女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
舞台の上では何人かが発声練習を行なっている。そろそろ始めようかな、と時計を確認すると、目の前でウォーミングアップをしていた新人の二人組が、よいしょと立ち上がり、舞台上のグループに合流した。
ここは市の公民館。劇団の稽古場として、週に二回、利用している。時間は主に夕方過ぎ。もちろん主宰のおチビちゃんも、ほとんどの劇団員も仕事帰り。場所は一ヶ所に決めず、府中や町田、八王子など幾つかの場所を使い分けている。
館内に響く発声練習の声が段々と熱を帯びてきた。あと五分待ってからにしよう。そう声に出さず呟いたが、「待つ」というのは口実。それはおチビちゃん自身がよく分かっている。本当はあと少しだけ休みたかった。
今回の稽古に入る前、おチビちゃんは少し体調を崩した。いや、「少し」ではない。実は十日ほど入院もした。快方に向かってはいるけれど、まだ本調子ではない。この劇団を立ち上げてからそろそろ五年。あれもしたい、これもしたい、という希望の分だけ焦りはある。でも、ここで無理をすればきっとまた体調を崩してしまうだろう。
入院中、病院のベッドの上で何度か同じような夢を見た。高校を卒業する頃、つまり四季に入る前の夢だった。志望校の先生にきついことを言われ、絶望し立ち尽くしていた仙川の跨線橋や、それでも諦めずに訪れた「無名塾」の稽古場の風景。そんな懐かしい記憶が順不同、混ぜこぜに浮かんでは消えていく。現実とは違って、「無名塾」で役者になる夢も一度だけ見た。そんなストーリーが降ってきたのは職業柄かもしれない。
「おはようございます!」
おチビちゃんが椅子から立ちあがろうとしたタイミングでヨシオが入ってきた。遅刻……とは違う。そもそもヨシオはここの劇団員ではない。
「どう、具合大丈夫なの? ちゃんとご飯食べてる?」
どかっと隣の椅子に腰を下ろし、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。態度は相変わらずだが、その気持ちは有り難い。体調を崩してからというもの、本当にまめに連絡をくれる。退院する日もわざわざ病院まで来てくれた。学生の頃から変わらず、彼は今でもボディーガードだ。おチビちゃんは質問を遮って、「あのさ、忙しいんじゃないの? 大丈夫?」と逆に尋ねた。
「大丈夫、大丈夫」
そう笑ってヨシオはペットボトルの水を一気に半分ほど飲んだ。そのラフな仕草も学生の頃と変わらない。
さすがに見た目は変わった。健康的にシェイプアップした肉体に、こざっぱりとした服装。髪型も綺麗に整えられている。別人とまではいかないが、もうボサボサでダボダボは昔の話だ。
けれど、そんなヨシオの最大の変化は見た目では分からない。なんと彼は昨年、オーディションに合格して、卒業と同時に四季の研究所へ入所した。同期で合格したのは彼一人。結果的に、かなり狭い門をくぐったことになる。
その輝かしい結果もさることながら、そこに至るまでの目覚ましい成長ぶりに、おチビちゃんは未経験の感動を味わえた。そして今もまだその余韻は続いている。
学校で行う公演だけではなく、それ以外の舞台を共に作り上げる中でヨシオは心身共に成長していった。ただマイナスからのスタートだったことも事実。受験直前の時期になっても、合格するという確信は持てなかった。
しかし彼の勢いは合格後もスピードを緩めず、去年の冬は早くも『ジーザス・クライスト・スーパースター』の舞台に役者として立っている。ボサボサでダボダボの要注意人物が、退学を留まるきっかけとなった『ジーザス』。視聴覚教室で「今のは何だよ。どういうことなんだよ。今のを舞台でやるってこと?」と詰め寄り、一気にまくしたてた姿は今も鮮明に思い出せる。しかも浅利先生の計らいにより、おチビちゃんは記念すべき愛弟子の初舞台を観ることができた。もちろん、まだまだ荒削りで改善点を挙げればキリがないが、スタートとしては申し分ない。本当、上出来だ。
それが師匠としての買い被りでないことは、時々語られる浅利先生の言葉からも証明できる。
「あいつは元気がいいっていうか、結構たてついてくるんだ。鹿賀を思い出すよ」
先生にたてつくなんて、とヒヤヒヤしたが、おチビちゃん自身も反抗期の末に飛び出しているので何も言えない。ただ鹿賀丈史さんの名前が出てきたのは嬉しかった。
「あとヨシオはちょっと真面目。どこか馬鹿正直なところがあるんだよな。ちょっと怒鳴っただけで、ひどく深刻に受け止めちゃうんだよ」
