女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
その話は突然おチビちゃんの前に現れた。不思議なのは突然だったのに、心のどこかで「そろそろかと思っていたのよね」と納得していたこと。この二年あまり、テレビ、映画と慣れない世界で奮闘してきたおチビちゃんに、小林社長が持ってきた話は舞台の仕事だった。
「え、舞台ですか?」
「そう。どうかな? 久しぶりに」
「……はい」
「どうしたの? あまり気乗りしない?」
そろそろかと思ってたんですよ、とはさすがに言わず、「急だったんで驚いちゃって」とだけ告げる。彼女は笑って「ちょっと面白そうなのよ」とバッグから手帳を取り出した。
「演目は『あしながおじさん』。知ってるかしら?」
タイトルは知っているが、正確な内容までは分からない。素直にそう答えると「私もよ」と微笑み、「簡単に言うとね」と説明してくれた。孤児院の女の子が、資産家の男性から奨学金を受けつつ成長する物語。本当に簡単だったので思わず笑ってしまった。
「でね、ミュージカルなのよ」
「あ、そうなんですね」
「で、ここからが面白そうなんだけど、主催するのはマクドナルドなんだって」
マクドナルド? と思わず訊き返す。
「あのハンバーガーの?」
「そう、あのマクドナルド。えっとね、『第一回マクドナルドミュージカル』って冠が付いてるの」
へえ、と頷いたおチビちゃんに、小林社長は身を乗り出して「しかも制作はカドカワなんだって」と畳み掛けた。
カドカワ――正式名称・株式会社角川春樹事務所はここ数年、国内の映画シーンに新風を巻き起こしていた。
テレビCMで劇中の音楽、セリフ、そしてキャッチコピーを繰り返し流す宣伝スタイルは流行を通り越して定着し、『犬神家の一族』、『野生の証明』、『復活の日』と話題作を連発していた。
そして一昨年には、それまでの大作路線とは異なるアイドル映画『セーラー服と機関銃』が大ヒット。十七歳で主演を務めた薬師丸ひろ子は押しも押されもせぬトップスターとなったが、大学受験の為、休業期間に入ることが決定。その時期、つまり昨年行われたオーディションで特別賞を受賞した原田知世こそ、この『あしながおじさん』の主演女優だ。
現在十五歳、高校一年ながら少し前に発売した新曲「時をかける少女」が同名の映画と共に大ヒットとなり、スターの仲間入りをしたばかり。そんな彼女の舞台デビューということもあり、自身が歌う主題歌「ダンデライオン」は作詞・作曲、松任谷由実という力の入れようだった。
後日オーディションに行って感じたのは、自分より若い子の数の多さと、その場の独特な雰囲気。マクドナルド、角川、そして原田知世、という華やかな組み合わせの影響なのか、列を組んでおとなしく説明を聞いている瞬間でさえ、空気がざわめいているように感じられた。
実は後日、おチビちゃんは合格した女の子から「私、オーディションでびっくりしたんですよね」と話しかけられる。
「え、どうして? あの日、何かあったっけ?」
「いや、そういうことじゃなくって」
「?」
「だから『野々村』に出てた女優さんも受けに来てるんで、これは無理だなって」
「無理?」
「はい。こんなにスゴい人がいるなら受かるわけないじゃん、ってあきらめてたんです」
まさかそんな風に見られていたとは夢にも思わなかったが、いざ稽古に入ってみると、自分のキャリアを再確認するような再会があった。
たとえば脚本担当で演出家でもある青井陽治先生は、四季の演劇研究所で俳優や翻訳者として活動されていた方。久しぶりにご挨拶が出来て嬉しかったけれど、周りの人たちは少し驚いたかもしれない。
いや、それ以上にインパクトがあったのは音楽監督の内藤法美さん――越路吹雪さんの御主人と再び会えたこと。もちろん参加されているのは知っていたけれど、まさか内藤さんの方から声をかけていただけるとは思ってもみなかった。
越路さんが亡くなられてからそろそろ三年になる。振り返れば、本当にたくさんの経験をさせていただいた。あの頃、まさか四季を飛び出すなんて考えたこともなかった。それどころかテレビの世界に来るなんて、映画に出演するなんて、そしてまたこうして舞台に立つなんて、あの頃には何ひとつ予想できなかった。
ちなみにこの年、劇団四季は西新宿の都有地を借り、テント張りの仮設劇場を設置する。新宿西口の高層ビル街に現れたこの場所こそ、その後長きに亘って上演される『キャッツ』の専用劇場「キャッツシアター」で、その後国内のミュージカル上演回数の最多記録を、『キャッツ』は更新し続けることとなる。
