女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
振り返ると平成十四年は忙しい年だった。
平成で数えると距離感が掴めないのは、歳のせいかもしれないわね、とおチビちゃんは咳払いをひとつ。西暦でいこう。そう、振り返ると二〇〇五年は忙しかった。
公私含めて色々あったけれど、最大のトピックは七月に行った自分の劇団の東京公演。劇団員と共に力を合わせ、また数えきれない人々の力を頂きながら、どうにかこうにか十年目が見えてきた。そういう意味では、放っておいても背筋がしゃんと伸びる。
またその気持ちに拍車をかけるのが、教え子であるヨシオの活躍ぶりだ。
悩みながらも役作りに挑んだ『ライオンキング』以降、『夢から醒めた夢』、『はだかの王様』、『美女と野獣』と様々な舞台を経験し、人気も評価も上昇中。あの『ジーザス・クライスト=スーパースター』も再演を重ねる度、新しい役柄を任せられている。
ただ突然稽古場に現れてはあれこれ指示を飛ばし、単刀直入に意見をぶつけてくる姿は昔と変わらない……と言いたいけれど、正直なところ彼は変わった。いや、もちろん根っこは変わっていない。芝居に対する想いの真っ直ぐさ、そしてなかなか融通の利かない不器用さはそのままだ。
ただ「立場が人を作る」という言葉があるように、今のヨシオの佇まい、そして雰囲気は昔と違う。本人には直接言わないけれど、その人気や評価も納得できる。そして何より浅利先生の言葉から、彼に対する期待感がひしひしと伝わってくる。
ヨシオが四季に入ってから少し経った頃、彼がボサボサでダボダボの要注意人物だった学生時代のエピソードを、浅利先生に伝えたことがある。その時の楽しそうに話を聞く姿から、きっと先生はそういうタイプが好きなんだろうなと思った。
そういう、というのは上手く言葉にできないが、どこか欠けたところがある人かもしれない。たとえば不器用だったり、理性より感情を優先させたり、損得勘定をいつもし忘れたり……。それが芝居にどう活かされるか、ということとは一切関係なく、単純にそういう人が好きなんじゃないかしら? そう思うくらい、愉快そうに先生は笑っていた。
つい数日前にお会いした時もそう。ストレートに褒めることはあまりないけれど、何度も楽しそうにヨシオの話をしていた。本当のことを言えば、嬉しいと同時にちょっぴり羨ましい。だからこそ今度の公演はいつにも増して、良いものにしたいとおチビちゃんは考えている。
東京公演の演目は前から決まっていた。おチビちゃんが十四年前から毎年夏に千葉で行っている、農家の庭で行う野外劇――学生時代のヨシオを誘ったあの野外劇で昨年行った芝居を、今回は屋内という異なった環境でお披露目する。
実際稽古を始めると、想像以上に課題は多かった。今更思い出すのも馬鹿馬鹿しいが、演劇は共同作業。誰かひとりが上出来だからといって、その舞台が良いものになる訳ではない。大切なのは全員のバランスだけれど、それが毎回難しい。平たく言えば、コッチが上がればアッチが下がり、の繰り返し。
四季にいた頃、浅利先生の言うことが突然真逆になって混乱する瞬間があった。昨日まで白だったのに今日は黒。つまり昨日「それ良いね、その調子でいこう」と褒められたのに、今日は「ちょっと違うんだよなあ」と言われてしまう。おチビちゃんは当時、役者として腹立たしく思ったりもしたけれど、演出家でもある今は先生の気持ちがよく分かる。いや、分かるどころではなく、実際に何度か白を黒にしている。理由はひとつしかない。お客様に少しでも良いものを見てもらう為だ。
「そういえば、あいつ来ませんね」
今回の稽古期間中、そんな言葉を投げかけられることが多かった。あいつ、はヨシオのこと。尋ねてくるのは学生時代、ヨシオと同期だった役者たちだ。今はちょうど四季も公演の真っ最中。彼も必死の想いで食らいついているに違いない。おチビちゃんはいつもより大きめの声で「さあ、今のところ、もう一度頭からやってみよう」とみんなに呼びかけた。
