角川「短歌」創刊七十周年企画として「オーラスヒストリー 『短歌の裏方たち』馬場あき子 聞き手=伊藤一彦・大井学」が掲載されています。前後編で今回は前編で馬場さんによる「短歌」創刊当時の状況回想です。
もとより「短歌」は、一流一門に偏するものではない。従って、釈迢空追悼号を特輯したのも、単に私情からではない。現代の最卓絶した比類なき個性、しかも生涯、結社をも、機関紙をも、持つことを排した孤高稀有の歌人を記念することこそ短歌綜合誌に課せられた当然の使命であると信じたからである。(後略)
(『短歌』昭和二十九年一月号、「編輯後記」)
迢空の最愛の弟子が、これだけのあとがきを書くっていうことに、心熱いっていうか、私はこのあとがきがとっても心に沁みたの。すごいなぁって思ってね。そうだ、この人はこれぐらいのことはやらなきゃだめよって思ってね。
「短歌」創刊七十周年企画「オーラスヒストリー 『短歌の裏方たち』(第一回)馬場あき子 聞き手=伊藤一彦・大井学」
回想は「短歌」誌創刊号の加藤守雄「編輯後記」を読んだ馬場さんの驚きから始まります。守雄は一号のみ編集して二号から編集長が変わるのですが創刊号の「編輯後記」はその後の雑誌を規定してしまうような力があります。会社も同じで創業者の理念がずっと続きそれを変えるのが非常に難しいことが多い。創業理念を変えると会社が潰れてしまうこともあります。
創刊号は釈迢空(折口信夫)特集だったわけですが守雄が迢空の弟子だったからではなく「短歌」を超結社誌にするために「結社をも、機関紙をも、持つことを排した孤高稀有の歌人」だった迢空の特集から始めるとあります。「短歌」誌ではこの理念は概ね守られていると思います。大結社主宰などに執筆陣が傾かず若手も積極的に登用しています。口語短歌全盛ですが誌面がそれで埋まることはない。網羅的です。
大井 でも、昭和三十年二月号には、すでに十首頼まれていますね。
馬場 そうでした。前年十二月に注文が来たのよ。ええっと思ってね、一生懸命作ったつもりだけど(「白き檜」)、あとでバカだなぁと自分で反省しました。どうして、こんな大事な時に、古めかしい歌なんか出すのよ。
伊藤 能の歌でしょ?
馬場 だってさ、これから新しい時代が開けようっていうときにね、およそ読者に縁のない。なんて愚かな歌を出したんだろうって反省した。
伊藤 どういう意味で愚かなんですか。
馬場 いや、古典芸能にたずさわる人々の苦悩なんて戦後社会の中で、思いはあっても古い世界で歌でやるのは無理です。やっぱり私は歌壇には古い女なんだと思われたんだろうと思いましたね。
(同)
何気ない回想ですがジャーナリズムの時代があったことがハッキリわかります。もちろん今も「短歌」誌は健在ですから歌壇ジャーナリズムは続いているわけですが質が変わっています。「短歌」誌創刊当初から前衛短歌の時代まではほぼ歌人全員の視線が「短歌」や「短歌研究」誌に集中していた。誰がどんな作品を発表したのか一号ごとに暗黙の評価が下されていた。「なんて愚かな歌を出したんだろうって反省した」「私は歌壇には古い女なんだと思われたんだろうと思いましたね」という馬場さんの回想はそう状況を反映しています。
「短歌」は昭和二十九年(一九五四年)創刊ですが多くの雑誌がこの頃創刊されました。勢いのある戦後復興の時代に創刊された雑誌には勢いがあった。戦後短歌は激しく揺れ動いていたわけです。馬場さんのように創刊当初の熱気を知る歌人が当時をポジティブに懐かしくお話になるのは当然です。ただ現代のジャーナリズムは当然そうではありません。
別に歌壇ジャーナリズムに文句や疑義があるわけではないですが「短歌」誌に登場しても多くの歌人たちの視線が刺さって痛いということはもうありません。また現代では結社誌や同人誌に加えインターネットも新たな発表の場でありその気になれば個人でも集団でも独自のメディア(プラットフォーム)を作ることができます。そういう状況ではメディアの捉え方も自ずと変わるはずです。
しかし商業歌誌も個々の歌人もかつてのような求心力のないジャーナリズムのあり方にまだ落とし所を見出せていないように思います。様々な活躍の方法があるのに多くの歌人が相変わらず口を開けて商業歌誌からお声がかかるのを待っている気配です。でも商業歌誌に書いてもたいていは一時の自己満足で終わってしまう。話題になる方が奇跡的です。ジャーナリズムは求心力が低下すればするほどセンター雑誌であることを編集マジックで演出しなければならない。
世界が恐ろしく広く膨脹してしまった現代ではかつてのような歌壇ジャーナリズムの賑わいを取り戻すのは難しいかもしれません。相対的に言えば間違いなくこれからさらに歌壇ジャーナリズムはミニマム化します。でもそれが変化の大きなチャンスになるかもしれませんね。これは他ジャンルの文学ジャーナリズムにも言えることですが。
高嶋秋穂
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