角川俳句_No.015_01

 

 

 「角川短歌」五月号の特集は「第61回角川短歌賞〆切直前 連作を極める」です。角川短歌賞の応募規定には「未発表短歌50首」とあるだけで連作とは書かれていませんがこの特集から編集部が期待しているのは連作短歌だということがわかります。特集には過去の受賞者のエセーも掲載されていて山田航さんは「私の受賞作は、傾向と対策を立てて一年間かけて練り上げたものです」と書いておられます。

 

 新人賞は会社の面接試験のようなところがあります。面接ではその場限りでも良いですがきちんと質問に答えられることが重要です。賞も同じできっちりまとまった作品を書けているかどうかが問われます。連作はその試金石になります。あるテーマで五十首というそれなりに数の多い作品をまとめあげることで作家の力量を見極めるわけです。底固い筆力を持っている上で学者であるとか異色の経歴の持ち主であるとか時には美男美女であるとかが評価されます。

 

 美男美女まで評価されるのかと思われるかもしれませんが人は自分が持っているものを全部使って世の中に打って出るのが普通です。甘いことは言っていられませんし出し惜しみもできません。またそれは自己の価値を客観視する能力でもあります。新人賞に応募したからにはチキンレースの競争に参加したのであり受賞を目指さなければならないのです。自己の能力を全部使うとはそういうことです。文学賞はそれぞれに確実に「傾向と対策」を立てることができますがその中には選考委員の先生方や編集部の意図を探ることも含まれます。同じレベルの作品なら誰だって付加価値の高い著者を選ぶというだけのことです。

 

 もちろん新人賞を受賞するには明らかに異彩を放つ個性を主張するのが一番の近道です。大きく分けると書き方を工夫するのと内容を特異なものにするという二つの道があります。どちらがやりやすい方法なのかは作家それぞれだと思いますがあるていど考え抜けばこれはちょっと皮肉な言い方になってしまいますがその路線で五十首くらいは書けるはずです。

 

 ただあまり自己の資質とかけ離れた書き方や内容を選ぶと新人賞五十首止まりになってしまうでしょうね。新人賞は受賞したけれどそのあとの作品を書き悩むことになります。あるいはどこかの時点で大きく方向転回しなければならなくなり新人賞路線に期待した読者をガッカリさせてしまうということも起こります。強い個性の主張はいわゆる〝飛び道具〟であり自分の手を離れると二度と戻って来ないこともしばしばです。若い作家は早く世に出たい気持ちが強いでしょうが自己の資質と乖離した作品で受賞を狙うのは危険です。

 

 新人賞は五十首で自己をプレゼンテーションする場でありやってみればおわかりになると思いますが意識しなくても連作作品になりがちです。作家は自己の良い部分あるいは時に悪い部分をストレートに表現してアピールせざるを得ないからです。漫然と過去作品から五十首を選ぶのは現実的ではなく五十首を完結した表現フィールドとして捉えざるを得ません。自ずから核となる作品が選ばれそれを中心にして作品が配置されるようになります。当然のように書き方やテーマが絞り込まれます。

 

 ただ新人賞連作は短歌という文学ジャンル全体から見れば特異な在り方です。「角川短歌」でもしょっちゅう目にすることができますが多くの歌人が連作で歌を作っています。この〝通常モードの連作〟には新人賞に求められるような作家の圧が見られないのが普通です。新人賞受賞のために悪戦苦闘している作家から見れば功成り名を遂げた中堅以上の歌人だからそんなレイドバックした歌が書けるんだということになるかもしれません。そういう面は確かにあります。しかしそれだけではありません。新人賞レベルのハードルをクリアすれば連作による作品量産はプロ作家の必須要件です。

 

永田和宏 『のぞみ一二号東京行』より

鴨川に桜がやはり似合ふかと上流を見て下流をも見つ

八本の櫂そろひつつ下りゆくレガッタの春が瀬田川に来て

稜線にわづかに雪を残しゐる比良連峰は湖を隔てて

西川のローズ羽毛布団で寝たことはなけれど親し 春の看板

僧ひとり見ることもなく通り過ぐ岐阜の羽島は十一時過ぎ

名古屋を過ぎれば風景はまこと単調になりて続ける高圧鉄塔

小田原の外郎(ういらう)銀の数粒を飲めと差し出し馬場あき子元気

宿木は見つけるだけでなにかかう得した気分にならないか きみ

何もない野の駅なりき君と二人菊名に住みしころのこの駅

墓地にこそ桜は似合ふ品川に着くまで見下ろしゐたる街にも

 