結局いつもよりオーバーワーク気味に稽古を重ね、いよいよ明日が本番というところまでたどり着くことができた。実はこの本番前日というタイミングが、いつも一番落ち着かない。出来ることは全てやり尽くしたはずなのに、やはりああした方がいいかな、こうした方がいいかな、と心はグラグラと揺れっぱなし。こんな時は目の前のことに集中するのが一番、と最後の稽古を始めた直後、「おはようございます!」と聞き慣れた声が会場内に響いた。そう、ヨシオの登場だ。驚いたのはおチビちゃんの方。慌てて稽古をストップして駆け寄った。
「ちょっとちょっと、今日舞台だったんじゃないの?」
「うん、そうだよ」
「そうだよって、え? どうしたの?」
「いやあ、やっぱり新幹線って早いよな。本当にあっという間だもん」
「し、新幹線? 乗ってきたってこと?」
「ま、いいから。明日本番だろ? 時間ないんだから。はい、みんな! 今のところ、もう一度頭からやってみよう!」
まだ何か言いたげなおチビちゃんを無視して、ヨシオは稽古を再開させる。確かに残された時間はかなり少ない。とにかく今は明日のことだけ考えよう。
最後の通し稽古が終わった時、ヨシオは姿を消していた。ぐるりと館内を見回すと……いた。一番後ろの席にだらしなく身体をもたれかけながら、台本を怖い顔で読み続けている。
「ねえ、とりあえず今日はここまで。もう帰るわよ。楽屋だって閉めちゃったんだから」
照明や音響のセッティングは既に整っている。あとは明日、お客様の来場を待つだけだ。
「これ、やっぱりおかしいよなあ」
「え?」
「いや、ここさ、おかしいと思わない?」彼が示した部分は芝居のオープニング。始まってすぐのところだ。
「おかしいって何? どういうこと?」
おチビちゃんは身構えた。もちろん今の状態が完璧だとは言わないが、もう公演は明日に迫っている。ここで何を言われても譲る気はない。正確に言うなら、譲りたくても譲れないのだ。
「あのさ、この辺りにまだやってる喫茶店ある?」
そう尋ねたヨシオは答えを待たずに席を立ち、出口へと向かっていく。その後ろ姿を見ながら、おチビちゃんは二年前の出来事を思い出していた。
――あれは毎年千葉で行う野外劇でのこと。忘れもしない二日目の朝、会場となる庭の持ち主、高校時代に演劇部で共に切磋琢磨した親友・Kさんの家でぐっすり眠っている時だった。
ご存知のように芝居とはとても疲れるもの。一度の公演で数キロ痩せる役者もいるくらいだ。おチビちゃんも前日、初日の舞台で疲れた身体を休ませていた。そんな至福の時間に突然降ってきたのはヨシオの声。
「これ、ラストの部分って書き直しできない?」
思わず「わっ」と声が出た。枕元には台本片手に険しい表情のヨシオ。一気に目が覚める。聞けばラストシーンに不満があるというから、目が覚めるくらいでは済まない。すぐに早朝ミーティング、いや、ケンカめいた口論が始まってしまった。
結果からいえば、ヨシオの提案は却下。途中の些細な場面ならいざ知らず、ラストシーンを変更すればストーリーそのものが覆ってしまう。しかも既に昨日、公演を行なっているではないか。
「みんな力を合わせてやってきましたよね。それを今更変えるなんて、これ、信頼に関わる問題ですよ」
そう言ったのは舞台監督で、おチビちゃんも百パーセント同意した。演劇は共同作業。その作業を行なっているのは生身の人間だ。最低限の信頼関係なくして成り立つものではない――。
そんな一昨年の記憶を浮かべながら、会場近くの喫茶店でヨシオと向き合った。こちら側はおチビちゃん一人ではない。舞台監督含め、数人のスタッフもいる。本番は明日。今日の夜はぐっすり寝て、万全のコンディションで臨みたい。絶対に変更なんてするものかと意気込んでいた……はずだった。
ヨシオの意見はこうだ。オープニング、演者であるおチビちゃんが客席から舞台へ移動するシーン。野外劇のように客席と舞台がフラットなら今のままでいいが、今回は屋内の劇場だから当然段差がある。この段差を何の抵抗もなく昇っていいのか? 昇る、という行為を観客に納得させるだけのきっかけが必要なのではないか?
