角川俳句_No.010_01

 

 

 短歌芸術の奥深さは日本語表記すら確立されていない『万葉集』の時代から現在に至るまでその伝統が続いていることにあるわけですが近現代になって初めて短歌に登場したテーマに〝老い〟があります。もちろん俊成卿のように長寿を保った歌人もいますが平安から江戸時代にかけてはほとんどの歌人が生涯一冊の「家集」をまとめるのが常でした。何歳の時に詠んだのかがわかる歌はとても少ないのです。明治維新以降にヨーロッパから流入した作家性の概念がある一定期間に詠んだ歌またはあるテーマに沿って詠まれた歌をまとめる「歌集」を生み出しました。

 

 有り体に言いますと歌人の生が続く限り次々に刊行される歌集は勅撰和歌集はもちろん生涯一冊の「家集」にも劣ります。そんなことを言われても歌人は迷惑でしょうが一定期間の作品をまとめた個人「歌集」は玉石混淆です。ただ「歌集」が刊行されるようになったことでわたしたちが初めて歌人の作家的生涯を通覧できるようになったのも確かです。どのように歌人が時代の影響を受けそれに応じて変わっていったのかがわかるのです。それは江戸時代以前にはないことでした。特に先に書きましたように老いの短歌は近現代ならではの一ジャンルを形成していると言ってよいかと思います。

 

凜凜と冬深むらし夜ひとり青き葡萄の薄皮を剥く (尾崎左永子「一日を愛す」より)

傷口はどこにもありて忘れゐし心の底に沁みてにじみ来

一人子の逝きて一年音のなき冬の夜ふいに痛みは萌す

山葵(わさび)田の段を下りゆく落ち水のとどこほりなき時のすぎゆき

生も死もいづれ選ぶといふことの可能ならねば一日を愛す

いつか来ん巨大地震をどことなく待つ心あれど対応もせず

 

 尾崎左永子さんは昭和二年(一九二七年)生まれですから今年で八十八歳です。言うまでもなく歌誌「星座」の主筆で『源氏物語』などの古典文学にも造詣が深い短歌界の巨匠のお一人です。連作は夜中に一人「青き葡萄の薄皮を剥く」歌から始まります。ふとそれを傷口のように感じておられるようです。また果実を食べるのが目的ではなくひたすら表層を剥がしてゆくことに憑かれている気配があります。「一人子の逝きて」の歌から尾崎さんがお子様を亡くされたことがわかるのですがその悲嘆は静寂に包まれています。悲しみは青い果実のように瑞々しいのです。でも皮を剥いてその実体を露わにしたところでなんの甲斐もなくまた次の一粒に手が伸びてゆく――つまりは歌が生まれてゆくかのようです。

 

 「生も死もいづれ選ぶといふことの可能ならねば一日を愛す」、「いつか来ん巨大地震をどことなく待つ心あれど対応もせず」の二首は相反するようで底のところで繋がっています。諦念とも自暴自棄とも諦めとも言い切れない静かな時間が流れそれを泡立たせるような出来事を期待してもいるわけですが作家は特に何の用意もしていません。でも現実とはそういうものでしょうね。胸つぶれるような出来事は唐突に起こりにもかかわらずたいていの場合終わってしまえばかつてと同じような時間が流れるのです。

 

 短歌の世界では意外なほど時事問題を歌を詠む作家が大勢いらっしゃいます。オレオレ詐欺からITや安保法制に至るまで流行のトピックが次々に詠まれています。もしかすると江戸時代以前の歌人もそういった形で歌を詠んでいたのかもしれませんがその多くは忘れ去られ失われてしまったのかもしれません。ただ文学では時事的な現実を詠むにしてもそれが作家の内面とどう切り結ぶのかが問われます。尾崎さんの短歌は歌人の人間的成熟を感じさせます。静かだけど生々しい歌です。それはもしかすると短歌という芸術の成熟と呼んで差し支えないものなのかもしれません。

 

言葉の比喩の日溜りに居て游びしが花に嫌われ幾歳は経つ (福島泰樹「柘榴坂の歌」より)

   立松和平逝きて五年

品川の駅を下りてあえぎゆくわが柘榴坂 さびしき日暮

酔っ払いの夜の路上の狼藉も雲ゆく風の憶い出なるよ

引揚船乾パン風の尋人わが幼年の語彙をたどれば

友愛を貫くための前衛といわん八月六日 一閃の虚無

皮は裂け実は弾け飛び散らかって七十一歳 柘榴坂ゆく

 

