角川俳句_No.020_01

 

 

 「角川短歌」十月号の特集は「写生がすべて」です。相子智恵さんは「正岡子規が洋画家・中村不折との交流によって絵画から取り入れた写生の概念は、短歌では斎藤茂吉に、俳句では高浜虚子に引き継がれた」(「消極的でいられる能力、あるいは開く能力」)と書いておられます。写生は元々は自然などを模写するヨーロッパ絵画技法の一つでありそれを子規が俳句・短歌に取り入れたわけです。ただ特集では「写生の名歌」「文語三十首」と「口語三十首」のアンソロジーも組まれています。現代になって大事な技法として認識される前から和歌(短歌)の世界には写生表現(技法)が存在していたことがわかります。

 

 くだくだとは説明しませんが『万葉』から『古今』『新古今』に至る和歌の歴史は人間の内面表現の高度化として捉えることができます。古代和歌では人間精神が現実風物に即して単純かつ大らかに表現されていました。王朝時代になるとそれが複雑に内面化された風物で表現されるようになります。『歌よみに与ふる書』が過激な紀貫之批判から始まっていることからもわかるように図式的に言えば子規は『古今』『新古今』の王朝和歌を退けて『万葉』への回帰を提唱しました。この方針が写生を中心にしたいわゆる〝万葉ぶり〟として伊藤左千夫から茂吉にいたる歌人たちに引き継がれていったのです。

 

 ただ子規がヨーロッパ絵画の写生から日本の伝統文学である俳句・短歌における写生の重要性に気づいたことはちょっと引っかかりますね。明治二十年代に青春時代を送った文学者にとってヨーロッパ文化は異和としてのカウンターカルチャーでした。子規はもちろん子供の頃は漢学者になろうと思って二松学舎に通った夏目漱石もヨーロッパ文化に衝撃を受けた一人です。子規写生理論は柄谷行人的に言えば「風景の(再)発見」です。内面化された東洋的南画からリアリズム重視のヨーロッパ的写生による「風景の(再)発見」ということになります。しかし事はそんなに単純ではないことは皆さんもうお気づきですよね。

 

 子規と漱石は非常に共通点の多い作家です。しかしその文学における表れは違う質のものとして現象することが多い。よく知られているように子規は晩年まで枕もとにスケッチ帳をおいて座辺の草花を写生しました。大半は文人画ではない純粋写生作品です。これに対しヨーロッパ的自我意識文学を日本で確立した漱石は南画を好みました。短歌・俳句という日本の伝統文学にたずさわった子規はヨーロッパ的写生絵画を好みヨーロッパ的自我意識文学者である漱石は東洋的南画を好んだわけです。これは同じ構造の違う表れです。子規の写生画は日本の伝統文学がヨーロッパ文学(文化)を必要としていることを示しています。漱石の南画はヨーロッパ化した日本文学はその根を東洋文化に置かなければなければならないことを示唆しています。維新以降の日本文学はヨーロッパ文学とのコンバインだということです。

 

 虚子がその景に接したとき(中略)大根の葉はそれ自体はあくまで「もの」でしかないが、それが「早さ」として虚子の眼前に顕ちあらわれたとき、その景は、大根の葉が流れ行く「こと」として虚子と一回的な関係を取り結んだのである。(中略)

 そして、読者として作品を読むことは、このように作者が対象と対峙した場、そして瞬間というものを、その景を作者と同じ目線で単に追体験しているだけでは、作品を読んだことにはならないのだろう。そうではなく階層的には一層上から、対象を見ている作者を、対象と共に俯瞰するという視線、謂わば〈メタ視線〉あるいは〈メタ観察〉〈メタ認識〉といった読み方こそが、特に短詩型において求められる読みであろうと私は思っている。

(永田和弘「景と作者を俯瞰する読者の位置」)

 

