世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
二〇、『三四郎』第十章 金縁眼鏡の男(下編)
d:ただあなたに会いたいから
美禰子が疲れている風なので、原口はその日の仕事をやめにする。原口からの、お茶の誘いを断って、美禰子は疲れたから帰るという。三四郎も引き留められるが、断って美禰子と一緒に出る。
「断る理由は、明確よね」
「とにかく美彌子といっしょにいたい、ただそれだけなんだよね」
それは、『日本の社会状態で、こういう機会を、随意に作ることは、三四郎にとって困難である』ためである。だから、『なるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと』思い、散歩に誘う。
「これまで美彌子は三四郎の誘いには応じてきたし、自分から三四郎を展覧会などに誘いもしたよね。だから、三四郎は、当然自分の誘いに乗ってくれると思っていたわけだ」
「ところが、『案外にも』断られるのよね」
「この『案外にも』ってところに、三四郎の表情の変化をわたしは見たわ」
そうなのだ。VRで体験すると、この一言が表現するニュアンスが、はっきりと三四郎の表情や、身のこわばりとして感得できるのである。
「三四郎は、美禰子は自分に多少気があると思いこんでいるから、自分の誘いに応じないわけはないと思ってたってことだよね」
「そして、『案外にも』な衝撃は、この後もっとすごい形で現れるのよね」
三四郎はその日の美禰子に憂鬱の陰を読みとる。モデルをつとめているときも、『どうかしているらしくも』あるように見えた。『色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える』。
「最初それを、三四郎は自分への恋心の故ではないかと錯覚するのよね。『自分はそれほどの影響をこの女のうえに有している』だなんて一人で盛り上がる」
けれども、原口の家を辞しても、美禰子は道を急ぐ風で、三四郎には素っ気ない。さらに、三四郎を見る目にも『暈がかかっているように』思われるし、『いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し悪い』。つまり、美禰子の憂鬱の原因は、三四郎にあるわけではないということだ。事情が呑み込めない三四郎は、もどかしさを感じる。
「このもどかしさを吹っ切ろうとして、ついに一歩踏み出すんだよね」
「そうね、『二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたく』なって、何の用で今日は来たのかという美禰子の問いに、『「あなたに会いに行ったんです」』って答える。これは三四郎にとって、決定的な愛の告白だったわけよね」
「でも美禰子は、『「お金は、あすこじゃいただけないのよ」』と、三四郎の告白の意味を『あら、そう。お金を返しに来たのね』という解釈にすり替えてしまう」
「この辺は、美禰子の巧みなところよね。わざと他の可能性を挙げて、それを三四郎につぶさせようとしているのよね。そうやって、三四郎の気持ちを確認してるわけよね。そして、『「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」』っていう。これは、現実には結ばれない二人だけど、貸借関係っていうかたちを永続化することで、象徴的に関係性を維持しておきたいっていう気持ちの表現だったともとれる」
「つまり、美禰子は三四郎をある程度は好いていたと考えることができるわけよね」
「うん、とすると、この場面はとっても切ない二人の恋情の吐露と、その破局が描かれる場面だってことになるね」
「三四郎も決定的な言葉を口にするわよね。『「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」』って。その言葉を聞いて『女の口をもれたかすかなため息が聞こえ』るのよね、三四郎に。ここはなんともいえず官能的な場面だわ」
「三四郎は、自分の愛を伝えた。そしてそれは美禰子に伝わったわけだ。そして、美禰子も貸借関係を永続化する意志を示すことで、自分の気持ちを伝えた」
「でも、ここからが悲劇なわけよね」
