「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
7.ワン・オン・ワン物語合戦(一)
「やはり、死んではいなかったか」
海原の事務所で、真田と海原が対峙していた。
「当たり前だ。この俺が、あんな猫の描いた絵の通りに操られたりするものか。あの猫を蘇らせたのはなるほど俺かも知れない。だが、実際にそれを行った行者は別だ。あいつが死の世界へ戻ろうがどうしようが、そもそも俺には関係ないからな」
「わたしにはもう何もない」
真田福寿は悲しげだった。
「高山君、もうやめよう。こんなことをしていてもなんにもならない。君はただ自分の力に酔っているだけだよ。いったいこの先になにがあるっていうんだ」
「何もないさ」
海原泰山は、もはや動かなくなった猫の死体を蹴り飛ばした。
「こいつも死んでしまったしな」
「いや、死んではいない。ぼくが蘇らせて見せようか?」
「反魂の術を使うのか?」
「いや、ぼくはそんな秘技に頼ったりしないよ。ただ物語るだけだ。それだけでいい」
「それは、蘇ったとはいはない。あの女の物語を語っても、それは物語の登場人物というに過ぎない」
「そうかな」
「そうとも」
扉が開いて秘書の辰浪が姿を現した。
「先生、こいつ排除しましょうか?」
「ああ、いまからそれをするところだよ。私自身がな。だから、お前は手を出すな。代わりに、建物の外に鉾の会の奴らを集めておけ。もしこの男が逃げたら捕まえるように伝えておいてくれ。その場合は、できるだけ観客の多いところに連れて行って処分するように命じておけ。第一級の売国奴の処刑だとな」
「かしこまりました」
四十五度のお辞儀をして、辰浪は姿を消した。
「ぼくが思うに、君は現実に囚われすぎているんじゃないだろうか?」
「現実に? ばかな。この現実以外にいったいなにがあるというんだ?」
「だから物語がある。君だって、さんざん紡いできたじゃないか。物語を」
「あんなものは方便に過ぎない。この世界で自分の地位を築き上げるための足場にすぎないよ。わたしにとっては何の意味もないものだ」
「でも、君の物語は多くの人を巻き込んでる。朗読と賛美の宴はいまや国民的な行事になりつつあるじゃないか」
「実にくだらない。あれはわたしのこの現実界における力の証でしかないからな」
「それは不幸なことだ。じゃあ君は無じゃないか」
「そうとも、わたしは無だよ。虚無だ」
悪びれることもなく、悲しげにでもなく高山はそう断言した。
「じゃあ、始めようか?」
山田がそう問いかけた。
「あれか?」
「そう、ワン・オン・ワンだよ。最後のね」
「ああ」
高山がうなずく。
「お前からでいいぞ」
うなずいた山田が先方となった。
〈先方:山田孝史〉
ぼくたちは高二のクラスで初めていっしょになった。楓花といっしょに新しい教室に入ったとき、ぼくはすぐに君の存在に気がついた。負のエネルギーが君の全身から溢れ出していたからね。君は自分がいじめられていたと思っているかも知れないけど、それは違うんだ。君が、彼等を操っていたんだよ。君が無自覚に発散する虚無の気配が彼等を不安にしたんだ。君を排除しなければ、自分たちも虚無に引きずり込まれる、そんな恐怖を彼等に与えた。つまり、君はブラックホールだったというわけだ。みんなを自分の虚無に引きずり込もうとした。困ったことにいまそれを、君はクラスのレベルじゃなくて、国家のレベルでやろうとしているわけだけど。
だからぼくはクラスメートを救おうと思ったんだ。もちろん、君を救うということも最終的には意図していたけど、それはなかなか困難だってすぐにわかったからね。君はとても手強かった。重たい岩のように動かなかった。
