女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
芸能事務所「オフィスK」に所属したことで、おチビちゃんの生活には、「挨拶まわり」という新しい予定が組み込まれた。芸能プロダクションなどの関係者に自分の存在を知ってもらうため、小林社長と共に売り込みに行くのだ。いわゆる「顔を売る」という大事なお仕事。もちろん突発的に行うわけではなく、まずは彼女から連絡が来る。
「今度、〇〇という制作会社の〇〇さんのところに行こうと思うのよ」
「あ、はい」
「それで相談なんだけどね、〇月〇日の〇時頃って空いてるかしら?」
そう尋ねてはくるものの、当然社長はおチビちゃんのスケジュールは把握済み。他の撮影などと重なっていることはない。だから即答できる。
「はい大丈夫です」
「じゃあ、これからアポイント取ってみるわね。また正式に決まったら教えるから」
これが多い時は週に何度かあったりもする。というのも、自分の姿がテレビで流れている時期でないと、なかなか「挨拶まわり」の効果は得られないからだ。顔を売る、ということはタイミングが非常に重要。ただ頭を下げればいい訳ではない。
そして自分のスケジュールを誰かに管理される、というのは少し変な気分だ。劇団時代は自己管理が当然で、四季映放部のマネージャーは放任気味だった。ちょっと芸能人みたいよね、と思ったりもする。
最近は夏目雅子さんがヒロインを務めた映画『鬼龍院花子の生涯』が話題だ。テレビでも流れる彼女の台詞、ドスのきいた「なめたらいかんぜよ!」は迫力満点だった。ついこの間まで一緒の時間を過ごしていたのに、と何だか不思議な気がする。ちなみにその映画で主演を務めるのが、おチビちゃんに劇団四季を勧めてくれた宮崎恭子さんのご主人、仲代達也さんというのも面白い偶然。案外この業界は広いようで狭いのかもしれない。
「挨拶まわり」を行う際の定位置は小林社長の隣。デスクで仕事をしている関係者のもとを訪れ、写真付きのプロフィールを手渡し、社長が自分を紹介してくれた後に「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「あ、新人さん? ごめんごめん、今ちょっと 忙しいから今度にしてくれる?」
なんて嫌な態度を取られるのでは、という不安な気持ちもあったが、実際行ってみるとそんなことはなく、ほどんどの人が興味深くプロフィールに目を通してくれた。頭のてっぺんから足のつま先までジロジロと見られるのは、いつまで経っても慣れないが、自分は「オフィスK」の大切な商品、これは文字通りの「品定め」だと思えばどうということはない。
そしてこういう場でも、劇団四季にいたというキャリアは頼れる武器だった。
「へえ、四季にいたの?」
「四季ってことは、当然演技の方は問題ないわけだね」
あまり興味がなさそうな様子の人でも、「以前は劇団四季に所属していたんです」という社長の一言で、そんな風に尋ねてくれたりする。とは言うものの、テレビの世界ではまだまだ新人。日本テレビ系列の二時間ドラマ枠である「火曜サスペンス劇場」の関係者を訪れた時は、単刀直入にこう訊かれた 。
「君、裸、大丈夫?」
役としては、海に浮かぶ全裸の遺体。予想外の質問に思わず口ごもってしまったが、社長の巧みなフォローで何とか切り抜けることができた。そういえばヌードシーンが大丈夫かどうかなんて、社長と話したことはない。他の女優さんたちは、その辺りを事務所に報告しているのだろうか。
別にヌードシーンに嫌悪感や抵抗はない。四季に入る前に観劇した、市村正親さん主演の『エクウス』には男女のヌードシーンがあったが、それはとても重要で本当に綺麗なものだった。ただ海に浮かぶ遺体となると話は別。何といっても水が苦手なおチビちゃん。裸であろうとなかろうと海に入るのは絶対イヤだな、としか思えなかった。
「挨拶まわり」の所要時間は平均数分間。そんなに長く話し込むことは滅多にない。正直なところ、これが本当に仕事へつながるのかな、と疑問に思う部分はあった。テレビで演技をしたい女優、つまりライバルの数はとても多く、自分を売り込む時間はとても短い。四季出身であることに興味を持たれた気がしたけれど、あれは私の勘違いだったのかしら?