その意見は確かに一理あった。一昨年とは違って説得力がある。他のスタッフたちも、そして何よりおチビちゃん自身が納得できた。思い出したのは「観客の視線をあきらめてはダメだよ」という浅利先生の言葉。
気まずい沈黙の中、頭の中でシミュレーションをする。本番は明日の夜だから、早い時間に通し稽古はできる。修正箇所はオープニングだけだから、セリフが増えるのはほぼ自分のみ。照明も音響も変更ナシでいける。そこまで考えてようやく決意できた。
「そうね、ここはちょっと変えた方がいいかもね」
翌日、本番の直前にヨシオは楽屋に姿を見せた。また新幹線を使って駆けつけてくれたという。ありがとう、と言おうとしたおチビちゃんに、彼は深々と頭を下げ「俺が客席まで誘導します」と告げた。そこにいたのは一番弟子のヨシオではなく、劇団四季所属の若手俳優。そんな距離感と、それを越えて余りある信頼感があった。
「では、客席スタンバイお願いします」
話し方がいつもと違って穏やかなのは、芝居に真摯に取り組んでいる証し。「居て、捨てて、語れ」という、浅利先生が何度も口にしてきた言葉を思い出す。自我を捨てて、そこに居ることができた時、役者は初めて語れるようになる。
幕が開くまでのこの短い時間。その大切さを理解しているから、「場内、いい感じです」「心配ないです、大丈夫です」と、彼は緊張をほぐしてくれる。それでも、いざ場内に入るとお客様の姿が目に入り、どうしても気持ちが揺らいでしまう。それを察してくれたのだろう、また彼は「大丈夫です」と声をかけてくれた。
こちらになります、と示された席に座り、声には出さず「ありがとう」とアイコンタクトを取る。彼もまた無言のまま「頑張ってください!」と力強く返し、ロビーへと去って行った。
幕が開くまでの神聖な時間。その数分間を最高の状態に保ってくれたおかげで、おチビちゃんは急遽書き換えたオープニングも、無事乗り越えることができた。やっぱり変更してよかったわ。そう思えたのは芝居が終わってから。
「今日は本当にありがとう」
ようやく声に出して伝えてみたが、彼は照れ臭そうに首を振るだけだった。
あれから十数年、おチビちゃんは今も現役だ。
説明するまでもなくヨシオも現役。今や舞台だけでなく、映画、テレビドラマ、CMと大活躍。もう何年も会えなくて……となってもおかしくない状況だが、何も変わることなく、ふらりと稽古場に現れてはいつもの調子で仕切ってくれる。
ヨシオは現在、自分の劇団を持っていて、もちろん四季所属ではない。彼が四季を退団したのは、おチビちゃんが東京公演を行なった二年後。予想外に早かった。
実はその時期、おチビちゃんの娘は四季の予約センターでアルバイトをしていた。何となくタイミングを逃し、浅利先生には報告していなかったが、ある時ふと近況を尋ねられたので「実は……」と打ち明けると、驚くだけでは済まずに「なんで早く言わないんだ」とお叱りを受けた。
それから数日後、バイト帰りの娘から「ちょっと、私が働いていること、先生に話したでしょ」と、おチビちゃんはまたお叱りを受ける。どうしたのよ、と尋ねると「大変だったんだから」と彼女は頬を膨らました。聞けば仕事中に浅利先生から呼び出されたという。
「そんなこと前代未聞だって、センター中に緊張が走ったわよ」
その様子は容易に思い描けた。今や四季といえば、専用劇場を複数持ち、多くの劇団員やスタッフを擁する巨大な集団。社員ならまだしもアルバイトの若者が、そのトップから名指しで呼ばれるなんて、正しく前代未聞だったはずだ。