そこでぼくはまず、『ワン・オン・ワン物語合戦』なるゲームをやり始めた。みんなに呼びかけてというんじゃないよ、最初は親しくなった友達と三人で始めたんだ。最初からぼくには勝算があったからね。このゲームの楽しさは伝染するって。いずれ皆を巻き込むことになるって。最初は、僕ともう一人が物語を作って、三人目の友達が優劣を判断するっていう形だった。
ぼくは、こんな物語を作った。
「『カラテカは強かった。
噂を聞きつけて、国中から挑戦者がやってきた。
カラテカは、すべての挑戦を受けた。
カラテカは、すべての挑戦者を瞬殺した。
カラテカの名声はますます高まった。
ついに、ブドーカが立ち上がった。
ブドーカは人格者だった。
ブドーは、己を高めるためのものである。他者に対して強さを誇示するためのものではない。それがブドーカの教えだった。
カラテカはそれを笑った。
ブドーカを腰抜けと嘲った。
ブドーカはそれでも動かなかった。しかし、師を嘲られたことに弟子たちが怒った。
弟子たちは、無用な戦いを禁じられていた。
カラテカはそれをも笑った。
怖じ気づいていると嘲笑した。
ついに、弟子の一人がカラテカに蹴りを見舞おうとした。
瞬時、その弟子は地に伏していた。
弱い弱い弱すぎる、カラテカはカカ大笑した。
ブドーとは、弱者を育てる道場のことであったかと揶揄した。
ついに一番弟子が禁を破って戦いを挑んだ。
一番弟子は瞬殺された。
驚いた二番弟子、三番弟子が二人がかりでカラテカを襲った。
二人まとめて瞬殺された。
ついに、ブドーカが立ち上がった。
これ以上の無用の暴力を阻むためだとブドーカは語った。
ブドーカは瞬殺された。
カラテカは退屈した。
自分はあまりにも強すぎると気付いた。この国は、自分をいれておくには小さすぎる容器なのだと理解した。
カラテカは旅に出た。
どの国に行ってもカラテカは無敗だった。
ケントウカも、ジュードーカも、ケンドーカも、ムエタイカも、カポエイラカも、レスリングカも、さらには巨体のスモウカまでもがカラテカの前には無力だった。
カラテカは自分の国に戻った。
そして道場を開いた。
弟子たちを熱心に育てた。
弟子たちはどんどん強くなった。
ついに年老いたカラテカが、一番弟子に敗れる日が訪れた。
カラテカは初めて笑った。』
ぼくのこの物語に刺激された友人は、こんな物語を作った。そう、物語は物語を誘発するんだ。
『笛吹きじいさんがやってきた。太鼓ばあさんもやってきた。歌歌い娘もやってきた。
ぴーひゃら、どんどん、しゅらしゅらぱ~。
ぴーひゃら、どんどん、りらりらる~。
楽しくて愉快で村のみんなが笑顔になった。
楽しくて愉快で村のみんなが踊り始めた。
耳栓盗賊たちがやってきて、あれやこれやと盗み始めた。
村人たちはびっくりして、これを止めようとした。
けれども、
ぴーひゃら、どんどん、しゅらしゅらぱ~。
ぴーひゃら、どんどん、りらりらる~。
楽しくて愉快で村のみんなは笑顔をやめられなかった。
楽しくて愉快で村のみんなが踊りやめられなかった。
耳栓一族がやって来て、村人の家に勝手に暮らし始めた。
それは困ると、村人たちは追いだそうとした。
けれども、
ぴーひゃら、どんどん、しゅらしゅらぱ~。
ぴーひゃら、どんどん、りらりらる~。
そうなると、もう踊らずにはいられなかった。
村人たちは踊りながら、指を両耳に突っ込んだ。
そして、耳に指を突っ込んだまま、笛吹き爺さんと、太鼓ばあさんと、歌歌い娘を取り囲んで、蹴り倒した。地面に落ちた笛を踏みつぶし、太鼓の皮を蹴破り、歌歌い娘ののど頸を思いっきり蹴った。ただの爺さんと婆さんと娘になった三人は、とぼとぼと村を去った。
静まりかえった村から、村人たちは耳栓一族を追い出した。
村は元の平和な日常に戻ったように見えた。
でも、なにかが変わってしまった。
村人たちは、退屈した。退屈を知ってしまったのだった。』