毎週放映されている『さよなら三角またきて四角』も、そろそろ最終回が近付いてきていた。こうなってくると、自分の姿がテレビで流れていなければ、「挨拶まわり」は成果が得られないという話が気にかかる。
実は『鬼龍院花子の生涯』が公開された一週間後に、沖縄で撮影を行った『ひめゆりの塔』も上映を開始していた。舞台挨拶にも参加したおチビちゃんは、再会した仲間たちとあの日々を懐かしく思い出すと同時に、心の中では少しホッとしていた。テレビには出てないけど、こんな立派な映画に出てるんだから大丈夫、大丈夫。
そしてある晩、とうとう社長から嬉しい連絡が入る。
「決まったわよ」
「え?」
「次のお仕事、決まったわ」
「あ、ありがとうございます」
驚きの方が先に立ち、声があまり出なかった。本当に「挨拶まわり」から仕事が決まるんだわ――。
「どうしたの? あまり嬉しそうじゃないけど」
「いえ、嬉しいんですけど突然だったんで」
そういうことね、という感じで笑った後、社長は「いい役よ」と続ける。
「そうなんですか?」
「うん、単発なんだけど『特捜最前線』のゲスト主役よ。いいでしょう?」
はい、と答えたものの、実はおチビちゃん、その『特捜最前線』を見たことは一度もなかった。もちろん刑事ドラマであることは知っているが、実際によく見ていたのは『太陽にほえろ!』の方だったのだ。
その回のゲスト主役は二人いて、もう一人はアイドルグループ「ずうとるび」でリーダーを務めていた新井康弘さん。彼が演じる、殺人容疑をかけられた少年の恋人という役柄だった。
ロケ主体の撮影は、今まで経験してきた現場とはまた違い、ある種独特の緊張感があった。印象深かったのは衣装のこと。その日着ていた服が、これから演じる「千葉から上京してきた不良少女」には見えないとのことで、自分で買ってくるよう頼まれたのだ。しかも撮影が終わったらそのまま貰っていいという。ラッキーと思ったのは束の間、社長と二人で選んだ不良少女に似合いそうな服は、二度と着ないであろう野暮ったいものだった。
撮影期間は二、三日。本音を言えば少々物足りない。やはり連続ドラマの方がやりがいがある。ただ確かに単発ではあるが、人気ドラマのゲスト主役。このまま軌道に乗ってくれればいいんだけど、という期待を胸に秘め、おチビちゃんはそれまでよりも前向きな気持ちで「挨拶まわり」に臨むようになった。
その積極性が功を奏したのか、コンスタントに仕事が入るようになり、全ての民放局に出演することができた。制覇、なんて大袈裟なものではないが、やはりNHKの仕事が決まった時は嬉しく、自分を褒めてもいいかなという気持ちになった。
社長と二人で訪ねたのは、岡本由紀子さんというプロデューサーの方。社長は以前から知っているらしく、いつもよりも少しリラックスした感じに見えた。
「今度うちに入った子なんです」
「へえ」
彼女はそう呟いて視線をおチビちゃんに移す。来たな「品定め」、さあどこからでもどうぞ。少々前のめりな気持ちで視線を受け止めるが、思ったよりも時間が長く、密かに動揺してしまった。
「この子、劇団四季にいたんですよ」
そんな社長の言葉に再び「へえ」と呟きはしたが、岡本さんの「品定め」はまだ続行中。ずっと目と目が合っている。数秒後、ようやく視線が外れた瞬間、おチビちゃんは身体の力が抜けるのが分かった。
「なんか……」
ようやく口を開いたが、少し間があった。今度は自分が彼女の口元を見つめる番だ。
「芯がしっかりしてるって感じだよね」
ありがとうございます、と頭を下げながら、これは好感触かもとおチビちゃんは思った。結果、その直感に間違いはなく、程なくして仕事が決まる。
