今月号の特集は「いま、評論を読みたい!」である。編集部の特集リードには「「評論」というと、難解なイメージがあり、読むことに苦手意識を持っている人もいるのではないだろうか。しかし、「評論」によって多くの俳句や俳人を知ることができ、それは自身の実作の充実にもつながる。今回は編集部からさまざまなテーマで執筆を依頼、それに応える形で論じていただいた」とある。
編集部のリード通り、五十嵐秀彦さんが寺山修司論を、復本一郎さんが江戸俳諧論、坂本宮尾さんが「ホトトギス」女性作家論、大井恒行さんが無季俳句論、外山一機さんが高柳重信論、今泉康弘さんが渡邊白泉論を書いておられる。作家論から句史的評論まで盛りだくさんである。
刺激的な論なので雑誌を手に取って実際に読んでいただきたいが、編集部リードの「「評論」というと、難解なイメージがあり、読むことに苦手意識を持っている人もいるのではないだろうか」にはちょっと引っかかる。まあストレートに言うと、多くの俳人が俳論を読む必要はないと思っているところがあるんじゃなかろうか。
ピアノやギターを買えば自在に演奏してみたくなるのが人情である。しかしデジカメラを買ってもマニュアルを読んだりする人は稀だ。すぐにシャッターを押して写真を撮りたくなる。楽器は練習しないと上達しないが、俳句はデジカメに近いところがある。取り立てて専門知識がなくても俳句が詠めてしまう。じゃあ簡単に詠んだ句がレベルが低いのかというとそうとは限らない。俳句初心者の方が新鮮で斬新な句を詠むのはよくあることだ。
日本語は五七調と相性がいいので、巧拙を問わないなら日本人は誰でも俳句を詠めてしまう。またじっとレクチャーを受けるより実際に俳句を詠む方が楽しいに決まっている。後にプロ俳人と呼ばれることになる人でも、まず句を詠んで自分でも創作できることに驚いたのが俳句にハマったきっかけだろう。もちろん難しいのはそこからである。一筋縄ではいかないぞと思ったところから先行俳人の句を真剣に読み俳論を読むことになるはずだ。しかしそこでも基本的に〝創作優先〟が貫かれている。
俳句論は大別すれば、
①評釈
②作家論・句史論
③原理論
に分かれる。一番多いのが①の評釈である。評釈は俳句独自の評論で、俳人がいつ、どこで、何を見て、何を感じて句を詠んだのかを微に入り細に入り解説する。それを前提として切字などのテニオハの使い方や喩の活用方法などの俳句テクニックを解き明かしてゆく。だから俳句作品自体がわかりにくいということはあっても、評釈の文章が難解ということはまずない。また俳句の世界で批評といえばほぼ評釈なのは、読者が何よりも「俳句の書き方のノウハウ」を学びたいからである。すべての文学作品は意味と修辞で構成されるが五七五と短い俳句ではその機微を解説しやすい。つまり真似しやすい。結社主宰などによる俳句添削と評釈は表裏一体のところがある。
②の作家論・句史論になると小説や自由詩などの評論に近くなる、ということはそれなりに読むのに忍耐が必要で難しく感じられるようになる。作家論と句史論をいっしょくたにするのは乱暴じゃないかと思われるかもしれないが、作家論は本質的に句史論を含むものである。簡単に言えばお世話になった先生だから、大好きな俳人だからで作家論を書いてもあまり読者は付かないし評論の意義も低い。
芭蕉以降俳句は様々に変遷している。明治維新以降を見ても子規派による有季定型写生の俳句の基礎作りがあり、碧梧桐新傾向俳句、自由律俳句、4S時代、新興俳句、社会性俳句、前衛俳句といった新たな試みが為された。優れた俳人は過去を引き継ぎ未来に伸びるベクトルを持っているわけだから、句史を踏まえた上で個々の俳人を論じなければ作家の独自性は明らかにならない。
もちろんとにかく俳句を詠みたい人にとって作家論・句史論は評釈に比べて即効性が低い。そのため作家論・句史論は俳句の世界ではあまりはやらない。ただ単に俳句を詠みたいだけでなく、時代時代に応じた新たな表現を模索する作家にとっては作家論・句史論は重要になる。いきなり句史論を書くのは無理だが、作家論を積み重ねてゆけば自ずから句史――つまりは俳句自体の肉体的蠕動に近いものが感受できるようになる。