 福島泰樹さんは昭和十八年(一九四三年)生まれですから今年で七十二歳です。あの福島さんがもう七十代かと思うと感慨深いものがあります。福島さんは六〇年代安保の元闘士で短歌絶叫のパフォーマーとしても有名です。六十年代はあらゆる芸術ジャンルで前衛運動が花開き福島さんの短歌絶叫もその中の一つと捉えられていました。また朗読は詩の世界では浮かんでは消えてゆく流行のようなものです。かつて詩が声に出して読まれそれを聞く観客らを楽しませる娯楽だったのは疑いのない事実です。しかし生まれた時からどっぷりと書き文字の世界に漬かり「書く→読む」の作品生成回路しか持ち得ない現代の作家が「読む→書く」の回路に切り替えるのは並大抵のことではありません。そのため朗読は詩人の気まぐれな遊びと受け取られることが多いのです。

 

 ただ福島さんのほとんど半世紀に及ぼうとする短歌絶叫パフォーマンスは通常の意味での朗読概念を打ち壊しているように思います。それが明らかになってきたのは最近のこと――つまり前衛運動が完全に終息した頃からではないでしょうか。前衛芸術運動が終わってもなお福島さんは前衛たらんとしておられるように思います。「友愛を貫くための前衛といわん八月六日 一閃の虚無」という歌からは彼の絶叫が聞こえてきます。八月六日は言うまでもなく広島に原爆が投下された日です。この歌は彼の前衛があの原爆投下を許してしまった社会に対峙するための力であり悲惨に押しつぶされた人々への友愛であることを示しています。また原爆投下はもちろん前衛運動もまた「一閃の虚無」であることを福島さんは認識しておられるのではないでしょうか。

 

 短歌界にも前衛短歌(現代短歌)の時代はありました。それは主にインテリたちによって主導され福島さんは常に異端の前衛モドキとして扱われていたように思います。しかしもしかすると一番強靱な根を持っていたのは福島さんの前衛短歌だったのかもしれません。福島さんの歌を詠めばそれが書き文字ではなくまず声で作られたことがわかります。また福島さんの短歌絶叫には声に出すことで内容や形式の未熟さを補おうとするところがありません。歌は書き文字として立派に成立しています。それは短歌はどこかで声の伝統を保持している芸術だからのような気がします。福島さんの短歌を年代順に読めば声の短歌がどのように成熟してゆくのかがわかると思います。

 

月が凄いというツイートをスルーして歯間ブラシを血まみれにする (穂村弘「歯間ブラシ」より)

夜の壁を君がぴたぴたのぼりだすああ吸盤になっているんだ

トイレの壁に触れてみている夢の中で夢じゃないかと疑いながら

九割方現実らしいと判断を下した夢の中の私よ

雛壇に目を近づけて三人の官女の顔をまじまじと見る

一人だけ眉毛がなくて歯は黒く塗られているという噂あり

 

 穂村弘さんは昭和三十七年(一九六二年)生まれですから今年で五十三歳です。言うまでもなく現在短歌界を席巻している口語短歌の旗手です。「歯間ブラシ」連作は「歯間ブラシを血まみれにする」という歌から始まるわけですがなぜ血まみれにならなければならないのかがこの連作のポイントかもしれません。現実から始まって歌は穂村短歌ではなじみ深い空想的(想像界的)な空間へと入り込んでゆきます。作者は君が吸盤を使って夜の壁を「ぴたぴたのぼりだす」のを見ます。夢だと思いながら「九割方現実らしいと判断を下し」ます。それから雛壇の三人官女を見ます。ここからは現実か夢(空想)かはわかりません。現実とも空想ともつかない世界を表現しています。

 

 穂村さんはいわゆる〝成熟〟を拒否なさるかもしれません。一般的な文脈での成熟を拒んだからこそ現在の彼の華々しいキャリアがあるとも言えると思います。ただそれはあくまで一般文脈での成熟の話しであり穂村さんは彼なりに成熟してゆかれるでしょうね。ひところにくらべて穂村さんの歌には現実が入り交じることが多くなったように思います。それがどのように発展してゆくのかゆかないのかに今後の口語短歌の未来がかかっているのかもしれません。これもまたそんなことを言われても迷惑だと穂村さんはおっしゃるかもしれませんが口語短歌が一時の流行で終わらないためには今までにない歌人の成熟が必要なのではないでしょうか。口語短歌は詩の世界で最近起こったほぼ唯一の前衛運動(動向)です。最も優れた口語短歌の騎手たちが否応なくその将来に責任を負うのです。

高嶋秋穂

 

 

 

 

王朝文学の楽しみ (岩波新書) 福島泰樹歌集 (現代歌人文庫 25)