ショートショート_No.012_cover_01「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。

by 小松剛生

 

 

 

 

気まずいポテトサラダへの個人的復讐

 

 

 その電話が鳴ったのはナルミがポテトサラダに使うジャガイモをつぶしている頃だった。

 今日はブラックペッパーを入れてみようかという神聖かつ重要な考察を妨害するかのように、けたたましいサイレンがリビングに鳴り響いた。

 「今、時間ある?」

 それは不吉な予兆でもあった。

 いきなり挨拶もしないで人に時間の有無を聞くということは、ナルミが暇かどうかは別にして、貴重な日曜日の午後を奪うことを宣言しているようなものだ。

 まるで交通事故のように、と彼女は思った。

 「これからあなたが奪うんでしょ」

 「何してたの」

 ナルミは目の前のボウルにある白い不気味な塊を見下ろしながら「何もしてないわ」と返事した。

 「ナルミ、運命についてどう思う?」

 なかなか洒落た質問だわ、とナルミは思った。

 枕言葉にしては悪くない切り出しだ。

 「なんとも思わないわ。仮にそういったものが本当にあるとしたら、それは運命というよりアタシはシステムと呼んでいるかもしれない。それで?」

 運命の人はあなたに何て言ったの? とナルミ。

 予想通り、その後に続いたのは友人曰く「人生を賭けた」婚約相手との紆余曲折、試行錯誤ありながらの大恋愛、その後の運命的なマンネリを嘆いた話だった。

 「ごめんね。こんな話聞いてくれるの、ナルミくらいしか思いつかなくて」

 電話口の向こうで上がるしゃくり声を、ナルミはただ無感動に受け止めていた。

 水につけている最中のきゅうりとニンジンと玉ねぎのスライスを見下ろす。

 点けっぱなしにしていたテレビでは誰彼という俳優と女優との破局という事実において哲学的考察をコメンテーターが述べていた。

 友人の泣き声が耳元で響いている。

 「謝るぐらいならかけてこないでよ」

 「ごめん」

 ナルミはため息をついた。

 仕方ない、これは交通事故にあったようなものなのだ。

 そして友人もまた被害者であり、私には彼女を救う責任がある、とも思った。

 「安息日って知ってるかしら」

 「キリスト教の?」

 うん、キリスト教にもあるね。だけど今からする話はキリスト教の「安息日」のほうじゃないからね。

 彼女は断りを入れてから続けた。

 「私が聞いたある宗教の安息日のルールはけっこう厳しくてね。神様が与えてくださった休日を、敬虔な教徒であるなら守らなければいけない。ここでいう「仕事」ってけっこう広い意味での「仕事」とされていてね。煙草を吸う行為すら「仕事」になってしまうらしいの。でもせっかくの日曜日。彼らだって煙草ぐらいゆっくりと吸いたい。そこである案を思いつく」

 「どうしたの?」

 「前日にあらかじめ蝋燭(ろうそく)を仕込んでおくの。火をつけて準備しておいて、吸いたくなったら煙草をその揺らいでいる方向に向ける。すると火がついてしまうから仕事とはカウントされないってね」

 あくまでも煙草に火がついてしまった(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)という事実にしたのよと、ナルミはぬるい麦茶を一口飲んだ。

 「屁理屈もいいとこね」

 「運命という言葉からも、アタシはこれと同じくらいの胡散臭(うさんくさ)さを感じているわ」

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 リビングの鏡でナルミは自分の顔を確かめた。

 鼻はもうちょっと高いほうがいいし、二重まぶたになったほうが目元が大きく見えるだろう。笑うとき、えくぼが出るともっといいだろうし、頬骨の不恰好さも気になる。けれど全体としては悪くないんじゃないか。

 ボウルの中ではマヨネーズの油分が乾燥して薄くなっていった。

 「もういいかしら」

 「うん、ありがと」

 何か私にもできることある? と友人に訊かれてナルミは応えた。

 「頼むから私をひとりにして」

 そっとしておいて、とナルミは頼んだ。

 日曜日のポテトサラダくらい美味しく作らせてよと、ナルミは心の中で祈った。

 ありがとうね、と友人はもう一度言うと罰が悪そうに電話を切った。

 テレビの音は雑音以上の何物でもなかった。

 「ほら見なさい」

 誰もいないリビングでナルミは一人呟いた。

 孤独が今ゆっくりと、午後の静寂にとって代わろうと迫ってきていた。

おわり

 

 

 

ロマン銀行へようこそ

 

 