 永田和弘氏は高濱虚子の代表句「流れゆく大根の葉の早さかな」を取り上げて写生を論じておられます。大根の葉は「もの」に過ぎないですが「流れゆく」という動きが加わることで一度限りの特別な瞬間になります。そしてこの単純な写生句は「対象を見ている作者を、対象と共に俯瞰するという視線、謂わば〈メタ視線〉あるいは〈メタ観察〉〈メタ認識〉といった読み方」をしなければ深く味わえないというのが永田さんの論旨です。この論旨は芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」や子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」といった純粋写生句にも適用することができます。

 

 「流れゆく大根の葉の早さかな」といった写生句は「けり・かな」といった俳句特有の表現(切れ字)を除けば実に単純な風景描写です。意味を抽出すれば特に不可解な点はありません。しかし虚子や芭蕉や子規の客観写生句には確かに詩情が感じられます。永田氏が書いておられるメタ視線・観察・認識は本質的にはこの詩情がどこから生じてくるのかと問うています。〝メタ〟は上位審級のことです。つまり単純な写生短歌・俳句の上位審級にはその描写内容(世界描写)を統御するなんらかの上位存在・観念が存在するということです。

 

 ヨーロッパ絵画の写生の場合それを統御する上位(メタ)審級は神の存在・意志です。荒狂う海にも神の意志は内在します。人間の手が加えられていない原生林を調和あるものに保っているのもまた神の意志です。この欧米のキリスト教的ピラミッド型世界認識構造は二十世紀の半ばから東洋思想を積極的に取り入れたポスト・モダニズム思想として解体し始めます。しかし子規たちの明治初期において最も衝撃的なカウンターカルチャーとして作用したのは縦審級に伸びるヨーロッパ的神的世界認識構造でした。子規も漱石もこのヨーロッパ的世界認識構造を自らの文学に取り入れました。ただ東西文化には決定的な違いがあります。日本(東洋)にはヨーロッパのような唯一の人格神概念が存在しないのです。

 

 メタ審級概念は存在するがそれがヨーロッパのような人格神的焦点には収斂しないのが東洋文学の姿です。そのため東洋文学は理論として中途半端になりがちです。芭蕉の「古池や」が神格化されたようにしばしば理論と作品の癒着が起こります。誰もが作品で示唆されたメタレベルが重要だと気づくわけですがそれが特定できないので作品が素晴らしいそれは神品であるという短絡が起こるわけです。ただこういった堂々巡りはそろそろ終わりにした方がいいですね。

 

 芭蕉が「俳諧は取り合わせである」と言ったように写生俳句でも取り合わせが重要です。最も単純な風物の取り合わせが最も深く含蓄ある詩情を喚起することを誰もが理解しています。俳句や短歌という日本伝統文学の基盤は実に単純な写生的表現にその基盤があるということです。この調和世界には神的求心点がないので作品の神格化が起こるわけですが構造的にはヨーロッパ文学と相似です。それを漱石は「則天去私」と表現しました。現実世界を天から把握するという意味です。この天には神はいません。しかしにもかかわらず現実世界はメタ概念で統御されている。無秩序に絡まり合いながらそれ自体で調和しているドゥルーズ=ガタリのリゾームに近い構造です。リゾームはその突起点が天に向けて伸びますがその方向がある上位概念を示唆します。すなわち天でありリゾーム・モデルは上位審級はありかつ神は存在しないという東洋的世界構造モデルと相似です。

 

 日本語表現としては限界まで切り詰められた俳句が最も端的に東洋的世界構造モデルを表しているのは当然のことです。その意味で子規が俳句で得た写生理論を短歌に援用したのは正しくもあり中途半端でもあります。子規が最も高く評価した歌人は源実朝ですが彼は王朝和歌最後の歌人です。比喩的に言えば実朝短歌は俳句への解体ギリギリのところにある。しかし王朝時代に最盛期を迎えた和歌は俳句はもちろん物語や今様戯れ歌の母胎でもありました。つまり短歌の写生は複雑にならざるを得ません。それは自然の動植物ではなく人間心理も含みます。短歌の写生は俳句だけでなく小説物語文学の基盤にもなり得るような質のものだということです。