あまりストレートな言い方ではないが、ヨシオは間違いなく期待されていると思う。その事実だけでなく、先生の評価と自分の評価の近さがまた嬉しい。「俺の背中を見とけばいい」という、あの日の言葉に少しは応えられたような気がする。
「じゃあ、そろそろ始めようか!」
ヨシオの声が館内の空気を震わせた。十人以上いる劇団員の視線が一斉に集まる。その圧に臆することなく、てきぱきと指示を出し、場を仕切っていく姿は学生時代と変わらない。今日もあの頃と同じく、誰かに頼まれた訳ではない。ヨシオが自分の意志で決めたことだ。この劇団に同期生が多いことも、彼にそうさせる原因のひとつだろう。
無論、それで万事が丸く収まるわけではない。劇団員の中には同じ学校の先輩もいれば、それまで全く接点がなかった人もいる。ヨシオの存在を面白く思わない人がいても当然だ。彼の物怖じしない態度や断定的な口調は、側で見ていても危なっかしい瞬間がある。
先週もこんなことがあった。劇団員の一人が携帯電話の電源を切り忘れたらしく、稽古中に着信音が鳴ってしまったのだ。あ、と思った時にはもうヨシオの雷が落ちていた。
「おい! そこ! 何やってんだ!」
そんなところも学生の頃のままだが、その変わらなさにホッとするのもまた正直なところだ。
稽古が終わった後、ヨシオと近所の喫茶店に立ち寄った。わざわざ来てくれたことへの感謝を伝え、温かいコーヒーで労をねぎらう為ではない。彼が訪れた理由がもうひとつあることを、おチビちゃんはちゃんと分かっていた。
ヨシオは今、舞台『ライオン・キング』の稽古中だ。
原作は六年前に公開されたディズニーのアニメーション映画で、アメリカでの初演が三年前。劇団四季はその翌年から、竹芝の専用劇場で上演している。今回、ヨシオが演じる役はムファサ。主人公のオスライオン、シンバの父親で、言うまでもなく重要な役どころだ。
浅利先生は「あの若さでムファサをやるなんて、ギネス級じゃないかな」と楽しそうに笑っていた。本当に期待されているんだなあ、と誇らしく感じたことを覚えている。とにかく異例の大抜擢であることは間違いない。
ただヨシオは悩んでいた。大抜擢のプレッシャーかと思いきや、そうではない。「どう演じるべきか」というシンプルかつ重要な命題が、今現在、目の前には立ちはだかっているという。その高い壁をどうにか乗り越える為に、彼は自分の師であるおチビちゃんのもとを訪れていた。
問題点は明確だ。『ライオンキング』の稽古は海外チームの主導で行われる。つまり浅利先生に習ったものとは別の方法論を取り入れなければならず、そこにヨシオは悩み苦しんでいる。
彼は専門学校時代、おチビちゃんから浅利先生式の指導を受けて育ち、昨年入所した四季の研究所でも、当然同じ方法論を学んで『ジーザス』の舞台に立った。つまり今回、初めて異なる理論をベースにして、未知の役を演じなければならない。今まで糧としてきたものを封印することへの恐怖や反発、そして戸惑いをヨシオは隠そうとしなかった。
「今日も色々言われてさ、まあ頑張ってはいるんだよ、もちろん。でもさ、しっくりこないんだよなあ」
彼がもっとも違和感を覚えているのは、どうやら「型」の占める割合の大きさらしい。「次はこう動く、その次はこれ、またその次はこうやって、って全部決められてんだぜ?」
言いたいことは痛いほどよく分かる。ヨシオがおチビちゃんから、そしておチビちゃんが浅利先生から学んできたものは、気持ちが大事だということ。役の気持ちが自身に宿らなければ、そこに嘘が生まれる。
だから当初、おチビちゃんも不安を感じていた。いくら海外で評判の舞台だからって、方法論を変えてまで上演するなんて……。そう思っていた。ただ実際に稽古で使っているノートを読み、指導法を確認する中で、とても良いものであるという確信は持てた。だからここ最近、ヨシオが来てくれる度におチビちゃんは説得を続けている。
「とりあえず私に教わったことを、一度全部捨ててしまいなさい。頭の中を白紙にするの。本当に捨てないと、ここから先に進めないわよ」
酷な話だが仕方ない。でも、ここを乗り越えたらヨシオは必ずもっと良くなる。演じる技術が増えるだけでなく、臨機応変に対応する柔軟さを身につける良いチャンスだ。昔からヨシオは、頭も身体も結構カタイ。
そして予想どおり今日も、目の前の愛弟子は納得してくれそうにない。
「あのさ、自分で教えといて、今度は全部捨ててみろって何なんだよ」
口調は荒いが正論だから厄介だ。仕方ないな、とおチビちゃんは背筋を伸ばした。本番まであまり時間もない。とっておきの話、いや授業をしておこう――。
まだふてくされ気味のヨシオに、おチビちゃんは提案してみた。『ライオンキング』にとって重要な「型」を、「様式美」として捉えてみてはどう?
