よくわからない小説がある。よくわからないというのは正直に言えば遠慮混じりの言葉であって、その理由はたいていはっきりしている。よくわからない小説で最も多いのは実験小説である。前衛小説と言ってもいいのだが、二十一世紀に未踏の領域という意味での表現の空白があるのかは疑問だ。あるとは思うがそれは技法上の問題ではないだろうと思う。
小説には必ずテーマがある。作家はテーマを抱えている。その表現の仕方は様々だ。ただそれが技法に向かってしまうと厄介なことになる。
現代詩が典型的だが、複雑な修辞を多用した表現は読者に新鮮な驚きを与えはするがその効果は長続きしない。身も蓋もないことを言えば比較的短い詩だから読んでもらえる。それを小説に援用すると読むのが苦痛になる。それでも我慢して読み続けると刺激がなくなり退屈になる。もちろんそれは小説家も意識するわけだから唐突に事件を起こすことになる。文字通りの唐突だ。しかし平穏な日常から起こる事件ではなく、いわば言語的行き詰まりが苦し紛れに起こす事件だから読者は驚いてくれない。また脈絡のない事件の生起は実験小説らしさを演出はするが実際は自爆のようなものだ。事件が起きても小説はどこにも行きつかない。だから設定を変えて似たような破綻小説を書き始めることになる。そして作家は徐々に疲れてゆく。作品数が減るか読者に飽きられるかの二通りの帰結が普通である。いつも同じタイプの作品になるからである。
実験小説はたいてい入澤康夫の『ランゲルハンス』あたりを粉本にしたりしているわけだが、初めてわけのわからない現代詩などを読んだ作家にはエモいかもしれないが六〇年代の実験である。『フィネガン』をまたやってみようという作家はいないと思うがピンチョンであれなんであれ手垢はすぐ見抜ける。また実験小説で一番ヤバイのはそういった志向を持つ作家の多くがテーマを抱えていないことにある。矛盾し混乱した人間の生から湧き出るのが小説的テーマだが、それがないので言語実験的修辞に走る傾向がある。逆に言えば修辞を凝らす体力が衰えると作家の薄っぺらなテーマが露わになってしまう。これが一番ヤバイ。
小説が前衛か後衛かと言えばどう考えたって後衛だろう。小説の基盤は物語であり、物語要素の大流を整理すれば男と女と金になる。それが読者最大の関心だ。だから実験小説が評価されるには偶然と僥倖が必要だ。評価基準はあってないようなものだからである。そしてラッキーにも評価された作家が保身的に似たような作家を文壇的にヨイショするから実験小説のプチブームが起きる。ブームは泡沫のように起きて泡沫として消えてゆくのを繰り返す。延命しようとすれば古典に前衛要素を探すという奇妙なことも起こる。なるほど『伊勢』まで遡れば現代的視線ではじゅうぶん前衛的だ。しかし当たり前だが古典にしっかりフォーカスを合わせてその本質にロックオンすることはできないでしょうな。
言語実験的ではないわかりにくい小説もある。たいていはテーマをつかんでいない小説か、テーマの解釈に問題がある小説である。しかしとりあえずテーマはある。評価しようと思えばできる。
ハロー、海を見るあなたへ、聞こえていますか?