単発ではなかったが、「銀河テレビ小説」枠なので、放送時間は月曜から金曜に二十分ずつ、という変則的な帯ドラマ。『夢見る頃を過ぎても』という、十朱幸代さんが主演のラブ・コメディで、脚本はジェームス三木さんの書下ろしだった。
主役の十朱さんだけでなく、植木等さんや朝丘雪路さん、梅宮辰夫さんやなべおさみさん、加藤健一さんとキャストはとにかく大御所揃い。そのため、各大御所のスケジュールに合わせて撮影が進行するスタイルだった。
何だかとても順風満帆にテレビ業界を渡っているようだけれど、当然ひどい目、つらい目に遭ったこともある。芸能界が特殊な業界かどうかは無責任に言えないけれど、クセの強い人が多いのは間違いない。
たとえば、とても可愛がってくれる年配の女性スタッフがいたが、実は彼女の恋愛対象は女性。そんな噂も耳にしていたけれど、何となく自分に対する優しさは「そういう意味」ではないだろうとおチビちゃんは思っていた……が、その判定は間違い。あるタイミングでぐっと一歩踏み込まれることとなる。幸いにも実害はなかったが、やはり後味の悪さは残った。
女性の場合があれば、当然男性のケースだってある。年配なのは同じだが、こちらは同業者。つまり先輩。よくある話だけに根が深い。
共演している時に目をつけられたらしく、まあ気に入られているな、とは思っていた。ある時、撮影現場の近くにある知り合いの飲食店に行こうとすると、一緒に行きたいから車に乗ってと誘ってくる。距離は短いし、何よりまだこの先も撮影は残っている。まさかね、と思って助手席に乗ると、そのまさかが起こった。まったく違うルートを走ったかと思うと車を停め、襲い掛かってきたのだ。とにかく滅茶苦茶に暴れ、叫び、必死の思いで事なきを得たが、そこからが予想外の展開。
「本当、悪いことをした。どうか勘弁してほしい」
彼は殊勝な表情で頭を下げる。まだ息苦しいし、何より怖い。そして明日以降の収録のことを考えると憂鬱だ。まだこの距離なら歩いて戻れるかしら……。
「じゃあ、とりあえず、その店に行ってみよう」
「え?」
思わず声が出た。
店って、私の知り合いがいるのに?
その知り合いが男性だって伝えたのに?
未遂とはいえ、こんなひどい事をした直後に?
頭の中にクエスチョンマークが溢れているが、彼は車を正しいルートに戻し、本当に店の中まで入ってきた。しかも知り合いに挨拶までして、話しはじめるではないか!
怒りを通り越して呆れたおチビちゃんだったが、数分後、彼の話の面白さについつい引き込まれ、知り合いと一緒になって何度も笑ってしまっていた。私もある意味クセの強いタイプかもしれないわね、と反省に似たような気持ちを抱えた数日後、敵は更なる行動に出る。
「今度、舞台やるんだけどさ、よかったら観に来てくれない? 楽屋で待ってるからさ」
運悪くまだまだ撮影は残っている。無論行くつもりはないが、どう断ればいいのかが分からない。悩んだ結果、おチビちゃんは初めて小林社長に相談をした。意を決して車での忌々しい一件を告げる。怒りや恥ずかしさや悲しさなど、色々な感情が混ぜこぜになりながら話していたが、社長の反応もまた予想外のものだった。
「そうか。あの人もやるわねえ」
そう言って何度も頷いているではないか。いや、大事な商品なんですから守ってくださいよ! そんな気持ちを抑えながら冷静に話を続ける。
「で、これ本当なんですけど、今度自分が出る芝居を観にこいって言われたんです。どうしたらよろしいでしょうか?」
「……あのねえ、もう子どもじゃないんだから、もっと大人の対応しなきゃダメよ」
え、と驚いたおチビちゃんの表情を見据えながら、社長は淡々とおチビちゃんを諭した。
やっぱりこの業界は特殊なのかもしれない。
(第41回 了)
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