「モーツァルトとは〈声〉の音楽である」――その声をどう人間の耳は聞き取ってきたのか。その本来的には言語化不能な響きを、人間はどのように言語で、批評で表現して来たのか。日本の現代批評の祖でありモーツアルト批評の嚆矢でもある小林秀雄とモーツアルトを巡る、金魚屋新人賞受賞作家の魂の批評第四弾!
by 金魚屋編集部
三.
評論『モオツァルト』のどこが玉石混交なのか。
「石」の方から言おう。
スタンダールを語った文章(章番号8)を読んでみよう。
スタンダアルが、モーツァルトの最初の心酔者、理解者の一人であったという事は、なかなか興味ある事だと思う。
と書き出して行を改め、スタンダール自身の文章を引いた作者は、続く第三段落でそれについて、
僕には、この文章が既に裸形に見える。この文句は、長い間、僕の心のうちにあって、あたかも、無用なものを何一つ纏わぬ、純潔なモーツァルトの主題のように鳴り、様々な共鳴を呼び覚ました。果てはモーツァルトとスタンダアルとの不思議な和音さえ空想するに至った。
ここまでは達意の名文で、作品全体を通しても出色の箇所だと思う。ところがそれに続く、
僕は間違っているかもしれない。それとも、精神界の諸事件が、どこで結ばれ、どこで解けて離れるか、そういう事柄、要するに、「裸形になった天才」というような言葉が生れる所以のものは、観察するよりも空想するに適するのかもしれぬ。
から次の第四、五、六段落のすべて、および第七段落の
芝居は永久に過ぎ去り、僕らは、遺されたスタンダアルという一俳優の演技で満足しなければならないのであるが、[中略] 音楽の霊は、己れ以外のものは、何物も表現しないというその本来の性質から、この徹底したエゴティストの奥深い処に食い入っていたと思えてならないのである。
までは、さすが毎年大学受験生を悩ませるだけのことはある迷文で、何が言いたいのか幾度読んでも理解できないのは、作者が「観察」しないで「空想」で書いただけだからだ。
それ以降も、
彼が、人生の門出に際して、モーツァルトに対して抱いた全幅の信頼を現した短文は、洞察と陶酔との不思議な合一を示して、いかにも美しく、この自己告白の達人が書いた一番無意識な告白の傑作とさえ思われる。
から「差支えあるまい」までは、これこそ日本を代表する文芸評論家の文章だと思えるのに、他はカットした方がよかったと思うほど酷い文章である。「モーツァルトとスタンダアルとの不思議な和音」を描きたくて、でもそのためにはエゴティスト・スタンダール像をもっと掘り下げなくてはと無用の思いつきに足を取られてしまった。もっとあからさまに言えば、できもしない無理な論題を自ら設え、自ら墓穴を掘ったからだと、そう思わざるをえない。
それより何より、あきれてものも言えないのは、オペラに対する偏狭な態度である。当時の日本で、いくらオペラ上演の機会が得られなかったからと言って、
僕は別段不服にも思わない。上演されても眼をつぶって聞くだろうから。」
(章番号10)
などと開き直ってわざわざ書きつけるところは、まるきり子どもが駄々をこねているのと変わらない。あげくに、
シンフォニイ作者モーツァルトは、オペラ作者モーツァルトから何物も教えられるところはなかったように思われる。
(同)
「誤聴」でないとしたら、たんなるふてくされでしかあるまい。モーツァルトの器楽曲から受ける絶妙のオーケストレーションは、一八世紀当時すでに貴族にとっても民衆にとっても娯楽の花形だったオペラによって幼少期から培われたと言ってもいいほどである。
彼の歌劇は器楽的である。更に言えば、彼の音楽は、声帯による振動も木管による振動も、等価と感ずるところで発想されている。
(同)
この認識はある意味で正しい。ただし肉声も楽器のひとつであり、楽器としてみな等価であるということと、それが劇音楽か器楽曲かというジャンルや表現形式のことは、レベルのちがう話である。ちょっと先走るが、モーツァルトにとって音楽は〈歌〉と〈声〉という、互いに異質な二つの要素から成っていた。それぞれの要素がジャンルや楽曲を越えて交わり、あるいは拮抗するところに、あの創造の奇蹟が生まれたのである。