一九四五年五月二十三日、ラジオ・パシフィックの「ハウ・メニイ・ナイツ」、始まります。今夜もオノトがお届けします。今日、硫黄島の摺鉢山に星条旗が掲げられました。今もその旗が、夜風にはためいています。日本人、アメリカ人、台湾人、朝鮮人・・・・・・多くの男たちが死にました。しかし、戦いはまだ続いています。太平洋の小さな島で、その星条旗はどこか頼りなく見えます。それを、アメリカの男たちはどのような思いで眺めているのでしょう。その旗をしっかりと、永久にそこに立たせたいと、それともあの旗がいくつも揺れる故郷に帰りたい、と? 日本側の男たちも、星条旗を引き摺り下ろして日の丸を立てようと月夜にその目を光らせている。また、血が流されるのでしょうか。白い布切れ一枚でも、風に吹かれていれば美しく揺れるのに。
音楽にいきましょう。今夜はシューベルトの「セレナーデ」、ピアノ版。演奏はセルゲイ・ラフマニノフ。彼は二年前にカリフォルニアで死にました。生まれた国に戻れないまま。一方で、戦争に駆りだされ、故郷に戻れぬまま太平洋上の小さな島に残された男たちは、どんな気分なのでしょう。そして、陸で彼らを待つ人たち。女、子ども、老人、私たち。これを聴きながら今もあるいは、安否もわからずに不安な夜を過ごしているかもしれない。そんな時に、この音楽が少しでも慰めになっているといいのですが。よければいっしょに歌ってください、いつか再び会うその時を祝して。静かに声を・・・・・・。ナイチンゲールの啼き声が聞こえる? その甘い音楽で君を誘う、私の元へと。鳥たちは知っている、胸の焦がれ、愛の痛み。その煌めく歌声で脆い心を癒す。それは君の心をも揺らし、私の声を聞くだろう。震えながら待つ私のもとへ、さあ、早く。
ミヤギフトシ「幾夜」
ミヤギフトシさんの「幾夜」は雪子という日本人女性とアメリカ人青年ジャックとの悲恋物語に、ラジオ・パシフィックのオノトというDJの「ハウ・メニイ・ナイツ」が交互に登場する小説である。オノトには意味があり、雪子とジャックの恋愛物語は Onoto Watanna 著の A Japanese Nightingale という小説を元にしていると小説末尾に付けられた主要参考文献にある。New YorkのHarper and Brothers が1903年に出版した通俗恋愛小説らしい。Onoto Watanna は日本人を装っているが中国人のようだ。二十世紀初頭のジャポニズムブームに便乗して書かれた小説だと思われる。
こういった小説はアメリカで無数に出版されていた。よく知られているところでは、尾崎紅葉が Bertha M.Clay(本名Charlotte Mary Brame )著の Weaker than a Woman を種本にして『金色夜叉』を書いたことがわかっている。ミヤギさんは A Japanese Nightingale のストーリーをなぞりながら、二十世紀初頭 にOnoto がそうしたように、自由に想像力を働かせておられる。もちろん史実に忠実ではない。硫黄島の激戦の最中にアメリカのDJがオノトのようなトークをするはずもない。そんなことは許されなかっただろう。すべてはミヤギさんの小説テーマを表現するために活用されている。
ハロー、海を見るあなたへ、聞こえていますか?
一九六一年十二月十四日の「ハウ・メニイ・ナイツ」、今夜もラジオ・パシフィックのオノトがお届けしています。(中略)
アメリカではジョン・F・ケネティ大統領が女性の地位向上に関する大統領委員会を立ち上げ、その委員長にエレノア・ルーズベルトを任命しました。エレノアは夫の死後も、黒人や女性の機会平等を求めて活動を続け、ファーストレディ時代以上の功績を残しました。一九四八年には彼女が取り組んできた世界人権宣言が国連で採択されました。黒人女性であるマリアン・アンダーソンの公演も彼女の尽力があって実現した。(中略)
ファーストレディになって多忙な公務の傍ら、エレノアは五十を過ぎてヒックという愛称の雑誌記者、ロレーナ・ヒコックと親密な関係を築きました。その関係がエレノアのキャリアに大きな影響を及ぼしました。読者に語りかけるような新聞の連載コラム「My Day」を書き始めたのも、女性だけの記者会見も、ヒックのアイディアだった。(中略)
あの戦争は終わりましたが、別の戦争がいくつも続いています。追いやられ、居場所をなくした人々も多く存在しています。今も世界は変わらずひどい状況にあります。でも、エレノアとヒックのように、ひそやかな関係を続けることで、それが結果的に世界に影響を与えることもある。その可能性が、こんな世界で、少しだけ優しい未来を想像させてくれます。
同
「幾夜」には日本女性とアメリカ人青年の恋愛や戦前の日本による対米プロパガンダ活動などが散りばめられているが、あまりリアリティはない。ただ物語のテーマは女性の地位向上、人種差別の撤廃、個の友情の大切さ、戦争反対などである。それは明確に表現されている。実験小説的に見えるが作家の純な夢がそれなりに複雑な物語として膨らんだような感じだ。小説として優れているかどうかは別として、作家は小説でそういったテーマを表現する権利がある。ミヤギさんは良い人なのだろう。
大篠夏彦
■ ミヤギフトシさんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■