「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
レジを打ち続ける弟の話
(小説現代ショートショートコンテスト 優秀賞作品)
明日、世界が滅びたとしても僕はレジを打ち続けるよ。
弟はよくそう言って私を呆れさせた。
「何の取り柄もない僕だけど、誰よりも早く正確に、レジを打つことができる自分に気付いたんだ。これはもうひとつの才能だよ」
妙に頑固な性格の持ち主である弟は確かに不器用で、何をやっても人並み以上にできた試しがなかった。
少なくとも私の知る限り。
彼は右折ができずに運転免許の取得を諦め、シャツにアイロンをかけようとすると必ず余計な皺を新たに生み出した。定期テストで彼の成績がクラスの平均点より上をいった科目を私は知らない。
小学校時代、夏休みに家族の似顔絵を描く宿題が出された。弟は半紙に巨峰のような一粒の丸を描き、それに目と口をつけて提出した。
鼻はなかった。
今、彼は古いアパートの1階に住んでいる。家賃はスーパーの従業員として出るアルバイト代で賄っているらしい。
一度だけ、弟の働いている姿を覗いたことがある。
さして目立った動きをするわけでもなく、レジ台と買い物カゴにひたすら向き合っている彼を目にした。
ああ。
そのとき、私は何かがわかったような気がした。
たぶん彼は「向こうの住人」なのだろう。
向こう。
そこは私には知覚できない。
とても遠い場所だ。
そこでは鼻のないぶどうの顔をした人間が穏やかな顔で、レジを打ち続けているのだ、きっと。
彼もそこの住人に違いない。
私の住む世界が滅びたとしても彼はレジを打ち続ける。
その言葉が嘘ではないことを私はそのとき知った。
私はといえば4年制大学を卒業し、出版社に勤めはじめて5年が経っていた。
学生時代からの恋人は商社に勤めているが、最近お腹が出始めたのでついに夜中のビール禁止令を法度しなければならなくなった。
入社前の説明会では「残業月10時間以内、ボーナス年2回、カレンダー通りの就業」と知らされていたにもかかわらず、それがごく一部の推薦入社(エリート組)にしか適用されない法だと知って「大人はほんとうのことを言わない」と書いた向田邦子が正しかったことを思い知らされた。
音楽が好きで、下手くそながらもギターを弾いたりもする。
ときどき友人主催のライブに招かれてお酒を飲む。
結婚はまだ早いと思っている。
日々が目まぐるしく動き、かといって予定がないと不安を憶える。
残念ながら美人ではない。
それが私だ。
弟がレジを打つ音はそんな私の生活にはあり得ない周波数にて流れている、そんな気がするのだ。
たぶん彼のことを理解できる日は一生訪れないだろう。
私は足早にその場を去った。
初めて弟のアパートに遊びに行くことにした。
お土産に買った南青山のシフォンケーキを片手に携えて、部屋の呼び鈴を鳴らした。
返事はなかった。
もう一度押す。
まだ出ない。
私はしびれを切らしてノブに手をかけると、それはあっさりと回ってしまった。
「不用心だな」
事前に連絡はしているので、今日この時間に私が来ることは知っているはずだ。
おおかた近所のコンビニかどっかに行っているのだろう。
勝手ながらも先に上がりこむことにする。
一歩、部屋に入って私は思わず手にしていたケーキの袋を落としそうになった。
そこには何もなかった。
人の住む気配なんてこれっぽっちもなくて、まるで私に弟なんてはじめからいなかったんじゃないかという気すらした。
もう一歩、足を踏み出す。
音すらしなかった。
ああ。
もしかしたら。
ここは「向こう」なのかもしれない。
弟が存在しないのではなく、私が存在してはいけない場所なのだ、ここは。
壁紙は白く、その他の何もかもが白かった。
この世界のどこかで彼は今もレジを打ち続けているのだろうか。
