「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
7.ワン・オン・ワン物語合戦(二)
〈先方: 山田孝史〉
「なんだ、これはいったい?」
おのろきの声あげっちまうのは、高山の邦夫ちん。だって、これが声をあげずにいられましょうか、ええ、どうなんですかそこんとこ?
「わかりません」
戸惑いにメン玉くるくるさせながら答えるのは、いつもいかめしい側近の辰浪だったりして、あは、こりゃ笑える。
「でも、あはははぁ、なんか楽しいです」
つい笑ってしまう辰浪なのだったりして。
「な~んだと貴っ様」
つい起こってしまう高山ちんなのだったりして。
「あはははぁ、すみまっせ~んっ」
常にはない陽気な表情に顔をほころばせて、辰浪がお辞儀をする。する。するするとお辞儀する。だけど、けど十五度。いつもの四十五度を完全に忘れている。いる。いるかがいるのか、いないのか。いるかじゃなくていかなのか? なんかよぉくわっかんねえけど、なにかがすっかり浅くなっちまってる。てる。てるてる坊主も笑ってる。
「くっそ~」
あっはぁ、怒りの声までがなんだか、ぷっしゅんと迫力を失っていることに高山はめらつく。めらめらっちゃう。いや、いらついちゃったりするのだ。
なんでかって?
いやそれはもう、簡単な話でしてな、えへ、えへ、えへっ。
いきなりの突然の風来坊な感じで、世界が、うっぷぷっ! 花柄になっちまったんでやんすよ。
どういう意味かって? 文字通り、そのまんまでやんす。花柄でやんす。
古いゴシック大寺院の壁紙剥がして、すっかり明るくモデルチェンジしましたぁ、ってな感じに世界中が模様替え、お色直し。ってわけでごんすぅ。
しかもそれは、どういう風邪の引き方か、いやどういう風の吹き飛ばしか、いやいやどういう風の吹き回しなのか、驚いたことに噴飯ものなことに高山の部屋から始まったのであったりしたりするわけで。こりゃもうびっくりぶーだわぁ。びっくりぶーのこまんたれぶー!
原色の赤、青、黄色、紫、緑、茶色に白に桃色の、きれいな花!花!花! ちょっぴり気取っておしゃれ目にいうならば、アイスランド・ブルー、アカプルコ、ウィンター・スカイ、ウェッジウッド、トワイライト・スカイ、オールド・ラズベリー、オーロラ・ピンク、ヴァンダイク・ブラウン、キャラバン・キャラメル、エンダイブ、オリーブ・イエロー、エジプシアン・レッド、ガーネット、アフリカン・バイオレット、オールド・パンジーといった色彩の乱舞! いやいやここは日本だよ、もっとおしとやかに和風でお願いよおっ! って言われちゃった場合には、鴇色、水柿、朱砂、海老茶、煤竹色、江戸鼠、苦色、花葉色、洒落柿、夏虫色、翠色、勿忘草、孔雀青などなど、蒼々たる顔ぶれの雅なお色目のご用意もございますってなもんでげす。そんなこんなで、もう色こりごりと叫びたくなるほど色とりどり、色彩の乱舞、、色男ならぬ色そのものの顔見せ興業。もうお花だらけ! 咲き誇るのです、咲き乱れるのでぇす! かわいらしい花、キュートでハニーな花々の模様が! 踊り狂うのです、舞い踊るのでぇす! 華々しく高山の部屋を壁、床、天井を問わず覆い尽くすのでぇす! 高山が着ていたシックにしてマットブラックな高級紳士服がいつの間にやら花柄模様のヒッピー仕様、あろうことかラブ・アンド・ピースな花園タペストリーへと変容していたのでありました、とさ。土佐の一本釣り! あっぱれ! いやもうそれはそれはすさまじいもので、勢いはそこに留まらない。留まったりしない。いやはや、けはけは、けははは、けはははははははは、もうこりゃ参ったってな感じに留まることができないのです。遠慮会釈のない花どもなわけで、傍若無人な色の洪水なわけで、きゃあきゃあわあわあ笑いさんざめく若い女子の群れのごとく、高級マホガニー製の高山の机も花柄、フランスのブランド、ベルルッティで買い求めた革靴も花柄、執筆に用いているモンブランの最高級万年筆も花柄、特注で作らせた手漉き和紙の原稿用紙もお花畑と、圧倒的に覆い尽くすのでありまぁす。笑い尽くすのでありまぁす。それはもう花束ぶちまけたような花束でぶちのめしたような花柄世界。
「なんだこれは。どうなってんだこれはあっ!」
思わず高山ちんは頭をかきむしるぅ。いや、これがどうしてかきむしらずにいられましょうか? ところが、どういうわけかかきむしられた頭から舞い落ちるのは、フケならぬ花びらの群れ!
