今号の特集は「春を待つ」です。現代短歌の世界にどっぷり漬かっていると季節はそれほど重要ではなでしょうが西行「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」などの古典和歌は一般的な短歌のパブリック・イメージを作り上げています。春=梅・桜という日本の季節感を真っ先に言語化したのは短歌でした。
春たちける日よめる 紀貫之
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
古今和歌集巻第一 春歌上・二
なんとまあ、これは高らかな「循環する時間」派宣言ではないか。第一番の在原元方の歌(「年の内に春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」)の歌で、わたしたちだって循環する時間と直進する時間を組み合わせた〈文明の暦〉のうちに生活しております、とまずは述べ、第二番に紀貫之が、しかしわたくしどもの『古今和歌集』は循環する時間のうちにある世界です、とあざやかに宣言するのである。
鈴木宏子著『「古今和歌集」の想像力』(中略)によると、立春を「春風が吹いて氷が解ける」とする発想は儒教の聖典『礼記』『月令』篇の一説にもとめられるという。(中略)
貫之は、だからといって〈未開社会〉ではありませんと、中国文明の聖典たる『礼記』に典拠をもとめて、循環する時間意識にもとづく『古今和歌集』の世界の正当性を主張するのだった。
(前略)『古今和歌集』は、四季の移ろいをうたうが、それは循環する時間のうちにある移ろいであって、明るい。過ぎ去って戻らない時間の哀切を知らないわけではないが、漢詩の世界と比べると、やはり自然の循環する時間を信頼してやまないのんきさと、というか、楽天性が感じられる。
阿木津英「循環する時間・直進する時間」
『古今和歌集』の巻頭が在原元方「年の内に春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」であるのは言うまでもありません。陰暦ではまれに十二月中に二十四節気(一年を二十四等分する)で言う立春が訪れました。そこで元方は陰暦十二月で年の内なのに新春(立春)が来てしまったと詠ったわけです。『古今集』撰者の紀貫之の歌は二番目で「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」と詠っています。
内容は単純ですが技巧的には二首ともそれなりに複雑な歌です。元方の「年の内に」が陰暦と二十四節季の違いを知らなければ意味をなさないのは言うまでもありません。貫之「袖ひぢて」にしても「袖ひぢて」は夏の情景なので夏の間に「むすびし水」=濡れてしまった袖が冬になって凍っていたのを「春立つけふの風」=立春の風が溶かしているのだろうという意味になります。
元方も貫之も感覚的な春というより「立春」という概念で歌を詠んでいます。阿木津さんが指摘しておられるように「立春」概念は『礼記』『月令』篇に拠っています。〈文明の暦〉とは中国漢籍を勉強して陰暦と二十四節季を知っているということです。元方や貫之は新たな〝知〟として立春を援用した。
このような『古今集』の和歌を「歌よみに与ふる書」で子規が「理屈だ」と厳しく批判したのはよく知られています。それはそれで理由のあることですが『古今集』で「循環する時間」概念が確立されたのは間違いありません。春夏秋冬は断絶区分ではなく冬の後には春が来るという循環性を示しています。その永遠の循環性(季節の巡り)を初めて部立てという形で明確にしたのが『古今集』でした。また五七五/七七で切れる短歌の基本的な切れも『古今集』で確立されたと言っていいでしょうね。
ひさかたの天香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも
万葉集巻十・春雑歌一八一二
阿木津さんが論の冒頭に引用なさった『万葉集』の歌です。時代が上がると和歌の表現は当然シンプルになります。万葉調と言ってしまえばそれまでですが素直な叙景歌です。天香具山にたなびく霞を見て「春だなぁ」と詠っているだけです。春夏秋冬に表象される日本人の循環的世界観は強固であり『古今』以降は修辞的な複雑さを増しますが基本は風景描写で推移しました。歌人の強い自我意識が表れるようになるのは明治維新後の近代と言っていいでしょうね。
木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱く春かな
こん年の今年の春を思ひ出あはれみぬべしおのれ自ら
自らは不死の藥を壺抱く身と思ひつつ死なんとすらん
与謝野晶子
特集掲載の論「流れゆく時間のなかに―『白櫻集』の「春」―」で糸川雅子さんが引用なさっている与謝野晶子の歌です。「明星」派は明治近代においていち早く欧米的自我意識を取り入れました。乱暴に言えば佐佐木信綱「心の花」の古典派と子規根岸短歌会万葉派と「明星」自我意識派の三つ巴の流派が生まれたわけです。
晶子の歌は春という蘇りの季節に棹さすような表現です。再生の春だからこそ死の予感が際立つ。多くの歌人たちが諦念を持って季節の循環性に沿おうとしてきたのに対し晶子はあくまで有限な「私」の自我意識を中心に短歌で春を詠み込んだ。
では短歌では季節の循環性と歌人の自我意識のどちらが重要なのかと言えば「両方とも」と言わざるを得ないでしょうね。短歌というのはこういうところがとても厄介です。理論としても表現としても俳句はかなりの程度までスッキリ整理できるのに対してすべての日本文学の母胎である短歌は過去の遺産全てを引き連れて現代まで続いている。
あかときを父と母とがうたひつつ定家葛のわたくしを生む
世界は夜、われはゆふぐれ、紫のひかりを妬む森の昏さよ
つきしろに旗を立てけるもろこしの詩歌かなしむ牡丹はひとり
青龍に別れ朱雀に出會ひけり師走半ばのさざんくわの銀
亡き犬の星は卵生まひるまを北辰妙にふれなむとせり
水原紫苑「モンブラン」連作より冒頭五首
水原紫苑さんは過去の短歌伝統を総動員したかのような歌を意識的に詠んでおられる代表的歌人でしょうね。欧米文学の記憶も歌に織り込まれていますが短歌=日本文学のアルケーというラインに沿ってのレミニセンスだと思います。評釈を行えば一首一首でそれなりの文字数が必要になる高度な修辞です。〝水原紫苑調〟とでも呼ぶべき独自の歌風を確立しておられます。
ただ水原さんの高度に完成された歌がどこにベクトルを向けているのか今ひとつ掴めないようなところがあります。「父と母」から生まれた私は妄執で式子内親王の墓に絡みつく「定家葛」だと表現されます。「あかときを父と母とがうたひつつ」であるわけですから父母は明るく単純で私は複雑で混乱している。同様に夜の世界と私の夕暮れは一致することなく「森の昏さ」に雪崩れ込む。「青龍」「朱雀」という五方(東・南)で五時(春・夏)は「師走半ばのさざんくわの銀」となる。この言語的昇華はなんなのか。目を離せないスリリングな試みを続けている歌人です。
高嶋秋穂
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