それ以外にもスタッフさんの中には知っている人がいたり、また年齢のこともあって、何となくおチビちゃんは世話役的なポジションになっていた。今まであまり経験のない立ち位置ではあったが、役作りの面では良い影響がありそうな気がする。
今回演じる役柄は、あしながおじさんの実の姪であるシンシア・ペンドルトンという少女。原田知世さん演じる主人公、ジュディ・アボットの大学の同級生でルームメイト。あしながおじさんの援助を受けて大学に進学した孤児院育ちのジュディに較べ、シンシアはお金持ち。しかもそれを鼻にかけ、少々高飛車――。
今まであまり演じたことのないタイプなのでとてもワクワクしている。自分以外の誰かになる、という演技の基本的な楽しさをこんなにじっくりと感じるのはどれくらいぶりだろう。
このシンシアのキャラクターと、座内で世話役的なポジションにいることは方向性として矛盾がなく、稽古以外の時間もシンシアとしての視点を保っていられるのでありがたかった。やはりカメラの前だけで演じるより、ある程度の時間をかけ、まんべんなく馴染ませていく方がやりやすい。
主人公・ジュディのルームメイトはもう一人、文学座にいた矢代朝子さん演じるサリー・マクブライトという少女がいて、三人で舞台に出るシーンがとても多い。矢代さんのお父様、脚本家の矢代静一さんは、四季時代におチビちゃんが演じた『ふたりのロッテ』の脚本を手がけていて、だからという訳ではないが、この舞台が終わっても交流を持つようになる。
実際に稽古が始まると、これまで経験してきたものとの違いが明確になっていった。
演出の栗山民也先生は、稽古の最中でも自分自身が実際に動いて演者に伝えていくタイプ。その空間にいる全員で「ノリ」を作っていこう、という感じがする。この点、浅利先生とはまったく異なっていた。
また主人公の原田さんは「超」が付くほど忙しいので、彼女以外のキャストは朝から稽古、原田さんだけ夕方くらいから参加、という日が必然的に多くなる。
いない時にはおチビちゃんが彼女の代役として、稽古をすることもあった。この点もまた、今までとはまったく異なっている。
そもそも劇団四季は、スターという突出した存在を作らずに演目でお客さんを呼ぶ、というスタイル。当然だけれど、どちらが良い・悪いという話ではない。ただ、今回のようにお客さんの求めているものがはっきりしていると、オーディションによって集められたメンバーたちとはいえ、現場の雰囲気はまとまりやすいのかもしれない。
どうすれば主人公のジュディ、つまり原田知世さんの魅力を更に引き出すことができるのか――。
原田さん以外のキャストがそのことを考えていれば、自然と芝居の方向性は共有できる。もちろん芝居だけでなく、ダンスや歌のレッスンもあるので、この部分はなるべく早い時期にクリアした方がいい。
稽古で代役を務めた時は、後から合流した原田さんにおチビちゃんから直接説明をすることもある。ただでさえ多忙な中、この「あしながおじさん」が初舞台となる彼女はとても大変そうだったが、周りがフォロー、時には誘導することで、段々とその場の「ノリ」が生まれてくるようになった。たとえばバレエのレッスンなどで見せる勘の良さには思わず感心してしまうほどだ。
実は彼女が舞台デビューすることになった理由のひとつに、歌って踊れる女優に育てたいという、角川春樹氏の意向があった。彼は舞台の初日に人気作家の赤川次郎氏を呼び、この題材をモチーフにした書き下ろし小説を依頼する。そして翌年、その小説を原作とした映画『愛情物語』を自らが監督として撮影。原田さんが演じる、ミュージカルに魅せられオーディションを受ける少女を、あるシーンでは一流のダンサーと共に、またあるシーンではソロで存分に踊らせることとなる。
当然、今回の稽古場にも角川氏はよく姿を見せていた。稽古中の原田さんに向けられる視線には並々ならぬ熱意が宿っていて、それは遠目でも分かるほどだった。
そして昭和五十八年七月二十六日、三越ロイヤルシアターにて『第一回マクドナルドミュージカル あしながおじさん』の初日は幕を開けた。前日には原田さんが歌う主題歌「ダンデライオン」が発売されていて、話題性抜群のスタートだった。
予想はしていたけれど、まず客層が今までの舞台とは違う。やはり大半が原田さんのファンで、中でも若い男性の割合が高い。当然、彼女が出てきた時の沸き方や、笑うタイミングなども変わっていくし、カーテンコールではまるでコンサートのように盛り上がる。よし、とシンシアの衣装をまとったおチビちゃんは、密かに頷いた。この大歓声は、原田さんの魅力が最大限に引き出せるよう、みんなで稽古をした成果。やはり身体や舞台を最大限に使う芝居は素晴らしい!