 永田和宏さんの『のぞみ一二号東京行』は「四月二日、一〇時五三分京都発のぞみ一二号。思い立ってリアルタイムで歌を作ることにする」という詞書のある三十八首の連作です。いわゆる写生によって車窓の風景が言語化されてゆきます。この連作では末尾近くの「小田原の外郎(ういらう)銀の数粒を飲めと差し出し馬場あき子元気」から実際の風景と作者の内面が混じり始めます。最後の三首には作家の原点回帰のような心象が詠まれています。新幹線は妻(河野裕子さん)と暮らした菊名の街を通り過ぎ作家は抑制された写生表現を維持したまま墓地を見ながら目的地に到着するわけです。

 

 こういった連作はとりたてて秀作傑作ではありません。しかしここで詠まれた「四月二日」が遠い過去になってしまえば「小田原の外郎(ういらう)銀の数粒を飲めと差し出し馬場あき子元気」とか「何もない野の駅なりき君と二人菊名に住みしころのこの駅」といった歌は意外な余韻を発揮するようになるものです。

 

 作家は若いうちは抽象的心象表現で一気呵成に自己の表現の核のようなものを言語化することに魅力を感じがちです。しかしそのような心象表現は意外なほど色あせやすいものです。それは過去作品を入念に読めば誰にでもわかることだと思います。また自己の表現の核などそれほどしっかりとしたものではありません。特に短歌のような短い形式はその揺らぎを描くことに適しています。大家歌人の連作は緩いですがそのような揺らぎを確実に吸い上げ歌に昇華しています。

 

松下盟子 『弓手』より

禁句なれど言わねばならぬぬばたまの「片づけ」のため実家の()をあける

棄てられぬモノのすべてが粘着し絡まって母はそのまま老いし

モノとモノの間を縫ってモノ運ぶ母の日常に分け入ってわれは

ぼんやりとしておれば耳が伸びはじめご近所の音拾う夕暮れ

浴槽に吹きこむ桜片々やどこへ漕ぐともこの家離れず

   *

始まってしまったと思うときはもう終わりに向かって走るしかない

小学校入学前の春だった祖母に打たれて右利きに()めし

半世紀経て(にじ)りだすものなるか地下茎のごとき左利きの意志

てのひらは「馬手(めて)に血刀、弓手(ゆんで)に手綱」そうか左は綱をにぎる手

人生の要所要所に(たゆ)みては花を摘みたり弓手離して

 

 松下盟子さんの『弓手』連作は二つのパートに分かれています。前半部分は母親が一人で住む実家を片づけに行った際の体験の連作です。実家は作家の家でもあるわけで「母の日常に分け入」ることで作家は自らの内面に入り込む構造になっています。それが後半の連作につながっています。子どもの頃に祖母によって左利きを右利きに矯正された思い出が蘇りいまだに「左利きの意志」が残っていることを作家は感じます。馬手(めて)は右手で弓手(ゆんで)は左手のことですが作者は「人生の要所要所」で「(人生の)綱をにぎる手」であった左手を綱から放して「花を摘」んで来たという感慨に達します。

 

 これらは作品を量産するための連作の書き方をしているとも言うことができます。しかしなぜ書こうと思えばいくらでも連作が書けるのかを考えてみるのは重要です。簡単に言えば書き方に無理がないのです。たいていの作家は若い頃は寡作なのが普通です。一首あるいは十首二十首の連作にすべてを盛り込もうとするから寡作になります。またある種特別な作家であることを自己主張したいがために表現や内容を過剰なまでに工夫するから寡作になるのです。それは誰にでも必要なことですがそこからの道行きは二通りあります。

 

 一つは圧を持続して作品数は少ないけど質の高い短歌を創作することです。もう一つは無理のない書き方を身につけることです。そして多くの歌人が後者の無理のない書き方に赴きます。なぜでしょうか。簡単に言えば書けないことは苦しいからです。また作品数を限定してゆくとまだ表現していない核のようなものがあるという幻想にとらわれがちになるからです。

 

 作品を量産し始めれば表現の核などといったものはあってなきものであることが誰にでもわかります。むしろ表現の核が尽きたところからさらにそれを掘り起こすのが歌人の本領です。その際に写生的な現実表現は大きな力を発揮します。連作とは作家と言語の無意識領域にまで滲出してそれを言葉に捉える試みでもあります。

 

 苦労してまとめあげた作品は誰にとっても大切です。こんなに時間と労力をかけたのだから五十首でも一冊の歌集でもできる限りの評価を得たいというのが人情だと思います。しかし言語道断に書き続けていればそんな過剰な自我意識もなくなります。はっきり言えば五十首程度あるいは歌集二三冊で決定的評価を得たいなど甘いのです。周囲の人がうんざりするほど書き続ければ自ずと評価は付いてきます。

高嶋秋穂

 

 

 

 

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