寂しいと思わないのだろうか。
いや、ここは「向こう」なのだ。
私が住む世界のものさしが通用するはずがないじゃないか。
私はふと自分の顔を撫でた。
鼻がなかった。
おわり
* この作品は小説現代2014年9月号(講談社)に掲載されたものになります。なお、出版社様に許可をいただいた上での掲載となります。
カラス女史のラブレター
始めに言っておきますが、これは手紙ではありません。
手紙の形をした何か、です。
この文章に返事を書く義務はあなたにはありませんし、読むこともまた然り、です。
私のほうでもあなたに読んでもらおうという気持ちはありません。
誰かの目に触れる場所で書きたいという思いは確かにありますが、住所録の開いたページにたまたまあなたの名前があった、それだけの理由なのです。
そのページに載っていた宛先の中で、おそらくはもう二度と会うことはないだろうと思われる人はあなたしかいなかったのです。
わかります、しごく迷惑な話でしょう。
もしあなたがここまで読んでしまったのならば、すでに後悔の念が沸き始めているやもしれませんね。
そうであるならばどうぞ遠慮なさらずにこの手紙を破いてしまってくださってかまいません。
間違ってもヤギに食べさせてはいけません。
手紙を食べるヤギは童謡の中にしか住みませんし、ましてやこれは手紙ではないのですから。
では始めの文章をここで終わることにします。
何度も言いますが、どうか無理して読まないでください。
だいたい序文や注釈のやたら多い文章に、良いものなどあった試しがないのですから。
それでは。
先日、私は四〇歳になってしまいました。
四〇。
それは二〇年近く前の当時、あなたに会ってばかりいた頃と比べれば想像もできない数字です。
昔の私にとってのバイコヌールと、もしくはシュシャーニ師と同じくらい縁遠い言葉であった数字に、今私はなりえたのです。
あの時のあなたが今の私を見たら、それこそバイコヌールを見るような目つきで眺めるかもしれません。
なにせ私は変わりました。
毎日しっかりとお化粧して臑毛のお手入れもして、その日着ていく服を鏡台に映してチェックしていた自分が懐かしいです。
私は今、職場でカラス女史と呼ばれています。
いつも黒が基調の、地味な服装をしているからです。
だってそのほうがずっと楽なんですもの、信じられないでしょう?
あんなにお洒落することが好きだった私が、です。
口うるさいカラス女史。
職場の若い子たちからはこんな風に噂されていることを私は知っています。
いや、してないのかもしれないけれど同じことです。
私自身がこう思われているんだろうなと感じてしまっているから、もうその可能性は私の中で事実になってしまっているんです。
あの子たちだってもちろん悪い子ではありませんし、むしろみんな嫌な顔ひとつせずに私の指導に返事をしてくれます。
年をとったら「昔に比べて今の子たちは」なんて愚痴をこぼすおばさんになるのかななんて思ってはいましたが、まったくそんなことはなさそうです。
ただ事実として、私はカラス女史なのです。
仕方のないことです。
仕方ない、といえばあなたの口癖が「仕方ないんだ」でしたね。
部屋に散らかっている服を私が片付けていると「仕方ないんだ。後でやろうと思っていたんだけれど、その「後」がまだ来てないだけなんだ」なんて子どもじみた言い訳をしていたあなたのことを私は嫌いではありませんでした。
今でもあなたの部屋は散らかったままでしょうか。
それともどこかの素敵な女性が、以前私がやったのと同じように整理してくれているのでしょうか。
後者であればいい。
ほんとに私はそう思っています。
なにせあなたの散らかし具合ときたら足の踏み場もないくらいにやらかすものですから結局、服を足場にするしかなくていつもあなたはシワだらけの格好をしなくちゃならなくなります。