 何もしない機械、というものがある。

 「何もしないんですか」

 僕が訊くと支配人である吉田さんは「はい、何もしません」と自信たっぷりといったようすで答えてくれた。

 4本立っている木製の支柱の中はいくつかの層に分かれており、最上段にはフラスコというべきか、ガラスでできた球体に水が溜まっている。

 水は一段下層にあるビーカーに漏斗(ろうと)式にてゆっくりと注がれ、さらにその下にはなぜか(はかり)がある。

 秤の両肩の一方はロングカクテル用のグラスが置かれていて、造花らしき白いバラがそこに差され、一応は飾っているということらしい。

 もう一方はこれまたひと際大きなビーカー(球体の水は最終的にはここに溜まる仕組みになっている)。

 もっともある程度まで最下層のそれに水が溜まると吉田さんが球体にその溜まった水を移すので、結局のところ循環していることになる。

 「堂々巡(どうどうめぐ)り」

 誇らしげに吉田さんは言う。

 「世の中にはこんな風に意味のないものがあってもいいと思います。なにしろ私たちの周りには意味のあるものが多すぎます。灰皿、コップ、信号機、仮設住宅。たまにはこんな、何の役にも立たないものを眺めてみるのもいいものです」

 「そんなもんですか」

 と、僕。

 「そんなもんです」

 と、吉田さん。

 少しこの人について触れておこう。

 ――目上、というか年上の人間に対して「この人」とは失礼ではないか。

 そう眉間に皺を寄せる人もいるかもしれないが、吉田さんはまさに「この人」呼ばわりがとてもよく似合う人で、物腰はカズオ・イシグロの小説に出てくる執事のように柔らかくそれでいてきめ細やか、どこまでも行き届いた顧客対応をしてくれそうな様を呈している。

 が、それはあくまでも物腰の話。

 実際は自他共に認める極度のうっかり(・ ・ ・ ・)屋であり、一度慌てだすと手元がおぼつかなくなる。

 この店にある水用のコップがガラス製であるのも、吉田さんがうっかり落として度々割ってしまうためにプラスチック製に変えることにしたらしい。

 「うっかり屋」という商売があるのならばまさに適任、うっかりという言葉は吉田さんを見た誰かがつくったのではないかと思いたくなるほどに。

 うっかり屋である。

 

 

 そして「この人」。

 妙なところに美意識、または美的価値観というべきか? ――を持ち合わせている人でもあり、さきほどの「何もしない機械」などはまさにその一環である。

 ついでに言うと吉田さんの名字は「吉田」ではない。

 彼の本名は「小松崎(こまつざき)」である。

 「小松崎、なんてクソ面白くもない名前はもう忘れてしまいました」と、全国の小松崎氏を敵にまわす発言をして、自らを吉田と名乗っている。

 つまり彼は正確には「吉田になりたい人」さんであり、僕たちはそれを省略して「吉田」さんと呼んでいるわけだ。

 それも吉田さんの妙な価値観が為した技、というべきか。

 

 

 名前と価値観にまつわる話がもうひとつ。

 ずばり、この店の名前である。

 「ロマン銀行」

 吉田さんはそう言っている。

 看板は表の道端にただ「CAFÉ」と書かれてある小さな黒板ひとつであるが、当の本人はあくまでもロマン銀行と言い張る。

 「でもどこにもそんな名前ぶらさげてないじゃないですか」

 「そりゃロマンですから」

 ロマンとは現実には存在しないものなんです。

 かといってまったくの夢、というわけでもありません。

 まぁ言わば現実と夢の狭間(はざま)、でしょうか。

 いや、むしろ現実と夢を行ったり来たりする存在なのかもしれません。

 そこ(・ ・)ここ(・ ・)を行ったり来たり。

 言わばロマンは循環しているやもしれません、その運動を美しいと感じることができればそれはロマンに成り得るのです。

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 「つまり」

 吉田さんは「何もしない機械」を指差して言った。

 「堂々巡り」

 話が戻ってしまった。

 

 

 そもそも僕が吉田さんと出会ったのは。

 ――いや、よそう。

 

 

 例えば「どんな場所にも一瞬で行ける靴」というものがあったとする。

 僕はそれを靴箱の中に大切そうにしまう。

 いつか僕はそれを履くかもしれないし、そうはならないかもしれない。

 でも結局は狭く暗い箱の中に閉じ込めたままで一生を終えるであろう事実を僕はなんとなく知っている。

 つまり。

 いや、「つまり」なんてさも(・ ・)それっぽい接続詞を使うのも陳腐(ちんぷ)で恥ずかしい。

 でも、つまり。

 僕にとって生きるっていうのはそういうことなんだろうとは思う。

 ちょっと大げさにすぎるかもしれないけど、自分のことを書かない言い訳としては上出来と思っていただければ光栄である。

おわり

 

