高島秋穂さんの詩誌時評『No.011 角川短歌 2015年02月号(前編)』をアップしましたぁ。歌壇のリベラリズムについて書いておられます。高島さんは、『それはもちろん相対的なものです。ほかの文芸ジャンルと比較してということです』と前置きしておられますが、俳句や自由詩という詩のジャンルと比べれば歌壇の自由度は高いですねぇ。

 

高島さんは、『俳壇は結社至上主義です。小説のように本の売り上げで作家の評価が決まることがめったにないのはどの詩のジャンルでも同じですが俳壇ではそれが大結社の思惑に強く左右されます。・・・自由詩の世界は雑誌セクショナリズムと言ってよいかと思います。紙媒体の商業詩誌は「現代詩手帖」「詩と思想」「詩とファンタジー」のほぼ三誌しかないわけです・・・結果として三詩誌の執筆者は固定しがちで現代詩手帖ライター・詩と思想ライターといった執筆者群が生まれています。・・・ある雑誌カルチャーの中でのみ通用する詩や批評を書くことが当たり前になっていて一般読者を含む外部世界がまったくと言っていいほど見えていないのです。・・・リベラルな風土の存在しない業界に新しい動きが生まれにくいのは言うまでもないことです』と批評しておられます。

 

すんごく身も蓋もない言い方をすれば、一般読書界で歌人・俳人・自由詩人として認知されている作家は、いわゆる歌壇・俳壇・自由詩壇をなんらかの形で卒業している作家です。ドメスティックな業界誌風土を相対化できる能力を持つ作家が一般読書界で活躍できると言っていいでしょうね。また一般読書界で通用する質の仕事をするためには作家の意識改革が必要です。詩の世界で今年の収穫がどうの、今年の流行がどうのといった駄文をいくら書いても仕方がない。それはジャーナリズムに奉仕する泡沫仕事にしかなりません。詩は文学です。その一点を原点として認識把握すれば、自ずからどういった質の仕事をすべきかが見えてくるはずです。

 

 

高島秋穂 詩誌時評 『No.011 角川短歌 2015年02月号(前編)』 ■