オール讀物_No.019_01

 

 

 小説は純文学と大衆文学に大別されますが、一九九〇年代頃から新しく登場してきたジャンルにケータイ小説とラノベ(ライトノベル)がありますわ。ケータイ小説は文字通り携帯で書いて公開する小説ですけど、画面の大きなスマホの普及で今ではラノベに吸収されかかっているような印象です。じゃ、ラノベってなに?ということになりますが、これがなかなか説明しにくいのよねぇ。

 

 和製英語ですがLight Novelの表記ですから、軽~い小説ってことになりますわね。でも光の意味もあるように思います。要するに純文学・大衆文学を問わず、重~い人間心理描写中心の小説に対して、行動描写中心で、しかも明るい小説なのよ。この明るさがくせ者ね。単なるハピーエンドというのとは違いますわ。なにかキラキラしてるの。小説ですから人間が主人公のお作品がほとんどですけど、現実をベースにしながら、本質的には異世界の物語よ。

 

 ラノベへのアプローチ方法は二つあると思いますわ。一つは普通の大衆小説や純文学を書くことができる作家様が、ラノベの手法を学習してお作品を書く場合ね。もう一つは最初からラノベ作家としてデビューする作家様よ。後者の場合、じょじょにですがゲーム世代が中心になっいる印象を受けますわ。パラレルワールドを描くお作品が増えていますの。作家様として大成なさる場合、どちらの場合でも書きたい主題がなければ続かないと思いますが、最初のアプローチ方法の違いは最後まで残るでしょうね。

 

 それにゲーム世代の作家様がお書きになるお作品は、必ずしも小説の枠に留まらなくてもかまいませんわ。小説の基準を満たしていないということではござーませんのよ。映画やテレビの脚本、ゲームのプロット作家としても幅広くご活躍できる可能性がございます。これに対して本質的に小説家の資質をお持ちの作家様がラノベをお書きになる場合、既存の小説(内)ジャンルを壊す(乗り越える)動きが生まれなければ面白くありませんわね。ラノベ書いてと頼まれたからだけじゃ、やっぱりいいお作品は仕上がりませんことよ。

 

 ただラノベから登場して、マスメディア業界でマルチに活躍できる作家様は、すごく厳しい商業主義にさらされるでしょうねぇ。ラノベ商業主義に飛び込むおつもりなら、作家は自分の信念を書くのだといった一般通念はきっぱり諦めた方がよろしいでしょうね。確かに小説家資質をお持ちの作家様は、ラノベを書くことで本が売れる可能性はあります。でも読者がよほど一貫した作家思想を感受できる仕組みを作らないと、頭の固い文学業界で作家として評価を得るのは、純文学や大衆文学にこだわるよりもさらに難しくなるでしょうね。コウモリの位置付けになっちゃうのよ。

 

 いずれにせよラノベの醍醐味が、本が売れることにあるのは間違いありませんわ。このジャンルに手を出す限り、本をが売れてから、さて、作家が表現したい主題はなに?ということになります。本が売れなければ何も始まらない厳しい小説ジャンルよねぇ。

 

 「佐倉さんは、お勤めされているんでしたね」

 投稿時、原稿に添付してあった個人情報を思い出しつつ確認すると、佐倉ツカサは頷いた。

 「これは皆さんに言っているんですけど、デビューしたからといって、(会社を)辞めないでくださいね」

 釘を刺したそのとき、佐倉ツカサは一瞬だけ櫻岡司郎の顔になったかもしれない。

 「まあ、これからは僕が最初の読者でもあります。良い作品を目指して、一緒に走っていきましょう」

 戸井は編集者としての決まり文句を口にし、改稿の締め切り日を告げた。

 「一ヶ月後ですか」

 少し驚いたふうの彼に、戸井は諭した。「一ヶ月は本来なら、ゼロから一本作品を書いてもらうくらいの時間ですよ。上手くいけばシリーズ化も狙えるんだから。頑張って」

 そうやって、上手くはっぱをかけた。

(『伴走者』乾ルカ)

 

 乾ルカ先生の『伴走者』の主人公は元編集者の戸井光一です。戸井は大学卒業後に大手総合出版社に就職して編集者になりました。しかし出版不況のあおりで四十代で早期退職を余儀なくされます。会社の斡旋で、戸井は故郷北海道の大手資格予備校に再就職します。あらぁ、再就職先を斡旋してくれるなんていい会社ね。その予備校の上司が、戸井が編集者として最初に担当したラノベ作家の佐倉ツカサこと、本名・櫻岡司郎だったのです。

 

 佐倉ツカサこと櫻岡は、自分からは昔の作家時代の話を戸井にしません。それが戸井の気に障ります。今は櫻岡が上司で戸井が部下ですが、編集者時代は戸井が櫻岡の生殺与奪の権を握っていたのです。上司として櫻岡が与える仕事上の注意も戸井を苛立たせます。戸井は編集者時代に、櫻岡にひどいと言えばひどい仕打ちをしていました。その意趣返しを櫻岡が自分にしていると感じているのです。大手出版社の元編集者に限りませんが、無駄にプライドの高いサラリーマンにはよくある勘違いよねぇ。