少しだけわがままを言わせてもらえば、あの「仕方ないんだ」という口癖、それだけは私のものにしておきたいなと勝手に思ってます。
人間て、なんて醜いんでしょう。
こんなときにも独占欲なんてものがこそこそと顔を出してくるんですから、それとも私だけなのでしょうか。
それでしたら私は人間に謝らなければなりません。
でもそれもなんだか癪にさわるし、カラスらしくカァと鳴いてやりましょうか。
何の意味もなく。
そう、先日私は誕生日を迎えました。
記念日に細かいあなたなら、もしかしたら覚えててくれたかもしれませんね。
忘れててくれたほうがよかったのか、私にはわかりません。
部屋は汚いくせにそういうところだけはなんていうか、行き届いていました。
お互いの親の誕生日や初めてデートした日、私がオートロックのマンションに引っ越した日、初めてセックスした日なんてものまで、よくあんなに覚えてましたね。
セックスといえば、ベッドの上でいまだに自分勝手に振舞ったりしてないか私は少し心配です。
あなたがどうなろうと私にはまったく関係ありませんが、それでは相手の女の子が可哀想です。
どうか向こうの気持ちも思いやって、その上でここにはとても書けないいろんなことをすればいいでしょう。
セックスは相手があって成り立つもの、うまくやればあなただってきっと新しい境地に辿りつけることでしょう。
おばさんらしく「余計なお世話」とやらを焼いてみました。
うまく焼けたでしょうか。
カァ。
信じてくれなくてもかまいませんが、私は決してお酒に酔ってこんなこと書いてるわけではありませんよ。
今は休日の、とても落ち着いた午前中です。
もっとも正気でこんなハタ迷惑な文章を書いているほうがよっぽどおかしな行為かもしれませんが。
仕事はあのときのままでしょうか。
あの頃、職を変えてばかりいたあなたに私が「少しは長く経験を積まないと」と言って(えらそうな、知ったかぶった口をよく利けたものです。たかだか二十歳そこそこの小娘が。ああ恐ろしい)、あなたが「そうかもな」と珍しく素直にうなずいてくれたとき、私は嬉しかったのです。
ああ。
今ずっと言いたかったことを書くことができました。
今まで私は言いたかったことをこれっぽっちも言えずにやがては忘れてしまうということがたくさんありましたが、そのうちのひとつをここで消化できました。
そしてもうひとつ。
告白すると一〇年ほど前でしょうか。
私はあなたを偶然見かけたことがあります。
縦じまに薄い模様の入ったスーツを着て、疲れた表情を浮かべたあなたが西船橋駅ホームのベンチに座って。
どこか一点をずっと眺めていました。
あれは間違いなくあなたです。
見かけ云々、というよりも雰囲気でわかりました。
私はそのときちょうど取引先の証券会社から直帰するところで、反対側のホームで順番待ちの列に加わっていました。
声をかけようかどうしようか迷っているうちに、やがてあなた側のホームに滑りこんできた電車の中へとあなたは消えてしまいました。
あのとき、あなたは何を見ていたのでしょうか。
あの目線はぼんやりと何か見るわけでもなく見る、といった種類のものではありませんでした。
確かにあなたは何かを見ていたのだろうと思います。
あなたが昔、紹介してくれた小説をふと思い出しました。
遠藤周作の『満潮の時刻』。
面倒くさくて読まなかったと言ってはいましたが、実は読んでいたのです。
ただあなたになんて感想を返せばあなたが喜んでくれるのか、私にはわからなくてつい嘘をついたのです。
思えば健気なものです。
あなたを喜ばせるために慣れない読書をして、あげくの果てにその努力を捨てて嘘までついてしまうのですから。
ほんとうに、今でも私は内容を憶えています。
不思議なものです。
あなたと一緒に過ごした日々についてはろくに覚えてもいないくせに、小説の中身だけはばっちりと頭に残っているんです。
