「十歳もしくは十一歳。男子。意外とおとなで、やっぱり子ども。」というコピーがある。小学五年生の男の子たち17人の小説17篇が収録されている。小学五年生といえば、どんぴしゃの中学受験期である。それでこの本は中学受験、五年生の必読書だ。六年生になると、本を読む暇もなくなる。
何十年か前「ワタシはオトナなの、いいえワタシは12歳」というテレビCM が流れた。何のCM か覚えてない。しかしそのコピーは覚えている。六年生のときの小学校の担任だった女の先生が感に堪えないふうに言ったからだ。「まさしくそうね、12歳。オトナでもコドモでもない…。」
そうなんだろうか、と12歳であった我々はなかば仰天し、なかば納得した。なんか変な動物であると言われた気がしたのだが、確かに我が身を顧みれば、そうかもしれない。
そこへいくと、小学五年生は「やっぱり子ども。」と決めつけられているだけ、わかりやすい。男の子と女の子の差もあろうが、五年生の男の子はコドモである。それは間違いなく、はっきりコドモだ。
だからここに書かれているのは、紛れもない子どもの物語だ。子どもが出てくる物語はまず例外なく「成長物語=ビルディングス・ロマン」だが、物語の最後に成長し終えても、子どもは子どものままに留まっている。これでここんとこ、オトナになりました、という達成は示されない。
たとえば「どきどき」。その年、少年のもとに同級生の女の子から年賀状が届く。それまでなかったことで、びっくりする。そして2月、バレンタインデーというやつがある。
それまでまったく無縁だったバレンタインデーに、チョコレートなんか欲しいなんて考えたこともない。今年だって別に欲しかない。欲しくはないが、もしかして来るかもしれない。来るはずのない、年賀状が来たのだから。
繰り返すが、チョコレートなど欲しくはないのだ。来たら迷惑だ。来たらどうしよう。もし来たら…と考えているうち、なんだかどきどきしてくる。年賀状をくれた子、もしかして違う子がくれる可能性もある。欲しくはないが、可能性は…。
結局、チョコレートは来ず、欲しくなかったチョコレートが来なかったことで、少年はなぜか気落ちするのだ。気持ちはわかる、とたいていの男は言う。男というのは、そういう動物なのだ。
女の子は大人になることと、女になることが表裏一体のようなところがある。小学五年生だと、ちょこっとだけ女になっていて、ちょこっとだけ大人だ。しかしながら男の子は大人になる前に、男になるところがないか。それはたぶん、男になるのが早いのではない。大人になるのがやたらと遅いのだ。
金井純
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