そのことはひとまず措くとして、小林はふてくされながらも、台本を手にレコードだけはしっかり聴いているのである。だからこう書ける。
性格もなければ心理も持ち合わさぬような『コシ・ファン・トゥッテ』の男女の群れから、なぜ、あのように鮮明な人間の歌が響き鳴るのだろうか。誰のものでもないような微笑、誰のものでもないような涙が、音楽のうちに肉体を持つ。
(章番号10)
「なぜ、あのように鮮明な人間の歌が」生まれてくるのか、ほんとうに小林にはわからないのか。どれほど荒唐無稽な与太話に見えようと、舞台に登場する「男女の群れ」は、性格も心理もみごとに描き分けられているからだ。これはモーツァルトのどのオペラを取ってみても同様である。『コシ・ファン・トゥッテ』で言えば、女たちのいかにも移り気でインモラルなふるまいと、それをためし実証しながら、苦笑して受け容れるフィアンセたちのありそうもない物語を描いたダ・ポンテの台本に込められた意図に戸惑うひとは、いまもすくなくない。しかしモーツァルトにとっては、「台本の愚劣さなぞ問題ではなかった」はずがない。大司教や宮廷の連中に仕え、主君の命じるままに曲を作らなくてはならない身だったザルツブルク時代ならともかく、ヒットするとも思えず、じぶんが乗り気にもならない台本に曲をつけるなどとは、ウィーンで一家を養い、興行の成功を第一に願うプロの作曲家としてありそうもない。
この劇は、ダ・ポンテとモーツァルトによる化学実験なのである。モーツァルトがひたすら役になりきってその人物に存分に歌わせていることを私は疑わない。かれは役者へ魂を吹き入れている。音楽の魂を、である。音となって流れ出るひとのこころはうつろい止まず、うつろうたびに陰翳が生まれる。第二幕、ゆれ動くフィオルディリージの女心をうたったロンド(愛しい人、どうか許して)からフィオルディリージとフェランドのかけ合い(デュエット)までをくり返し聴けばよくわかるはずだ。うつろいが文字どおり劇的な転回をみせるとき、そこに最高の〈歌〉が生まれることを。
言うまでもなく、これは近代劇ではない。いかに複雑で相矛盾した内面の持ち主であろうと、おなじひとりの人格(キャラクター)、すなわち自己同一的な個性を一貫して描く近代の物語とは異なり、十八世紀の登場人物たちはそれぞれに与えられた人格(ペルソナ)を忠実に演じているにすぎない。ペルソナはひとたびそのひとに憑くや、かれの命運を支配せずにはいない。モーツァルトがこの実験で抽出しているのは、愚劣どころか、ペルソナたちにとり憑きかれらを翻弄する、愛と呼ばれる不可解な運動とその力学にほかならない。何より大事なことは、劇が笑いで閉じられることである。女心はそんなもの、ひとのこころなんてそんなものさ。現実なら修羅場や悲劇になりかねない場面が一転して笑いに変じる。『ドン・ジョヴァンニ』もそうだが、このオペラも本質は人間の「笑劇」なのである。
小林は、モーツァルトの声楽というよりそもそも人間の〈歌〉と〈声〉のもつ本質も、それに共振する力も弁えていなかったのか。だとすれば、かれのたたえる三つの(私にとっては四つの)偉大なシンフォニーも果たしてどこまで理解していたか疑わしく、まして質量ともにモーツァルトの全器楽の中核と言っていいクラヴィーア・コンチェルト(ピアノ協奏曲)に対する言及が、『モオツァルト』以前にも以後にも絶えてなかったという事実もむべなるかな、である。この点が小林に対する私の長年の不満であり、不信感の元でもあった。しかしこの後で明らかにしていくが、小林はモーツァルトの〈声〉には正しく感応していた。感応している自身に気づいていないか、感応しているものの正体が見えなかったか、それとも明かしたくなかったか。いずれにしてもそのために、かれのことばはねじれ、その声は裏返ってしまわざるをえなかったのである。
四.