さて、判定はどうだろう? この時は、どっちが勝ったんだっけか? うん、勝敗はどうでもよかったんだ。ぼくの目的は、こうして二人が物語を楽しむさまをクラスメートたちに見せること、いや、物語ることの楽しさに感染させることだったんだから。
どういうことだろう。
語るにつれて、山田孝史と高山邦夫の姿が薄れていく。
二人の部屋が見えなくなる。
世界が空白になる。
空白。
いま二人の姿は誰にも見えない。
だが寂獏ではない。
はっきりと聞こえるから。二人が語る声が。
はっきりと体感されるから。二人が紡ぐ物語が。
それは闘い。
物語がぶつかりあう、戦場である。
〈後方:高山邦夫〉
寒い、というよりむしろ冷たい。そこは凍える地下室だ。山田孝史は床の上でぼろぼろの毛布にくるまって震えている。眉間にも頬にもまだ癒えない傷がぱっくり口を開いている。山田は畏れている。朝が来るのを。なぜなら、朝になればまた奴らが目覚めるからだ。
かつーんかつーんと革靴の堅い底を石造りの階段に響かせながら、奴らが階段を降りてくる。昨日の仕事を終え、仲間と楽しく飲んだのであろう彼等が、また嬉々としてやってくる。
「起きろ、十七号。お楽しみの時間だ」
はっとなって、浅い眠りから目覚める山田。むろんそれは幻聴。まだ夜は深い。けれども、山田に深い眠りは訪れない。寒さのせいだけではない。ひもじさのせいだけではない。恐怖のせいだ。なぜなら、この幻聴はまもなく、紛れもない現実として訪れるから。間違いなく訪れるから。そう、山田はいま悪夢を現実として生きている。
「わたしはいい。わたしだけならいいんだ」
山田は苦しげにうめく。
それもそのはずだ。いまこの思想犯専用刑務所に囚われているのは彼だけではないからだ。彼の信奉者だった者らもみな、ことごとくここに収監されている。いや、ことごとくというのは語弊がある。なぜなら、すでにその多くがこの世の人ではないから。憂国詩人たちによって斬って捨てられた者、首を刎ねられた者もいた。この刑務所で繰り返される拷問で命を落とした者、その恐怖から自殺を図った者もいた。
「どうした? 物語で自分を救うんじゃないのか? 物語があれば、こんなの痛くも痒くもないんじゃないのか? 爪の一枚や二枚剥がされたって、ほら、どうだ? 魔法の物語で自分を癒やせるんだろう、お前らは」
そんな風にあざ笑われる日々。誰がこれを乗り切ることができるだろう。圧倒的な権力、いや権力という名の暴力を前にして、誰が己を保ち続けることができるだろう。
「わたしが過っていた。すべてわたしの過ちだ」
山田の後悔が尽きることはない。多くの無辜の民を道連れにしてしまったこと、そのことへの悔恨が、山田を苛む。拷問で使われる焼きごて以上の熱で、山田の心を焦がす。爪を剥がすペンチ以上の力で、山田の心の襞を引き裂く。口から漏斗で注ぎ込まれる大量の水のように、山田の心を溺死寸前に追い込む。
「月村健作、山田有紀、立花理香、夢野貴、工藤隼、昨日の死者は以上の者らだ。たった五名だ、昨日は少なくて済んだようだ。どうだうれしいか?」
すでに拷問に取り憑かれた者らがあざ笑う。彼等は公務員なのだ。国の税金で養われながら、こうして日々逃れる術のない無力な人間たちをいたぶり苦しめている。最初はそれがいやでいやで仕方が無い者もいる。なにかが行われる度に嘔吐してしまう者もいる。けれども、やがて大きな心の変化が訪れる。そう、彼等はいつしか、それを楽しんでいる自分に気がつくのだ。どうやら人間の心の奥深いところには、どうしようもない加虐欲が潜んでいるようだ。元来は人道主義者だったはずの若者らの変心ぶりを見て、山田の絶望はさらにも深まる。
(第20回 了)
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