「ヨウシキビ?」
「うん、歌舞伎は知ってるわよね?」
実はこの話、数日前に浅利先生と『ライオンキング』について交わした会話がヒントとなっていた。もちろんヨシオが自分の劇団の稽古場に訪ねてくるなんて口が裂けても言えない。彼はおチビちゃんの愛弟子だが、現在は四季の人間。その辺りの線引きは、ルールというより礼儀に近い。この間は、浅利先生が今度上演する演目について、たまたま話題にしただけだ。
その中で先生は『ライオンキング』における「型」の重要性を、歌舞伎になぞらえながら説明してくれた。元々「様式美」は歌舞伎独特の表現を指す言葉。リアルな行動を、決まった形、動作を用いて、美しく見せる演技のことだ。先生の大叔父は史上初の海外公演を行った歌舞伎役者の二代目・市川左團次。その影響からか、歌舞伎についてとても造詣が深い。
話がどの程度伝わったか、ヨシオの表情からは読み取れなかった。ただ、おチビちゃんの話を聞き終えたあと、しばらく彼は黙りこくっていた。そろそろ五分が過ぎる頃、ようやく口にした言葉は「もう病院には行かなくていいの?」だった。
「え? 病院? えっと、次に行くのは来月かな……」
「そっか。気を付けないとさ、もう若くないんだから」
「何ですって? あいにく聞こえなかったんですけど?」
「ほらほら、最近耳が遠いんじゃないの?」
結局そんな軽口合戦になってしまったが、彼の表情が明るくなったのでおチビちゃんは密かに安堵した。
駅のホームでヨシオは帰り際、反対側の電車に乗り込んでから「ありがとう」と呟いた。その改まった感じが照れ臭く、気付かないふりをすると「二人とも元気?」と訊かれた。不意を突かれ「あ、うん、全然大丈夫よ」としどろもどろのおチビちゃん。愛弟子は「よろしく伝えといてよ!」と声を張り、ドアが閉まってもまだ手を振り続けていた。
人気のないホームに残されたおチビちゃんは、バッグから携帯電話を取り出したが、すぐ元に戻した。特に着信はない。今夜はずいぶん遅くなってしまった。
ヨシオが元気かどうか尋ねていた「二人とも」は、おチビちゃんの大切な子どもたちのこと。今から帰るからね、と伝えようとしたが、もう二人とも中学生。いくつだと思ってるの、と笑われてしまいそうだ。え? 父親は誰かって? まさかダビデさんじゃないかって? そこは御想像にお任せいたします。どうぞ、イマジネーションの翼を存分に広げて下さいませ。
歌舞伎の話が彼の中に響いたかどうかは分からない。ただあれ以来、ヨシオから『ライオンキング』の稽古についての悩みや戸惑いを打ち明けられることはなかった。
もし自分と話したことが何かの助けになったのなら、それはとても嬉しいし、おチビちゃん自身もまた、浅利先生から助けてもらったようなものだ。
ふと思う。ヨシオが悩んでいることも、自分のもとを訪れていることも、先生はお見通しなのかな、と。そういえば病気のことだって、まだ伝える前から先生は知っていた。それは予想どおりヨシオの勇み足だったけれど、案外あの二人は相性がいいような気もする。少なくとも体格が立派なところなど、見た目の印象はとても似ていて、それを自覚しているヨシオは真似してみたりもする。
そのモノマネは割と完成度が高く、いつか先生に披露してどんな反応を示すか見てみたいと、おチビちゃんは密かに思っている。
(第46回 了)
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