歌は日常生活を抒情言語で異化することで異彩を放っているのでありベクトルは空想世界に向かっています。歌人自ら述べている生来の資質から言えば所帯臭い生活ベースの歌は難しいでしょう。むしろ空想世界にどっぷり漬かる方が活路は見出しやすい。空想世界のリアリティによって生活を回復してゆく方法が求められるわけです。それを実現するには一段と高度な言語的修辞が必要になると思います。

 

 角川短歌ではいつものように佳作50首作品も掲載されています。碧野みちる、滝本賢太郎、ユキノ進さんの作品です。これらの作品を通読していると短歌界が口語短歌のさらに先へと進もうとしている気配が感じ取れます。生活実感を背負った歌が多いのです。新人賞を受賞された鈴木さんの連作にしても就職がはっきりとしたテーマです。

 

ゆびさしたほうにかならず星がある それだけがよく、それだけの日々 笹井宏之

おんがくの波の中からあらわれた私をひとり抱きしめてやる

一夜漬けされたあなたの世界史のなかのみじかい私

にんにくと夕焼け 創りたまへれば神の手うすく銀の毛そよぐ     水原紫苑

 

 十一月号では「歌を味わう」という特集も組まれており引用は髙野公彦さんが特集原稿としてお書きになった論考「言葉を統御する意志――鑑賞の前提として」にある短歌です。笹井宏之さんは寝たきりの難病生活の中で生まれた短歌をインターネット上の短歌サイトなどに発表して注目された歌人ですが二〇〇九年にお亡くなりになりました。水原紫苑さんは世代的には俵万智、穂村弘さんらと重なりますが新古典派と呼ばれる作風の歌人です。なんやかんや言って作家の実人生は作品解釈に影響するもので病気で夭折された笹井さんの歌については口ごもってしまうところがあるのですが典型的な口語短歌だと言っていいと思います。水原さんの歌も新古典派とは呼ばれますが世代というか時代的な影響を強く受けていると思います。

 

 口語短歌歌人の作風は様々ですが短歌である以上歌人の個の自我意識が表現の中心になります。口語短歌歌人は孤独な個の自我意識を自我を超えた大きな存在あるいは観念に結びつけて表現することが多い。笹井さんの場合で言えば「星」「おんがく」「世界史」と自我意識が対立し時に融和するわけです。水原さんの歌では自我意識が留まる「にんにくと夕焼け」の世界から超越的な「神の手」が透けて見える。これはこれで面白い表現なのですが短歌の世界は巨大観念と卑小な個に割れがちだった口語短歌的表現を統合しようとする方向に進んでいるのかもしれません。いっけんオーソドックスな生活短歌に新基軸を探ろうとするかのような新人選択だったと思います。

高嶋秋穂

 

 

 

 

■ 小池光、島田修三さんの本 ■

歌集 思川の岸辺 角川短歌叢書 帰去来の声―島田修三歌集 (まひる野叢書)

 

■ 米川千嘉子、東直子さんの本 ■

衝立の絵の乙女―米川千嘉子歌集 (角川短歌叢書―かりん叢書) 東直子集 (セレクション歌人 (26))

 

■ 笹井宏之、水原紫苑さんの本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■