結核の病にかかった主人公が絶望のうちに病院の屋上で、ある一筋の煙を見つける場面がありました。
どこから上がっているかもわからない不確かな煙を見て、自分の人生のようだと妙な清々しさに暮れる、そんな場面でした。
一〇年前のあなたの目線はその描写を私に思いださせました。
本の中の主人公と同じように、もしかしたらあなたも駅のホームではなくて人生の分岐点にいたのかもしれませんね。
もしあのとき私があなたに声をかけていたのなら、あなたの(そして私の)人生は変わっていたでしょうか。
良い方向、もしくは悪いそれに変わっていたのでしょうか、今となってはわかりませんが映画やドラマではないのですから、おそらくは変わっていないとは思いますが。
ねぇ。
よろしければ、あの日見ていた何かを教えていだだけないでしょうか。
白い葉書に宛先と、その回答だけを書いて送ってくださいませんでしょうか。
もちろん忘れてしまったならばけっこうです。
その葉書が来たら、あなたがこの文章を読んでくださったことを喜べますし、来なかったとしても、一〇年前ですもの忘れてしまったに決まってますときっぱり諦めることができます。
万が一「ごめん、忘れたんだ」と下手くそな字でだらだらと私との思い出を書いて送って寄越したりなんかしたら、そんなことは絶対にやめてくださいね、余計な気まで遣われたら私は腹が立って思わずカァ、と鳴いてしまいそうですから。
ただ私は思うのです。
バイコヌール、なんて文字が書かれていたらどうしよう。
そんな夢を思い描いてしまう小娘のような気持ちだけは今も。
変わらずにいるのです。
おわり
ソルト君とじゃぐさん
それはすべてソルト君のせいだよ、とじゃぐさんは言った。
「誰それ」
「知らないのかい?」
年齢はわたしとたいして変わらないはずなのに、やけに大人びた雰囲気をもつじゃぐさんは、青果売り場で今日の夕食に使う白菜を慎重に見極めていた。
例えばさ、とじゃぐさんは言う。
「それまでうまい具合にできたのに、最後の仕上げで失敗することって往々にしてあるだろ? 塩をひとつまみ余分にふりかけてしまった玉子焼きみたいに」
「料理はしないからわからない」
「別に料理に限ったことじゃないさ」
じゃぐさんの右手には丸々と太った白菜が乗っかっていた。
地球みたいな丸さだ。
「それとわたしの今抱えている問題と、どんな関係があるの?」
「大事なことはいつも物事のちょっとずれたとこにあるんだ」
それが彼の口癖だった。
いつからかわたしは書くことに行き詰まるたびに、機知に富んだじゃぐさんが口にする旨みたっぷりの話を聴きに彼の部屋へ訪ねるようになった。
わたしと違って手先の器用なじゃぐさんは語り部だけではなく、料理人としても(もちろんそれだけが理由ではないんだろうけど)優秀で、その日の夕食はたいていが豪華な晩餐となった。
何かしらのヒントをつかむついでに、美味しい食事もつまむことができるっていう寸法だ。
行き詰まる。
つかむ。
つまむ。
なんだかろくなことをしてないような気がする。
もっとも最近では行き詰っていなくても、出掛ける支度を済ませてから「今日は何をつくるの?」と電話をすることもしばしばあった。
もはやどっちが目的だかわかったものじゃない。
「今日は何をつくるの?」
わたしは冷房の効き過ぎたスーパーマーケットの片隅で訊いた。
店内に他の客は見当たらない。
世界でふたりきりになってしまったのかもしれない。
もしも世界とやらがスーパーマーケットの片隅のようなものだとしたら、の話だけど。
「寒くなってきたから鍋でも囲もうかなって思ってる、簡単だし」
水炊きにしようか、とじゃぐさん。
――ミズタキ?
「知らないのかい?」
もう一度、わたしの名誉に賭けて言うけれど。
彼とわたしに年齢的な差はあまりないはずだ。
なのにこの差はなんだろう?
