川名大さんの俳句史評論は本当に説得力がある。的確な資料に基づいて、可能な限り客観的な批評が為されているからだ。重信は「前衛俳句という俳句はないし、伝統俳句という俳句はない。俳句は俳句だ」と言ったが、川名さんの姿勢にも同じことが言える。
今号は「前衛俳句の勃興(昭和三十年代前半②)」である。戦後、俳句界が最も活気に満ちていて、多種多様な才能が花開いた時期である。
「俳句評論」は赤黄男・鷹女・窓秋・耕衣・閒石・重信・兜太など、俳句表現史にそれぞれ独自の表現様式を刻んだ錚々たる俳人たちを同人として擁し、総勢約百名から成る俳句史上例のない一大同人誌だった。にもかかわらず、その作品上の成果は、それに比例して大きかったとは必ずしも言えない。否、むしろ貧しかった。
今日、歴史的距離をおいて眺めると、その要因は次のようなところにあったと言えよう。即ち、耕衣・閒石・兜太の他、枇杷男・悟朗・阿部完市(阿部は「俳句評論」にいた)ら、主として後年それぞれ独自の文体を確立していく俳人たちが、意味性が過剰な散文的な文体に陥っていたからで、異質な言葉を強引に結びつけることで作者の意図が伝達できるメタファーになると考える言葉の強引なねじ曲げの流行に陥ったことだ、と。それは、あの悪名高い関西の前衛俳句(暗喩のコード化が顕著)と類似した風景だった。(中略)
エレベータへ腫れた既成の足音の諸君 永田耕衣
闇から飛びつく雨粒はけもの嘶く木馬等 河原枇杷男
昆布林で 嫉妬の魚 の発光や 野田誠
麻薬街の内部で撫で了る鼠の孤児 赤尾兜子
仮設階段を昇る・過去完了の青春 東川紀志男
日本冬眠五階のビルの背中の傷 阿部完市
垢湯に埋める殺意消しゴム バンカー消す 大原テルカズ
揉み手で訣れる責めの時間にかぶさる赤 稲葉直
火の軸の自転の雲雀ただよへり 中村苑子
耳飛び出す地下道に消える音楽 和田悟朗
「俳句評論」の中核となる著名俳人たちのこれらの句に共通するのは、意味性に統率された冗長な文体、観念的で未熟な暗喩、強引な言葉の連結やねじ曲げ。しがたって一句が統一的なイメージを結ばない。つまり、高柳や鳥海(多佳男)が批判した関西前衛派の表現の負性をそっくりなぞったような表現である。これは金子兜太の造形俳句や関西の前衛俳句というこの時代の潮流、渦の中に「俳句評論」も翻弄されていたことを物語るであろう。
川名大「「俳句評論」の新風」
俳句に限らないが詩の世界では、商業誌はほんの氷山の一角で屋台骨は同人誌や結社誌が担う。ただ同人誌は発行後時間が経つと入手困難になり、その詳細な軌跡を辿りにくい。作品集も同じようなもので、ほぼすべてが自費出版と言える第一作品集、第二作品集のあたりでは、自費だからこそ作家たちは意匠を凝らす。装釘などからも作家の姿勢を読み取れるわけだが、これも時間が経つと手に取りにくくなってしまう。そういった貴重な資料を長年に渡って蒐集して読み込んだ川名さんの評論が重要になってくる由縁である。
重信「俳句評論」といっても私たちが辿れるのは後年になってまとめられた作品アンソロジーなどからであり、いわば帰納的な推測で「俳句評論」という運動体を理解している。しかし川名さんが指摘しておられるのは動的な「俳句評論」の軌跡である。前衛というのは基本的に未踏の表現領域を開拓する文学運動だから、その途上で「意味性に統率された冗長な文体、観念的で未熟な暗喩、強引な言葉の連結やねじ曲げ」が起こったというのはさもありなんである。ただ川名評論がなければそれはなかなか分かりづらい。
