She

フジテレビ

土曜 23:40

 

No.085_TVドラマ批評_01

 

 

 中心が不在のまま、周辺の人物たちの物語が進行する、というタイプのドラマである。この形式としては、最近では『桐島、部活やめるってよ』があり、昔の名作に有吉佐和子の『悪女について』がある。いずれも中心となる人物は完全に不在であるが、「She」ではその姿がちらちら見え隠れする気がする。

 

 それは「行方不明」という概念がもたらすものかもしれない。ミステリー作品において便利に用いられがちな「行方不明」だが、実際にはなかなか難しいものがある。「行方不明」というあやふやなペンディングは、プロットをむしろ弛緩させてしまう可能性があるのだ。

 

 これを避けるには、その「行方不明」自体がかなり危機的な、つまりすでに死んでいると濃厚に疑われるといった状況である必要がある。ただ、なんとなくいなくなった、ではミステリーとしては足りない。高校生でなく幼女なら、親のパニックにもまだ説得力がある。が、自らの意思で家出でもしたかも、という感じだと、警察も読者もあまり取り合わない。

 

 すなわち、いなければいいというものではないのだが、「She」は残念ながらそこのところが弱い。「いない」という事態に対する確信がないように見える。その確信とは、作家の確信でもいいし、すでに故人であるという事態の作り方でも、誘拐されて殺されている可能性の濃厚さという残酷であっても、作品の強度を増すという意味では同じである。

 

 もちろん、ここではその周辺の人々を描くことが主眼なのではある。しかし「不在」の強度、取り返しのつかなさによって照射される個々のあり方こそが説得力を増す。周辺の人々の日常を描きたいのではない。日常に隠されていた裏の顔を暴こうというのだろう。ならば彼らは非日常にまで追い詰められなくてはならない。中心の不在が切羽詰まったものでなくてはならないのは、そのためだ。

 

 中心であるところの行方不明の少女の姿をまったく映し出さないというのは、テレビドラマ的には難しいのだろうか。「学園一の美女」という呼び声だけの方が正直、期待が高まる。中条あやみは当然、美しくはあるし、フツーの学園なら一番の美女には違いないけれど。まあ視聴者にはそれぞれ好みもあって、見てしまうと、なーんだ、という感じになるのである。

 

 姿が映っても、すでに死んでいるという設定なら、そうがっかりはしないのだ。死者は永遠の謎をはらんだ存在なので、それ自体に魅力があり、映像ごときではがっかりさせられない。行方不明と死者というのは、それゆえに似て非なるものであり、受け手に与える印象は決定的に異なる。

 

 行方不明のはずの女子高生がちょろちょろ出てくると、なんだ、いるじゃんか、という感じにもなり、周辺の追い詰められ方が緩くなる分、演じるのも難しくなる。愛憎も嫉妬も土下座も、どこかオーバーアクションに見えてしまう。ずーっと姿が映らない緊張感で視聴者を引っ張り、絶世の美女を誰が演じるか、話題にしてもよかったように思うが。

山際恭子