「な、なんとぉ」
驚いた高山ちんは頭を抱えて部屋の隅に置いてある等身大の姿見まですっ飛んでいくぅ。イクイクイクぅ。姿見の周囲もいつの間にやら花柄模様なのは言うまでもなく。そして、鏡を見た高山ちんが驚愕の声を上げたのも、むべなるかなぁ。だって、だってさ、いつの間にか高山ちんご自慢のロマンスグレイの頭髪が、もつれ絡まる花籠になっていたんだものぉ。そこには蝶々が群れ遊び、蜂鳥がさえずり、蜂がさんざめくというありさまだったんだもぉん。
こうなるともう、アルチンボルドも腰抜かしてぎっくり腰になって接骨院通いってやつ。お花尽くしここに極まれり、ってな感じぃ。部屋中がフレグランス。フルーティー、スウィーティー、シトラスでメンソールでラズベリーでジャスミンでカラメル。錯綜し混淆し重層しあう、匂いの大合唱。休むことなく、有給休暇を知らないモーレツ社員のごとき鼻腔への絶え間ない襲撃。そんなお花の匂いが大気圏を占領したのはいうまでもござらんところで。
それだけじゃない。
それに留まらない。
洪水の特徴は溢れることだから。
留まるところを知らないことだから。
高山ちんの部屋から始まった万物森羅万象花柄化の波は、フローラルな香りを濛々とふりまきながら、洪水となって世界へと溢れ出していったのでありんす。高山邸から同心円状に広がる波紋となって、世界を染め上げていったのでありんす。あ・りんす。あっ、リンス。・・・そういえば、リンスが切れてたな。今日の買い物メモに書き足しとこう。ってこれはまた別のお話。
「ありゃりゃ、こりゃどうなってるんだ?」
戸惑いの声をあげちゃったのは、拷問するは我にあり! 苦しみたい奴ぁ俺んとこ来い! な公務員土浦大樹ちん。
だって、だって、だってぇ、いましも若い女囚人の爪を剥がそうとしたペンチが急にふにゃっちゃったんだもん。なんでだよぉって感じ! ふにゃって、くたってなっちゃった。そう、赤い持ち手と黒光りする金属のボディを誇ってた細マッチョなこのペンチ。ペンチが本来なんのために使われるものか走らないけど、土浦ちんのペンチはもう一意専心、人間の爪を引きはがすことに何百回も使われてきたのだったのであ~る。ところが、ところが、その朝、とりあげたそのペンチの表面に鮮やかな花柄模様が浮き出していたのであったぁ~。
「さあて、楽しみだなあ。若い女の悲鳴ほどくすぐられるものはないからな」
記録を残してはならないと上司から厳しく言われているにもかかわらず、悲鳴マニアの拷問官土浦ちんは、自分のスマートフォンの録画ボタンを押していた。後で囚人たちの苦しむ表情や声を何度も反芻するためだった。楽しみで楽しみで、うふふ、うふふ、うふふふふぅと胸のうちでほくそ笑まずにはいられない土浦ちんなのだった。
でもでもでもぉ、彼にしてみても、最初っから拷問マニアの加虐フェチというわけじゃなかったわけぇ。この職場に赴任した当時は、それなりに苦悩したものだったのぉ。なにしろ与えられた命令はぁ、理由なき暴行だったわけだしぃ。
「表向きはあれだ、こいつらが行った罪を白状させ、さらにアジトの場所を吐かせ、まだ捕まっていない仲間をあぶり出すことだ」
なるほど、それなら、非道な行為とはいえ、国家に徒なす危険な集団を壊滅するという重要な任務だといえなくはなかった。つらいけれども、真剣に取り組もうと心に誓った若き土浦ちんであったが、上司の顔は笑っていた。
「とはいっても、もう主導者である真田寿福が捕われの身だし、アジトはすでに壊滅しているし、仲間もこれ以上はいないはずなんだがな」
「え、じゃあなぜ?」