「そうだね。けれども、美禰子はもうこのとき、その恋がかなわないことを知っているわけだから。なぜなら、美禰子自身は、三四郎に演出し、見せ続けてきた絵としての女ではなく、現実には家制度のなかにあるか弱い立場の女性でしかないからだ。他家に嫁入りすることでしか、居場所を得ることができない存在でしかないからだ」
「でも、三四郎には現実の、生身の美禰子は見えてない。だから、結婚相手にはなれないともいえるのよね。三四郎は現実を生きておらず、美禰子という絵の賛美者にすぎないから。三四郎が愛を告白した相手は、生身の美禰子ではなく、彼女が演出した絵としての美禰子に対してだけだったから。現実には、三四郎の愛情の向かう先には何もないってことよね」
「それを象徴するのが、実は初めて三四郎があの森、つまり帝大の中にある池のほとりで美禰子を見たときにさかのぼるエピソードなわけだ」
「そう、美禰子は実はずっと前から原口のモデルだったことを告げるわけだからね。
『「そのまえっって、いつごろからですか」
「あの服装でわかるでしょう」
三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い夏を思い出した。(中略)
「あなたは団扇をかざして、高い所に立っていた」
「あの絵のとおりでしょう」』
つまり、最初っから三四郎は『絵の中の女』『絵としての女』しか見ていなかったっていうこと。最初っから、三四郎が美禰子だと思っていたのは、生身の美禰子ではなくって、演出された、絵のモデルとしての美禰子だったってことだ。そして、三四郎が惚れたのも、その架空の美禰子だったっていうこと」
e:馬車が連れ去る
「そこへ現実がやってきて、生身の美禰子を連れ去ってしまうのよね」
「なんとも残酷な場面だよね。現実として現れるのは、まさに現実そのものな、いかにも実業家然とした人物だよね。『黒い帽子をかぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい』男、『背のすらりと高い細面のりっぱな人』『髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい』人」
「恭助の法科での友人だからね。恭助と同じ世界に属しているわけよね。しかも、後でわかることだけど、当初この人物はよし子の婚約相手として紹介されたわけでしょ。でも、おそらくは『「行きたいところがあれば行くわ」』という、よし子に断られた。だから、打算的に『じゃあ美禰子でいいや』ってなった可能性が示唆されてる」
「つまり、愛のない、打算的な結婚。きわめて現実主義的な家と家との結婚ってことだよね」
「美禰子の仕草が切ないわ。迎えにきたってほほえむその紳士に、礼を言って、『美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた』ってあるじゃない」
「さりげない文章だけど、読書=体験するとその目の動きがよくわかるよね。肉感的に感じられる」
「そう、三四郎を見る美禰子の目は救いを求める目なのよね。はかない、理解すらされない、救いを求める目」
「切ないね」
「で、馬車という現実的な乗り物が生身の美禰子を連れ去ってしまうのよね。お金を返さずじまいになったために、三四郎には象徴的な、美禰子との絆だけが残されるわけよね」
「うん、でも三四郎は常に自分への逃げ道を用意している。『いいぐあいに三四郎は追分へ曲がるべき横町の角に立っていた』わけだからね」
「ただ呆然と立ち尽くすのではなく、『いいぐあいに』家への帰り道がそこにあるから、立ち去っちゃうわけよね」
「現実に向き合わず、残されたお金というバーチャルな紐帯を抱えて、逃げていくわけだ」
「まだ現実と向き合う勇気はないってことね」
「意気地なしっていうのは、そのことなわけだよね。現実にまで突き抜けていくことができないわけだ」
「つまり、恭助さんを軸とした人間関係は現実世界を、三四郎を軸とした人間関係は現実から遊離した世界を象徴してるってことになるのかしら」
「おっ、なんだか少し犯行の動機みたいなものに近づいてきたような気がするな」
「ええ、もう少し読み進めてみましょう。あと少しよ」
「あら?」