どうしてわたしはこんなにも何も知らないのか。
じゃぐさんの痩せた身体をショッピングカートが支えている。
彼は無条件で愛される存在なのかもしれないと思うと、少しだけ、彼のことが憎らしくなる。
「じゃあ今日は記念日だ」
「なんの?」
「君の水炊き初体験」
今夜のメニューを決めたわたしたちは不思議な果実のように重く垂れたビニール袋を携えて、スーパーマーケットを後にした。
外はすっかり暗くなっていた。
「さっきの玉子焼きの話だけど」
「玉子焼き?」
「ほら、塩を入れすぎてどうたらこうたらってやつ」
――ああ。
後ろ向きに歩いておどけてみせるじゃぐさんは相槌を打ったとたんにつまづいてバランスを崩した。
ショッピングカートの代わりに、電信柱がじゃぐさんを支えた。
間違いない、彼は無条件で愛されている。
「ソルト君のことか」
寒さで水銀灯の放つ光が白い靄のようになっていた。
息を吐いているみたいだ。
「例えば、それまですべてが上手くいっていた休日の午後、君は玉子焼きをつくろうと思う。完璧な休日の玉子焼きなんて良いもんだよ。ところが、塩をひとつまみ余計に入れすぎたためにしょっぱくなってしまって、食べられたものじゃなくなったとする。もう取り返しがつかない。完璧な休日が塩のひとつまみだけで台無しになるんだ。君ならどんな気分になる?」
「やるせないね」
そうだろ? と嬉しそうにじゃぐさんは重い果実を揺らした。
買ったばかりの電球が割れやしないかと心配しながら、わたしは彼の横を歩く。
影がふたつあった。
「そんなとき、僕はソルト君が悪い。すべてはソルト君のせいだって、彼に責任を押し付けるんだ」
「ひどい」
solt(塩)、という英語をわたしは思い浮かべる。
高校生のとき以来かもしれない単語と再会したわたしは、ちゃんと綴りまで正確に憶えていた自分にびっくりした。
いったいわたしの頭はどうなっているのだろう。
「塩君、じゃ味気ないだろ。それに塩っていう漢字には「塩様」のほうが似合っている気がするんだ。でもなんてったって彼のせいでせっかくの休日が台無しになったんだから、様付けでなんて呼びたくない。ソルト君、がちょうどいいんだよ」
――つまりさ。
じゃぐさんは続けた。
「君が文章をうまく書けなかったり音痴だったりするのも、すべてソルト君が悪いってことにするんだ。気持ちが楽になる」
「音痴は余計よ」
文句を言いながらもわたしはちょっとだけ考えてみることにした。
果たしてそうだろうか。
――すみません。
肩を下げ、頭を垂れてうなだれる気弱そうな青年をわたしは想像した。
なんだかこっちまで申し訳なくなってくるような、そんな青年だ。
「いいよ、ソルト君のせいじゃない。うまく書けないのはやっぱりわたしのせいだよ」
「いえ、その、ありがとうございます」
ソルト君の着古した赤いセーターは、襟の部分がだれて首元がやけに開いてしまっていた。
「優しいんですね、僕を責めないなんて」
「いやいや、当然トーゼン」
わたしは少しだけいい気分になって、文章の現実を忘れることに成功する。
かまわないや。
うまく書けないのはソルト君のせいなのだから。
硬いコンクリートの隙間までどこもかしこも夜の黒さに埋め尽くされる頃、私たちはようやくアパートの前までたどり着いた。
「早いとこやっつけちまおう」
勢いづくじゃぐさんを脇にしてうなずいたものの、わたしのやるべきことまでまだ時間があったので本棚から適当な一冊を抜き出しておとなしく待つことにする。
締切りだった部屋の窓は今やすっかり開け放たれていた。
冬の空気だ。
コートを着込んだまま、ぱらぱらとページをめくっているとやがて「さあ、できた」との声がする。
それを合図にテーブルに皿を並べていくのがわたしの仕事だ。