わが国のモーツァルト賛美者がよく口にする名詞に「かなしさ」というのがある。
東大仏文出身の小林秀雄がアンリ・ゲオンを曲解して用いることで日本人に膾炙させた薄っぺらいセンチメンタリズムの系譜と言いたくなる。
ゲオンがこれをtristesse allanteと呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言 で言われたように思い驚いた。確かに、モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツァルトの後にも先にもない。
(章番号10)
「これを」と言っているのは弦楽五重奏曲第四番ト短調(K五一六)、第一楽章アレグロの主題のことである。ゲオンのいう「allante」を小林は〝疾走する〟と訳したが、少々我田引水だろう。正確には〝元気よく駆け回る〟といったニュアンスのことばである。小林が参照したゲオンの有名な『モーツァルトとの散歩』を読むと、「tristesse allante」と言っているのはト短調クインテットではなく、フルート四重奏曲ニ長調(K二八五)のことだとわかる。ゲオンはこう言っている。
第二楽章では、蝶が夢想している。それはあまりに高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピチカートのリズムに支えられながら流れるフルートの歌は、陶酔と同時に諦観の瞑想を、言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。魂を満たすきわめて赤裸な、いとも純粋な音……しかしながら、同じような例にわれわれはしばしばめぐりあうだろう……。
(『モーツァルトとの散歩』一一四頁、高橋英郎訳、白水社)
夏目漱石『草枕』と老子を併せ読んだのかと思わせるフレーズが印象的だが、「かなしさ」をあらわす表現はない。近いのはせいぜい「諦観(あきらめ)」くらいか。ゲオンはこの後に続いて、小林が言及したト短調クインテットを、とりわけ第一楽章アレグロを「無二の傑作」と呼んだ。そしてこの曲の十年前に作られたフルート四重奏曲のアレグロ(ニ長調)と対比させたのである。ト短調クインテットが作られたのは一七八七年、モーツァルト三十一歳のときだ。前年に初演された『フィガロの結婚』が大当たりし、招かれたプラハでは『プラハ・シンフォニー』(K五〇四)が初演され、ト短調のそれと双璧をなす弦楽五重奏曲第三番ハ長調(K五一五)が生まれ、『フィガロ』に続いて『ドン・ジョヴァンニ』がこれまた大ヒット、創作活動の頂点にさしかかっていた時期である。同年五月、父・レーオポルトを病で喪っているが、短調を主調とするアレグロの悲劇的な色調に父の病と死が影を落としていると思うひとはすくなくない。ゲオンはこの曲について「われわれはこの死の傑作にふさわしい敬意をこめて近づこう」と語りかけ、くり返すがそのアレグロ楽章に最大級の賛辞を贈っている。がそれはもっと後の話でこの文脈ではない。ゲオンはこの曲の先駆けとして、フルート四重奏曲のアレグロを評価したいために対比したのである。「tristesse allante」はそういう流れで出てくる。
それはある種の表現しがたい苦悩で、《テンポ》の速さと対照をなしている足取りの軽い悲しさ(tristesse allante)、言いかえれば、爽やかな悲しさ(allegre tristesse)とも言える。この晴れやかな陰翳という点からみれば、それはモーツァルトにしか存在せず、思うに、彼のあるアダージョやアンダンテなど……をよぎるもっとはっきりした告白よりもずっと彼らしいものである。
(強調原文、同一一五頁)
フルート四重奏曲とト短調クインテットという、いずれも名曲だがそれぞれのアレグロ楽章が作曲年だけでなく、まったく異なる動機から生まれた異質な音楽であることは、じっさいに曲を聴いてみれば誰でもすぐにわかることだ。しかしゲオンが「軽い足取り」や「爽やかさ」や「晴れやかさ」に対して「かなしさ」「陰翳」という裏腹な性格を見出した理由が腑に落ちるためには、モーツァルトとはどのような音楽であるかをよくよく理解しなくてはならない。かれは、どれほどかなしい色調のアダージョを作っていても次の瞬間には腹をかかえて笑いながら行進曲やオペラのアンサンブルを作ることができた作曲家だった。そう言うと誤解されるかもしれないが、モーツァルトにとって「笑い」「軽やかさ」「かなしさ」といった感情の粒々はみな等価であって、大事なのはそれらをどう表現するか、そのためにどう「転調」するか、だったのである。
おなじ〝宿命〟のト短調を採用した四十番のシンフォニーを「ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと」小林が思うのは自由であるし、そこにはこのエッセイを捧げた最愛の母の死が影を落としていたかもしれない。しかし「ファミミ⤵ ファミミ⤵ ファミミド⤴」という短二度下降のくり返し、いわゆる〝ため息〟のモチーフで知られるこのシンフォニーには、鋼玉を思わせるはりと犯しがたい気品、端正にして不気味で得体のしれない生きものとでも言うほかないたたずまいがある。この意味ではむしろ「ギリシア的優美」とたたえたシューマンの評の方がまだましだ。音楽でもっとも大切なのは、たたずまいであるのを忘れてはならない。
