「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
4.キメラ猫(後編)
しばしの後、再び猫が語りかける。
「言霊の力は、これを己が私欲のために用いてはならない、・・・そうよね」
「そうとも。言霊は《公》の力だからな。だが、力は力だ。それ以外のものではない。自らの意思をもっているわけではない。だから、力をどう使うかは、結局その力を有する者の判断に委ねられる。そうだろう?」
「科学みたいに?」
「たとえばそうだ。科学はまさに力だが、それを結局人間は私利私欲のために使っている。敵を殺すための装置の開発という動機こそが、科学の最大の推進力だったという笑うに笑えない事実もあるからね」
「つまり、あらゆる力は中立的なものだって言いたいわけ?」
「そうだな。結局俺はつまらない人間だったということだ。力に溺れたいだけの輩だったってことさ」
「あら、認めるのね」
「ああ、認めよう。なるほどそれは残念なことだ。俺が高潔な人間じゃなかったってことは。ただね、気持ちいいんだよ。こうして力に溺れていることは。どうしようもなく心地いいんだ。いずれ溺れ死ぬと分かっていてもね。いや、それゆえだともいえるかも知れないな」
「何から逃げようとしているの?」
もはや哀れみを通り越して、猫の声は悲しげですらある。
それにしても、何という奇妙な光景だろう。恰幅の良い男が、再び膝の上に上がった猫と人語で語り合っているのだ。しかも、それが当たり前のことだという気配を醸しながら。
「何から? 分かってるだろ、そんなことは」
「そうね、過去ね。あなたが彼に救われた過去」
「そう、それこそが最大の屈辱だった。でも復讐はなされた。そうだろう?」
「最低のやり方でね」
身体を撫でられながらも、猫はその瞬間目を細める。そこに肉食獣独特の鋭い攻撃性が一瞬宿る。それは、憎しみ、あるいは怒りのようにも見える。
「ああ、心地いいな。君に責められることほど、俺にとっての快感はない。だいじょうぶだよ。俺は分かってやっているんだから。自分が満足できればそれでいいんだ」
「つまり、あなたは自分以外の誰も愛さないってことね。禁忌のなかの禁忌であった御霊移しの呪法を発動してわたしを彼岸からこの世界に呼び戻したのもそう。これは愛ゆえではなく、勝利のため。自分が彼に優越し、すべてを手に入れることができるということを確認するためだったってことね」
「いや、わたしは君を愛しているよ。わたしなりの愛でね」
「そうね、あなたなりのね」
猫は膝の上で立ち上がると、液体のようになめらかな身のこなしで床へとこぼれ落ちた。
「そういえば」
猫が、海原に語りかける。
「あの人のこんな短篇があったわね。とっても長いタイトルのやつ」
「ああ、あれか。ほんとに詐欺師だな、あいつは。人をおちょくるにもほどがある」
「そりゃそうよ。だって、彼は外師だから。外師としては自然なふるまいじゃないかしら。権威ある文芸誌からの依頼だったのに、あんな作品発表するんですもの。なにしろ、原稿用紙五十枚分くらいの内容がタイトルで、本文はたった一文だったものね」
「ひどいよ、あれはひどすぎる」
さすがの海原も、思い出してほほ笑まずにはいられない。その表情に安堵が垣間見えるのを、猫の眼がしっかりと見届けている。
「でもわたしは好きだわ。あの本文、空で言えちゃうもの。あなただって覚えてるはずよ。『野良猫がタバコを吸いながら歩いていたので注意したら、引っかかれた。』これだけだったわよね」
「タイトルと本文を入れ替えただけだろ?」
「でも面白いじゃない。それに、わざわざこれをわたしが引用した意味だって、わかるでしょ」
「飼い猫に引っかかれないよう気をつけろってか? はは、大丈夫、君に引っかかれるなら俺は本望だからね」
「あら、そう。じゃあ、こんど思いっきり引っ掻いたげるわね。憎しみを込めて。頬の肉がそげるくらい」
からかうように言いながらも、猫の声は次第にか細くなっていく。瞳が縮んでいく。猫は軽くあくびのような仕草をした。
「だめだわ。眠い。少し眠るわね」
呟くようにそう言うと、体を丸めると眠りの態勢に入った。
「なるほど、中身は人間でも、依り代が猫だと、その習性に引っ張られるようだな。言葉を操る以外は、まるで猫そのものだ。だが、それでいい。ゆっくり眠るがいい、猫としての眠りをな」
猫が眠るのと同時に、一人の少女が目覚める。いや、正確には一人の少女が一瞬体をかしがせ、そののちにしゃんと背筋を伸ばす。
「すべてを支配できてるという過信こそがあなたの最大の過誤よ」
少女はそう呟く。
「完全なる支配なんてものは不可能だってこと。必ずどこかに抜け穴はある」
そこは少女の部屋であるようだ。宿題をやっている途中だったようで、数学の教科書とノートが開かれたままになっている。
「あなたはわたしを死にかけてた自分の飼い猫に導きいれた。いえ、死にかけてたんじゃないわ。あなたがわざわざ死においやったのよね、依り代にするために。でも、わたしだってただ言いなりにはならない。こうして、同じ時に死にかけてたこの子も依り代にした。あなたにはわからないように、わたしは同時に二つの体に宿った。だから眠いの。いつも二つに引き裂かれてるから。早く戻りたいわ。本来いるべきあの場所に」
少女は、そう言ってほほ笑む。それは、いつもの少女のものとは違ったほほ笑みである。
「お茶が入ったわよ」
階下から母親が呼ぶ声がする。
「あら、母親が呼んでるわ。わたし相手するの面倒だから、あなたに代わるわね」
そんな呟きと共に一度少女はくらっと身を傾がせ、すぐにはっとなって身を起こす。
「あら、いやだ」
少女は小さく笑う。
「また寝ちゃってたみたい。だめなのよね、数学って。どうしても眠くなっちゃうもの」
