今月号の大特集は「俳句入門 最初の一句、どう作る?」。ダダッと読んではみたが、言いたかないが、あまりにも低レベルなので批評しようがない。俳人もその集合体である俳壇もひねもすのたりのたりかなでよろしと深く深く確信しておられる。要は過去にもこういう特集があったし未来永劫、こういった特集が組まれて延々と繰り返されてゆくだろう。執筆俳人の名前(流行)が変わるだけで内容は不易だ。作家性がどうのと言っても虚しい。日頃こういった特集をバカにしていても、メディアからお声が掛かればお尻フリフリで喜んで書くのが俳人というもの。矜持なんかありゃしない。それを繰り返して俳句と俳壇だけが生きのびてゆく。よくこんな退屈なことを繰り返していて飽きないなと思ったりするが、飽きないんだろうな。あ、つい書きすぎました。もうやめます。
で、小特集で「境涯俳句―俳句は生き様」が組まれている。これは基本、ひねもすのたりの俳句と俳壇とは対立する内容の特集ですな。まあ一人見開き程度の書き捨て論考で、どれだけ本質に迫れるかは疑問ですけどね。
現在、私たちが俳句の選評を読むとき、「境涯詠」「境涯性」といった表現を目にすることは少なくない。このような場合、選評の対象となっている俳句は、概ね人生苦(病、老、貧しさ。近年でいえば、介護もその範疇に入ってくるだろうか)を主題としつつ、季語とあいまった詩情の表現が図られている。このような俳句について、現代の私たちが革新性を感じることはほとんどない。むしろ、多少俳句に馴れている人にとっては、いかにも俳句らしい俳句とさえ感じるのではないだろうか。
藤田哲史「現代俳句のルーツとしての『惜命』
俳句の世界で「境涯俳句」というジャンルが確立されているのかどうかは知らないが、「人生苦」を主題とした俳句はしばしば見かける。それに「革新性を感じることはほとんどない」のも確かなことだ。そもそも俳句と相性が悪い主題だからである。
俳人さんたちはホントに人脈で生きている。半径10メートルくらいしか目に入ってないんじゃなかろかと思うこともしばしばだ。結社や結社モドキの集団の中で上見て下見て左右見てを繰り返している。誰が商業句誌に書いている、結社誌はどこが勢いがある、誰がどの賞の選考委員になった選者になっただからチャンスだいや不利だ、誰と誰は仲がいい、いや悪いそうだと異様に人間関係を気にする。そんな噂話ばっかりしている。それもそのはずで、古き良き、裏返せば日本的で嫌らしい昔ながらの人間関係で俳壇が動くこともしばしばだからだ。それは俳句という短い表現では仕方がない。深読みすればどんな凡句だってそれなりの秀句として評釈できる。それが積み重なれば「へーコイツが」という俳人がいつの間にかけっこうな俳壇的社会名士になっていたりする。
ただま、たまには歌誌とかも読んでみた方がいいんじゃなかろか。「境涯詠」で俳句は短歌に絶対に敵わない。歌誌を読めば、歌人が今どんな状態に置かれていて何を考えているのか手に取るようにわかる。継続的に同じ歌人の歌を読んでいると、会ったこともない歌人にお見舞いや励ましの手紙を書きたくなることも大袈裟ではなくある。つまり俳句の境涯詠はあくまで俳句表現のアクセントであってメインストリームではない。
担送車雪の廊下に夜明けをり
雪はしづかにゆたかにはやし屍室
赤き手を口に看護婦雪はしげし
力なく降る雪なればなぐさまず
切り株を包む古草雪はとべり
(中略)
実のところ、(石田)波郷は、『惜命』を含む時期の自作に対してはっきりとよい評価を下してはいない。むしろ、「句としては粗雑なものが多く、句法も概ね単調で工夫に乏しい。」という言葉を残している。私たちは、これをそのまま波郷の素直な本心と受け取るべきだろうか。〝療養の身に、表現を練り上げるような余裕はなかったのだ〟と。
同
「境涯俳句」は石田波郷あたりを祖にしているらしいが、波郷を免罪符にした境涯俳句はたいていはゆるい人生詠に過ぎない。季語ありきの俳句は基本、花鳥諷詠にならざるを得ないが人生ではさまざまな出来事が起こる。老いや病気などで死を間近に感じるようになれば、どんな俳人だって花鳥風月で済ませていられなくなる。当然それを主題に句を詠むことになる。もっと言えば、波郷さんがやったんだから境涯俳句は許されているというテイで右ならえして、芸がないというか、身も蓋もない境涯俳句を詠む。凡庸になるのは当たり前だ。
基本的な文章の読解方法として、作家が書いていることは裏読みしてはならない。まず表通り、字義通りに読むのが鉄則である。波郷は『惜命』の句について「句としては粗雑なものが多く、句法も概ね単調で工夫に乏しい」と書いた。その通りである。裏読みする理由はない。
人間探求派は山本健吉の命名だが、よくわからないネーミングだ。まあ楸邨、草田男、波郷にある程度の共通点があるので人間探求派という看板でもいいわけだが、人生を嘆く人生派という響きが強く印象に残ってしまうのは困ったことだ。
波郷らは「ホトトギス」に反旗を翻した秋櫻子門で新興俳句にくみしなかった。いわゆる伝統俳句をあくまで秋櫻子的文脈で深めようとした古典派だったから人間探求派は面白い。波郷は確かに肺病で苦しんで命を落とすことになったが、ゆるい病苦や死の恐怖などは詠んでいない。花鳥諷詠的写生を基本に人生の一大事を詠んでいる。その緊張感がなければ境涯俳句は優れた俳句にならない。
俳句ではたいていの場合、俳句の絶対的な祖・芭蕉さんが言っていることは正しい。彼の辞世は誰もが知っている「枯野」だ。波郷のいわゆる境涯俳句は芭蕉辞世に近い。
血族の村しづかなり花胡瓜
血の足らぬ日なり椿を見に行かむ
死ぬ前に教へよ鰻罠の場所
筑波嶺の夏蚕ほのかに海の色
泉てふ村の最も暗き場所
火の貌のにはとりの鳴く淑気かな
篠崎央子『火の貌』自選20句抄 より
今号には第44回俳人協会新人賞を受賞なさった篠崎央子さんの『火の貌』自選20句抄が掲載されている。受賞の言葉で「俳句は、人と違うことを詠むと褒められる不思議な世界。(中略)結社で生きるためには、協調性も順応性も大切だが俳句表現と向き合う一時だけは、封印された自分を解放しても良いのだろう。とは思いつつマニュアル好きの私は、マニュアルの範囲内で少しだけ冒険するのが楽しいのだ」と書いておられる。受賞の言葉が自ずから作品の自解になっている。これだけ意識的なら俳句に飲み込まれてしまう可能性は低いでしょうね。
岡野隆
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