来世はあるのか、人は悟ることができるのか。死の瞬間まで何かを求め迷い続ける人間に救済は訪れるのだろうか。そもそも人間は迷い続けている自己を正確に認識できるのだろうか・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家の肉体思想的評論第三弾。
by 金魚屋編集部
一.「十牛図」のこと
中国は宋代の禅僧、廓庵師遠の「十牛図」は洋の東西を問わず、広く知られている。
牛をめぐる十の絵図に、ひとの精神の発展段階を寓意的に描いたものと解される。
その劈頭、第一図に描かれるのは、五里霧中にあるひとりの迷える童である。
ふと気づけば、かれは牛の姿を探し求めてさまよっている。
牛とは、悟りのことである。
牛をつかまえようと悪戦苦闘しながら小僧は修行を続ける。
やっと牛のいる手がかりを見つける。それが第二図である。
第三図では、牛の姿を見つけ出す。
第四図になって、とうとう牛をつかまえる。だが、暴れ牛はいうことをきかない。
第五図に至ると、かれはひとりの牧牛となる。ついに牛を飼いならせるまでに精進したのだ。その牛に乗ってかれは意気揚々と家に帰る。家とは、本来立ち還るべき場所のことである。何のことはない、牛も家もおのれ自身のことにほかならなかった。これが第六図。ここまでは小僧の成長物語と言っていい。
小僧はこころというステージを一歩ずつ上がっていく。そして悟りもまたほかでもない、おのれ自身にあるのだと思い至る。そのことが得心されれば、もはや牛など必要ない。ハシゴを架けて上がったら、もうそのハシゴは要らない。それが第七図である。そうなると悟りも、自分自身さえも忘れ去ってしまう。それらもしょせん分別のひとつにすぎなかった。そうと気づいてみれば、そんな分別なんてものは、自分が作り出したまぼろしで、もとからありはしなかったのだ。これを「人牛倶忘」という。この第八図にはただ白円がひとつ、大書されるのみである。
こうしていっさいは、あるがままの相へと立ち還る。これが第九図にいうところの「返本還源」、描かれるのは一幅の山水図である。「自ズカラ然ラシメル」すなわち自然のたたずまいである。広く知られる「花は紅 柳は緑」の句が、偈のひとつとして図に添えられる。
ところが、話はこれで終わりではない。そこが「十牛図」のすぐれたところである。
それで終わりならば、九つの図が一直線上に並ぶばかりだろう。次の第十図でゴールに至り、めでたしめでたしという次第である。ひとの精神が一段ずつステップを上がりながらついに最上段に上り詰めるというたぐいの話は、洋の東西を問わず枚挙にいとまない。『西遊記』だって『神曲』や『天路歴程』だってそういう眼でみればつうじるものがある。近代のビルドゥングスロマンはその完成形のようなものだ。でもそれでは円にならない。円が閉じない。「十牛図」で円はただ図柄として描かれるだけではないのだ。最後の第十図からふりだしの第一図へ戻り、十からなる図の全体が円環を描くようになっているのである。始まりも終わりもない円環、それが「十牛図」の醍醐味である。英語で言うと〝come full circle〟というところか。
そんな勝手な解釈を、と専門家から非難されそうだが、自ずとそう読めるのだから仕方ない。仏教は解脱してさあ卒業と思ったら大間違いですよ、そんなに浅いもんじゃありません、ナメちゃあいけませんよ。そう言われているようでもある。こういうあたり、仏教の端倪すべからざるところである。
図柄の順番だけで言えば最終図にあたるこの第十図、それでは何が描かれているか。「入鄽垂手」と題するその図に姿をあらわすのは、ふらりと何食わぬ顔で巷にあり、小僧の眼前でニコニコ笑いかけている布袋である。これを悟りの世界からふたたび俗世へ還って、衆生教化の立場へ転じること、すなわち菩薩道の表現と解するひともいる。往って彼岸の河を渡ったら、今度は衆生のために還って来なくてはいけない。〝往相〟とそれに対する〝還相〟である。
それでは杓子定規な理解に止まるだろう。「何食わぬ顔で」と書いたのは筆者が補ったので、布袋というのはまことに食えない奴である。かれは巷の人びとの中へ溶け入るのみ。布袋である必要もない。ただの酔いどれ爺にすぎない。それ以上の何者である必要があろう。聖も俗もない。往くも還るもない。このやくたいもない日常がそのまま菩提、菩提とはこの日常そのままを生きることにほかならない。
「そのまま」という言い方に、かつて吉本隆明が親鸞を論じた次のような文章を思い起こすひともいるだろう。
〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。
(強調原文、吉本隆明『最後の親鸞』)
〈無知〉と言わず〈非知〉と言ったところが、吉本らしい。
一方、かれは笑みを浮かべながら、ひとり呟く。――「これでいいのだ。」
ふと気づくとかれは、牛の姿を探し求めてさまよっている。
円は閉じられる。
このとき。かれとは何者か。
二.「あるがまま」ということ
⒈
「十牛図」の描き手は、どうやら地球の反対側にもいたらしい。
最大の重し。――もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、――「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細なことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、――さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される――それとともに塵の塵であるお前も同じく!」――これを耳にしたとき、君は地に身を投げだし、歯ぎしりして、こう告げたデーモンを呪わないだろうか? それとも君は突然に怖るべき瞬間を体験し、デーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは粉砕するであろう。何事をするにつけてもかならず、「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう! もしくは、この究極の永遠な裏書きと確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生とを愛惜しなければならないだろうか? ――
(強調原文、フリードリッヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』三四一、信太正三訳『ニーチェ全集8』ちくま学芸文庫)
ある日、とびきりの思想が自分に「降り」た。降り先に自分が選ばれたこと、そしてただひとりそれを担うことの重みにおののいている。「十牛図」に比べたらまったく洗練されていないが、筆を走らせるのももどかしいニーチェの内心の昂ぶりが伝わってくる。
「永劫回帰」が「およそ到達しうるかぎりの最高のこの肯定の定式(『この人を見よ』前掲全集15、川原栄峰訳)」である理由は、いっさいが円環を描いて幾度でもくり返されること、そしてそれを自ら進んで欲すること、によってである。欲される対象は「あるがまま」のこの生にほかならない。ニーチェよりも「十牛図」の方が洗練されていると言ったわけは、前者はその前提として、くり返される時という認識のスキームに依存しているからだ。このスキームはとうぜんながら、
① 記憶があってはじめて可能になる(記憶もないのに「いま一度」とは言えない)。
② 時がくり返すことを定点観測できるような不動点(これを〝永遠のいま〟とも呼ぶ)が前提されなくてはならない。
そしてこの依存関係を、さらに時空を超えて俯瞰する眼差しが支えている。だがそれは、ニーチェ自身が批判した原因と結果の逆転(永劫回帰のためにくり返しがある等々)、つまり遠近法的倒錯ではないのか。
その眼差しによってえられるのが「よし、もう一度!」という積極的な肯定の意志だが、それが「およそ到達しうるかぎりの最高の」定式かどうかはともかく、ニーチェにはおそらくもうひとつ目的があった。ルサンチマンといういつまでも癒しがたい病への、決定的な処方箋を示すことだ。そのためには反転させること――病は「そのまま」薬に転じうるということ――これがニーチェの洞察だった。
かたや「十牛図」ではそんなことは何ら重要ではない。第十図から第一図への回帰、すなわち布袋と童が入れ替わり、ふり出しに戻るとき、それまでの記憶がどこかに刻まれる必要はない。図は俯瞰するために描かれたのではない。そうあるがままに「ある」、〝永遠のいま〟だけがある。ただそのことを寿ぐために描かれたのだ。そこではルサンチマンなどという代物は端から存在しない。
⒉
「あるがまま、ありのまま(let it be/as we are/as it is)」とは、考えてみればずいぶんおかしな言い方だなと思う。なぜって、ある意味でわたしたちは「あるがまま」ではありえないし、また別の意味では「あるがまま」でしかありえないのだから(わざわざこのように言いたてる必要もない)。