 

 失敗を告げるメールを送っても、佐倉ツカサはめげなかった。彼は戸井のメールからちょうど一週間後に、新作のプロットを送ってきた。(中略)

 気乗りのしないまま、戸井はアリバイのように編集会議にあげた。意外にも編集長はいくつかの改稿案を提示しつつもゴーサインを出した。(中略)

 佐倉ツカサの二作目が、同じような泡沫作家作品の代替として発売されたのは、結局原稿を受け取ってから二年二ヶ月経ってからだった。(中略)

 宣伝については、売れない作家ほど不満を漏らすものだ。(中略)

 「宣伝しないから今回も売れない」(中略)

 戸井はそういう主張を愚かだとしか思わない。本当に内容が良い本であれば、宣伝などしなくともおのずと売れるはずだという信条があった。(中略)

 それに、なにもしなかったら一万部の売り上げがせいぜいの本を、莫大な宣伝費をかけて三万部にしたところで微差でしかない。(中略)十万部見込める作家の作品につぎ込んで三十万に押し上げるほうがよいというのは、子どもでもわかりそうなロジックだ。(中略)

 当然の結果として、二作目も売れなかった。(中略)

 三作目のオファーはしなかった。戸井の中で佐倉ツカサは終わった作家となった。

(同)

 

 乾先生、苦労なさっていらっしゃるわねぇ。先生が書いておられるラノベ業界の内幕は、ほぼ事実だと思います。ラノベは大手総合出版社だけでなく、出版を純粋にビジネスとして捉える異業種会社も編集部を立ち上げて刊行しています。アテクシがそういった会社の方からお聞きしたお話も、乾先生の書いておられることと変わりません。ビジネス、つまり売り上げ至上主義である限り、本が売れる作家以外は切り捨てられてゆくのが当然ね。一昔前のマンガと同じような作家消費業界よ。また出版不況が深刻になればなるほど、編集者からの締め付けが厳しくなっているようですわ。いったん売れ筋の金脈を見つけると、シリーズ化して限界まで引っ張ろうとするのもそのせいね。

 

 編集長に言われると、確かに連作短編風の構成にするより、長編のほうが読み応えもあるだろうし、心を引くキャラクターは全編に押し出すべきである。戸井は(中略)第三章のヒロインを主役にして長編仕立てに改稿するよう、急ぎ指示を出し直した。

 佐倉ツカサは、戸惑ったようだった。

 「あのプロットで書き始めていました」

 それを聞いて、戸井は大きなため息が出た。「左様ですか。でも状況というのは変わるものです。編集長だってそういう方針で行けと言ったんです。書き直してください。より良い作品にしたいという意気はないんですか?」

 彼はすぐに謝った。(中略)

 三作目発売から二ヶ月後、四作目のプロットが送られてきたのを見た戸井は、すぐさま佐倉ツカサの携帯に電話をかけた。(中略)

 「もうなにも送らないでください。あんたの原稿読むのは、編集者としても読者としても苦痛なんです。あんた、才能ないんですよ!」

 切ってすぐ、戸井は佐倉ツカサの携帯番号を着信拒否にした。

(同)

 

 面白いお作品なんですけど、読んでるとだんだんどんよりして来ますわねぇ。戸井の言うとおりに改稿したのに、作品が売れないと全部自分のせいにされ、あげにく「もうなにも送らないでください。あんたの原稿読むのは、編集者としても読者としても苦痛なんです。あんた、才能ないんですよ!」と罵倒される佐倉ツカサは気の毒ですわ。でも佐倉さんは、なんで一から十まで編集者の言うとおりになさるのかしらね。ご自分の作品に自信がないから人の言うままになっているんだと言われれてもしかたないわね。戸井の指示通りに改稿して売れなかったという結果の方が重いのか、自分の意志を貫いて売れないという結果になった方が傷が深いのか、考えどころよ。

 

 こういった作家と編集者のせめぎ合いは、アテクシのオバサン地獄耳が捉えた情報によると、ラノベを含む大衆文学でも純文学でもしょっちゅうあるみたい。売れない作家はなかなか本を出してもらえない時代なので、編集者の権限が相対的に強くなっているようですが、それは作家の責任でもあるわねぇ。だって自力で本を売る甲斐性はなくて出版社に頼りきりで、そのうえ結果を出せないわけでしょう。どっちもどっちよ。だから売れっ子作家になった暁には、好き勝手言った編集者に根暗な意趣返ししようとしているようじゃダメよ。乾先生みたいに作品のネタにするくらいの甲斐性がなくっちゃだわ。多かれ少なかれ、社会的活動には他者との摩擦は不可避です。作家様の場合、編集者とのせめぎ合いに一定の落としどころを見いだせないと、作家様にはなれないということかもしれませんわ。

佐藤知恵子

 

 

 

 

 

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