小さな食卓テーブルの真ん中に丸い鍋が置かれ、窓も閉じられたことで私たちはやっとコートを脱いだ。
「水炊き記念日、おめでとう」
「ありがとう」
スーパーで売られていた一番低価格のワインを空けて、二人で乾杯をした。
「どうだい」
もちろん、美味だ。
「だろう?」
じゃぐさんは自慢気に、その時ばかりは歳相応の、むしろ幼さ全開の目を輝かせるのだった。
どうやら今日はソルト君の出番はないようだ。
「そうか、君はまた書けなくなったのか」
「うん」
「しかし君も難儀だね。書くことを仕事にしてるのにそんなしょっちゅう書けなくなっちゃ困るだろう」
「だからこうして相談に来てる」
――僕にはわからないよ。
いまや太った白菜は無事に二人のお腹へと場所を移動している。
男の人の割に少食な彼はわたしと同じくらいの量しかものを食べない。
ちょうど同じくらい。
だからあの太った白菜殿はちょうど半分こずつ、椎茸と木綿豆腐に下仁田ネギ、たっぷりの鶏モモ肉たちに囲まれて私たちの胃袋におさまっているはずだ。
「そんなこと言って、本当はわかってるんじゃないの? わたしと違っていろんなことを知ってるじゃない」
「たまたまだよ」
「たまったもんじゃないわ」
わたしの隣にはいつの間にかソルト君が座っていた。
両手を膝の上に乗せて、テーブルの上に置かれているグラスに目を落としている。
「ねえ、どうしたらまた書けるようになるの」
「せっかちだなぁ、君は」
――大事なものはいつもちょっとずれたところにあるんだよ。
じゃぐさんは言った。
「君はいきなりQ(Question)からA(Answer)に飛びたいようだけれど、その間にはR(アール)やT(ティー)が隠されているんだ。実はそっちのほうがAよりも大事だったりするんだよ」
オー、ピー、キュー、アール、エス、ティー、ユー、ブイ、ダブリュエックスワイゼット、エー。
そこまで小声で歌ってから、ソルト君が口を挟んできた。
「僕の名前にはQとAの間にある文字がふたつもある」
嬉しそうに肩を揺するので、テーブルがことこと動いた。
静かにして、と注意すると「すみません」とうなだれる。
「でもわたしはAに飛びたいの」
じゃぐさんはため息をついた。
「そもそも何で文章じゃないと駄目なんだい? 映画じゃ駄目なのかい」
わたしは首を振った。
「バケツ一杯に盛られた砂は映像にできるけど、バケツ一杯の言葉は映画にできないでしょう」
つまりそうゆうこと、とわたしは言った。
ふむ、と心優しい相談相手は腕を組んで考える素振りをする。
「つまりバケツのような物語を書きたいんだね?」
――ちょっとちがうかな。
なんだか変な勘違いをされてしまった気がしないでもないけど、そのまま黙っておくことにした。
大事なものはいつだって、ちょっとずれたところにあるはずだから。
「君のうちにバケツはあるの?」
一応あるけど。
「それは何製かな」
「ポリエステル、だったと思う」
それじゃ駄目だよ。
じゃぐさんは立ち上がって廊下のほうへ姿を消した。
テーブルの上にあった鍋はすでに台所に下げられ、食卓にはほうじ茶の入ったマグカップが3つ、湯気を立てていた。
「バケツのような物語、ねぇ」
それにはバケツ一杯の「よっぽどな出来事」が必要になる。
物語に出てきたバケツに何も入っていなかったら興ざめだから。
そういえば、どこかの作家が「物語に登場した銃は必ず発砲されなければならない」と書いていたことを思い出した。読んだとき、別にお飾りの銃でもいいじゃないかそんな堅いこと言わないで、と思ったことも。
「ほら、やっぱりバケツといったら金属製じゃないと」
戻ってきたじゃぐさんの手には銀色に鈍く光ったバケツが握られていた。
今日買ってきた白菜がちょうどすっぽり収まるくらいの大きさだ。
地球?