だが、実は「俳句評論」の作品の成果には別の側面があった。それは「俳句評論」の同人たちの句を収録した三冊のアンソロジーである。即ち、『火曜―火曜会作品集』(俳句評論社・昭和35)、『現代俳句選集―「俳句評論」五周年記念合同句集』(俳句評論社・昭和37)、『昭和俳句選集』(永田書房・昭和52)。(中略)
すでに引用した「俳句評論」誌上の作品とは重ならない成果を、これらのアンソロジーから引用してみよう(昭和三十五年までの作品とする)。
此ノ姿見に一滴の海を走らす 加藤郁乎
辞書ニハ
辞書ノ青イ筋肉
緬羊睡ル 志摩聰
まなこ荒れ
たちまち
朝の
終りかな 高柳重信
たてがみを刈り
たてがみを刈る
愛撫の晩年 高柳重信
(以上『火曜』)
明るい山肌残すため散るオートバイ 赤尾兜子
轢死者の直前葡萄透きとおる 同
寸烏賊は
寸の墨置く
西から来て 大岡頌司
招きにまねく
かの
一髪の
青みどろ 高柳重信
零の中 爪立ちをして哭いてゐる 富澤赤黄男
泥鮒浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣
縄のごと手で哭く友を花で打つ 同
(以上『現代俳句選集』)
月光の奥へ奥へと青ざめぬ 榎島沙丘
春の夜のひとの言葉をみごもれり 沢木和子
森九月木筺より出て耳環鳴る 津沢マサ子
かがまりて
竈火の母よ
狐来る 大岡頌司
毒人参ちぎれて無人寺院映し 赤尾兜子
散るといふ言葉の奥へさくら散る 折笠美秋
日は帰去来日は智恵の樹木の望郷 加藤郁乎
空蟬の両眼濡れて在りしかな 河原枇杷男
立春や野に立つ棒を水つたひ 中村苑子
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み 三橋鷹女
秋たけて
血も冷えゆくや
水の上 高柳重信
(以上『昭和俳句選集』)
これらの諸句に見られる相貌は、前衛俳句の荒波に揉まれた「俳句評論」誌上の諸句のそれとは大きく異なる。雑多な集まりではなく、一つのエコールをなしている相貌が窺える。それを端的に言えば、写生やリアリズムでは捉え得ないもの、ただ網膜に映るものを超えたもの、知覚では捉え得ないもの――いわば目に見えない世界を言葉の連鎖と喚起力によって捉え、言語空間として創造しようとする志向と言えよう。
同
読んでいて刺激になる句ばかりなので引用が長くなってしまった。こういった句の生成現場に遡ることができるのも川名評論の大きな功績である。また「俳句評論」という雑誌――その名の通り雑誌は〝雜〟で良い――での試行錯誤とは別に、アンソロジー選集という句集に準じる単行本では作家たちの姿勢が異なることがはっきりわかる。いわば表芸として残る作品集では試行錯誤をあっさり切り捨てて自己の表現を絞り込んでいる。それができるのも優れた作家である要件の一つだろう。
「俳句評論」の時代は〝俳句狂〟たちの時代だった。真っ正面から俳句に没入していった作家たちの時代である。またそれができる湧き立つような時代背景もあった。一九五〇年代末から始まった日本の前衛芸術運動の盛り上がりは七〇年代まで続き、その総決算を迎えようとしていたのである。
ただわたしたちはもう、「俳句評論」の作家たちのように真正面から俳句に没入してゆくのが必ずしも良い結果をもたらさないことを知っている。ではどうすればよいのかということになるが、その道筋はなかなか見えてこない。しかし一生俳句に関わるつもりの作家なら、「俳句評論」ほどではないにせよ、沸き立つようななんらかの没入の瞬間の高みを自分で作らなければ、俳句人生はとってもつまらないものになってしまうだろう。
岡野隆
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