予約センターは別棟なので、上司に連れられ部屋を出て、途中で先生の秘書に引き渡され、ようやく社長室にたどり着いたという。ただ、そんな物々しさが嘘のように、先生はとても優しかった。
「君のことはお母さんから聞いているからね。何か困ったことがあったら、いつでも来るんだよ」
娘の声で再現される先生の言葉を、おチビちゃんは不思議な気持ちで聞いていた。この時、先生は七十代半ば。ふと四季の研究生になってからの短くない歳月が、今の自分を作っていると改めて実感できた。一瞬、ノスタルジアが胸をよぎる。でも娘が続けた言葉が、すぐ現実へと引き戻してしまった。
「それからまた仕事に戻ったんだけどさ、突然バイクが爆音立てながら敷地の中を走り始めたんだよね」
「え、どういうこと? 大丈夫だったの?」
「いや、すぐにどっか行っちゃったから何もなかったけど」
それで何となく話は終わったが、おチビちゃんは落ち着かなかった。実際は聞いていないバイクの爆音が、耳の奥で鳴り続けているような嫌な感じ。だから寝る間際に千葉のKさんから電話がかかってきた時、「やっぱりね」と納得してしまった。
「どうした? 何かあった?」
「うん、あった。ヨシオ、今、家にいるのよ」
さすがにそれは想定外だ。驚きながらも事情を聞くと、今日、稽古場で浅利先生と口論になり、そのまま飛び出して来たらしい。
「もしかしてバイクで来た?」
「そうだけど、何で?」
いや……と口ごもりながら話を聞く。しばらく家に帰らないと言っているなら、本当にそうするつもりだろう。不思議とあまり慌てていない。もっと心配してもいいはずなのに、とおチビちゃんは我ながら驚いている。ヨシオのことだから、またいつもみたく不器用に突っ走ってしまったのかもしれない。でも、彼なりに考えてのことだろうから大丈夫。自然とそう思えた。
電話を切ってから二、三十分、改めて寝支度をしようかと立ち上がると、今度は浅利先生から電話だ。こんな時間に連絡をしてくるなんて、よほど慌てているに違いない。
「どこにいったか分かるか?」
誰が、とは言わなかった。つまり、もう状況を知っていると思われている。おチビちゃんは言葉を濁した。
「きっと君のところに行くはずだから、その時は連絡するように言ってくれるか」
切羽詰まった声だった。だから「分かりました」と噓をついた。多分、私はヨシオに何も言わない。彼が考えて決めることが、一番正しいと信じているから――。
結局、数ヶ月経ってヨシオは四季を退団した。連絡はあったけれど何も言わなかったし、何も尋ねなかった。その必要がなかったから、なんて格好をつけているみたいだけれど本当だから仕方ない。無論、私の先生も、私の生徒も間違ってはいない。数年前、浅利先生の訃報を伝えてくれたのはヨシオ。色々なことが、すっと納まるような感覚だった。
今年は二〇二三年。この夏も野外劇を行う。ヨシオは「何とかして俺も出れないかなあ」と言ってくれた。本当にありがたい。
最近また「居て、捨てて、語れ」という言葉をよく思い出す。いつも浅利先生の懐かしい声と共に蘇ってくる。もし現役を退いたら、その言葉の意味や価値が変わってしまいそうで、それはちょっと怖い。こうして現役でいる限り、私は先生から教わることができる。
役者は器だ。
その役に身体と声を貸しているだけ。
だから自我を捨てて空っぽになれたら幕が開く。
自分が何かを見るためではなく、お客様に見ていただくために。
(第48回 最終回 了)
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