どういうことか。
前者の意味は、それは自己撞着ではないのか、ということである。
なぜかと言うと、「あるがままでいいのだ」という気づきに至った者は、もともとそうであったはずの「あるがまま」(「返本還源」)では、もはやありえないからだ。そのひとは「あるがまま」の世界にあらたに何かをつけ加えたのだ。言い方をかえれば、蒙を啓いたのだ。いや「もともとそうであったはず」という認識がそもそもの誤りだったのではないか。「もともと」なんてものはないのだ。「あるがままでいいのだ」という気づきによってはじめて「あるがまま」の世界が同時に立ち上がった。そして「もともと」あったことになったのだ。
いずれにせよ「あるがまま」とは自己撞着でしかありえない。そのひとは「気づき」によって自分のハシゴを一段上がったのではないか。そうでなくて、つまりそのひと自身の成長なくして「あるがまま」であるという「気づき」に何の意味があろうか。
では、これらは「知ること」や「気づくこと」のたいせつさを、教えるのだろうか。だとすればそれは、刻苦精励の結果であれ天分の赴くがままであれ、それによって「知」をかち得た者のみが享受しうる、特権的な恵みということになる。特権的だというわけは、それが「あるがまま」の世界のさらに外側に、それを眺めわたす恒久不変な高みの〝座〟を前提してはじめて可能になるからだ。仏教にいう「解脱」や「悟り」といわれるものも、また西の文化圏でいう「絶対者(絶対知)」も、ありようは異なれど、その意味では同様だろう。このような特権を否定しては、終着駅を目指して歩もうと欲するわたしたちの意志もおこないも、目指すべき目標を見失ってしまうだろう。でもそうなったら、なおさら「あるがまま」とは言えないことになる。ましてニーチェのように欲し、肯う対象と化してしまえば、そもそもなにが「あるがまま」なのか、さっぱりわからなくなる――このように、ものごとをおしなべて認識論的に掘り下げようとすると、そんな隘路に逢着せざるをえない。
ところが一方、そのようにハシゴを上がっていくことや、そのための特権的な立場があるにせよないにせよ、それらをひっくるめて、いっさいは終始一貫「あるがまま」でしかありえない、と考えることだってできる。わたしたちのどんな気づきであれおこないであれ、いっさいはお釈迦様の掌の上にある。「あるがまま」の内にある。このような認識も含めてだ。それが後者の意味である。このばあいには、ことを鳥瞰するような「外」の視点などはなく、どんな特権的な〝座〟もありはしない。これを前者の認識論的なものごとのとらえ方に対して、存在論的なとらえ方ということができる。
しかし後者の意味を徹底していくと、いっさいは「あるがまま」とは、そもそも言及できない、あるいは言及したとたん自己撞着に陥るはめになる。つまり誰にも理解できるようにみえて、理解すること自体が無効であるような、誰にも届くことのない概念だというほかなくなる。そうであるとしたら、わたしたち衆生凡夫はいつまでも瞑き者であるしかないのではないか。なぜって、いっさいが「あるがまま」なんだから、何をしようとも「そのまま」でしかないではないか(いま用いた「そのまま」は、さっき引用した吉本隆明の「そのまま」とはニュアンスが異なることに注意されたい)。ハシゴを上がろうと下がろうと、努力しようとしまいと、どのみち同じ「あるがまま」でしかないじゃないか。かと言って、前者の意味に戻るならば「あるがまま」という認識はしょせん、特別な才にのみ与えられる特等席みたいなもので、生まれついた当初から決まっているようなものではないか。
いずれにしても、衆生凡夫という存在は、そうである以上でも以下でもないという仕儀となる。
――そうであったとして、何だというのかな? ひとの世がどうあろうと、それをああしたいこうしたいと思って、じっさいどうしようとも、いっさいは満ち欠けのない満月のようにはじめからそこにある。そして、それでいいのだ。
どこかからそんな声が聞こえた。よく知っている者の声のように思えたが、どうしてもわからなかった。いったい誰の声だったのか。
(第01回 了)
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*『人生の梯子』は24日にアップされます。
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