 

 

もう一度、ポテトサラダについて

 

 

 もう一度、ポテトサラダについて語ろうと思う。

 語る、というとなんだか大げさだから「書く」と言い換えてもいいかもしれない。

 とにかく今からポテトサラダについて書く。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

 過去、僕はポテトサラダにまつわる話を二度ほど書いてきた。

 ひとつはある運動部の合宿中、真面目と思われてきたキャプテンが夜中にこっそりとポテトサラダを食べてしまう話。

 もうひとつは休日の午後にポテトサラダを作っているところを友人の電話に邪魔されてしまう女性の話だ。

 いずれもくだらないうえに大した内容もない文章で、完ぺきとはほど遠いものだった。

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 ――もっとも。

 ポテトサラダに完ぺきを求めるほうが無茶なのかもしれない。

 完ぺきなポテトサラダ。

 もしそんなものが存在するとしたら、それはきっと味気ないものになっていただろう。

 僕はポテトサラダの不完全さが好きだった。

 大きさがまばらなニンジンや、輪切りされたきゅうりの歯応えのない食感にあるような、不完全さが好きだった。

 

 

 「なんでポテトサラダなんだ?」

 「さぁ」

 僕は二人の友人とスペイン料理を囲んでいた。

 友人といっても彼と彼女のことはほとんど何も知らない。

 何も知らない友人たちに振る話題としてはポテトサラダはちょうどいいサイズだった。

 彼のほうは腕を組んで異国風にデザインされた、少し高めの天井を見上げていた。

 彼女はというと、ポテトサラダのことなんか半ばどうでもよさそうに燻製された豚肉をフォークでつついていた。

 「ポテトサラダをお腹いっぱい食べたことは」

 「ない」と、彼。

 「ない」と、彼女。

 「よだれを垂らすくらいポテトサラダを食べたくなったことは」

 「うーん、ない」と、彼。

 「ない」と、彼女。

 僕はビールを一口飲んだ。

 「ポテトサラダについてそこまで思い入れのある人なんかそうそう見たことない。でもそれが逆になんだかすごく現実的に思えて、だから、かもしれない」

 「うーん」

 また彼がうなった。

 「ポテトサラダは現実の味ってわけね」と、彼女。

 「そゆこと」

 それにしても。

 スペイン料理店の食卓でポテトサラダについて真剣に会話している光景というのはひどく滑稽(こっけい)に映っているような気がする。

 何やら考える素振りをしていた彼が言った。

 「日本で歩行者が右側通行、っていうのには理由があるんだ」

 彼は続けた。

 「昔、江戸時代の頃かな。武士は刀を常に脇に差していた当時、刀の鍔が当たることはすごく失礼なことで、もしそうなってしまったら即決着をつけなくちゃならなかった」

 「決着って」

 「斬り合うってこと」と、彼はうなずく。

 彼女は前菜で余ったイカスミソースにパンをつけて食べることに夢中だった。

 「だからすれ違う者同士が刀をぶつけないように右側を歩いた。その名残りが今の今まで続いてるんだ」

 「でもさ」

 急に彼女が会話に加わってきた。

 イカスミソースにはひととおり満足したらしい。

 「今、刀持ち歩いてる人なんかいないじゃん」

 そう、そこなんだよ、とは彼。

 「今じゃ意味なんてなくて、理由だけが忘れられたみたいに残ってる。でも僕らは右側をやっぱり歩いてる」

 「そしてアタシはポテトサラダを食べる」

 ――そして僕たちはポテトサラダを食べる。

 その「そして」の言い方がとてもお洒落に思えて、そんな風に自然に使える彼女のことを少しだけ羨ましく思った。

 少しだけ、だけど。

 店内では陽気な音楽に合わせて、店のボーイと女性客が踊っていた。

 

 

 終電の時間に間に合うようにして僕らは店を出た。

 「じゃ、また」

 「はーい」

 ひとつ、僕は彼らに嘘をついた。

 僕はポテトサラダをお腹いっぱいに食べたことがある。

 

 

 帰り道。

 最寄り駅から家まで歩く道のりの途中で、わざと歩道のない左側を歩いてみた。

 誰も見ていなかった。

おわり

(第12回 了)

 

 

* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。