「聞こえなかった?」
また呼ぶ声がする。
「お茶が入ったわよ」
「はーい、すぐ行く」
少女はさっと立ち上がって部屋を出る。
「ねえ、エクレアはわたしのだからね。食べちゃだめだよ」
(『物語健康法 入門編』より抜粋(その③)
(第四章より)
第四章 応用編
第四節 物語共有という快楽
さてさて、ここまであなたはすでにいろんなことを会得してこられました。
すでに、「第三章 実践編」のガイドに従って、たくさんの実作もものしておられるわけですよね。
そして、この応用編では、一人で書くだけでなく、皆と共同で創作を楽しむいくつかの方法をご紹介してきました。特に第三節でご紹介した「優雅な死体」は、多くの方から「楽しかったぁ~っ」「思いも寄らない展開にどきどきしたぁ~っ」などといった喜びの声をたくさんいただいております。同士を募って学校で、家族で、職場で、レストランや喫茶店で、呑み会やパーティーで、あるいはネットのチャットルームで実践していただきたいと思います。
そして第四章の締めにあたるこの節では、それぞれの作品を皆で共有するという快楽についてご紹介したいと思います。
繰り返し申し上げていますように、わたしがご紹介しているのは「作家になる方法」ではありません(はい、ここんとこチューイ! 受験には出ないけどなーっ!)。何度申し上げても誤解される方がいて、わたしは泣きっ面にハチではなく、困り面にハエ状態です。ええ、ただでさえ困っているのに、ハエがうるさくつきまとってかなわないという感じです。しかも、どうやらそのハエは実在のハエではなく妄想の、いえ願望のハエのようなのです。作家志望者が、わたしの本をハウ・ツー・ショーセツカ本とかナレルゼ・アンタモ・リューコーサッカ!本と誤解した結果生まれてくる、作家願望が凝り固まって生まれたハエなのです。願望が強いゆえに羽音はナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイと耐えがたいほどにうるさく、願望が肥大しているがゆえにその体躯も巨大です。そして諦めがつかないゆえに、どんなにはたいても消えてくれないという困ったハエです。
ちょっと体感してみてください。
ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ、ナリタイ、ナリタイ、サッカ、ナリタイ!
こんな羽音がしじゅう耳元で鳴り続けているとしたらどうでしょう?
ああ、ハエたちよ羽ばたくのをおやめ! そして、どうか聞いておくれ。
わたしに、あなたたちをプロの作家にする能力はありません。そんなハウツーがわかったら、誰だって即作家になってしまい、この世は作家で溢れてしまうことでしょう。耳にできたタコが狂ってイカになるくらい繰り返し申し上げてきたように、わたしがお教えできるのは、物語「健康法」だということを、どうぞお忘れなく!
見えないハエを追い払いつつ、もう一度繰り返しますが、この本はあくまで「健康法」を説くものです。自分のなかから物語をくみ出し、それに形を与えて表現する、そういう前向きな意志的活動、想像し創造するというクリエイティブな営為を通して、生きるエネルギーを増幅し、心身の健康をもたらそうというもくろみです。たくらみです。たのしみです。タクラマカンです(それは砂漠です)。そこのところ、どうかよろしくご承知くださいますよう、お願い申し上げます。
というわけで、さっきのお話に戻るわけですが、さて自分のために書き手となったあなたが産み出した作品が、いまあなたのノートや原稿用紙やパソコンのなかにはあるわけです。それを自分で読み返すのは、もちろん楽しいでしょう。けれど、それにもまさる喜びはやはり、人の感想を聞くことです。そして、あなた自身も関心があるのではないでしょうか? いったい他の人はどんな物語を醸し出しているのだろうって。実際、みなさんは娯楽として小説を読みますよね。それは純粋に「物語」を消費することは楽しいことだからなのです。とすれば、たとえ素人であろうとも、同じ志を持つ仲間の書いたものに興味をそそられるのは当然のことです。
実は、パソコンに詳しい私の友人が、ネット上に「物語健康法友の会」というグループサイトを作ってくれました。わたしのホームページともリンクしています。ほんのプロトタイプのつもりだったのですが、いまでは登録者数が五万人を超えています。サイト内には自由に新しいスレッドを開くことができるようになっていて、「お笑い友の会」「怖い話しようよ!」「政治ネタはここ」「哲学好き集まれ」「恋バナつくったらここだよ」「ここ、なんでもありすぎ~」「マジで作家を目指す同志による切磋琢磨の修行所」などなど、いくつもの興味深いテーマが掲げられています。参加者は、好きなところに入っていって、自分の書いたものを投稿するもよし、人の書いたものを読むだけでもよし、コメントを残すも残さないもよし、という完全に自由な体制が準備されています。
もちろん、これはひとつの例に過ぎません。ですから、皆さんが自分の知人やつてをたどって個人的に読書会やオフ会を開かれるのはほんと自由なんです。そこで新しい友人ができたり、なかには恋人が出来たとか、とうとう結婚してしまったなんていう話もちらほら伝わってきます。お互いの物語を見せ合った仲だから、もう隠すものはないって感じになるようですよ。
(第13回 了)
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* 『物語健康法(入門編)』は毎月14日に更新されます。
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