さすがにそれは無理かもしれないけど。
「蹴っ飛ばした箇所の凹んだ跡が残る、それがバケツの定義というものだよ」
確かに、そのバケツは思い切り蹴飛ばしてみたくなるような、蹴った靴の跡がきれいに残ってくれそうな形をしていた。
お茶を取ってくれないか、とソルト君に頼んだじゃぐさんは、わたしにマグカップとバケツを手渡してくれた。
右手にはバケツ、左手にマグカップ。
「どうだい?」
重さを測れるかい、と訊いてくる。
「バケツのほうがちょっと重いかも」と、わたし。
「大丈夫だ、それなら君はバケツのような物語をきっと書ける」
書きたいものを手にとることができたなら、書くことだってきっとできるよ、とじゃぐさんは続けた。
「本当かしら」
「本当さ、例えば君が戦争の話を書きたいと思ったとして、その重さを測ることができるかい?」
ソルト君が再びじゃぐさんの指示に従って戦争を渡してきた。
右手に戦争、左手にはマグカップ。
「どう?」
わたしは答えることができない。
「なら君は戦争の話を書くのはやめたほうがいい、きっと君の手には負えない代物だからね」
なるほど。
お茶が無くなったね、とじゃぐさん。
「もう一杯飲もうか」
こんな夜が続いてくれるのなら、ずっと書けなくてもいいかもしれない。
そう思うくらい、いい夜だったのだ。
わたしはもらったばかりのバケツを鳴らしながら、帰り道をじっくりと歩いた。
あれからすぐのこと。
じゃぐさんは仕事を辞めてデンマークへと旅立った。
電話口で思わずわたしは彼を責めた。
「そんな急に」
「ごめん、なかなか言い出せなくて」
こんなときに限って、蹴飛ばしたくなるバケツはそばにない。
やるせない思いは言葉にはならなかった。
わたしはまだその重さを測れるほど大人じゃないのだ。
「気をつけて」
それだけ言うのが精一杯だった。
電話を切ったあと、午後がゆっくりと孤独に包まれていくのを感じた。
世間は日曜日だった。
「よし」
何がそうさせたのかはよくわからないけど、その時のわたしは妙なやる気に満ち溢れていた。
台所に立ったことのないわたしが玉子焼きに挑戦しようと思い立ったのだ。
――完璧な休日の玉子焼きなんて良いものだよ。
急いで近所のコンビニエンスストアまで走って、卵をひとパックだけ買う。
息を切らせたわたしを不審そうな目で見る店員のことは忘れることにする。
フライパンを手にとった。
バケツよりも重たいけれど大丈夫、わたしはフライパンのことも書けるはず。
卵をといて分量に気をつけながら塩と砂糖、面倒なのでこの時点で醤油も垂らす。
つくっている途中、じゃぐさんの言葉が熱したフライパンの上で踊るようにしてじゅう、じゅうとわたしの頭の中を過ぎった。
ちくしょう。
ちくしょう。
形が少し崩れたのを覗けば、玉子焼きはびっくりするくらい上手くできた。
それも彼のアドバイスのおかげかと思うと悔しい。
「ちくしょう」
最後にお茶を入れることにした。
――お茶は温度が大事だよ。ほうじ茶はたっぷり熱めのお湯でささっと入れること。
――本当かしら。
たかだかお湯の温度ひとつでそんなに変わるものか疑わしい。
わたしはわざと低めのお湯を使うことにした。
「む」
それはいつもと違う味だった。
なるほど。
彼の言うことを素直に訊かなかったわたしが悪い、と反省する気持ちはさらさらなかった。
「誰のせいかしら」
「すみません」
ソルト君が言った。
おわり
* この文章に登場する「じゃぐさん」という名前はある友人にお借りしたものになります。今、この場で友人に感謝の意を。ありがとう。
小松剛生
(第11回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■