ただ実はこの時、おチビちゃんの内側ではとても小さな変化が起きていた。どのくらい小さいかといえば、それは自分でも気付かないくらい。きっかけとなる出来事は数日前、本番前の舞台を使った通し稽古の時に起こっていた。
その日みんなの演技を演出していたのは、栗山先生ではなく脚本の青井先生。歌や踊りではなく台詞のみのいわゆるストレートプレイのシーンだった。最初は特に口を挟まなかったが、段々と青井先生からのダメ出しが増えてくる。
「そうじゃないよ、違うな」
「いや、そんな風にしちゃダメだ」
「ちゃんと気持ちを乗せないと」
芝居は進んでいくので、ひとつひとつのダメ出しは短いものだったが、おチビちゃんにはその言葉の意味するところが鮮やかに理解できた。青井先生も四季にいたからだろうか、浅利先生の隣に座りながら、ダメ取りを任されていたあの感覚が一気に蘇ってくる。けれどそれは長く続かなかった。青井先生が手を叩き、唐突に芝居を止めたのだ。そして舞台に近付き、ある女優さんのことを怒鳴りつけた。
「何でそんな余計なことをするんだ!」
一瞬で空気が張り詰める。おチビちゃんも「わ、怖い」と思ってしまった。「この人の演出、合わないかも」と。
ただ、言わんとすることはよく分かる。ここはストレートプレイなんだから、深いところから込み上げてくるものを出していかなきゃ――。
だから芝居が再開した時には、そのやり方でシンシアを演じきった。別に今まで適当に流していたわけではないけれど、ミュージカル特有の「ノリ」に浸食されていた部分はやはりある。ストレートプレイのシーンなのに、音楽が流れているシーンのような力の使い方をしてしまっていたのだ。
歌う時や踊る時に使う力は、自然体で発揮されるものとは違い「あえて」出していくもの。その「あえて」が必要なシーンかどうか、見極めなければ何かが少しずつ狂ってしまう。こうして言葉にするとまどろっこしいが、舞台上で演技を決めるのは一瞬の判断、瞬発力だ。
気付けば青井先生が近付いてきていた。怒鳴られるかも、と全身に緊張が走る。
「うん、素晴らしいね」
さっき怒鳴っていた人とは思えないほど、柔らかで小さな声だった。
「分かってやっている。間もいいし、居方もいい」
居方、という言葉で思い出したのは、やはり浅利先生だった。四季では何度も「居方」のことを注意されてきた。
ああ、やっぱり私はストレートプレイが向いてるんだな。
青井先生に「ありがとうございます」と頭を下げながら、考えていたそのことが、実はおチビちゃんの内側を微かに動かしているのだ。
でも、今はまだ目の前のことで手一杯。「あしながおじさん」の後に待っているのは、またテレビドラマの仕事。しかも小林社長が喜ぶような大仕事だった。
(第42回 了)
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