 

午前五時、桜木町にいることで観覧車越しに朝日が見える

どの波もつつましやかでもう会えないあなたの胸を連想させる

横浜市港湾局の注意書き「さくをのりこえないでください」

目覚めたら顔のむこうが青だった世界は顔と青だけだった

目的のベンチは撤去されていてひとつの穴として立ちつくす

氷川丸、記念写真は消したからどこで思い出は死んでいるの

間違って降りた駅から走るもしあなたが見たら笑う真顔で

結婚の鐘が大きくなっていく孤独なぼくが走っていけば

欠席と回答すればよかったこんなに空が青くなるなら

教会のガラスを抜けて床に降る光の外で拍手がずれる

ウェディングベール隔てて見つめあうふたつの顔になれなかったね

飛びすぎたブーケに笑う人々の首筋に汗きらめいている

新郎の口をはみでるクリームの白が遠くて雲かと思う

ぼくたちは写真になったまだ同じ夢を見ているような顔して

飲むために首を反らしているあいだ雲は消えずに消えそうなまま

(谷川電話「顔と青」)

 

 二〇一四年度の角川短歌賞を受賞された新鋭・谷川電話氏の四十首連作から十五首抜粋しました。フィクションかもしれませんがこの連作は元カノとの思い出を辿りに横浜にでかけ彼女の結婚式に出席した人の心象描写として読めます。口語短歌はその背後にぶ厚い文学伝統の記憶を持つ文語体を排除することでダルマ歌のような個の孤独を表現するのに適した書き方です。谷川さんの連作でも基本的には他者には関わりのない主人公の孤独感がよく表現されています。その個の孤独の一点においてのみこの連作は読者の一定の共感を得られると思います。ただこの連作を読んで「この書き方は苦しいな」とお感じになった歌人は多いと思います。

 

 短歌・俳句はもちろん自由詩の世界でも実作者が理論的評論を書きます。そのため現実技術論と抽象理論が入り交じってしまうことがしばしばです。特に結社歌人・俳人を指導する立場にある主宰の書く評論にその傾向が強い。現実に基づく技術論として言えば写生は作品を量産するためにあります。いちいちウンウンうなって空想世界を想起し非現実的存在を描写して説得力のある作品に仕上げるなどとてもやっていられない。写生が一世を風靡したのは近代になって結社雑誌が定期刊行されるようになり主宰が毎号のように雑誌に作品を発表しなければならなくなったからだという理由が確実にあります。逆に言えば写生技法を使わなければ歌人・俳人の作品数は少なくなるはずです。谷川さんの連作にはそのような危うさがあります。実体験であれフィクションであれ元カノ・結婚・失意・孤独で連作を作るのは四十首くらいが限度でしょうね。またこれらを歌集に収録するときには別のハードルが待ち受けているのはほぼ確実です。

 

 ただ谷川さんの連作が小説物語に近接しているのも確かです。ちょっと誤解を招くような言い方になりますが谷川さんが連作で表現されたような一人よがりな孤独や身勝手が肥大化して物語文学の情念世界を作ってゆくわけです。短歌文学が基本的に俳句文学の探究から見出された写生をベースにするのはおかしなことでありその歴史を辿ればもっと豊穣な文学的基盤が見つかります。写生を短歌の基盤とするのはプロ・歌人と決意した人たちの認識であり短歌文学はもっと不定形の日本文学の母胎としてマグマのように蠢いているとも捉えることができるのです。俳句・自由詩を含む詩の世界で最も優れた小説家を輩出したのは短歌です。歌人ならその理由も考えてみるべきでしょうね。

高嶋秋穂

 

 

 

 

■ 永田和弘さんの本 ■

現代秀歌 (岩波新書) 近代秀歌 (岩波新書)

 

■ 正岡子規・高浜虚子の本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■