固い決意を秘めて次の章へと移ろうとしたときだった。美彌子を載せて去ってゆく黒い馬車を見送っていた高満寺が、ふいに怪訝な声をあげた。
「どうした?」
「馬車じゃないわよ。あれ」
「え、そんな馬鹿な」
言われて俺も去っていく馬車、であるはずのものを見やった。
実は馬車は明治時代になってようやく普及したものであるらしい。江戸のような人口過密都市では、馬車が街中を走るというのは困難だったということと、アップダウンの多い日本の道に馬車はそぐわなかったということがあったようだ。それが、明治になって道路整備が進み、まずは貴族や富裕層が、西洋風の馬車を使い始めた、というながれであったらしい。
けれども、いま美彌子を載せて、俺たちの前から去っていこうとしていたのは、二頭立て黒塗りの瀟洒な馬車ではなかった。屋形と呼ばれる屋根に三と四の漢字を模様のように配し、金襴の軒格子を前と横にぶら下げ、しずしずと進む優雅な乗り物であった。その優雅さは、ゆるゆると進む、黒き獣が醸し出しているものである。
「あれ、牛車じゃないか」
「平安時代の乗り物よね」
あわてて俺たちは、原文をチェックした。
「やられた!」
「いつの間に?」
さっき体験したときは、確かに『向こうから車がかけて来た。黒い帽子をかぶって、金縁の眼鏡めがねを掛けて、遠くから見ても色光沢つやのいい男が乗っている。』となっていたはずだった。それがいつの間にか『向こうからしずしずと牛車が寄せて来た』と変更されているではないか。
「この手口はしのび笑いだよな。反聖文が、こんなギャグかますわけないし」
「でも、ここさっき読み=体験したばかりよ。それにわたしたちここにいたのに。いったいどうやって?」
「相当な技術力を持ってるか、あるいはなんらかの特殊能力を持ってるとしか考えられないな」
「しのび笑いの「しのび」って、もしかしたら「忍び」から来てたりして」
「ありうる!」
俺たちは同時にそう思った。
しのび笑い、恐るべき奴だ。くだらない冗句にしかその力を使わないのがせめてもの救いなわけだが。
まあ、ちょっとした息抜きになったのは確かだ。確かにしのび笑いの行為は、緊張していた俺たちの気持ちをかなりほぐしてくれたのは確かだった。ちょっぴり感謝しながら、しのび笑いしつつ、俺たちは牛車が角を曲がるまで見送り、それから、活字を元通りに戻しておいた。
この章をざっと整理しておくと、冒頭で三四郎は広田に会いにいくが、広田は友人に柔術で組み伏せられている。その友人の経済的困窮から、不況の世相が浮かび上がる。広田から借りた本には諸行無常についての事が書いてあるし、原口のアトリエに向かう途中、三四郎は子供の葬式に出くわしもする。けれども、不況も、死もいまの三四郎にはピタッと来ない。彼の青春の血はただただ恋にたぎっているばかりだからだ。
訪ねてみると、美彌子は団扇をかざして広田のモデルをつとめている。三四郎は、そのポーズが初めて森の池で出会った時と同じであることに気づく。つまり、最初っから三四郎が見ていたのは「絵のモデルとしての美彌子」だったということだ。
三四郎がこのアトリエを訪れた目的は借りた三〇円を、親から無心した金で返却するというものだったが、美彌子には受け取りを拒まれる。
あまり具合がよくなさそうな美彌子とともにアトリエを辞した三四郎だが、その日に限って美彌子はそっけない。やがて馬車で現れた金縁眼鏡の男によって、唐突に三四郎の前から連れ去られてしまう。
「三四郎が『夢にうずいて』いる間に、現実が容赦なく美彌子を拉致し去ったっていうことね」
「金銭感覚の無さに象徴されるように、三四郎はまだ現実を知らない。かといって学問や芸術にもほんとうの意味では触れていない。まだどこにも属していないままに、世界は三四郎を取り残してどんどん動いて行ってしまうわけだ」
「なるほど、『現実』ってやつが、けっこうキーポイントなのかもしれないわね。わたしたちは三四郎に寄りそって読み=体験しているから、そこがなかなか見えにくくなってるわけよね」
「そうだね。殺人ってのは『現実』の果てにあるものだからね」
(第35回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月13日に更新されます。
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