一口に「かなしさ」と言うが、そのニュアンスはひとの数だけある。それら万の「かなしさ」をすくい取って、そこはほんとうは空なのではないかと思うほど澄んだスープになるまで煮つめ、そのまま凝結したもの、それがモーツァルトの「かなしさ」である。ひとそれぞれの思いを吸い上げては象ることのできるとほうもなく巨大な虚空のような音楽、これがモーツァルトのもつ特性なのである。
もちろん人間ヴォルフガングのわずか三十五年の生涯の裡には、旅先で母に死なれたり父親にショックを与えまいとそのことを隠し通さなくてはならなかったり、夢中になった従妹と別れ未練を断ち切れないまま某音楽家の令嬢を口説き、父親に大反対されると後にはその妹を妻にしてしまったり(こうしたある意味での節操のなさ、切り替えの早さは、かれの音楽にも反映されている)、ワガママな殿にたてついて足蹴にされたり、何かと口うるさかったが名伯楽で誰よりもかれを愛したあの父親がとうとう逝ってしまったり、「かなし」い出来事は矢継ぎ早に見舞った。その内心を吐露するようなパッショネートな短調の曲もたしかにいくつも書いてはいる。けれど、短調作品はあくまでもおなじジャンルの長調作品とのバランスによってまずはみるべきだろう。それらが素直な感情表出の一端だったとしても、そのことはあくまでも人間・モーツァルトのもつ性格であって音楽家・モーツァルトの特性では必ずしもない。モーツァルトという音楽をあまねくつらぬく特性は「かなしみ」よりも「笑い」と「愉悦」、「たわむれ」と「飛翔」である。このことを私は、いくどでも強調したい。
*
モーツァルト最晩年の典型的なスタイルを示す作品と言っていい、最後のピアノ・コンチェルト第二七番(変ロ長調 K五九五)をみてみよう。円熟と簡潔さの溶けあった融通無碍な書法、その底を流れるどこまでも透きとおった晴れやかな「かなしさ」は、たとえようもない。創作年にかんしては、すでに一七八八年には第一楽章が手掛けられていることがわかっているが、本質的な話ではない。この曲に肩を並べられるほどの作品は、おなじ死の年である一七九一年で言えば、短い合唱曲『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(K六一八)、『魔笛』(K六二〇)くらいで、あとはさらに異次元な作品『レクイエム』(K六二三)の真筆部の大半と、これらを凌駕する音楽の極北・クラリネット協奏曲(イ長調 K六二二)のロンドしかない。晴れやかな「かなしさ」はこれらにも通底している。
だが一見、死の予感や諦念といった「内面」の表出、伝記物語に彩られた境涯、天国に片足を踏み入れたかに思わせるこの曲でも、モーツァルトはたわむれている。羽ばたいている。アレグロの第二主題に登場する三連符のくり返しは、同年の『魔笛』でしばしば引き合いに出されるフリーメーソンの象徴数としての「3」というより、おそらく動物の鳴き声を模しているのだろう。クラヴィコードに座って両手をふりかざすと、鵞鳥かアヒルを真似て「クワッ、クワッ、クワッ」とおどけてみせるモーツァルトの様子が目に浮かぶようだ。この曲に超脱した諦観のあらわれをみるのもけっこうだが、おなじていどに「笑い」を聴き取らなくては、その魅力は半減するだろう。「かなしさ」など犬にでも喰わせてやるがいい。絶望も苦しみも憎しみも、そしてわたしたち日本人の血を流れる万葉びとの「かなし」とやらも、かろやかに笑い飛ばして天駆けてゆくがいい! ドイツ・リートの傑作『春への憧れ』とその主題を共有する愉悦と無重力の極致、この世のものでもあの世のものでもないロンド楽章がコーダを迎えるまで、音楽は終始そう語りかけて止まない。
「かなしさは疾走する。涙は追いつけない」と語った小林の描き出すモーツァルト像はかれ自身の写し鏡であるとともに、日本人の心性にも合うのかもしれないが、あまりにも生真面目で一本調子にすぎる。なぜなら、モーツァルトは骨の髄まで遊び人だったからである。ギュンター・バウアーの『ギャンブラー・モーツァルト――「遊びの世紀」に生きた天才』(吉田耕太郎、小石かつら訳、春秋社)によると、かれはいっぱしの賭博者と言ってよいほどで、しかもトランプやらビリヤードやら九柱戯(ボーリング)やら、じつに多彩なゲームプレーヤーでもあったらしい。プロの音楽家としてけっこうな稼ぎ手だったはずなのに借金に苦しんでいたのは、奥方であるコンスタンツェの奢侈とばかりは言えなかったのだが、私が言いたいのはそんなことではない。まして『音楽の冗談』(K五二二)や『小さなジーグ』(K五七四)をはじめ、たわむれに書いた小品のおそるべき次元の高さ、現代音楽を先取りするような斬新さでもない。そんな話ではないのだ。
真の遊び人とは、たんに軽佻浮薄であるのみならず、おのれ自身もその一部であるこの浮き世=憂き世とこころの底からたわむれることのできる才をいう。すぐれたたわむれほど高度な精神を求められるものはない。かれにとって、人生とは日々これ「カーニバル」(ミハエル・バフチン『ドストエフスキイ論』、新谷敬三郎訳、冬樹社)だったのである。
小林が空の「青」や海の「匂い」の向こうに見出した万葉びとの「かなし」を、モーツァルトが生きていたらどう感じるだろうか。「ああ、ボクも知ってるよ」とでも応えるだろうか。この音宇宙は、「かなし」みもくるしみもよろこびも笑いも――人びとの抱えるあらゆる情調をことごとく孫悟空の瓢箪のように呑み込みながら、それらのかなたにひかえる空無辺処である。
萩野篤人
(第02回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』は24日にアップされます。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■