川名大さんの連載「昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉―」第七回は「「戦後派」俳人の作風の展開と現代俳句協会賞受賞者」(前衛俳句の勃興(昭和三十年代前半⑥))である。俳句に限らず詩の世界では句集ですら古い初版を入手するのは難しい。ましてやその前段になる結社誌や同人誌をや、である。昭和俳句に限らず新興俳句などについても川名さんは丹念に資料に基づいた検証をなさる。俳句アンソロジーを読むのもいいが、川名さんの論考を読むとある時代の雰囲気が的確に伝わって来る。
今回は昭和三十年代前半の俳句を論じておられる。「「社会性俳句」から個人の疎外へ」という小見出しがあり、全体のレジュメを「昭和二十年代後半の俳壇の顕著な現象は二つ見られた。一つは、いわゆる「社会性俳句」の勃興。もう一つは、いわゆる「戦後派」俳人たちの台頭。この二つの現象を生み出したのは、世代的に言えば、大正後期から末期にかけて生まれた俳人であり、戦中に暗い谷間の青春を生きた。戦争の心的傷痕、従軍戦死者への鎮魂の思いが深い」とまとめておられる。
■昭和二十年代後半の代表句■
血を喀いて眼玉の乾く油照り 石原八束(昭和26)
白桃や満月はやゝ曇りをり 森 澄雄(昭和26)
縄とびの寒暮いたみし馬車通る 佐藤鬼房(昭和27)
白地着て血のみを潔く子に遺す 能村登四郎(昭和27)
暗闇の下山くちびるをぶ厚くし 金子兜太(昭和28)
逢ひにゆく八十八夜の雨の坂 藤田湘子(昭和28)
鮹を揉む力は夫に見せまじもの 八木三日女(昭和28)
鉄階にいる蜘蛛智慧をかがやかす 赤尾兜子(昭和28)
五月の夜未来ある身の髪匂ふ 鈴木六林男(昭和29)
隅占めてうどんの箸を割り損ず 林田紀音夫(昭和29)
干し物をつひに隠さず出棺す 掘 葦男(昭和29)
水浸く稲陰まで浸し農婦刈る 沢木欣一(昭和29)
■昭和三十年代前半の代表句■
くらがりに歳月を負ふ冬帽子 石原八束(昭和33)
早乙女の股間もみどり透きとほる 森 澄雄(昭和30)
馬の目に雪ふり湾をひたぬらす 佐藤鬼房(昭和30)
白地着て父情ゆたかにあるごとし 能村登四郎(昭和30)
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 金子兜太(昭和30)
暗き湖より獲し公魚の夢無数 藤田湘子(昭和34)
満開の森の陰部の鰓呼吸 八木三日女(昭和33)
音楽漂う侵しゆく蛇の飢え 赤尾兜子(昭和32)
擦過の一人記憶も雨の品川駅 鈴木六林男(昭和31)
銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫(昭和30)
沖の暗さに触れず無花果の内部啖う 掘 葦男(昭和32)
塩田に百筋目つけ通し 沢木欣一(昭和30)
川名さんが昭和二十年代後半と三十年代前半の代表句として引用なさった作品の一部を抜粋した。わずか十年弱の時間の隔たりしかないので決定的な差異は指摘し難い。ただ終戦からあまり時間が経っていない時期の作品には一種独特の緊張感がある。それがやがてあからさまな社会批判句となってゆく。詳しくは実際に論文に当たられたいが、そういった作品変化を川名さんは丹念に論証しておられる。
戦後の俳句を概観する時、わたしたちは戦前「ホトトギス」の革新版とも言える人間探求派の、いわば新・伝統俳句と、金子兜太「社会性俳句」、高柳重信「前衛俳句」との対比で捉えがちである。しかし川名さんはそれと並行して〝「戦後派」俳人〟と呼べる作家たちの作品群があったことを論証しておられる。
ただこの「戦後派」俳人の作品群は一つの運動体として捉えることができない。端的に言えば時代が生み出した作品群である。
多くの俳人が「戦後派」と括るこのできる俳句を詠んだが、代表的俳人は佐藤鬼房や鈴木六林男、林田紀音夫、沢木欣一らだろう。なぜなら彼らはその後、「戦後派」と呼び得る精神を維持しながらじょじょに作品レベルを低下させていったからである。少し残酷な言い方になるが、昭和四十年代以降の高度経済成長期に戦後的なるものを見失っていったからこれらの作家たちは俳句史上で論じ評価するに足るのである。文学潮流として論じることのできる社会性俳句や前衛俳句がこれら戦後派俳句の成果を積極的に取り入れたのは言うまでもない。
新興俳句についても似たようなことが言えるが、出自も志向も異なる作家たちの作品に、時代状況が一定の共通点をもたらすことがある。それは自由詩の戦後詩や前衛短歌も同じである。時代状況が真に切迫したものである時、作品の表現は具体的事物を取り合わせながら高度に抽象的になる。作品は白紙の上に打たれた黒い点のような凝縮感を持ち、作品では表現されていない濃厚な観念がそれを取り巻くことになる。
このような時代状況の切迫が生み出した作品群を、上辺で真似ても無駄だ。新興俳句にしても戦後派俳句、社会性俳句、前衛俳句にしてもそうである。なぜそういった作品群が生まれたのかを理解しなければ、その遺産を現代に活かすことはできない。では現在はどういう地点にあるのか。
しかし日常卑近のそこここに俳句の斬新な素材を見出すとは言っても、ことさら新奇な物を追い求める方向に向かうということではない。(中略)生の過程で時に激しく、時に幽かに、私たちの心身に波動をもたらす物事を一句の素材として敏感に掬い上げ、自らの裸眼や皮膚感覚で感受し、自身の体重を載せた言葉で表現したい。そこにはおのずから作者の体温や人間味、また生き方や価値観までもが滲み出てくるだろう。
山下知津子「はじめに 素材とキーワードの見つけ方 一回性の生の過程で」
今号には「大特集 句が生まれる瞬間を解説! 発想を広げる」が組まれていて、巻頭に山下知津子さんが「はじめに 素材とキーワードの見つけ方 一回性の生の過程で」を寄稿しておられる。目新しことは何も書かれていないが、今の俳句の状況を端的に言い表した文章だと思う。
要するに俳句がその全体として感受すべき時代状況はもはや存在しない。作家に許されているのは簡単に言えば極私的表現だけである。これも乱暴な言い方をすれば、凡人が自分は少し天才じゃないかと勘違いできるような切迫した時代状況から生まれる表現はもはや望みようがない。大震災が起こってもウクライナとロシアで戦争が起こってもそれは同じである。
その意味で今の俳句界がおしなべて俳句即人生的な、叙景に心象を織り交ぜた俳句になっているのは当然である。この状況はこれからも続くだろう。戦争のような争乱が起こったとしても、津波のように押し寄せて来る情報はもはや俳句表現を求心的な黒い点のような核にはしてくれない。つまり新奇な技法や素材やキーワードを見つけることが新たな表現の創出に繋がらない。
それで良いのなら俳句は後期虚子よりも弛んだ表現で終始することになる。現代作家として端的に新たな表現を生み出したいなら、そのアプローチ方法を従来とは完全に変える必要があるということでもある。
岡野隆
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