③の原理論だがこれが一番厄介だ。俳壇では虚子が神のように崇められているが、虚子は「俳句というものが始まって以来、(中略)今日まで三四百年の月日が経っています。(中略)その俳句もさまざまで、一口に俳句というけれども実は種々雑多なものがあるのである。(中略)ただここに俳句に共通なある一事があることを申し上げます。それは何かと申しますと、花鳥風月を吟詠するということであります」(「花鳥諷詠」昭和三年[一九二八年])と書いた。虚子の俳論は基本的に「花鳥諷詠」論に終始している。虚子自身が俳句の歴史を鑑みても画期的だったのは「花鳥諷詠」論を書いたことだと言っている。
虚子「花鳥諷詠」論に初めて真っ向から反発したのは秋櫻子である。虚子は「われらは天下無用の徒ではあるが、しかし祖先以来伝統的の趣味をうけ継いで、花鳥風月に心を寄せています。そうして日本の国家が、有用な学問事業に携わっている人々の力によって、世界にいよいよ地歩を占める時が来たならば、(中略)戯曲小説などの群がっている後の方から、不景気な顔を出して、ここに花鳥風月の俳句というようなものがあります、というようなことになりはすまいかと、まあ考えている次第であります」とも書いた。秋櫻子はそんな敗北主義があるものか、俳句はもっと偉大で素晴らしい表現であり、可能性に満ちていると反発した。
秋櫻子以降、虚子「花鳥諷詠」論に対する反発は血気盛んな若手俳人の間で根強い。俳句は小さな器だが無限の可能性を秘めていることを様々な方法で創作・批評両面で明らかにしようとしてきた。しかし乱暴なことを言えばそのような試みはすべて失敗した。秋櫻子以降の俳人たちも虚子に倣って結社の長となり、結局は虚子と同じようなことを繰り返した。
彼らの試みがムダだったと言っているわけではない。ただ虚子が説いたように俳句の基盤は「花鳥諷詠」にあり、なにをどうやってもそれは揺るがない。つまり自由詩のような徒手空拳の試みは俳句では必敗になる。実は「花鳥諷詠」を踏まえた新たな表現という難しく面倒な道しかないのである。
で、ここで奇妙と言えば奇妙なことが起こる。俳句の基盤が「花鳥諷詠」であるならば深く考える必要はない。双六の「始めに戻る」のようにとにかく俳句を詠めば良いのだし、評論は評釈でじゅうぶんということになる。虚子が自ら実践し門弟らに勧めた通りである。
ただ「花鳥諷詠」は俳句原理の一面的な捉え方である。俳句原理を外形的に捉えれば虚子が言ったように「花鳥諷詠」になる。五七五に季語に写生も俳句の原理には違いないが外形定義である。この外形定義を俳句本質として捉えれば俳句について難しいことを考える必要はない。では外形ではない内実定義を考え始めるとどうなるのか。ここで初めて俳句評論は俳句創作現場から離れることになる。
外形定義を超えてなぜ花鳥諷詠なのか、なぜ五七五で季語が必須なのかを考え始めると、それは俳句文学全体の相対化になる。必然的に日本文化の本質探求にもなる。それは狭い俳壇を超えて一般読者の興味を惹くかもしれない。が、俳句創作には直結しない。ただ俳句界が阿呆陀羅経のように「俳句は五七五に季語」を唱えてその本質を真摯に探求してこなかったのも事実である。
俳句創作を優先するなら俳句評論は評釈で十分。少し創作意欲を燃え立たせれば作家論・句史論が必要になる。ただ社会性俳句・前衛俳句以降の俳句界は盤石の有季定型写生に安住して安定はしているが刺激がない。幕末天保頃の点取俳句のようにゆっくり堕落し衰退している気配である。しかも新たに俳句界を泡立たせる方法を誰もが見出しかねている。現代俳人たちの中での新しい試みは、今のところ新興俳句から社会性俳句・前衛俳句、そして一昔前の現代詩の成果をごちゃ混ぜにしたような試行錯誤に終始している。この閉塞状態を変えるには外形定義ではなく内実定義としての俳句本質を考えるほかないかもしれない。表面的には活気があるが、俳句界の閉塞感はかなり厳しいものがあると思う。
岡野隆
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