「さあ、それは自分で考えてみろ。っていうか、慣れてくればここくらい楽しい職場はないってわかってくるぜ。人間ぶっ壊して楽しんで、それで給料もらえるんだ。一回波に乗っちまえば、もうやめられない仕事だぜ」
上司はそう言ってグッと親指を立てた。土浦ちんは戸惑った。なるほど彼はきわめて「素直」な人間だったから、マスコミが流す情報を鵜呑みにしていた。真田たちのセミナーが「危険分子」だということは知っていた。そうなんだよ、こいつらワルなんだ。悪~い悪~いやつらなんだ。でも、なんで? こいつら何をしたんだっけ? この問を深めれば、土浦チンにも気付きのチャンスはあったはずだった。だけど、土浦ちんは「朗読と暗唱」得意なタイプだった。与えられたものを上手に消費するのが上手だったのだ。つまり、深く考える習慣がなかったってこと。だってさ、メンドイじゃん、考えるのって? 重い感じするし、なんかキリなさそうだしぃ。えっと、そうだ、理由はあったぞと土浦チンは気付いた。上司は彼等のことをアナキストだと言ってた。国家の秩序を攪乱する危険な物語を紡ぐ存在なのだと。土浦はそれがなぜなのか分からなかった。なぜ物語を好き勝手に紡ぐことが危険なのか?
「いずれにせよ、俺には関係のないことだ」
土浦はそう自分に言い聞かせた。いつものことだ。わからないときは、与えられたものを反復せよ。反復して己の内側に刻み込め! それが土浦ちんのモットーなのだった。
「うん、そうとも。国が犯罪者と呼んでいる以上、彼等は犯罪者なのだ。危険分子と呼んでいる以上危険分子なのだ。だから処罰されねばならないのだ」
でも、囚人にも人権はあったのではなかったか? そんな疑念の芽がちょこんと、ちょこなんと、チョコボールサイズで顔を出した。意味の無い拷問を加えることは許されるのだろうか?
「いやいや、いいんだ」
土浦ちんは怖かった。自分のなかにそんな疑念の芽が生えそめたことを上司に知られたくなかった。だから、すぐにその芽を摘み取った。摘み取って捨てた。
「俺は公務員。与えられた仕事を忠実にこなす。それが俺の役目なんだ」
とはいえ仕事は過酷だった。
だって、土浦はすぐに知ることになったから。人間の身体のやわらかさを。人間の皮膚の弱さを。人間の胃袋の許容量の小ささを。人間はすぐに壊れる。ほんとにささやかな暴力で傷つき、悲鳴を上げ、嘔吐し、気を失う。最初に爪を剥いだとき、土浦はその女が挙げた悲鳴に身をえぐられる思いがした。剥ぎ取った爪には少しばかりの肉と血がこびりついていた。それをみて土浦は思わず吐いてしまった。
「うん、まずは上々の滑り出しだよ、土浦君。君は典型的な適合タイプだ」
嘔吐しているにもかかわらず、上司は笑顔で褒めてくれた。
「君はちゃんとやり遂げた。その爪は記念に取っておくといい」
「こんなものをですか?」
「そうとも、いずれ、これを見るだけでやる気がばりばり湧くようになるぞ」
そんなことあるはずがないと、土浦ちんは思った。ああかわいそうに、あの人はとうとう全部の爪を剥ぎ取られてしまった。っていうか、そんな非道をはたらいたのは他ならぬこの俺なわけだけど。土浦ちんの胸は痛んだ。彼女のあげた悲鳴が、土浦ちんの胸を引き裂いた。心が折れそうになった。それでも上司の命令だからと、こびりついた肉片と血を洗い流して、その小さな爪、左手の薬指から剥ぎ取った女の爪を小さなケースに納めて自分の部屋に飾った。
(第21回 了)
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