純文学エンターテイメント作家、遠藤徹さんの連載小説『ゆめのかよひじ』(第02回)をアップしましたぁ。『ゆめのかよひじ』はタイトルに示されているように、家庭の不和にされされた小さな女の子が、夢の中で不在の父親と交流するお話です。小説の世界、特に純文学界では夢から始まる作品は苦労するとよく言われます。遠藤さんの作品はまだ現実と非在、生と死のはざまにいるような小さな子の独白の形を取っているので、夢がかえってリアリティを持つようになっています。現実では表現しにくい関係や心理が露わになるのです。

 

 ゆうがたになって、おかあさんがかえってきて、

 「あら、なんにもたべてないじゃないの」

 といらいらしたこえをあげました。

 「どうしたの、おなかがすかなかったの」

 「うん」

 とあたしはこたえました。

 「でも、たべる」

 とおきあがりました。

 「おなかすいたから、たべる」

 そういって、おかあさんがもっていたかしパンをもらってたべました。なかにクリームがはいっているのですが、それはまんなかのいちぶぶんだけでした。そこにたどりつくまでに、あじけのないおいしくもないパンだけのばしょをずいぶんとかじらねばなりませんでした。それでも、たべはじめるとほんとうにおなかがすいてきました。とうとう、クリームにたどりつくと、あまさがくちいっぱい、いいえ、からだいっぱいにひろがって、うれしさがこみあげてきました。そうだわ、そうだわとあたしはおもいました。

 「ゆめにばっかりきをとられていたからいけないのよ」

 もうゆめをみるのはやめよう、そうおもいました。

 ゆめをみなければいいんだって。

(遠藤徹『ゆめのかよひじ』)

 

「ゆめをみなければいいんだ」という言葉は切なく、また同時にこの小説の重しになっています。女の子は食べること夢-死の世界からで生に帰還するわけですが、またそこに引き寄せられてゆく。良い小説というものは、こういった符牒的言葉から構成されています。ただこういう符牒は意図的に書こうと思ってもなかなか書けない。意図して作品にスリップさせることができません。作家が作品で表現したい主題(思想)がはっきりしていれば、自ずから呼び寄せてしまう言葉の暗示です。

 

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第02回) pdf版 ■

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第02回) テキスト版 ■

 

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